四月十一日 木曜日

 部活帰り。今日も成田くんと並んで帰る。
 クラスが同じになった成田くんとわたしは下駄箱も当然一緒。一年のときとは違って右階段。そこを出て少し歩くとガラス張りの電話ボックス、そして職員室。すぐ左へ折れて正門への下り坂へさしかかるその時、成田くんがわたしの左手首を弄びながら言った。
「今日だったな。ここで梅子と逢った日は
 成田くんが、懐かしそうに中央階段下を見て言った。
「そうだっけ……」
 もう、一年経ったんだあ……。
「あの日はわたし、浮き足立っちゃって」
「そんなことはない。俺の方こそ」
 そしてまた、成田くんは済まなかった、部活に遅刻をさせてと言う。もう、一年前のことなのに。
「いいの、もう」
 それに。あの時、ううん、それより以前から、わたしは成田くんに囚われていたのだから。

四月十二日 金曜日

 部活帰り。今日も成田くんと並んで帰る。
 昨日一旦止まったあの地点から、自転車置き場まで成田くんがついて来て、わたしは自転車をひいて来る。それからバイク置き場まで行って、そこで一旦別れて明日土曜日逢う。
 と、その予定だったのだけど。
 職員室の窓ががらがらと開いて、熊谷先生が中から顔を出して来た。職員室の窓ぎわは資料とかが山と積んであって、ガラス戸を開けるのは結構きびしいものがあるのに。
「よう斉藤。明後日日曜日、どうだ?」
 そう言って、わたしに声を掛けてきた。
 自慢じゃないけど、隣に成田くんがいる場合。先生という先生は成田くんにしか声を掛けない。他は眼中にない模様で、わたしは職員室の常連だけど知らない先生は勿論たくさんいるし、向こうだって全然、わたしのことは知らないだろう。去年や今年の主担や副担でもなければ。
 つまりこれはとても珍しい事態だったので、わたしは明後日日曜、というこの時期の行事をすぐ思い出す。熊谷先生の手伝いで、市民体育館でアナウンスなどやったこと。
「去年のお手伝いですね」
「そうだ」
「お話中失礼します。熊谷先生、明後日なにかあるのですか?」
 あ。
 れ。
 そーいえば。
 わたしの隣には、……成田くん、が……。
「俺が顧問をやっている吹奏楽部の発表会がある。斉藤には去年アナウンスの手伝いを一日やってもらった。悪くはなかったぞ、去年の段取りを覚えているだろう。どうだ斉藤」
「……私もお邪魔してよろしいでしょうか」
「おお構わんぞ、手伝え。市民体育館で朝九時。弁当持参、制服で。じゃな」
「は、い」
 わたしはぴきっと固まった。
 あーれー……。これは間違いなく……絶対間違いなく、お白州、に……。
 わたしは怒濤の汗をかいた。冷や汗。体中から吹き出る汗・汗・汗。
 去年? 今頃? なーにをやった、っけ……。
 確か成田くんに、あーんなこと言ってこーんなこと言った挙げ句……。に、逃げ帰った、ような……。
 もし。もしもですよ斉藤梅子さん(十六歳)。今、去年の再現なんかしちゃったら? えっとー。まず、朝から避けまくり。告白もキスも無視してもう言うなって言われたこと三連発。逃げて。電話しないで、とか。友達でね、とか。他にも確か土日の予定を訊かれた。予定あるって言った。実際予定はあったけど、その内容といったら……お化粧をして髪結い上げて、お、おとこのひとと、しかも複数、並んで座っていろいろ食べました。斉藤飲み物なににするー、とか、あ・じゃこれー、とか言って一緒に笑って楽しんで。うんとうんと、た、た、
 楽しかった、……。
 これが去年の土曜の真相です。ええ土曜です。よりにもよって土曜。
 もし? 今年? こーんなこと、成田くんにあーんな状況で事前に宣言した上でやっちゃう、なんてこと。わたしがしたら?
 それはうんとうんと、自分を尊敬というかよくぞそこまで無謀な行為を、ということに、な、なるのでありまして……。
 さらに翌日曜。ひとり旅を敢行しました。事前の許可なし、一日中。
 去年の入学式から模試までのことは成田くんからは訊かれていないしわたしも言っていない。言う、ということ自体考えていない。成田くんは入学式から三日間の出来事をことのほか悔いているようで、わたしはだから思い出させるようなこと言わない。そそそれにその後その、ああいうふうになったし、けっこんとどけも書いたし……。
 どうしよう。わたし言い訳しています頭の中で。
 なぜならば、これを成田くんに今から包み隠さず言わなくちゃ、いけない、わけで……。
 わたしは隣の、成田くんの殺気を感じている。冷や汗だらだら。けど言わなくちゃいけない。言い訳なんか出来ない。けど後ろを向けない。
「そう、……梅子。浮気していたんだ……一日中」
「……」
「明後日、日曜か……。そういえば梅子、去年の今頃そんなことを言っていたな」
「……」
「俺としたことが訊きもしなかった。とんでもないヘマだ」
「……」
「日曜? 梅子どこかへ一人で行ったの? 俺を置いて?」
「……」
「土曜は? 確か予定あるって言っていたよな梅子」
「……」
「俺のこと避ける為の狂言かと思っていた」
「……」
「本当に予定があったんだ……。そう、梅子」
「……」
「詳しく訊かせてもらおうか……梅子?」
「……」
 成田くんはその後にっこり笑って。今日はもう帰って? 俺が電話するまで待っていて? って。
 ぜーーんぜん、穏やかでもなんでもない顔でにっこり笑って、重低音を響かせバイクで去って行きました。
 背中がうんとうんと怒っていました。よくわたし、その場でなにもされなかったものです。理性? ううん、こういう場合そういうものは成田くんからすっかりなくなってしまうことを、誰が知らなくてもわたしには分かる。
 わたしは、とぼとぼ、なんてもんじゃなくて、恐怖のうちに家へ帰りました。とにかく帰らなくてはならなかったのです、日暮れ前に。ごはんなんか喉も通らず、お風呂に入ってさっぱりする余裕もなく、間違いなく真っ青な顔で部屋へ直行しました。制服のまままんじりともせず、死刑宣告にも似た着信音をただ待ちました。気分はもう十三階段前でした……。
 成田くんからの電話を受け取ったわたしは全部言いました。友達になったばかりのひと達とカラオケへ行ったこと、あすみにお化粧してもらって髪をポニーテールにしてスカート姿で臨んだこと、カラオケボックスという密集密着した空間で男子複数もいたひと達と楽しく歌ったこと。うたは下手だし恥ずかしかったからデュエットなんてしなかったこと、飲み物とか食べ物とか頼んでもらって飲み食いしたこと、まわし飲みとかはしなかったこと、全員わたしの携帯の電話番号と住所氏名を知っていること、誰がそのメンバーだったかも。
 日曜、わたしは制服を着てひとりで市民体育館へ行って一日中アナウンス室で進行や校名をアナウンスしていたこと。お昼はコンビニので済ませたこと、熊谷先生にお疲れさんって言って貰って嬉しかったこと、けど運良く日暮れ前に帰ったことを言いました。
 全部包み隠さず言いました。
 そうしたら、成田くんは。
「明日朝七時に迎えに行く。いつもの公衆前で」
 バイクの音より声が低かった。名前も言ってもらえなくて、もう命令だった。わたしは多分無表情で立ち上がると、制服を脱いでお風呂に入ってそのまま眠った。ご飯も食べずに眠った。母ちゃんに、明日早いからご飯いらないって言って。