晩春 斉志

 またこの季節がやって来た。
 桜も散りおわり、薫風香る春五月。世間が浮かれるゴールデンウィーク。俺の心は沈んだまま。
 キレればどうなるか分からない、それが俺。誰より梅子がそれをよく知っている。なのによりにもよってこんな時期にまたあんなことを。そりゃ許してくれたが……。またしても望外の言葉。また甘えた。
 四月二十八日は来てくれた。早めに帰した。怖かった。
 全部貰った記念日は祈っていた。早めに帰した。……怖かった。
 高校生なんぞやらんでいいと思った連休の谷間。学校で梅子と顔を合わせる。隣同士だ。夢のような位置と思っていたが……並んで初めて、そういえば俺に理性は無いことを思い出す。教室も忍耐力を養う場所だ。
 この時期だけは隣にいるのが怖かった。いつ梅子に言われるか。
 ──怖いから行きたくない。
 そう言われれば俺に否やはない。服従するしかない。俺がそうした。
 日一日、俺の本来の命日が近づく。このあいだのヘマが拍車を掛ける。俺の誕生日でなかったことだけがせめてもの救い。暗黒週間だ。俺がそうした。
 俺は絶対逃げてはならない。梅子は俺が視線を外すときっぱり逃げる。勿論普段ならそんなことはない、ずっと見つめて……いるだけなど耐えられない。
 けれども今の俺はソワソワして……我ながら似合わん言葉。去年もこんなことがあった。相手は勿論、いや、やはり梅子。姿が見えなくて、俺の高校入って最初のヘマ。もうあんな思いをさせはしない。
 そう思っていたのに。
 さすがにこの時期、新校舎のあの部屋へは行けない。梅子も遼も、こんな状態の俺が背後にいては迷惑だろう。そんな下らん理由を付けて、けれど日暮れ前まで帰りたくなくて生徒会の分室へ。我ながらかなり突っ慳貪。そういえば予算会議なんぞやっていたようだが皆蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 たった一人で、今年もまた地獄に耐える。
 五月に入った。やっと五月。あと二日もある。俺の誕生日、いや暗黒の日々に突入するまであと二日。出逢ったあの日から事あるごとに長の自重に厭々耐えて来たが、この三日間より長いと思った地獄はない。
 五月二日。おそらく俺の人生で最も長い一日。一日中忍耐地獄。梅子は俺の想像を遥かに超えたことを言うし、やる。だから俺は耐えることしか出来ない。
 明日からまた来い。そう言えたなら……無理だそんなもん、いくら俺がろくでもない人生しか送って来なかったプライドの高い命令野郎でもそんなこと、どの面下げて。
「あの、斉志。ちょっといい?」
 昼、飯を食いおわったタイミング……来た。
 やわらかい声。いつも聞いていたいと、俺の名を呼ぶこの声をずっと聞いていたと思っているのに。気分はまさに十三階段前。
「……なに」
 声が乾いている。喉が鳴る。梅子にだけは優しくしようと思っているのに。梅子は俺の口調で俺がなにを考えているかすぐに分かる。俺がそうした。
「お願いがあるの」
 拒めない、梅子の願い。俺はただ聞いて承諾するしかない。
「……分かった」
「え?」
 観念した。地獄でいい、泣かせるなら、あんな悲鳴を聞くくらいなら、叫ばせるくらいなら俺が黙って耐えた方がマシだ。
「あの、……まだなにも言っていないんだけど……」
「いい、梅子のお願いだろう。なんでもする」
「……いいの? よかった」
 そんなに俺の顔など見たくもないか。
 ……当然だ。あんなことしてどの面下げて。俺の人生、……。
「五月四日に」
「……」←真っ白
「西川の誕生日プレゼントを買いたいの。斉志、一緒に買い物行こう?」
「……は?」
「わたし西川の趣味とか知らないし。けどいつもお世話になっているから」
「……なんで、その日……」
「明日は斉志の誕生日だから」
「……なんで、今日、じゃなくて……」
「西川だって誰か相手がいたら迷惑だと思うの」
「……」
「斉志と一緒に行って一緒に渡せば、いいかなと思って」
「……」
「いい?」
「……」
「斉志?」
「……うん」
「あの、明日はバスで行くから」
「……」←真っ白
「久し振りになるけど、あの、いつもの時間に」
「……」←舞い上がり
 その日、どうやって家へ帰ったかまるで覚えていない。ひょっとしたら学校からずっとウイリーしていたかもしれないが、誰にもとっ捕まりはしなかった。我ながらその手のヘマはない。