七月三日 梅子自宅

 期末試験がようやっとおわって、帰宅してほっと一息。結果はともかく考えないで、久々の開放感で、台所の母ちゃんのお手伝いをしていると、居間の黒電話が鳴った。
 テレビを観ている父ちゃんの代わりにわたしが出ると、電話の主は環だった。
 ……良かったー、父ちゃんが出なくて……。
 内心あせりながら、電話の相手が環と分からないような会話に終始しようと思ったら、
「梅子、今度の土曜日……逢いたいの……相談があって」
 とのお電話。
 今度の土曜と言ったら、成田くんから濃厚な一日を過ごすとお達しを頂いているんですけど……。
 でも、環はわたしと成田くんが土曜に逢うとは知らないからこうして電話を掛けて来ている。それに、相手は他ならぬ環。無視なんか出来る訳がないので、成田くんに相談することにした。一旦電話を切って、部屋へ行って成田くんに掛ける。
「俺と梅子の邪魔をするとは男に違いない」
 とは成田くんのお言葉。女ですー。環なのー。
「……俺、生理と期末試験で二週間もお預け喰らっている。その上修学旅行までお預け、とでも言うのか? 梅子が?」
 うー、あー、うー。
「俺梅子と逢わないなんて出来ない。しょうがないから土曜は三時に帰す。俺の家から直接そいつの家に行って。話すのは一時間だけだ、四時になったら話がどうでも家に帰ること。会話の内容を俺に詳細に報告すること。そうしなければどうなるか……」
 分かっています。……でも、お許しが出るとは思わなかった。

七月六日 土曜日 環の家

 昨日は学校へ修学旅行の荷物を持って行って、宿泊先に宅配便で送った。いよいよ明日から三泊四日の修学旅行。
 今日は成田くんに、キスマークは当人曰く厭々勘弁して頂いて、あとはその……回で我慢して頂いて、午後三時。西園寺家二階の環の部屋で環と会っている。
 わたしは、用事があって今日は一時間しか時間が取れない、と事前に環へ言っていたのだけど……環はさっきからものすごく言い渋っている。
 まさか、腕時計を指し示して“時間ないんですけど!”なんて出来る訳がないから、しないんだけど、こころのなかでは焦っていた。これで四時に間に合わなかったら……ああ、成田くんがおそろしい。
「あの……私……」
 はい、なにか言いづらいことを言い出そうとしているのは分かります。だから環、手早くお願い~。
 環は、まるで一生分の勇気を振り絞るかのように、わたしに向かってようやっと言った。
「私……遼太郎さんのこと……」
 吹いてしまった。
 りりりりようたろうさささ……って、西川、だよね。やつをそんなふーに呼ぶひとがいるなんて……
「あのー。……それが、……どうしたの?」
 わたしが訊くと、環はさらに顔を下に向け、言い出しづらいの極地、というかんじ。だからその、お時間がー。
 待つこと、五分。短いようで長いこの沈黙を、環はようよう破ってくれた。
「……好きなの……」
「へ?」
 た、環が? あの? 西川を? よりによってあの?
 環はバっと顔を手で覆った。言われたわたしは五分以上動けなかった。
 すると、環が意を決したかのように、顔をゆっくりと上げ、わたしの方をちら、と見る。顔を真っ赤にしながら。
 あ、環。わたしの反応を待っている。
「そ、そう! 知らなかった」
 そうか、これが相談なのね? じゃあ言いづらくて当然。
 そうだ、いつぞやマコに相談したときを思い出して、言うべきことは言ってあげよう。出来るかどうかはいざ知らずっ。
「そう、そうだったの! えーっとね、……西川は多分おそらく……うーん……どうかな……まあとにかく、そんなに悪いやつじゃない……と思いたい、うーん、うーん、うーん……」
 悪者じゃないことは確かだけど、そうかと言って“どうぞどうぞオススメです!”なんて大声で言えるほど知らないし。
「梅子、は……遼太郎さんを」
「ああ、部活が一緒なの。うん、そうそう、確かに腕前は半端じゃないから、そう、うーん、けどこういう分野と関係あるのかな……まあ大丈夫……だと言いたいけど……」
「詳しい、の、……ね」
「ううん、全然。向こうはなんかこう、プロフェッショナルっていうか、全然キーボードの音うんと速いし。わたしなんて絶対追い付かないの分かっているけど、けどいいんだ。腕前、盗めるものは盗みたいし」
「……そう」
「うん、そう。そうだ環、西川がヘンなことしたらすぐ言って、わたしちゃんと仕返しするから。首絞めるとか」
「……そんな、こと……私は」
「遠慮しないでね環! あ、けどこういうのは、当人同士の問題だから、それにわたし、きっとその、そういうの上手くないし、迷惑掛けると思うからヘンな横やりとかしないからね! その……うーん、とにかく」
「……ええ。私、ちゃんと自分で自分のこと……するわ」
「うん! 環なら大丈夫だよ、頭いいし美人だし優しいし。きっと西川分かってくれるよ」
「……そう……そうだと、いいな」
 話はこれでおしまい。わたしは環の目の前で時計をちらちら見るなんて失礼なことだけはしないように気をつけながら、バスで家に帰った。
 そうか、去年から悩んでいたのって、ひょっとしてこれ? ……多分そうだよね。けど、わたしに相談されたところで同じことしか言えなかったと思うな。それにしても、環はわたしの目の前で号泣していた。西川の件とは関係ないかな。だとしたら、去年のあれはなんだったの?
 まあいいや、成田くんが報告を待っている。
 わたしは、帰宅して部屋に戻ってから、成田くんに電話した。いつもだけど、成田くんは一旦電話を切ってから、わたしに電話を返して来る。今日もそうだった。
 話を全部言うと。
「それで梅子はどんな協力を要請されたんだ?」
 とのこと。
「ううん、なにも言われていない」
「なにも?」
「うん。環は自分のこと自分でするって言うし、環なら出来るもの」
「協力してやらないのか?」
「うん。大丈夫、環のこと信じているから」
「……梅子」
「うん?」
「こんなふうになるのだけは厭だったんだ。与えられたレールの上以外走れない、そんな人間にだけはなりたくない、ずっとそう思っていたんだけどな……」
 わたしは、なんのことか分からなかった。成田くんが、わたしからの話を西川に言おうとしていたということも。わたしがなにもしないと聞いて、西川に言うのを止めにしたことも。