五月五日 日曜日

 梅子は今日帰る。帰したくなど無い、だがガキな俺では今は無理。それでも一緒にこのまま朝を迎えたかった。
 昨日は安心して、ほっとしてついいつものように朝まで机に向かったが、今朝は思い直して夜明け前に切り上げた。ベッドへ戻って腕枕をする。起こさないよう、そっと。
 梅子の寝顔、静かな息、ずっと聞いて、ずっと見ていた。少し口元が動く。耳を寄せた。俺を呼んでいる。必ず同じ苗字にする。隣に梅子がいる、これを日常にしてみせる。
 ずっとそうして……梅子がゆっくりと目を覚ます。夜明け前。梅子にとってはまだ早い時間だろう。起こしたか?
「ん……」
「……」
「……せい、じ……」
「……ん?」
「おはよう、斉志……」
「おはよう、梅子。まだ寝てていい……」
「うん、……ううん、一緒にいる……」
「……うん」
 それからずっと外を見ていた。空が白むのを。陽が登るのを。いつも机の向こう、たった一人で見る風景。それを梅子と見る。
 梅子は俺の想像を遥かに超えることを言う、それはいつも望外の言葉。なにをしでかすか分からない俺を許し、夢でまで俺を呼ぶ。
 ずっとこうしていたかった。

五月六日 月曜日

 ここはA市北のはずれ、佐々木明美の家の二階。そこには三人の人物がいた。斉志、遼太郎、そして部屋の主の明美。
 いつもならこのメンバー、揃えばハラの探り合い合戦、兼ゲロワビ大会が開催されるのだが、今日だけは違った。
 今日ここへ、いつものように二人揃って来る、と斉志に携帯電話で言われた時、なんだよ直のノロケは勘弁だぜ、と明美は言った。残念だが違うと言い返された時、明美はいつものカンの冴えがさらに鋭くなった。これ以上は問い返さずに、それなら来い、一升瓶をダースでな、とだけ言って電話を切った。
 そしてたった今、相棒二人が明美の部屋にいる。
 いたのは二人だけではなかった。なぜかでかいぬいぐるみもそこにいた。ダースもそうだがバイクでは持って来られないし、誰にも見せたくなかったので、今日の二人のアシは西川父のバンである。
 常には鏡合わせのように同じ仕草を見せる二人は、やはり今日もそうだった。プイと反対方向を向いて、どう見ても機嫌が悪そうである。
 そんな置いとく大親友二人を無視して、リボンが掛かったままのぬいぐるみを目の前に、明美が切り出した。
「今日があたしの誕生日とは知らなかったよ」
 二人は無言。
「どっちかと言ったらこういうの、ウメコの趣味じゃない?」
 黙ってプラス越の寒梅をさし出す斉志。
「よっしゃ分かった。ウメコがここに来る時ァ押し入れにでも仕舞っといたらァ」
 二人仲良く両手をつく。
「アタマを下げるなと言ったろ。もう帰れ。クソして寝ろ」
 大の男二人は結局、黙ったまま明美宅を後にした。持つべき置いとく大親友は物分かりの佳い女。そう思いながら。

五月六日 月曜日 夜 森下邸

 昼間会ったばかりの斉志、遼太郎、明美の三人に、こちらの家へ来いとメールを入れられるのは、この世には森下和子しかいなかった。三人とも、わけも訊かずに森下邸へ夜九時に集まった。
 今日の中央には、自席に和子がそのまま座った。隣に明美。遼太郎と斉志はさし向かいに座った。
 夜も更けているので、さっそく和子が本日の用件を切り出した。
「確か去年……この時期に得意満面でお喋りしていたわね? ……成田。今年も随分ご機嫌のようだ事」
 それだけで、三人は今日の用件の内容を悟った。先日行った、A高マイコン部(仮)での雑談運営会議のことを指している、と。そういえば明日は第二回名ばかり運営雑談会議。言うべきことは言わねばならないタイミングである。
「あれは……恫喝と言うのよ成田。退路を断ち、一歩も動けぬ状況に追い詰めた挙げ句の、……ね」
 あれ、とは、遼太郎がメールで情報収集をしているところを梅子が“便利だね”と言ったのを、メールで浮気する気だと思った斉志が梅子を言葉で黙らせた事を言う。
 話の内容がこうなので、遼太郎がさっそく口を挟んだ。
「オイ斉ちゃんよ。梅の字がどんっっっっっだけアホかお前が一番よく知っているだろうが。それがなんだありゃ、あァ? 足りねェおつむであの場を必死で和ませて? いくら不肖の弟子たァ言え俺ァ聞いてて泣けたぜオイ」
「誰の為に……仕組みまくったというの?」
 仕組んだというのは勿論、梅子の友人知人親友(除く環、ついでにマコ)を白二年にごちゃっと固めたことである。
「いいかこの大馬鹿野郎。お前は誰かに力負けという意味の腕力で凄まれたこたァねェだろうがな。梅の字、そう思ったぜ。あの時」
「ウメコさんにまで……いつもあのような口調で命令しているの? 大切な聖域が、ふ……怯えて。それで去年……どうなったかしら?」
「どーせ梅の字のことだ、テメェのハラん中になんでもかんでも抱え込んで、アタマのド偉ェお前にゃなーーーーんも言えねェんだろうなァ。なにせこの時期今年もまたぶっ倒れた日にゃ誰かさん筆頭に多大なご迷惑をお掛けしますから、絶対ぶっ倒れたくありませんなんざプレッシャー、ひと一倍感じているんだろうからなァ!」
「まさか去年のあの症状……ただの高熱だなどと思ってはいないでしょうね?」
「心労だ。何連発ヘマかましたよ。あのなァ斉、いつ梅の字がマジ悪かった?」
「去年中間試験とやらがおわった直後に会ったら……もう、痩せていたわね」
「この分じゃあ……」
「今年も倒れるな」「わね」
 語尾だけ違い、遼太郎と和子の声が重なった。
「そしたらお前はまた梅の字が悪いって思うんだろーなァ!!」
「そのようなことを……すれば?」
「絶対愛想尽かされるな」「わね」
 語尾だけ違い、遼太郎と和子の声が重なった。
「今度ぶっ倒れたら、梅の字マジで身ィ引くぜ。最悪、学校を退くかもな」
「それで……今年もまた首を涼しくさせるのかしら? いいご身分だ事」
「どうせお前はあーんなカンジで全体会合にご参加だろうがよ」
 気に入らないことがあれば、婚約者さえ恫喝する斉志。
「俺達三人の前ですら浮気するな、なんざ言っているんだから?」
「あの人数……友人知人を掻き集めたあの場で?」
『なにを言う気だテメェ」「なのかしら」
 語尾だけ違い、遼太郎と和子の声が重なった。
「抱き締めるとは名ばかりの羽交い締め緊縛プレイ。いつ自分がぶん殴られるか、骨砕き折られるまでされるかビビりまくり。一般人にゃとても理解不能なお前の浮気の定義を口にされる度梅の字がフォローに回って? あのノータリンが会合だお祭り本番だの期間中ずっと神経消耗戦? ハ、同情を通り越すな」
「あれではなにも……言えなくなるわね」
「元からなーんにも言えてねェって。どんっっっだけテメェがアホで、自分を押さえ付けている野郎がどんっっだけド偉くて文句も言えやしねェ大秀才か、一番知ってんのは他ならぬ梅の字なんだからな」
「成田? ……どうしてオンナがオトコを畏れるか……分かる? 暴力が怖いから、……よ」
「あー駄目駄目、こいつ自惚れが過ぎるからな。自分がいかにオトコマエでアタマど偉くてスポーツ万能か知っているんだよ。そういう人間を振るオンナなんざこの世にゃいねェ、だからテメェのオンナにナニをしても構わねェ、どんな命令下したって相手は奴隷のように付き従う。そう思っているんだ。おー素ン晴らしい、プライドもそこまで高けりゃ大したもんだよこの大馬鹿者」
「ふ……遼太郎、それは私の台詞よ? とーこーろーで? どうしようかしら……この大馬鹿者の処遇」
「そーだなァ。なにせ合同なんて行事は梅の字の為にあるんであって、どっかのええ格好しぃがMVPを奪って見せびらかす為にあるんじゃねェんだが、どっかのバカは間違いなくそう思っているからな、誰かさんを犠牲にして。いや立派だ。さすが全国ヒト桁フタ桁、やる事が雲上人だ。地を這いずり廻っているやつァ人とも思っちゃいねェってか。お、そーいえば梅の字、まっとうなクラスメイトちゃんに好かれているみてェだからそいつとくっ付けさせるか」
「それはいい案ね……わたしも? このような大馬鹿者とあのようなひと……いい加減別れた方がいいと思うのよね? あのような哀れな姿を三千名の真ん前で晒されるくらいならば」
「そーするかァ。不肖とは言え我が弟子の身が哀れ過ぎらァ。あのクラスメイトちゃんなら釣り合い取れてよさそうだし。すっぱり逃げるなんざ絶ーーーっ対ねェだろ。身分差っていうの? 延々感じているんだからな。ありゃ絶対太れねェ、予言してやるよ」
「そうね……まあ成田、なにも言わないのかしら?」
「あーあー駄目だってこいつァ、俺達の口先三寸エセ説教なんざヘでもねェってツラしてら。そーやって振られてろ。そしてお前は一人身だ。良かったなあ、MVP取ってモテてェんだもんなァ! 一挙両得だ。梅の字は当然どっかのお優しいフツーの高校二年生とおつき合い決定だ、教室で見せつけられまくって修学旅行でくんずほぐれつだ」
「その方がいいわね……結論も出た事、お開きにしましょう」
「そーだなァ。ってオイ、どーしたアケ」
 この場でまだ、一言も発していない人物がいた。
 彼女は事がウメコとなれば介入しない人物ではない。その彼女が最後に、ようやく口を開く。
「成田。これから言うことは詮索だ。だから答える必要は無い。あたしに問う資格は無い。それでも言わせて欲しい。
 あんた……ウメコに叱られたことあるか?」