九月三日 月曜日 A高一年F組 早朝

 きょうび学生にとって長の休み明けと言えば誰もがダレまくって朝も早よから学校なぞに来るわけがない。
 しかしこのクラスの面々だけは別だった。全員、入学式早々の件を忘れてはいない。勿論、件の人物が遅刻ギリギリまで来ないことも知っている。自然、皆早い時間にやって来ていた。一名、いや三名除き。
 三名の内一名は件の人物。もう一人はその右隣のマイペース男。あとの一人は件の人物の左隣に座っている。
 三名を除く全員、早朝練習のある運動部員までもが既にこのクラスに集結していた。
「大体これで集まったな」
「立ち番しとく」
「おう、頼ま」
「始めるべ」
「こうして朝もハヨからこそこそ集まってもらったのは他でもねえ。例の件だ」
 冒頭とこの一声は、例のツンツン頭のサッカー部くんなのだが、もうちっと髪が伸びていた。
『ああ』
 あうんの呼吸であった。
「小松、阿部。やはり本決まりだってか?」
「うん、本人に確認した。間違いなくウメコちゃんの誕生日に結納、やったって」
「教室攻撃は勘弁してって言ったけど、どうなるかは分からない」
「……そうか」
「ま・めでたい」
「祝ってやろうじゃねえか」
「ああ。めでたいことではある」
「高校生外な話だ……」
「女の子の夢ではあるけどね……は、早すぎ」
「そうだよね……。全然現実味ない」
「相手が相手だ。なにをやっても納得はする。無理矢理にだが」
「まあな。実際の馴れ初めがどうだったかくらいは訊いてみたいが、まだ首は繋げていたい」
「同感だ」
「あんなの相手に出来るかって」
「みんな、お互い首の涼しくなる話は止めよう。今やつが来たらどうする」
「そうだよ」
「来るかもね……」
「来そう」
「間違いなく来るな」
「ああ。よって対策を講じる。ホームルームは拍手あたりで済ます。で、あとはフツーに授業をまっとうしよう」
「先生もそこは協力してくれるんだろ」
「副担、心入れ替えたようだしな」
「やつに相当睨まれたんだろ、職員室の連中も込みで」
「校長も含めてと聞く」
「生徒会、乗っ取るって話」
『……』
「やばい話は止めよう。本題に入る」
『席替えだ』
 あうんの呼吸であった。
「どうするみんな」
「どうするったって」
「柊子ちゃんには悪いけど」
「え、なんで私」
「首の涼しい話はお互い止めよう、もう時間が迫っている」
「さっさと決を取ろう。席替えして隣になりたい勇気のあるやつ手を挙げて」
 男子生徒はビタ一名たりとも挙手をしなかった。
「というわけで野郎一同全員、席替えをするつもりはない」
「一年間ずっとな」
「というわけだ。女子はどうよ」
「どうって……」
 女子にしたってそうだ。誰も挙手などしなかった。
「男子はそのまま女子だけ席替え、なんて聞いたことないよ」
「そうだよ」
「それは分かるが俺達の立場も察してくれ」
「これで他の人だったら意気地なしとか言えるけど……」
「相手が相手だもんね」
「あたしが男だったら、絶対同じことを考えると思う」
「うん、私も」
「あたしも」
「なら全会一致だ」
「いや、めでたい」
「よし決まり。席替えという文字も無し、このクラスではタブー。いいな」
『了解』
 あうんの呼吸であった。
「柊子ちゃん、よろしくね」
「え?」
「この場に来ていない人への説明」
「間違っても斉藤さんにじゃないよ~」
「え? え? でも坂崎君は」
「誰も坂崎君とまでは言っていないけどね~」
「……あ」
 柊子ちゃんは見事引っ掛かってしまった。誰だこんな引っ掛け問題を作ったのは。と、柊子ちゃんは思った。
「とにかく席替えの話は一切しないこと。俺達はフツーな高校一年生でいよう」
「ああ」
「そうだね」
「お、そろそろ来るな」
 要約するとこのような会話があったらしい。当然三名の耳には入っていない。うち一名への説明を彼女がどのようにしたのかは知らないが、説明された者はこの件を誰にも口外しなかった。

九月三日 月曜日

 こんな経緯があったとはつゆ知らず。

 久々の学校。まだまだ残暑は厳しい。
 いつものごとく遅刻ギリギリに後ろ扉から飛び込んだ。こうすると、いろいろテレというかが隠せていい。なにせわたしの誕生日が、誕生日だったし。昨日はさんざん言われたから……けどこのクラスは大丈夫でしょう。多分……。
 一限目は体育館で始業式。二限目はホームルーム。時間割表の配付、課題の提出。夏休みどうだったか、とかを生徒の氏名五十音順でそれぞれ起立して言って行く。
 どうだったか、ですか……。
 わたしの番となりまして。ええ、厭な予感を抱えつつ。なんだかみんなこっちに注目する視線が、視線が……。うう。もう、冷やかし視線、で……。
 えっと。ちゃんと課題をやりました。
 と言ったらば。
 おっきな拍手を頂きました。クラスのひと全員から。
「おめでとうウメコちゃん、よかったね!」
「おめでとウメコさん。よかったね!」
『もうみんな知っているから!』
 主担や副担までにこにことお笑いあそばしている始末……。
 ……。
 ああぅぅ~~~~~~~。
 も・真っ赤な茹でダコの出来上がり。机に突っ伏した……。
「ほんとみたいだな」
「マジやるか普通」
「とうの昔に高校生じゃねえと思っていたけど……」
「実際あの攻撃見ちゃったらねえ」
「婚約くらいはねえ……」
「マジだったなあ」
「三千人近くの前で宣言すりゃねえ」
「なんか漫画より強烈」
「ま、めでたいことはいいことだ」
 などなどお言葉を頂戴しまして……。
 すいませんすいませんすいません。毎度騒がせまくり、で……ぅぅ。
 わたしはホームルーム中、もう全然顔を上げられませんでした。隣の人、反応なし。されてもなにも言えない……。
 顔を上げられないわたしに、柊子ちゃんが訊いて来た。
「あの、めでたくそうなったのはいいことなんだけど、その教室攻撃、は……」
「な。ないです」
「ほんとに!?」
「マジ!?」
「それこそマジかよ!」
「絶対来るぜ!」
「来、来ません。お願い、安心して……」
 わたしが顔も上げられず、手だけぶんぶん振って必死にアピールすると、こころやさしいクラスのみなさんになんとか納得戴けたようだった。
「おーう、みんなあんまり斉藤追い詰めるなよ、後がどうなるか」
「分かっていまーす」
「そんな怖いことしませーん!」
 主担がお軽い口調でみんなに言うと、周囲から口々にお軽い調子でこのとおりのお返事。言う主担も主担なら、答えるみんなもノリが……。
 この後時間割り変更となって月曜は体育があった。一年E組女子のみなさんからも拍手を戴き、教室攻撃の有無を訪ねられました。
“もうみんな知っているよ~~~けど大丈夫、聞かないであげるから、後がこわいもんね~~~”
 これがみなさんの反応を総合したものです。
 わたしは本日茹でダコになりまくり、授業にまったく集中出来ませんでした。生物がなかったのが救い……。
 お昼、柊子ちゃんと阿っちゃんとお昼を食べた。この二人は病院にまで来てくれたので、事情を事前に知っている。勿論、噂の出元がこのふたりでないことは分かっている。だって教室攻撃の恐怖をよく知っているもの……。
「いやー、朝教室来たらみんなもう知っているんだもん!」
「噂って早いね~」
「ウメコさん嫌いだろうけどさ噂。今回は間違っていないし、内容いいものだし。こういうのならいいでしょ?」
「阿っちゃん、ウメコちゃん照れているよー」
「ま、すぐ落ち着くって。けどよかったよね」
「うん、ほんとに」
「……その……、あの……」
「あのさウメコさん。私、入学式初日にあんなことしちゃったでしょ」
「騒動も止められなかったじゃない」
「……あのえっと、別にもう……」
「みんなさ、すっごく、……なんていうかさ」
「ほっとしているんだよ」
「そうそう」
「別に借りを返せた、とかじゃないけど」
「うん。よかった本当に。あんまり見せつけられるのはちょっとだけど、うん、いい話だし」
「そ……そぉ?」
「そうだよ」
「うん、そう。男子はほらみんな遠慮しているけど、みんな同意見」
「そう。みんなもう茶化さないから」
「……そうしてくれると、た、助かるな……」
「その辺は大丈夫」
「普通に授業受けて、さぼんないで普通に会話して」
「でしょ?」
「……。うん……」
 ここのクラスは。とってもいいひと、ばかりです。

 放課後は当然部室へ行く。久々の部活、あの圧倒的集中力を早く見たい。
 もう意識もなにもかも吸い寄せられていて、日中ずっと真っ赤になっていたことは頭の中から抜けていた。
 渡り廊下を渡って新校舎へ。すぐ右に折れすぐ左。C組は見ない。
 扉を開けて失礼しますと一言。あとは無言、集中する。流れるソース、移動距離の短く早い両の指。手許を一切見ず、ときたま打つ手を止め、ウィンドウを注視する。間違っても手を休め、ではない。
 迫力を感じる。モニターを見つめるその情熱。本気。気迫。世話しなく動くウィンドウ。
 意識の全てはそこにあった。

「時間だ」
 それが合図。出る時も失礼しますと一言。
 陽はさすがに短くなってきてはいる。けれどまだ残暑、お互い半袖だった。
 中央階段下で靴を履き替えて自転車置き場へ。日暮れ前にひとりで。
 この感覚を忘れたくなくて、自転車で帰る道はあの背中で頭が一杯。
 家に帰って着替えて夕ご飯。お風呂に入ってさっぱりする。ぼろぼろになったあの本を読み返す。まるで違う、別世界のレベル。よくわたしにあの本気を見せてくれると思う。早くああなりたい。
 あの背中が好き。圧倒的集中力。心地よく酔う。震えて、惹き摺られる程の。
 あの背中の力を借りて、今日はすぐ別な本、学校の教科書を取り出した。
 科目は──生物。

九月三日 月曜日

 名称も定かでないとある部室で。
 ひとりになった男はモニターから目を離すと、こめかみに指を当て、それを揉む。自分の椅子には背もたれがあるので、それに思いっきり体重を掛け、呟いた。
「……なに考えてんだ、俺」