夏休み某日

 わたしは、今自宅におります。ええ、戻って参りましたとも、健康診断から……。
 そんな、朝も過ぎた午前十時頃、だったと思う。もうみんな誰も使っていない、家にある四号A自動式電話機、通称“黒電話”が鳴った。
 父ちゃんも母ちゃんも仕事で出かけている。そんな時の電話だった。
「……へへ、あたし。
 ちょっと……逢いたいんだけど……いいかな」
 掛けて来たのは、マコだった。

 成田くんとのお白州があるから、電話を一旦切って、成田くんに確認した。明後日、出来れば今日、マコと会ってお話をしたいって。
「そいつは梅子の家に来るのか? それとも梅子がそいつの家に行くのか?」
 成田くんにこう訊かれた。そういえばマコ、和子の家にいるんだ。向こうへ行ってもいいけど、そういえばわたし、マコとどこで会うか聞いていないや。
「ううん、まだ決めていない」
「そうか。だったら梅子、そいつへは家に来てもらうんだ。用があるなら向こうから来るのがスジ、そうだろ」
 ……まあ、そうだけど……別に、行ってもいいんだけどな。

夏休み某日

 マコに電話した。足を運ばせて悪いけど、こちらへ来てくれないかって。マコはいいよと、いつがいいか言って来てくれた。
 その日を成田くんへ知らせて、いま、わたしが通った小学校の校庭のはしっこでマコと話をしている。
 最初は、わたしの部屋でと言ったのだけれど、マコはいい天気だから外で話そう、と言って来た。だから、このあいだの海でもいいかなと思ったのだけれど、マコが、違うところがいいと言ったから。
 マコは、ひとっこひとりいない校庭にあるブランコに乗って、キィキィと漕いでいる。わたしは、隣のブランコに乗って、漕ぎはしなかった。
「ウメコ。……あんたさ、相手と上手く行っている?」
「? うん、まあ……」
 このあいだ、マコとまともに会った時は環の部屋で、だった。あの時は環の部屋でだったにもかかわらず、会話のほとんどをマコとした。
 今日は、あの時の様子とまるで違った。
「そう?」
「うん」
 それからしばらく、マコはブランコを漕ぐことに集中していたようだった。高い所まで漕いでいる。そうしているのが楽しい、んじゃなくて。
「あのさあ」
「なに?」
 マコは、要するに、言い淀んでいるらしかった。なにか話したいのは分かる、話があるって言って来たんだから。
「あんたこのあいだ……みんなにガーガー言われていたっていうじゃん。謝ってもらった?」
「? うん」
「すっきりした?」
 答えるのに、一拍置いてしまった。
「そう。やっぱりすっきりとはいかないよな……そうだよね」
 そんなことはないよ、と言うべきだったのに、マコはわたしの言葉を遮るように言った。
「そんなことないよ。後でみんなに、何度も謝ってもらったし」
「後でなにを言っても同じじゃん。悪いことをしたのは変えようがない。変えられるんならいくらでも謝って欲しいよ。でもそうじゃないじゃん」
「そりゃそうだけど……」
 マコが、わたしになにを言わせたかったのか、分からなかった。
「あたし、あんたにアタマ下げてワビたけど……考えてみれば意味ないよな。誰も見ていないところを狙って下げたってさ。やったことは変えようがないってのに」
「そんなことないってば」
 なにか、水掛け論になっているなあ。どうしたんだろう、今日のマコ。
「ねえ、マコ。どうしたの。今日のマコ、なにか言いたいことがあるんでしょう? でもまだ言っていない。なにが言いたいの?」
「なに? なにってね……」
 マコは、漕ぐのを止めた。でも、ブランコはしばらくフラフラ揺れていた。
「あたしさあ……生理が来ないようなこと、されたんだ。……すげえ痛えの……」

夏休み某日

 痛かった。下半身が血まみれになった。押さえつけられてなにもやり返せなかった。和子がいない時和子の家でされた。すぐ病院へ担ぎ込まれた。そのお陰で、こうして今ようやっと歩けるようになった。
 相手は、慶ちゃんだという。
「痛くて。痛くて痛くて。歩くのが恐い。女以外は今でも恐い」
 わたしは、なにも言えなかった。マコは、わたしの相談にちゃんと乗ってくれたというのに、わたしはなにも言えなかった。
「あんたらぶらぶだからさあ……オコボレに与るっていうの? 幸せそうだから、妬んで相談したんだ」
「そんなこと! ただ、なにも……」
 なにも言えないだけだった。でも、これだけは言わなきゃ。
「なにも言えない、けど……ちゃんと確認した? 生理が来ないからって、即妊娠だとは限らない。ちゃんと確認した?」
 西川。ちゃんと確認しろと言った。坂上先輩。生理が来ないとストレートに言って来た。
 そしてわたし。なによりわたし。わたしもあの後、一度生理が来なかった。いつもは定期的に来るのに、あの時だけは来なかった。
「なにでそんなこと言えるの」
「わたし、ちゃんと避妊して貰っている」
「あいつはそんなことしなかった。ケダモノだった。そんなアタマ回らない」
「だったらマコが回せばいい。病院へ行った、連れて行って貰ったんでしょう? だったらもう一度行けばいい」
「それで妊娠していたらどうするの。金でも出してくれる?」
「お金はない。でも妊娠していたら、マコもその人もコミで一緒に学校辞めよう。一緒にどこかで働こう」
「簡単に言わないでよ」
「簡単じゃない。わたしだって分かる。どうせ女は躯だけだって。入れられるだけだって分かっている。愛情がなければただの暴力だって分かっている」
「そんなのあたしだって分かっている!」
「ううん、分かっていない。慶ちゃんには愛情があった」
「あるワケねえだろあんなやつに!! あたしがどんな、ことされたか──」
「じゃあそれされる前はどうだったの? 裸になる前までケダモノだった? 違うでしょう!?」
「ハダカにされたらケダモノだったよ!!」
「謝ってもらった?」
「されても意味ないよ! あんなやつ二度と会いたくない!!」
「違う。ちゃんと会って。ちゃんと土下座でもなんでもいい、謝って貰って。すっきりしないのは分かっている、でもちゃんとしなくちゃ。謝るってこと、考えてもいないのなら殺してもいい」
「──」
「慶ちゃんを殺せばいい。そうすればマコ、すっきりするでしょう。だから殺せばいい。直接刺せなんて言わないよ。和子に言って殺してもらえばいい。どう?」
「──すごいこと言うんだ、あんた」
「だってこれが一番いいやり方だもの。マコは慶ちゃんを好きなように殺す。子供が出来たら一緒に育てよう。養育費とかお金は和子に出して貰えばいい。わたしも、ちゃんと働くから。一緒に育てようね」
「──」
「どうして答えないの。痛かったんでしょう。間髪容れずにあんなやつ殺すって言わなきゃ嘘だよ」
「──」
「答えられないんだったら。やっぱり慶ちゃんには愛情があったって、マコが分かっている証拠だよ。そうでしょう」
「違う、あいつに──」
「だったら殺せばいい」
「あいつは──」
「愛情があった。そうでしょう。きっとマコ、服を無理矢理剥がされたんじゃない。違うでしょう。痛かったのは初めてだったから、多分慶ちゃんも初めてだったから、やり方が分からなくて、そうでしょう」
「──」
「慶ちゃんのこと、きっとマコは今でも嫌いじゃないと思う。慶ちゃんだって勿論そう。だから、殺せないんなら、もう一度きちんと話して。もう一度、考えてみて」
「──考えるって、なにをだよ。あたしあんなバカにはもう二度と会いたくない。もう会わない、それでいいじゃん!!」
「慶ちゃんはそう思っていない。もう一度マコに会って、ちゃんと謝りたいって思っている。今でもマコのことが好き。きっとそう思っている」
「あんなバカなんてもういいよ!」
「じゃあ殺せば? まさかそこまでいかなくてもいい罪だなんて、思っていないよねマコ」
「──」
「まさかもう二度と会わないだけで済む罪だとでも思っているの? 会って殺せばいい。ざくざく刻んで、メッタ斬りにして、死体は和子に上手く言ってどうにかしてもらえばいい。思いのたけ、殺せばいい」
 わたしは、言いながら、自分も泣いていたことに気付いていない。
「そこまで──」
「マコは慶ちゃんが殺せない。だって慶ちゃんは愛情があったもの。前からだよ。すごくあったから暴走してそうなっただけ。絶対マコは慶ちゃんを殺せない。違う!?」
「──」
 マコは結局泣くだけ泣いて──その場で結論なんて出なかった。

 わたしは、お白州を破って成田くんにこの時の内容を言わなかった。
 でも、成田くんは、マコがわたしになにを相談したいか、とっくの昔に分かっていた。
「慶から相談があってな。顔面はすぐに分かるので遠慮してやったが、それ以外、見えないところを殴っておいた。
 いい、今回は。俺は梅子に……なにも言えない」
 わたしも、なにも言わなかった。もう分かっていたというなら、わたしがどうこう言えるものじゃない。
「慶はB高へ転校させる。中野と学校が同じになるが心配するな。普通科と体育科と別にした。この二つのカリキュラムはまるで違う。同校内といえども逢うことはない。むしろ、慶を森下に監視させる為の転校だ。体育科で、もう二度とあんなことが起こりはしないほどみっちりしごかせる。
 中野は妊娠していなかった。梅子が心配する必要はなにもない」
「そう……なの?」
 ほっとしていいのだろうか。これでも女として……よく分からなかった。
「これからは慶も、中野も森下の管理下に置かせる。もう二度とあんな目には遭わせん」
 でも……マコは、和子の管理下にあってもあんな目に遭った。
 大丈夫だろうか……。
「もう一度起こしたら足の骨を折るとは言わん。二度はない。誓う。梅子が心配することはなにもない。……俺が言うと、なんの根拠も信用もないがな」
 ……。
「俺がこんなことを言うのもなんだが……。
 慶は、子供の頃から中野に惚れていてな。中野は、それに気付いていないようだった。ジレンマというか、そういうもどかしさがあって、それで……」
 ……。
「俺は慶の味方じゃない。ただ、どうして中野は慶の気持ちに気付いてやれなかったのか、とは、……少しだぞ、思う」
 うん、それは、それだけは……少し、思う。
「妊娠していなかったからといって、この事件が終わりだなぞ俺は言わん。俺が言えるわけがない。
 慶には本気で陸上に取り組んで貰う。慶はいままで自由奔放、気ままに過ごして来た。もうこれからの人生で、そんなことは有り得ん。そこまで徹底的にしごけと、森下には言ってある。信用しろと、俺の口から言っても梅子は納得せんだろうが、とにかく実際はそうなる。
 これは、解決せん事件だ。どれだけ土下座しても被害者の気持ちが治まらん、取り返しもつかん、最低の事件だ……」

八月三十一日 金曜日

 今日はわたしの誕生日です。わーいわーい。
 ……な、わけはありません。
 ええ、来ました成田くん。
 そうです、わたしは事前の許可を当人曰くきっちり与えたことになっておりまして。成田くんは来ました。きっちり詰め襟です。暑いのに、成田くんとそのまわりだけ心頭滅却しているかのようです。ほほ、染まっています。それすら似合います。なにやらいーっぱい荷物を持って、手にはうーんとおっきい真っ白な花束。あのときよりもおっきいです。もうわたしは持てません。前回だって前が見えなかったのに、一体それをわたしにどーしろ、と……。
 確かにわたしは成田くんの言うとおり、父ちゃん母ちゃんに今日、家にいてもらうようにって、とは言いました。けどそれだけです。間違っても結納がどうのなんて言っていません。この件については本日に至るまで目を瞑っておりました。現実を、そう、確実に実現するであろうことなんて分かっていたのに見ない振りをしていました。
 けど。けど。そうです、相手はあの成田くん。知らない間に父ちゃんも母ちゃんもとっくの昔に今日そういうことがあるって知っていて。きっちり連絡取っていたらしくって。その、付き合っている、なんていうのを通り越して、……な仲っだっていうのもぜーんぶ知られていたらしくて。
 いつの間にか準備は万端らしくって。
 こんなこと、こんな、こーんなこと前にも、ううん、何回もあったのにー。
 わたしは、成田くんに絶対敵わないどころか、ひょっとすると今日中にもどこかへ連れて行かれるかもしれません。
 ……。

 根性です。
 ひたすら根性でした。
 結納なんてやったことないからよく分からないけど、高校生同士だから仲人さんはいないそうです。結納品は両家の釣り合いが取れるようにするのが普通だそうですが、間違ってもそんな文字、成田くんに似合いません。ひたすらわたしが貰いっ放し。なにせ今来ている制服、ええ、成田くんのきっちり詰め襟に合わせてわたしも夏服じゃないんですが、それだって結納品だそうです。サイズぴーーーーったり、の。入院で痩せたから、衣替えが来たらまた買わなくちゃ、とは思っていたけどもう着ることになりました。胸のサイズがどうのなんてもう言いません。
 大安吉日午前中。こうしてこんな、こんな一大行事はわたしの意向がまるで入らず厳かにすすめられて行きました。
 本日はお日柄もよく、から始まって。成田様よりのご結納の品を幾久しくお納めくださいとか。忌み言葉なんて使いません。
 その、あの……婚約指輪は勘弁して戴きました。だって高校生ですよわたし。そんなの、そんなのしてどうやって学校へ行けと……。聞けば世間は指輪の上にバンソーコーを貼っつけ登校するひともいるようだけどそんなの見ただけで分かるし、アホなわたしは首が涼しい身分であることに変わりないんです!
 だから、と、言いますか。他の大量の結納品はとてもお返し出来ませんでした。根性でやり過ごした結納のあとは若い者だけで……なんて言う話になって、そうなったらわたしはどうなるか分からないと思って、だから、贈り物開けて見ますと下手な言い訳して自室へ逃げ帰りました。だって成田くんの目が言っているんだもの。
“絶対連れて帰ります”
 って。
 ……。
 み、見ない振りです。知らない振りです。部屋へ逃げ帰りました。
 それで、言い訳通り結納品を、いーーっぱいある結納品を片っ端から開けてみました。なにかに集中していないと、今のわたしはどういう状況でどうなるかなんてことをついうっかり考えてしまうかもしれなかったからです。
 かぱ。と開けるとそこには服。
 とにかく服です。私服、制服、下着。着るもの一式。靴も鞄も。ひょっとしたら、……わたしが触れるもの、一式?
 ……。
 これを着て来い、と言うのですね。明日。
 ええ行きます。けど帰るの、日暮れ前に帰るんだから! たとえこの下着が全部シルクの白で明らかにサイズが、ええ戻されてましたサイズ! だったとしても、ぱ、ぱんつもレースで、き、きわどくて、通学用のくつしたも靴もいっぱいあった。
 制服だって夏服冬服秋春服五着づつあって、どうするんだろうこんなにあって……。それ着てみたけど、ぱっと見は以前の、痩せる前のわたしのようだった。なんとなくだぼっとしているような感じ。けど、確実にわたしのサイズ通り。こんなこと出来るんだ……。ええ、当然長さは膝下です。いまどき誰がこの長さで、と思わないでもないんですが。そりゃわたしは脚、長いわけじゃないけど……。

 わたしがいない居間では、こんな会話があったという。
「もう持って行っていいのよ梅子なんて。こんな息子が出来るなんて……ほんとにもう凄い男前で」
 こんなことを言うのは母ちゃんです。
「いいえ私はまだまだ弱輩の身。ですが」
「そーかそーかー斉君や、そうでなくなったら連れて行ってくれー」
 父ちゃんです。
「……」
 無言でお返事は成田くん。
 それで、本日の結納はおひらきとなったそうです……。

 どこでだか、こんな会話が改造された携帯電話であったという。
「どうだった斉。お前の、今日にでもこっち来るんじゃなかったのか?」
「……強敵だ」
「ハ?」

 とにかく、根性で結納は済ませました。そしてお願いしました。
「斉志、お願い。わたしのお願い聞いて。絶対聞いて」
「……なに?」
 成田くん化して言いました。そうでないと、そうでないと……。
「婚約の話、絶対みんなに言わないで。A高だけじゃなくて、みんな。管内だけじゃなくてみんな。もしわたしの許可なく、言ったらその、どうなるか……」
 うう、どうしてあの口調で言い切れないのー。
「もう言った」
「へ」
「複数」
「へ」
「梅子が入院した時病院へ来たやつらには全員言った」
「へ」
「俺、梅子の友達に口止めなんかしない。だからもうかなり噂になっているかもしれない」
 へ。
「大丈夫だ梅子、安心していい。俺は梅子のお願いは聞く。これからは誰にも言わない」
 あのー……。
「俺厭々我慢する。梅子照れ屋だもんな、まあその割に凄いこと言うわするわ……本当に照れ屋かどうかはともかく」
 あのー……。
「ただ、言ったやつらに婚約したかと訊かれたら、きっちり済ませたって言うから。でないと梅子立場ないだろ。俺、梅子の厭がること二度としない」
 そういう問題、なのー……。

 わたしの脳味噌の出来が全部悪いんです。成田くんへの口止めを中途半端にしていたという前科があったのに、肝心要……というか知らない振りして先延ばしにしていた、よく考えなくてもとんでもない行事についてはコロっと忘れて、まったくなにをしようとか考えていなかったのです。普通高校生が結納なんて、結納なんて……ぅぅ、相手は成田くんだった。

 普通って文字が一番似合わないひとが、わたしの婚約者さんです。今日から。

九月一日 土曜日 斉志宅

 今、わたし達はベッドの上です。ええ、押し倒されていますとも……。
「梅子。俺、頑張るから。いい男になる。早く十八歳になる」
 もういい男です……。
「俺、まだまだだけど。頑張るから。梅子が悶絶するくらい頑張るから」
 あのー……。
「早く大人になるから。そうしたらもう誰にも文句は言わせない」
 ……。
「今日は初夜だ、梅子。大切にする」
 成田くんが言うところの。
 きっちり、あの初めて通りの内容で……。
「梅子、あの時凄い誘い方しただろ。俺初めてだったのに、梅子の方が慣れているみたいだった。あの時みたいに、して」
 ……。
「当然きっちり四回以上やるけど。梅子俺の目の前で浮気しまくって体力付けただろ。絶対片手じゃ済まさないから。今日はもう泊まって行って」
「あの……」
「なに」
「あの、……斉志。わたし浮気していません……」
「……」
「……信じて、くれない?」
「信じているけど。……浮気者」
「どーしてそう! こ、こんな日に、そ、んな、こと──」
「! 梅子、泣くな……」
「──」
「泣かないで……梅子、ごめん、また俺……」
「わ、わた、し──」
「ごめん、……ごめん梅子……泣かないで」
「──じゃあ、もう──そんなこと言わない?」
「……」
「──斉志──疑うんだ──こんな日に」
「……。ごめん」
「──」
「ごめん、もう言わない……」
「──ほんとに?」
「梅子が浮気しない限り」
「しない!!」
「ほんとに?」
「ほんとに。わたしは、……斉志のなに?」
「俺の。俺の婚約者」
「そう、斉志の……婚約者。だから信じて……」
「……うん。ごめん、梅子。……その、こんな日に」
「……怒った」
「え」
「怒ったから……日暮れ前に帰る」
「……」
「でないと、……父ちゃんと母ちゃんに」
「分かった! ……日暮れ前に帰す。厭々帰す。けど俺、俺梅子をもう帰したくない。どこへも行くな。ここにいて」
「……」
「……分かった。梅子。……俺、忍耐力ない」
「……」
「理性は無理だけど、……忍耐力は身に付ける。俺、頑張るから」
 なにかどこかおかしい文章なような気がしないでもないけど……。
「……うん、がんばって」
「じゃあ協力して梅子。ふたりで頑張ろう。今日は初夜だから」
「え」
「頑張るって言ったらそういうことだよな梅子。俺またヘマして時間を潰した。今日はタクシーで帰す。きっちり目標をクリアする」
「え」
「さ、今直ぐ」
 わたしは成田くんに絶対敵いません。

九月二日 日曜日

 今年の夏休みは九月二日まである。みんな、どうも八月三十一日は遠慮したらしくて、その日は誰からも電話が来なかった。次の日はわたしがその……躯が……。そんなわけで本日はお休みを戴いた。明日は学校だから。
 それを知って知らずか、わたしの知人友人のうち、数人から電話を頂いた。
「ウメコ、後悔しているだろ、あたしと一緒に返り打ちしようぜ!」
 喧嘩を吹っ掛けられたわけじゃないんです明美さん……。
「よかったウメコ! もういいからケッコンしちゃえ、誰も邪魔なんかしないから!」
 結納なんですあすみさん……。
「ウメコちゃん、よかったね……でも教室攻撃は勘弁してね」
 ……ハイ、柊子ちゃん。
「ウメコさん、よかったね……でも教室攻撃だけは止めてね」
 ……ハイ、阿っちゃん。
「ウメコさん……? 大丈夫よ、婚約なんて役所に届けるわけじゃなし……なにかあったらすぐ私のところへ来て? 成田の大馬鹿者など金輪際近付けないわ……?」
 成田くんをそういうふうに言えるのあなただけですよ和子さん……。
「よかったわウメコさん……倒れた時、私てっきり妊娠していたものだと思ったの。もう、それでもいいのね……」
 全っ然よくないですりうさん……。
 電話は全部女の子。男子からは誰も言って来ません。あ、そういえばひとり。待ち受け画面に成田くんって出たと思ったら声が違うひとだった。
「よー梅の字、テメェこっちに来るんじゃなかったのか? リョーリくらいしろよ、家ソージしろ、なんだったら俺の分まで洗濯モン」
 この後はどたんばたんという音がしたので聞こえなかった。帰って来たんだ。
 そりゃ帰って来るか。模試の時一旦戻っているだろうし。

 環には、八月三十一日に電話で。まさか現実に起こりうるとは思ってなかったので事前には言わなかっただけ。
 環と成田くんって、こんな立場になってまでなんだけど、やっぱりその、お似合いだなーと思うんだけど。それを言ったらそれこそ西川の近所でずっと足留め食うような気がしたので、止めた。
「よかった!」
 環は、電話の向こうでうんとうんと……心底ほっとしていたようだった。喜んでいる。
「梅子、本当によかった。私──」
 電話の向こうで環は泣いているようだった。
 ……すごく、お世話になった環。恩なんか返し切れない環。
 わたしがこうなったからって、じゃあ今度は環の番ね、と言わんばかりに、前からずっと泣いていた環のことをずけずけ訊くわけにはいかない。環が言って来てくれるまで待つ。もしわたしがなんとか出来ることだったらいいのだけど、どうも単純な問題じゃないようだし。わたしの脳味噌だと単純な問題でも充分難しい。
「あの、ありがとう環。環のお陰。環がわたしに勉強教えてくれたから、A高へ入れたから、だから」
「……そんなことないわ……」
「そんなことある、全部環のお陰。環はわたしの自慢の友達だもん。優しくて、美人で頭がよくて」
「……梅子。頑張って」
「? うん、」
 がんばるって……。ううん、へんなこと考えるのはよそう。
 なにか環は考えことをしているようなので、長電話もなんだし、じゃあねと言って切った。全国大会の結果は聞けず仕舞い。あとでまた電話しよう。