十月十三日 土曜日 文化祭

 さてやって参りました文化祭当日、A高一年F組。
 わたしは、B高生徒会長さんご持参の(……)トレーラーの中で着替えをしていた。そこにはD高一年のわたしの友達、あすみがいた。お化粧をしてくれるって。
「ねえ」
 あすみは、大丈夫ケバくはしない、ナチュラルメイクにすると言いながら、目を瞑り口を動かさないわたしに話掛けて来た。
「オンナってさ。不思議なもんじゃん? オトコがそれを好きと言えば自分もそれ好きになっちまう、自然とさ。でも流されているってワケじゃない。たとえそいつと別れても、結局くっつかなくても、好きになり続けるんだ。
 そういう時の、オンナの目ってきっと」
 鏡には決して映らない──オトコだけに見せるから。
 あすみに、服を着るのを手伝ってもらった。
「珍しくおめかしじゃん、ウメコ」
 とか、言われながら。
「ねえ、ウメコ。あんたさ、このあいだ海で、みんなにガーガー言われたって?」
「え? え……でも、すぐに謝って貰ったし……」
 なんだかこういう話題ばっかりだな、夏からこっち……。
「あたしがこう言うのもなんだけど。あいつら、あんたを妬んだんだよ。あんたが自分で、キレイになろうって努力したの、分かっていたから」
「え……」
「あんた。オトコに会う時、服はどれにしようとか、髪の毛からつま先まで気を配っただろ? ちょっと下世話な話になるけどさ……下着からなにからなにまで、気を遣ったんじゃなかった?」
 あすみの言うことは、ちょっと恥ずかしくて……そしてそして、全部、その通りだった。下着に到っては、前の日新品を買いに行ったし……。
「あんた、自分を磨いているよな」
 わたしを、トレーラーの壁に立てかけてある、全身が見える鏡の前に立たせてあすみが言う。
「そりゃ翳でコソコソいわれるのはいやだよ。そして、表立って言われるのもいやだ。けどさ。
 そんなやつらにざまあみなって、態度で語ってやりな。
 他人にどう言われようが関係ない! よく見な! 自分を! 目ェ逸らすな!! そのままの自分で勝負しろ! 今のままで!! 磨きな、ウメコ!」
 あすみのお化粧は、完璧だった。

十月十三日 土曜日 文化祭

 さて、トレーラーから出て来た我らが斉藤梅子。成田斉志が手塩にかけてこ~~んなにしてしまったアホを敢えて表記するならば。
 ぶりっっっっっぶり、だった。
 細い首を支える肩は撫で肩。ちいさくて、向かい立てば誰もが思わず手を置き引き寄せてしまうだろう。すると眼前に妖しく浮かんだ鎖骨に目を奪われるだろう。その下にはたわわに揺れる甘い甘い蜜ふたつ。熱い舌で嘗めとって下さいと桃色の突起が言っている。
 すんなりのびた二の腕がどうしてここまで匂いたつのか分からない。細くてどうしようもない手首の片方には誰も外せぬ立ち入れぬ契約の印。やわらかな指は細く長く、そのうちのひとつはただひたすら永遠の契りをしめすシンプルな銀の輪を待ちわびている。
 縊れた腰は深い奥まで叩き付ける為の手がかり足がかり。その下にはただひとり以外何人たりとも寄せつけない彼だけの箇所。ただひたすら熱く蠢き、ただひたすら彼だけを待ちわびる。
 白い双丘はふりふり・ふらふら・ぷりぷり揺れて万年理性を飛ばしている。
 割り入って肩に乗る為にあるような二本の脚は、曰く彼から逃げる為にあるらしい。むっちりとしている太ももの内側は、貰われたその日から髀肉之嘆と縁を切っている。彼女は無意識なだけで自覚はないと彼だけが知っている、その脚は、その時彼の腰を抱き締めて離さないと。もっと奥へと誘っていると。
 彼は足首すら片手で掴んでも余裕がある。くるぶしから下の足のサイズは二十二と五。小さめで、身長と相まって、かかとのある革靴がよく合った。爪先まで、彼の唾液の這っていない箇所はない。
 丹念に磨き上げられたこんな躯に、そんな衣装を纏いあらわれた梅子。
 これをF組の各々がどのように表記したのかというと、各人の深層心理はいざ知らず、喩えば隣の人は常の通りだった。前の人は退院後のときよりも多々目を見開いていた。その他はというと、同じ服装をした女子生徒は未だその衣装をクラスメイトにご披露出来ないでおり、詰め襟を着た男子生徒は忠告空しく全員前屈みになっていた。揃いの衣装を着た男子生徒はというと、他のクラスメイトとは少し反応が違っていたやつもいた。
 いずれA高一年F組三十数名は全員雁首揃えて絶句していた。例の右隣の男を除き。

十月十三日 土曜日 文化祭

 反応がないって厭だなあと思うけど。よく思うけど。
 けど、慣れたものだし。多分、無視してのものじゃないと思うし。思いたいし。
 そりゃ少しくらい反応があったって、いいんじゃないかな、と思うけど。……いつも思うけど。
 ……まあ、いいや。
 わたしはくるっと後ろを向き、協力してくれたみんなにもう一度お礼を言った。明美に、和子に、あすみに、ありがとねって。どういたしましてと明美はキッパリ笑顔でじゃあなウメコ健闘を祈る、多少はコロコロしろ。とのこと。ハイ……。和子はあの艶然とした笑みで、けれどその表情の奥に垣間見える、保護者の姿。頼りがいのある、本当にいいおねえさん、そんな感じで。B高生のみなさんは、きっと本当に和子を尊敬していると思う。じゃあね……その仕立てはどれだけ暴れまくったってパンツは見えないから奮闘しなさい、ウメコさん? お先に……。と言って明美と一緒にF組を出て行った。
 そしてあすみはなにも言わなかった。親指を立てて、ウィンクして、F組を出た。
 これがわたしの友人、そして親友。
 何度も何度もありがとうと呟いて。
 振り向いて、
「さぁって! 文化祭だーー!」
 うんと朗らかな気持ちでわたしのクラスメイトへ振り向き直ると、素敵なクラスメイトさん達はさっきと同じ体勢だった。隣の人除き。
「? あれ?」
 こういうことは前にもあった。そう、あれはあの、あの成田くんによるA高風物詩(……)“教室攻撃”のとき。みなさん見事に固まっていたけど、なんだかあの場面ふたたびって感じのような。隣の人除きなとこまで同じだ。
 だからと言って隣の人に「まぁどうしましょう坂崎くぅン、みなさん固まっちゃっているわ」なーーんて前の人の手前間違っても言えないし。そうでなくともこんなこと、成田くんが恐ろしくて絶ーーーーっ対言えません。考えちゃ駄目です。
 それを知ってか知らずか隣の人が、誰が聞いてもマイペースな口調でこう言った。
「みんな。まだ?」
 隣の人は教室前扉前に立つわたしなんかまるで存在していないように、その向こうに話し掛けた。まったく隣の人らしい。なんだかほっとする。
 って、ああ、わたしがここにいると邪魔か、教室入れないもんね。
 そこをどけと言っているのね、と今頃気が付いて、頭も下げずにさくっと隣の人の隣を通り抜け、まだトレーラーから教室へ戻っていない阿っちゃん、鈴木さんに中村さんが入って来るのを待った。
「……あの……」
 蚊の鳴くような阿っちゃんの声は、前扉から離れたところにいるわたしには聞こえづらかった。
「なに?」
 隣の人が呼び掛けに応じる。声は鋭くもなく、かといって、イヤミもなにも浮かんでいない、でもなくマイペースなそれだった。
「……入りづらいよ」
 どこかで聞いたような。
「そーんなこと言わないでさー」
 隣の人は歩いてさくっと前扉を開けた。すると阿っちゃんも鈴木さんも中村さんも、男子三人も素っ頓狂な雄叫びを同時に上げた。ぎゃーとかひえーとかきゃーとか。
 なんだかんだ言って、教室に戻らないと今日の最終打ち合わせは出来ない。六人とも渋々といった体で入って来て、扉を閉める。すると背後で、けどわりと近い位置から声がした。
「大体これで集まったな」
 振り向くと、それは衣装を着たサッカー部くんだった。
「だね」
 同じく衣装を着た隣の人がサッカー部くんに歩み寄って隣に立って応じた。
「最終確認が必要のようだ」
 腕組みしながら硬い表情で呟くサッカー部くん。
「だね」
 マイペースな相槌を打つ隣の人。
「俺は何度も重責を担ったんだが」
「そ」
 以下同文のサッカー部くんに同じく隣の人。この二人、向かい合ってみつめあって話しているんじゃなくて、ただ単に隣に突っ立っているって感じなんだけど……なんだか呼吸が合っている。
 どうしてそう思ったのかは、未だにみんなの大部分が固まっているからかもしれない。教室へあとから入って来たひと達にしても、未だに無言だし。
「……斉藤」
「へ?」
 わたしも素っ頓狂な声を上げてしまった。サッカー部くんは腕組みしたまま黒板方向を見続けてこっちを見ないで言っている。なにか隣の人みたい。
「成田は今日斉藤がなんの役をやるのか知っているか」
「? どうかな」
 言ってはいないけど、生徒会長さんだし……知っているような気がするというか、多分知っているだろうけど、訊いたわけじゃないし。
「斉藤は今日さっきの連中が来て、俺達もそうだが、さっきのでけえ車に引き連られて行くと知っていたか」
「ううん、知らなかった」
 全然全くまーーるで知らなかった。……? ああ、ひょっとして、知っていたなら事前に教えてくれよー、とかそういうことかな? でも、それはわたしの台詞なんですー。
「そうかい」
「うん。知っていたらみんなに教えたけど、あのその、……わたしもびっくりしちゃって」
「そうかい。俺も驚いたぜ」
「やっぱり?」
「ああ」
 やっぱりそうかあ。けどサッカー部くんでなくたって、誰だって驚くと思うな、隣の人除き。大体どうやってあんな急勾配な坂をあーんなおっきなお車が……。
「ってことはカイチョー今日俺達がコスプレするって知らないってかー」
 ぼけっとしていると隣の人がマイペースに言った。するとサッカー部くんがはっきりそうだと分かるほどがっくり項を垂れた。どうしたのかな。
「来るな」
「だね」
 ほんとに息ぴったりだなー、サッカー部くんと隣の人って。
「どう対処するかが問題だな」
「事前にね」
 サッカー部くんが言うとスパっと返す隣の人。短いし、そもそも会話の意味が分からないけど、聞いてて楽しそう。けど聞いちゃっていいのかな。自然と聞こえるんだけど……みんな黙ったままだし。
「俺は重責を担ったんだが」
「今もね」
「あのさあ」
「担ったら?」
「だーかーらー……」
 随分なにか言いづらさそうなサッカー部くん。
「……斉藤」
「? はい」
 深ーーい溜め息が聞こえたような気がするけど……なんだろう。わたしに用だったのかな。
「さっきから質問ばっかでワリイけどよ。さっきの連中に、どう言われてその格好になった? ちなみに俺はこれでモテるぜサッカー部よ、だった。余計なお世話だと応えておいた」
 ほんとにもてると思うけどなー。
「えっと……珍しくおめかしじゃんウメコ。だった。馬子にも衣装って言われなくてよかったと思って。えっと、……ちょっと照れた」
「参考までに?」
 サッカー部くんが隣の人を横目でチラっと見た。隣の人にもなにを言われてその格好になったんだって訊いているんだろう。
「俺って和服も激合うんだけどー、って言ったら、自分で言うな、あんたが仕立てろってさ。ほんじゃこの服貰っとくからな、って言った」
 ……さすがです隣の人……。
「じゃあ俺も記念に貰っておくか」
「いいんじゃない?」
 じゃあわたしも貰っておいていいのかな。
「ところで斉藤」
「?」
 なんだろう。
「言っておくが斉藤はこの会話に最初から参加している」
「……そうだったの?」
 そんな感じはしないけど……そうか、そうなら最初からそうと言ってくれればいいのに。
「そうだ。これはな、最終打ち合わせの重要な前説だ」
「そうだったんだ」
 その割には三人ともてんてんバラバラ明後日の方向を見ているような気がするけど……。まさか見つめ合わせて仲良くお話、なんて成田くんが恐ろしい。
 ところでまえせつってなに?
「埒あかないね」
「俺もそうだと思うぞ」
「だね」
 ……ほんとうにわたしも参加しているんだろうか。とはいえ前の人と成田くんの手前、わたしが隣の人と楽しくおしゃべりというわけにはいかないし想像もつかない。
「……斉藤」
「? はい」
「珍しくお粧し、と言われたんだな」
「? うん」
 なんだろう。なにが言いたいのかな。
「そうかい」
「? うん」
 珍しく歯切れが悪いなあ、サッカー部くん。
「……だったらその話……。噂好きが多数集まった本日この校舎のどこに、誰が、どんな状況にいても……速攻で伝わると思わないか」
 え?
「そうなるとだな」
 ……あれ?
「誰の耳に入るか、っつうのをだな……。察してくれると……なんでみんなが無言なのか、分かると思うんだが……」
 あー、……れ?
 耳に入る?
 ……だ、れ、に……?????

 わたしは今初めて悟ったのです、どぉしてどぉしてみんなに元気がないのか、ううん、な、なななにかにおおおお怯えたように無言なのかをっっ!
 えっとー? わたし? 成田くんに逢っていない、というかついさっきこの格好をして、成田くんに言ってない。
 わたしはそう、珍しい格好をしています、合うかどうかなんて隣の人みたく断言出来ませんがっ、おおおおお化粧なんかしちゃって、気合い入っていて、……。も、もてはしないだろうけ、ど……ううんそこまで成田くん化しちゃいけません、有り得ないこと考えない。
 けどですよ。
 噂? 広まり? 速い? うん、この学校は確かにその通りっ。
 と。
 言うことは。
 ですよ。
 もしそれが。あの、あーーーーーの成田くんの耳に、入ったら?
 つ。
 ま。
 り。
『来る』
 息の合った男子ふたりの揃った声は、わたしの驚愕なお耳をすぅっと通り抜けて行った。