六月一日 土曜日

 男子リレーがおわると、運営テント下から立ち上がる女子生徒が一人。
「さあって。行って来るか」
 お祭りの神輿、佐々木明美。
「行ってらっしゃい……勝つのよ? きっと」
 和子がにっこりと微笑んで明美を送り出す。
「応」
 彼女の行く先は最終走者の中継地点。その場には、よきライバルという言葉を超えた存在、管内一の大美人、西園寺環がいた。
 スターターは先ほどのレースに続いて杉本慶。彼は落ち着いてピストルを天に突きつける。
「用意」
 バァン

六月一日 土曜日

 明美は、第二走者までの青組と白組の差がついていてくれればいいと思った。たとえ不利でも自分が挽回してみせる。その方が、管内一を決めるには相応しい。
 しかし白組と青組の第二走者はほぼ同時に第三走者へとバトンを渡す。斉志と一緒にこのレースを観戦している、環と明美をどちらも応援する梅子には、そう見えた。
 ──勝負をつけようじゃないか。

六月一日 土曜日

「同着! 同着だァーーーー!!」
 MCのお祭り男ズが同時に叫んだ。弾丸のようにゴールする明美と環の差は、間違いなくゼロだった。二人の差は全くなかった。この勝負、鮮やかな引き分けであった。
「くっそーーーーーー!!」
 明美はこの日のために特訓して来ていた。サッカーだけではなかった。県下の陸上強豪校・B高へも出向いて教えを請うていた。
 その足を環の元へと向ける。ゆっくりと。そして右手を差し出した。
 まだ息の上がる環。無言で、その手を握り、
「……また、来年」
 これだけ言った。
「応」
 視線を交わした、管内で最も運動神経のいい女子二人の戦いは、まだまだ続く。

六月一日 土曜日

 全競技が終了となり、全生徒がシート上から立ち上がり、運営テント下の前に置かれたひな壇に向かって立つ。MCのお祭り男ズによる、競技結果の発表である。
 各競技の優勝チーム、各組の順位が伝えられる。その度生徒達から大きな歓声が上がった。
 MCの〆はMVPの発表となる。明美がテント下の席を立ち、マイクを持ってひな壇に上がった。
「MVPは三位から発表するんだけどーー!?」
「特別表彰しまーす! 今日だけの得票数だったらぶっ千切りMVP!」
 木村も竹宮も声には自信がある。今日は一日中喋りまくったが、のどは全く枯れていなかった。
「通算第四位!」
「A高二年!」
『関われば、誰もが一目置くイイ男!!』
『さーぁああかざきぃーーー、てーーつやーーーーーーっっっ!!』
 読み上げられた途端周囲から怒声に似た歓声が沸き起こる。
「ぅおし来な! 壇上だ!!」
 明美の粋な手招きで、坂崎は飄々と壇上に登り立った。一言言いなと明美がマイクを外して言うのが聞こえる。手渡されたマイクを、これまた飄々と受け取った彼はこう言った。
「何かくれんの」
『何もねえよ!!』
 思わずツッコミを入れる生徒多数。おそらく、いや、元Fは全員おおきな歓声で応えただろう。彼の“ちぇー”などという声もマイクは拾った。それでも彼は、楯となり一年間守り抜いた彼ら、彼女らに応じる。自信に満ちた表情で、背を見せ、壇を下りる。それだけで、彼ら、彼女らは高揚する。
 余計な言葉、それは要らない。これが坂崎哲也の挨拶代わり。
 自信。
 揺るぎない──自信!
「ってなワケで! 管内一のマイペース男でしたーーーーっ!!」
 拍手、口笛、歓声・歓声! MC二人の軽快な声、タイミングは見事の一言。
「ちなみに第五位は! 特攻野郎こと!」
「管内一のおちょくられ男ーーー!!」
 これには生徒達からの冷やかしが入った。もはや正式な名前など言わなくても、誰がとみんな知っている。梅子の耳に、なぜか
「よかったじゃん、トモ」
 とか、
「よかねえよ……」
 とかいう呟きが聞こえたとかないとか。
「ってなワケで!」
「第三位の発表だァ!!」
「もー誰が誰だか分かってんなァ!?」
 そう、みんな分かっている。上位三名が一体誰だか分かっている。
「ズバリ言うぜ!!」
「第三位!!」
 間髪を容れず、お祭り男ズが声を揃えてきっぱり言った。
『杉本慶!!』
 声はもうとんでもなく大きなものになって来た。マイクで余程大声を出さない限り、ひとりふたり、いや、何十人の固まった声さえ聞こえない。
「おっーーーーしゃ! 来なァ、管内一の韋駄天男!!」
 マイクを持つ明美も声を張り上げる。
「お~~」
 応えて慶が壇上へと向かう。しかし、
「ひとりで来い! オンナ連れて来るな、干上がるだろうが!!」
 ぴゅーぴゅーぴゅーと口笛がもの凄い。
 管内一の軽快な足取りで、壇うしろの階段なんか使わずに、すっと壇上に、誰が見ても簡単そうに飛び上がって現れる慶。
「ってなワケで! 二年連続第三位、B高二年、杉本慶だ! このあいだ百メートル日本歴代八位記録を作って来たってよ!!」
 明美が、当人はまず全部言い切れないだろうプロフィールを紹介するとまた歓声・歓声・大歓声。ホレ慶、一言言いなと明美はマイクを外して慶にスピーチを促した。びしっとキめな? そう表情で言っている。
 これなんだ、と言わんばかりに、とにかくマイクは持つと、慶は開口一番こう言った。
「マコ~~」
「アホーーーーーーっっっっっっ!!」
 慶の一言は正確にはたった二文字で、それに応えたひとはたったひとりで、多分そのひとは梅子が高校に入って最初の友人にして大切な親友だと思われる。
『ぎゃーっっっっはっはっは!!!』
 今日一番のでっかい冷やかしの大歓声が沸き起こった。当然である。
「おっしゃ慶にしちゃ見事キめてくれたぜ! それでは次ぃ!!」
 慶が、壇に上った時と同じふうに軽々壇を下りるとすぐマコのところに駆け寄った。ばっきゃろーとかマコの声が聞こえたような気がするが、それはすぐに掻き消えた。
「もー分かっていると思うけど!?」
「一位と二位は一票差!!」
 おおーーーーーーっ、という大歓声! 順位が上がる毎に、確実に大きくなっていく轟音のような拍手喝采! もうそれが、誰であるか、その背が、その体温が、どんなものであるか梅子だけは分かっている。多分、誰よりずっと。
 この時点で既に、みんなの注目は運営テント下ど真ん中にドンと座って陣取る男二人に集まっていた。その周りを立ち固めるは管内五校首脳陣、誰もが知っている管内有名人揃い。硬派な空気を漂わせる、凄烈なオーラ。
「メンドくせぇ!」
「イッキに言うぜ!!」
 お祭り男ズの声は最高潮となった。
「二位、遼太郎!!」
「一位、成田ーーーーーーーっ!!」
 ここで起こった歓声が今日一番のものとなった。怒号怒声と言っていい、多分これ以上のおおきな肉声を、これ以降すら聞くことはないだろう、その位の計り知れない一体感。
「っがーーーーーーーっ!!!! なんで今年も一票差ァアアアアアアア!!??」
「愛の差だ」
 なんて言葉は聞こえなかった。梅子の耳には。
 そうやって。
 梅子が、周りが見えないほど興奮していると……。
 周囲は、ある一点に集中しだした。例えばどこかのアホの友人、親友。元Fのみなさん。運営テント下のみなさん。さらには三千の人垣。
 注目を一身に浴びるアホ、斉藤梅子は間違ってもMVPとは関係ない。全然関係ないはず……
 などと思っているのは梅子一人。
「どうする第二位? 壇来てキめるか?」
「誰が行くか!! 票数え直せーーーーーーーっ!!」
「というわけで、二年連続一票差第二位はA高二年、西川遼太郎でしたー!!」
 とかいう声は、もはや梅子の耳には届かなくなった。その梅子を、友人達、元F達が取り囲み、人垣を作って退路を断つ。すかさず明美、
「さーーーーァお待ちかね! あたしの親友が首洗って待ってるぜ?」
 待ってません。
「二年連続MVP、全国模試十一位、A高二年!! 成田斉志のお出ましだァ!!!」
 この時わき上がったまわりの声は、梅子の耳をすーっと通り抜けて行った。なぜなら、斉志のじゃない声に気を取られていたりなんかしたら最後、次の土曜日日曜日、斉志になにをされるか分かったもんではない。まじまじと見なければいけないのだ。
 いや、違う。
 あの瞳。囚われる、あの瞳が梅子を射る。
 出逢ったあのときから──
 壇に上がってマイクを持った彼は、すこし長めの髪。ずっと触れていたい濡れた感じのサラサラした綺麗な髪。顔、整っていてハンサム。痩身の、引き締まった躯。足、長い。たくましくていろっぽい。熱い。熱くて、熱くて、いつもとろけていて、激しい。
 こんなひとが、まっすぐに見つめる。
 ただひとりだけを──。
「ずっと一緒だ、梅子」
 耳朶を打って止まない、よく徹る低い奇麗な声は、梅子の体すべてを包んで離さない。
 だから、離したのは自分の意識。
 もうなにも──もうなにも。
 斉志はマイクを明美に放り投げ、すぐ壇を降りて、梅子の友人知人によって花道のように開けられた道を真っすぐに駆け寄って、梅子を抱き締め耳元で囁いた。
「好きだ」
 ここで梅子は意識を手放した。

六月一日 土曜日

 MVPの発表を終えると運営テント下、壇脇を固める執行部はひとりを除き全て人垣に混ざって行く。
「全くしょうがないやつらだな! もうこうなったらMVPは代々ノロケスピーチだ! いーか来年以降MVP狙うやつらども! カレシだカノジョだ作って来やがれ!!」
 壇上からピタリ三千名を目の前に言い放つ明美。歓声・怒号・拍手沸き立つ三千名は、しばらくめいめいの感情を爆発させ続けたが、自然それは収束する。
 たったひとりを見つめる為に。
 その肉声を聞く為に。
「さって……そろそろお開きだ」
 それは静寂ではなかった。そうではなかった。期待でもなかった。
 次にあるのは彼女の一言、ただそれのみ。
 壇上の彼女はマイクの音声を切り、粋な仕草で壇下脇に立つB高一年、生徒副会長、山川新一へと放り投げた。視線は前、それが常。
「重いぜ?」
 その声に、彼は静かに頷いた。
 壇上の彼女はひらりと飛び降りる。粋な仕草で地面へ着地。はっきりと、ありったけの大きな声で。
「管内! 全高校生徒三〇〇二名全員に告ぐ!!」