七月九日 火曜日 朝 女宿舎

 わたしは、起きるときは、われながらスっと起きる。夢とか見ることはなくて、いつも、眠ったなと思ったらすぐ起きた、そのくらいの感覚。
 そういうとき、いつも隣で集中しているひとがいて……。
「あ、……あれ?」
 夏の日差しがいつもの感覚と違った。その“いつも”は、もうわたしの家のそれ、じゃないけれど、とにかく違った。ああ、そういえばそう、ここは修学旅行の京都。
 部屋を見渡すと窓際に誰かがいた。なにか作業をしているようだった。
「起きたかい」
 結構ドスのきいた、けど静かな声のひとは振り向いて、口の前に人さし指を立てながら言った。返すわたしの声も自然静かになった。
「は、い……おはよう、ございます……」
「おはようございます。私は吉倉弓。2G。現在夕べの枕投げ大会の後始末中。まーかせなさい、障子張りなどちょろいものよ」
「そ、そう、ですか……。あ、あのわたしは斉藤梅子と申します、2Bです」
「随分早く起きたな。三文の徳の代わりにいいことを教えよう。部屋の風呂を使うといい、髪がもじゃもじゃだ」
 これも、人さし指を口の前に立てながら言われたけど、それだけでわたしはぴゅーっとお風呂場へ疾走した。敷き布団も掛け布団もめちゃくちゃな上にザコ寝している女の子達を豪快にまたぎながら……。そ、そそそういえば夕べ、なにしたっけーーー。
 わたしがひとりさっぱりして、けどシャワーだけにしよう、と思って急いで部屋付きの小さなお風呂から出る。髪を整えて、服もちゃんと着て部屋へ戻ると、まだ全員ザコ寝したままだった。
 さっきのひとは、まだ窓際にいて作業を続けている。
 あ。
「あ、あの、わたしも手伝います……」
 小声で言った。
 みんなまだ眠っている。時間を確認すると、確かに今でも起きるのにはまだ早い。このひと、それよりもうんと前に起きていたってことになる。近寄って、ハケの入った小さなバケツを持ってあげた。
「弓でいい」
「あ、はい。えっと、ユミ。わたしはウメコでいいです」
「同じ学年なんだが」
「あ、そうですね」
「ふ。こういう口調だから、皆そういう反応だ。ウメコ殿、もうおわるよ」
 ど、どの。
「あの、ユミ、はお風呂とか入らなくて……」
「ふ。後でゆっくり入るさ」
 それが、あまりに意味ありげな笑みだったので、思わずどういう意味? というような表情を我ながらつくってしまった。
「修学旅行は自由行動。よって私は日中ここ宿舎に居続けなのさ」
「え?」
「実は三の宮に彼氏がいてな、やつに会社を休ませここへ連れ込んでいる。バレたらもみ消せん、内緒に頼む」
 ひーえー……。
「最終日だけ土曜だから、ようやっと大っぴらに連れて歩ける。それまでは、行き先も決められず彼氏もおらず空しく宿舎居残り人間を装っている。こういう人間は私だけのようだ。知らぬだろう、修学旅行の日中、宿舎がどうなっているかなど。それを知るのも一興、貴重な体験だ。充分楽しんでいる」
 ……確かに、そうだと思います。
「ときに筋肉痛にはなっていないか?」
「え?」
 ああ、そういえば夕べ枕なげをしながらそう思ったような、思わないような。けど夕べの今朝で、そんなにすぐ体になにかなんて、出ないと思うけど。
「筋肉痛というのはな、遅く出れば出る程運動不足の証拠なのだ」
「え」
 あ、れ。あれー、わたしは体力がない人間でーす。
 ……思い当たる節がいっぱいあるひと、でーす……。
「大会は今晩も開催する、増員は間違いなかろう。そんな若い身空で湿布のにおいを漂わせるのは止した方がいい」
 ……そ、そう、ですね……。
 わたしがぜーんぜん反論出来ないでいると、みんながようよう目を覚まし始めた。ユミ、はもう障子張りセットを片付けていて、さあ支度だメシだ、今日も楽しく修学旅行を満喫しよう、とか言って、時計を指し示していた。
『もっと早く起こせーーーーっっっ!!』
 これが、みんなの意見を総合したものです。昨日はわたしもそうだったけど、みなさんでオンナノコの朝模様を展開していました。うーん、こういうのって、傍目で見るのは結構面白いかも。
 なんて言ったら今晩も標的だと思うので、口に出すのは止めた。

七月九日 火曜日 朝

 遼太郎は女宿舎の玄関先で環を待っていた。皆が遼太郎を遠目に眺めながら誰一人として声を掛けられずにいると、環がやって来た。
 しかし彼女は、彼の姿を見ても、嬉しそうに寄って行きはしなかった。
 それを見て取ると、彼は再び彼女の細い腰に手を回し、注目を浴びるその場から脱出した。
 しばらく歩いたその先で、彼は彼女が昨日のように、いやいやながらついて来ているようなので、訊いた。
「どうした」
「昨日……こちらの宿舎で」
「済まなかったな」
「え?」
 環はまだ、なにも詳しいことは言っていない。
「理由が理由だったが、もっと前からはっきりさせていれば良かった。……そうすれば合同の、あのクソ木っ恥ずかしい種目にも出られたんだがな」
「あ、あれは……その」
「来年は出よう。今年と種目持ち越しだが、乱入して」
「え、え、で、……でも、あれは、その……」
「なんだ」
「そ、それに……私、あんなこと、を……」
「当人が直接そう言ったのか」
「……」
「西園寺。確かにいろいろあっただろうが、きっちりやる事やっていただろう。一緒に受験勉強して、絶対無理とまで言われた志望校に合格させたんだ。確かに本人の努力もあっただろうがな。だがまた一緒にいれば、やれ成績が上がったのは本人以外の功績だの勝手なことを周囲でほざかれて、それを向こうの耳に入れさせたくなくて教室で一年間ずっと独りぼっち。友達一人は西園寺、お前もだったのにな。
 いいか、直接見もせず知りもせず、憶測で勝手なことを言うやつらなんざ今まで通りだ、これからもほっとけ」
「……でも」
「間違いを起こさない、清廉潔白な人間がいると思うか。人間やってりゃ他人をそうそう偉そうに言えるわけがない」
「……」
「なんだ」
「……」
「あのな、でかい声を出せば勝手なやつらなんざ文句も言い返せず黙り込むって知っているだろう。俺はこの耳で聞いたぜ? 西園寺のカッコイイ大宣言」
「……え」
「去年、合同おわった翌週の月曜。1Dで。俺は廊下を挟んだ向かいの、部室にいた。扉越しだったが、聞こえたぜ?
“梅子は私の親友です、名を汚す者は許さない!”」
「……」
「三千弱の前で文句があるならこの場で言えと言われても黙り、当事者のいない所で聞こえよがしに勝手なことを言われていた。可哀相に、秀才君にあんな派手に振られて。……なんてな。こんな憶測の下らん下衆勘を、ただ黙って聞いていなかっただろう?」
「それは……そんな事、酷い大嘘ですから」
「ああ。いつだってそうやって堂々としてればいい」