十月十四日 日曜日 朝十時 明美宅

 ここは佐々木明美宅。A市の北はずれにある二階建て一軒家。どこからどう見ても普通の家。一階では七人の見た目がそっくりで身長が少しづつ違う男の子がコロコロと騒ぎながら遊んでおり、居間では年季の入った夫婦が茶など呑みつつくつろいでテレビを観ている。
 明美がアゴで呼び付けた置いとく大親友の野郎二人からは、揃って朝から飯抜きで行くと言われたが、じゃあたしも揃えなきゃならないのかよ冗談じゃない、ちゃんと食って来い酒は抜きだが持って来い、とメーレーしてこの時間に集合となった。
 ゲロ大会場たるほどよく汚れた六畳一間、の上にあるゴミを足でどかす、体躯は瓜二つの野郎二人──遼太郎と斉志。一升瓶が入ったビニール袋を机代わりの、機能していないコタツの上にがさがさと置くと適当に座る場所を確保し、その辺の座布団を引っぱり出してどかりと座って部屋の主と相対した。
 早速明美が第一声を。
「それでェ? 先に言っとくがあんたが悪いのは分かっている。何故ウメコは泣いた」
 明美は大親友が相手といえども、というより大親友相手に茶を汲む気はまるでない。自分ひとりだけマイ湯飲みで烏龍茶をしばきつつ、そっくり同じ姿勢で座る野郎のうち向かって右側、成田斉志に問い質した。
「アケ。今回は俺が梅の字から事情を訊いた。俺が先に説明する」
 現場を見ていない明美にとっては予想とは反対方向から反応が返って来た。向かって左側に陣取る遼太郎は部室で梅子から訊き出した言葉をその通りを一字一句違えず明美に言った。
「……まあ、いくら会わせたくないと言ったって所詮同じ学校だ。限度があるのは分かっていた。すれ違う可能性なんざいくらでもある。確かにそんな場面だったら奴からなにか言ってくる時もあるだろ。そりゃあれだけの格好をさせちまったけどさ。ええ格好しいなのは野郎だけじゃない、ウメコだってあれでも一応オンナなんだ、着飾ってホメられたいなんざ当然思っている。学校で遇う事態は予測していた筈だ。まあ奴とは経緯が経緯だが、その話だけでどうしてウメコは逃げてそれだけ泣いた?」
「……俺が梅子に言っていなかった」
『ハ?』
 明美と遼太郎、声を揃えて大仰に反応する。反応先の斉志は、今日も最初から俯き誰とも視線を合わせていない。もっとも置いとく大親友は三人共、互いを見つめ合う趣味はない。睨み付けはするが。
「言っていないってなにをだ」
「まさかウメコを褒めたことないなんて……」
 斉志、無言。
「おいおい……」
 明美と遼太郎、自然あきれてわざとらしく大げさなポーズを取り視線をその辺に彷徨させた。明美はぐいぐい茶をしばき、一気飲みして空にした。
「ちょっと待たんか斉ちゃんよ。俺野郎代表な。誰があんな宣言しやがったやつのオンナにヘタな態度かますかよ。更に攻撃喰らってビビりまくりなF組の連中なんざ特に以下同文だ」
「あたしら女だって遠慮するよ。そんなのオトコに言われた方がいいに決まっているだろ。他に誰が言うんだ」
「宣言前の梅の字は……ま、今更あんまり言いたかねェが」
「外見わざわざ褒める余地はない」
 梅子の味方というワリには言うことがストレート過ぎる明美。
「うわアケきっつー。ってことは? 梅の字はイッチバン言って欲しい肝心などっかのバカからも、ダーレからもンなもん言われていねェ。それが最初に言ったのはなんと奴、ってか」
 明美も遼太郎も自分達が梅子に対し、実に失礼なことを断言している、つまり斉志をコケにしているという自覚はある。野郎代表と言ったって、宣言前の梅子に誰かがなにかを間違って言っていた可能性を婚約者の前で豪快に否定するとは失礼甚だしい。明美に至ってはこの通り。
 しかし、誰もが口に出しては言わないが、余地がないのは実に事実だったりする。
 となれば事実かどうかはいざ知らず、まず一等先に言うべきは他の誰あろう、成田バカ志しかいないではないか。
 この手では一応同性な明美が立ち上がって怒鳴った。
「なにをやっているんだ一体! あたしは確かあんたに、ワビは無理でも褒め言葉は許されると言った筈だ! 前から思っていたがな、よくそれで愛想尽かされないな、自惚れも大概にしろ!! まさかあんた、どれだけウメコが自分に自信がないか知らないとでも言うのか!?」
 斉志、無言。
「言え!」
 やはり無言。明美はさすがにアタマに来て、空になったし丁度いい、湯飲みでアタマをかち割ったろかいと思ってぐっと握り締め立ち上がった。
「あーひょっとして俺が聞くと不味いのか?」
 無言にはなにかワケがあると思った遼太郎はそいつァはヤバいよアケちゃんとばかりに行動を制したが明美は止まらない。
「それなら本来はあたしもだ。泣かせたのは遼もだろ。今後の対策の為だ、成田、いいから言え!」
「……はっきり付き合った初っ端、梅子に胸がでかいと言った」
「っだー……、あたしだったかー……こりゃ立場ねえ」
 明美は湯飲みごとアタマを抱えてどんがりと座り直した。なお、勿論スカート姿ではない、ジーンズだ。
「なんだアケ。なにかやらかしたか」
 遼太郎の予想と反対方向からの反応だったが、その為のゲロ大会だ、今更驚きはしない。フツーの口調で明美に問う。
「あーあー……やらかしたよあたしが。打ち上げのメンツで夏休み海へ行ったのさ。確かに退院後いいカラダになったウメコちゃんはむちむちプリンな水着姿をあたしらにご披露し、思わず嫉妬しちまったあたし以下女ども、ウメコにガンと言っちまった」
「ハァ、読めたぞ」
「そう。褒めるどころか、そんなえー体してんならオトコと二人でやってろ、なんであたしら呼び付けた、って言っちまった。一対多人数で詰め寄ったさ。……泣かれたよ」
「まァなんていうか」
 その場がありありと目に浮かぶとばかりに、遼太郎は野性味溢れた顔に僅かな苦笑を浮かべ、口の片端を少々上げた。
「あたしが代表してワビを入れたら間髪容れずに全員分のお許しを戴いた。あたしはその直後成田にワビたさ、なにせこいつを蹴殴り倒してまでウメコを泣かせるなと言ったのは他ならぬあたしなんだからな。ウメコにワビんの難しい、そうも言ったよ」
「そしてその後けなすも褒めるも出来ずに本日に至った、と」
「その通り」
 なる程ね、と遼太郎は自分が留守中の一か月半も踏まえてこれまでの経緯を納得した。それが積もり積もってあの反応、か。
「まァいずれ梅の字褒められねェのは俺達第三者一同雁首揃えて以下同文だ。で斉。お前は言ってなんてリアクション食った」
「泣かれた」
『やっぱ』
 まーァそれしかねぇだろうなァと、アケ・遼が同時に言った。
「しかもその時は血まみれ直後だった。俺はあの時、遼、佐々木、お前達に言おうとしたんだが」
「ホントかよ」
「マシンガン惚気トークだったじゃないか。誰がそんなもん詳細に聞くか」
 あの後斉志は運営会議とは名ばかりの朝イチ惚気トークで梅子との仲をきっちり公表した。あのメンバーの前で梅子の名を曰くありげにポロっと漏らしたのには違いなく、これ以上の詮索介入を牽制する為だった。確かに一回目だのな文字は口にしなかったが、単なる彼氏彼女では済まない仲であるなど容易に知れた。誰がそんなもん詳しく書くか。
 和子以下は当時の斉藤梅子がどういう状態にあったかを知っている。例の下らぬ噂の末の殴り込み時事件、入部日と名を漏らした日が一致すること、遼太郎の気性、梅子の成績・処分内容。誰が梅子に一連のド迷惑を掛けたかなど分かっていた。とは言え斉志が梅子に勉強を教えるということは、立場の弱い梅子にとっては逆に不利とも判断出来るあのメンツ、それで遼太郎に梅子の教育係を任せたのだ。
 更に言えばあの時期、もはや突っ慳貪だの主導権争いだのマシンガン命令トークで硬直化だのをしている場合ではなかった。まるで痒くなる話だが、ち~むわ~く、なるものを確立しなくてはならなかった。誰より硬派堅物の斉志がそんなことを言って場を柔らげ(やり方には実に疑問符が付くが)あの行事が一体誰の為であるかを言外に周知させた。梅子が生徒会室へ来た時は思わず真っ白になってしまったが、梅子がこのメンツと知己人脈を得るのは悪くない。斉志は合同できっちり宣言するハラだったが、当人直が出来ないからと搦め手下衆勘をして来たメンツにきっちり責任を取らせるハラもあった。だからこそ梅子が合同で倒れた時危機的状況を迎えたのだが。
「ああ、浮かれていたのも事実だ。とにかく血まみれ直後に俺を許してくれた梅子が言ってきた。胸がでかいのが好きかと。梅子が好きだとすぐ返したんだがな、泣かれた。俺が梅子の躯の一部分だけを見てそれで好きなんだと、そう思っていたらしい。勿論そんな事実は無い、その場で否定し誤解も解いた。だが以降、俺は一部分だけを褒められなくなった」
「悪い成田。それにはあたしも一枚噛んでいる」
 明美が俯き顔の前で拝み倒す“ごめんねポーズ”を取ったのには、相棒二人とも少し目を見開いた。
「なんだアケ。まだなんかあったか」
「あった。悪い」
「アケ、ワビ大会じゃねェ。なにをやらかした」
 悪い済まん御免と言い出せば、この場の置いとく大親友三人共にそれだけの大合唱になりそうだ、と三人共に思った。
「あーえー。成田、血まみれ直後に言って来た、と言ったな? というとアレか、このあたしにすらノロケ電話を掛けて来やがったあの時か」
 呼び出し音ひとつですぐに切った、例のアレだ。
「そうだ」
「……っがー、連発だ……」
 明美はさらに項垂れる。
「だからなんだアケ。ホレ、さっさと言わんかい」
 今度は明美が言い出しづらい番のようだ。しかし本日の話題、いやゲロ大会とは参加者全員がそうである。遼太郎とて本日の本題時にはそうなる。片手をヒラヒラ明美の眼前で振って、先を促した。
「えー。合同の最初の全体会合でな。話の成り行きでウメコがさ、もし美人コンテストをやられたら居場所がないと言ったのさ。そりゃそうだとは言わなかったけどー……顔には思いっきり出した」
 斉志は明美を睨み付け、遼太郎はあきれてわざとらしく明後日の方向を見た。
「それでェー。イチオ励ましてやろうかと思ってェー。水着審査とかあったら面白そうだなと言ったのさ。まぁそんな大会有り得なさそうだけどー」
 斉志の視線は更に鋭くなった。四月のそれとは雲泥の差な程に。
「むちむちプリン系だなとは、その時もう言っちまっていた。なにせウメコのナマチチ見ちまったもんだから……そう睨むんじゃないよ」
 遼太郎はあきれ笑いすら浮かべている。
「で。結局。……チチだけ思いっきりホメました、済まん!」
 またも明美はワビポーズ。遼太郎はわざと声に出してあ~ああ、と嘆息した。
 そう。梅子のアホは元々自分にさっぱり自信がない上、おっぱい星人はムネがおっきいっつーだけで褒めてもくれねェし、親友にゃチチだけ言われちゃって、挙げ句慶のバカにまでバカにされ、泣く泣くビビりながら斉志へああ質問したのである。そんなにムネしか取り柄がねえのかよ、と。
「気にしている、あんまり言うなときっちり釘を刺されていた。知っての通りウメコはひとの意見を否定するなんざしたくないと思っている。それでもこう言って来たから、気を付けては、いたんだけどさあ……」
 語尾が自然小さくなる。
「それが? 熱い夏? 開放感いーーーっぱいの青い海で? せっかく出来たオンナトモダチほぼ全員にネチネチ攻撃かまされて? オンナのシットってーなァタチ悪ぃもんなァ陰険で。あーヤダヤダ。片や醜いシットなオトコはアホ丸出し。ぶァーーーーーーカ」
 遼太郎は話を進めるため、言うだけきっちり言っといた。知らなかったし、済んだことだが、二人とも同じヘマを重ねてやらかしている。
「ナニが遠慮だ言ってんじゃねェかヨケーなことをよ。さァアケちゃん、とっとと対論示しなさい。でないとオンナ心が分かっていないとか思っちゃうよ?」
 遼太郎は明美のお株を奪い、アゴでメーレーした。
「悪かったな。あーあーあー。……確かにウメコのソトヅラを誉めるのは難しい。一部分だけ言うと、じゃあ他は褒められないのかよとかいう話になるし、ウメコその辺過敏になっちまっているだろうし……。じゃあさ、部分部分褒めて、足して合計褒めるとかっていうのは? そりゃあたしが今頃言っても説得力ないけどさ……」
 全くだ、という遼太郎の視線に明美はちょっと小さくなりながら、それでもメーレー通り対論は示した。
「俺はいくらでも褒めたい。可愛いからな……だがそれで泣かれたらと思うと怖かった」
「なんつーやっかいな……」
 梅子を泣かすなと言っておいて泣かせた明美は思わず歎息した。斉志が“お前で難しいなら俺はもっと難しい”と言っていたのを思い出す。
「だがそれじゃ問題は解決しない。そうだろう」
『ああ』
 立ち止まり、頭の中で下らぬことを考えるだけで動かずにいたらどうなるか。この場に居る三人はよく知っている。自分達が動かずとも動く人物がいると。彼女はいつも必ずたった一人で、いつも必ず全てを引っ被る。
 その人物の為のこの場であり、その為に集まった。
「お前達の前で言うのはなんだが……泣かせても、傷つけても嫌われても、全部言おうと思った」
「……なにをだ」
「本音だよ」
『……』
 明美は言った。“そんなに遠慮していると──”。遼太郎は思った。“余計なことは考えるな”。
 二人とも、梅子と斉志には常にそうであって欲しいと思っている。だが悲しいかな地力の差があり過ぎるのもまた事実。本音本当のことを言ったら傷つくのは梅子、おツラもアタマもよろしい斉志ではないとはよく分かっている。
「だから今回はお前達に、経過の一字一句を言えん」
「誰がそんなんイチイチ聞くか」
 前回それで灰燼と帰した明美はしっしと手の甲をヒラヒラ振った。あんな目に遭うのはもうご免である。それが高じて惚気電話になってよく被害に遭っている遼太郎とて同文だ。
「そんなのはいいさ。成田、ウメコはあんたを許したんだな?」
「ああ」
 明美は、梅子が自分を本当に許してはいないとよく分かっている。釘を刺されていたのにヘマを重ねたからだ、しかも一対多人数で。速攻でお許しを出したのは懺悔をさせない為だとも、当人に向かって愚痴をこぼすなという意味だとも、よく分かっている。
 しかし梅子が斉志を、言葉の上だけではなく、自分に対してのそれのようにでもなく、本当に許したのなら、それでいいと明美は思った。
「梅の字を傷つけたのか」
 だが大泣き現場を見ている遼太郎はそうは思わない。
「それでも言う」
 斉志が断言する。
「斉!」
「それでも言うんだ、怖がっていたらなんにもならない、それに俺は梅子を信じている。きっちり話せば分かってくれる。俺は梅子に敵わん。絶対に梅子の方が強い」
「分かっているじゃん成田」
「当然だ。俺が梅子に勝てるのなんざ、答えが最初から用意されてある試験の成績と、男に生まれついたってだけの腕力ぐらいなもんだ。あとはプライドの高さと自惚れ度合いか? この手ならまだまだあるな」
 全員思った。その通りだと。
「悪いとこ全部じゃないのか」
「ああ、それでいい。俺はもう二度と梅子の厭がることをしない。だから本音を隠して、それで傷つけるようなこともしない」
 明美も遼太郎も、斉志の言動、その内容が、以前この場でのそれよりは幾分違うものとなっていると、思えてはいる。
「梅子は俺の想像を遥かに超えたことをやるし、言う。その度俺は真っ白だ。いつも舞い上がって……それでいい。そうだろう」
「ああ」
「ならいいんだ。結構あんた成長したじゃん」
 明美は素直に認め、遼太郎もこれには異論を出さなかった。
「そんなことはない」
 斉志は本気でその通りを言った。泣かせるようではまだまだガキだと自戒を込めて。
「ウメコがいいと言ったんだ、それはいい。だが田上の件は残っているな」
「ああ」
「やっかいだ」
 昨日の午後の部とやらで、梅子がよしとしているのなんざ誰だって分かる。だからこの件だけだったら酒をかっくらって、でもよかったが、奴の件となれば話は違う。これが今日の本題だ。