気持ち悪いんです
人の心が
表面はキレイで
中はドロドロ
私のよう
皆、私を卑しんでいる
吐き気がして
褒め言葉は求めていない
だから私を無視して
いないと思って
蔑むくらいなら、嘗め廻すように見ないで

西園寺環

 嘗め廻すように見られたのはいつからだっただろう。

 人が最初に見るもの。まず、わたしの顔。次に胸。あとは全身。嘗め廻すように。
 そして次にこう言う。
「また二番か」
 学校の先生が職員室の椅子に座って言う。私はいつも嘗め廻すように見られた。
 成績は最初から中学まで、その学校という籠の中に限っては確かにトップだった。でも誰もそれについてはなにも言わない。
「また二番か」
 いつも嘗め廻すように見られた。
 悔しくて努力したわ。
 二番、それは市内、管内での順位。どれだけ努力してもそれは変わらなかった。

 こんな風に言われるようになったのはいつからだったろう。
「泥棒猫」
「売女」
「床上手」
 なにを言っているのかようやっと分かった、初潮を迎えたあたりに聞いた保健体育の授業。
 言い返す為には努力するしかなかった。
 才能など有りはしなかった。二番ばかりを取り続ければ嫌でも分かる。一所懸命努力した、それでもずっと二番だった。
 中学二年になった私はまた先生に意味も無く呼ばれて嘗め廻すように見られて、IQテストも二番だったな、表彰してやる、市役所へ行け。そう言われた。
 行ったわ。一番と二番とは名ばかりの人と同席させられた。その人がいつも一番を取り続ける人だった。その人と並ばされ、両市長はおろか県、そしてどこかの省の役人まで居並ぶ他人に嘗め廻すように見られて、こう言われた。
「こうして二人を並べるとまるで雛人形のようだ。お似合いだな君達は。A市の誇りだよ」
 私は言い返せなかった。
 外見なんて両親のお陰。だからこれは私が褒められるべきじゃない。私はもっと努力して勉強して、もっともっと努力して、上を行く人を超えて初めてなにかを言える、そうでしょう。
 でも一度も上回れはしなかった。お似合いなんて勝手なことを言わないで、それすら言えなかった。
 勝手なことは、とんでもない噂になってしまった。どれだけ否定しても信じて貰えなくて勝手に言われる。噂、そんなもの!
 でも私は、やはりなにも出来なかった。もし説得出来るとしたら、もっともっと努力して、その人を超えなくては。お似合い? まさか! そう言える程にならなくてはいけない。
 否定はし続けたわ。でも私の力なんかなにも全く及ばない。

 勝手な噂を立てられた人から電話が来た。あの市役所で会った時、勝手に住所氏名電話番号を調べられていて、目の前でそれを勝手に喋られた。お似合い? なんて勝手な。見返してやりたかった。でもそれをするなら、その人よりも偉くならなければいけない。
 力が無さ過ぎた。噂を否定出来る程の力も、私の上を行く人より更に上に行くことも、勝手なことを言われるのを否定出来る力も無かった。
 もうこんな所へいたくなかった。高校からは県外へ出て行こうと思っていた。なに一つ見返せなくて悔しいけど、私には力が無かった。両親にも頼んでいた。
 受験は県外しか考えていなかった。そんな中二のおわりに電話が入った時。
 試した。
 その人が、どれ程の人か。
 電話で済む用件だったのに、それこそ勝手に土曜日の校舎へ呼び付けて。
 結果はなんの勝負にもならないことが分かっただけだった。その人はまるでなんの抵抗も無く他校の校舎の教室へ入って来て、自分が振ったということにしておけ、そう言った。
 どうして試したりしたんだろう……。
 話も終わったその人と面と向うことなど出来なくて、窓の外を見た。雪の降り積もる校庭に。
 まっさらの、キラキラと光る梅子がいた。

 こんな私があんなまっさらのキラキラな光に、なんて……。そう思って家へ帰った。
 あの日いつの間にかいなくなっていた、勝負にならない人の通りみんなに言うと、噂は収まった。一旦は。……でもそれは、後であんなことになってしまう。

 中学三年になったばかりのあの日。これから一年間いることになる教室へ入った。五十音順に並んだ机の、私のすぐ後ろの席に梅子はいた。
 さいおんじのさ、さいとううめこのさ。
 無我夢中で話し掛けた。ありったけの勇気を振り絞って言ったわ、私の名前を、自己紹介を自分の意思でしたのなんか初めてだった。信じたの、生まれて初めて、あの一瞬で好きになって、だから勇気を出して言ったの!
 こんな私に、梅子はもちろん勝手なことなんて言わなかった。私のことなんて全く知らない。まっさらなままの梅子。ありのままの私を見てくれた。もう理由なんてなんでもよかった、電話して、それすら初めてで、そして梅子はこんなことを言うの。
“どうしてわたしなんかと?”
 それは私が言うべき言葉よ!! どうして私を、頭がよくて優しくて美人、なんて言ってくれるの?
 ずっと待っていたわ、十四年間、その言葉を、心から言ってくれる人をずっとずっと待っていたの!!
 朝教室へ行くとお喋り、休憩時間も。お昼お弁当を一緒して、教室移動とかおトイレとか一緒して、二人で勉強して、お泊まりして、お互いの家に行き来して、電話して。
 こんなに嬉しいの初めてよ!!
 初めてだった。こんなことある筈無い、そう思っていたんだから!!
 初めて努力を認めてくれた。二番だって、小声で言ったらすごいねって言ってくれた。顔、いつも蔑まれるだけの、両親に恵まれただけの外見を梅子は真っ直ぐ見て美人だと言ったわ。姿勢がいいね、日舞とかやっているの? って梅子から言ってくれたわ。そんなことまで気付いてくれた人なんかいない、梅子だけ!!
 とても集団競技なんて出来なくて、個人競技はそれしかなかったから入ったテニス部。ユニフォームなのよ? 試合着なのよ? 着ただけで軽蔑されたわ。それで男を誘うのかって。
 梅子は素敵って言うの! あれが初めての嬉し涙だったわ。こんな涙ならいつ流したっていい。

 梅子が自分の成績を躊躇い無く言ったのは、私の成績は二番と言ったそのすぐ後。
 私は自分より成績の上の人になにが言えただろう? 勝手なことをしただけ。
 なのに梅子は言ったわ、私を見て。
 泣いたわ、涙も流さず。
 梅子のあの時の瞳、忘れない。
 梅子なら出来る、そう思った。こんな私でもなにか出来る、なにかしよう、そう思って私もすぐ言ったわ。一緒に勉強しようって。
 梅子はそんなつもりで言ったんじゃない、そう言ったけど。
 違うわ梅子。私があなたと一緒にいたいの。
 私はA高へ行くわ。梅子は?
 試すなんてこともうしない。もう分かっていたから、梅子の、躊躇うことなく目標へ向う瞳。梅子は言ってくれたわ、私に。
“うん。A高へ行きたい”
 それだけを。

 勝手なことを言う人達も受験の時期になれば勝手なことを言う余裕など無い、そう思っていた。それでもまだ言う人がいる。
 しかもその内容が酷くて──私と、勝負にならない人の仲を梅子が邪魔している──
 なにを見てそんなことを!! 冗談じゃないわ!!
 勝手なことを言う人は私にではなく梅子に酷いことを言う。私に力が無いことは分かっている。だからと言ってなにも出来ないでいるの? いいえ、もうしないわ、そんなことは。
 なんとかしなくてはいけなかった。力が無い? そんなの言い訳にもならない、梅子のことなのよ!? 
 だから言ったわ。事実を、ありのまま事実を。梅子は私の親友よ、邪魔なんて有り得ない!! それともそういう場を直接その目で見たの!?
 誰もそれ以上言い返して来なかった。動かしようの無い事実だから。

 もしかしたら勝負にならない人も酷い噂を耳にしているかもしれない。けれど間違ってもこちらへ来られたら大変よ、隣に並ぶだけで勝手なことを言われてしまう。その上梅子が悪者に? いいえ、悪者なんて私がなればいいだけのこと。必ず跳ね返して見せる。甘ったれるのはもう止め。
 軽蔑されても構わない、こちらから電話した。せいぜいお互いこんな噂に迷惑しているというだけが共通点だった勝負にならない人へ。あんな自己紹介の場で出て来た番号など忘れたけれど、調べ直した。その人に県外エリート校から推薦話が来ていたのは知っていた。私の所へも少しは来た、だったらその人へはもっとたくさん来ている。
 だからこう言った。
「久し振りね、いつぞやはどうもありがとう。お互い高校受験だけれど? そちらは余裕どころかさぞたくさん推薦話が来ているでしょう。その通り、都会のどこかへ行ってエリートしたら」
 相手は無言。
「私、お陰さまでこのあいだ初めて友達が出来たの。そう、あの時の子よ。四六時中一緒にいるの、勉強も一緒してA高へ行くわ。余計な心配などもうしなくて結構よ、またおかしな噂を立てられたら迷惑だからこちらへなんか来ないで頂戴」
 それで電話を切った。
 このことは決して梅子には言わない。どれだけほとぼりが醒めたとしても。梅子に言う? ごめんなさいって。いいえ、そんなことをしたところで梅子はずっと気に病むわ。梅子はそういう人。言った私の気分が軽くなるだけ。
 ひょっとしたら、勝負にならない人は梅子に恋をしたかもしれない。まっさらな、キラキラ光る梅子に。
 けれど全ては梅子の意志。私は梅子を信じる。
 だからこそ今来られては迷惑よ。受験に集中して貰わなくては。
 こんな田舎には中学受験も無い、誰しもこれが人生最初の選抜試験。それは勝手なことを言う人達も誰も彼も。だからもう誰も、勝手なことを言う余裕は無い。
 そう思っていたのに……。

 中学三年になって初めての模擬テストで梅子の成績はぐんと上がった。努力の結果、それはその人だけのもの。これだけは誰も奪えない、それを私はよく知っているわ。梅子は私のお陰、なんて言うけど一緒に勉強した期間なんてほんのわずか。中学三年になったらすぐに受験用の模擬テストが間を置かず開始される。あんな短期間、間違っても私のお陰なんかじゃないのは一目瞭然でしょう? 梅子が努力したの。ああ私、一体今までどうしていたの? 努力なんてしていないじゃない。
 梅子はいつも私を心配して、私にも勉強して勉強してって言うけれど。
 私も負けない。

 そうやって努力して、努力して、……でも私はやっぱり二番だった。それでもまた無意味に先生に呼ばれた。
「とんでもない差だったぞ。二番とは名ばかりだ」
 そんなのは言われなくても分かっている。何度も何度も聞いたわ、もう沢山よ。私が誰より自覚しているのに。
「向こうは全国四十三位だそうだ」
 ──。
 悔しい? 口惜しい? ──いいえ?
 そんな、そんな次元ではなかった。元々一番と二番と言っても管内だけの順位。他人の全国順位を聞いたのはこれが初めてだった、誰のそれを聞いても意味は無かったから。それなのに来るなと言った直後の模試で?
 本当に、勝負にならなかった。
 二番がなに? 一番がなに? 忘れることにしたわ、順位は。ここまで来ればはっきりと憎悪していると思えた。これで間違いなく管外エリート校へ行って下さるでしょう、ひょっとしたらと思ったけどこれでは有り得ない。私と梅子がA高へ行ってももうあんな勝手なことなど言われはしない。噂など確実に無意味なものとなる。
 単にそう思うことにした。

 梅子は自分をいつも卑下して言うけれど、梅子がそんな人じゃないって私が一番よく知っている。梅子はこの一年間で一体どれだけ成績を上げたと思う? 何百番も上げたのよ。それに較べて私は?
 梅子は自分の意志で、自分で歩ける人だって、最初から分かっていた。だから梅子が私と、距離を置きはじめた、そう分かっても。
 私に言えることはなにも無かった、今度こそ。梅子に隠れてあんなことをした私。
 梅子がどう言っても、私は最低人間。

 梅子は梅子の努力だけでA高へ入学した。周囲がどれだけなにをしても、当の本人にやる気がなければ決して結果には結びつかない。それを私は一年間学んだ。二番は確かに変わらずだったけれど、それは県内でのそれ、にもなった。本当に梅子のお陰。
 入学式の時、順位を言われたのは総代だけじゃなかった。私も順位を言われたわ。二番だって。でも高校へ上がると、また二番かとは誰も言わなかった。なにせ来るなと言った一番の人とは勝負にならなかったから。
 あれ程来るなと言ったのにA高へ来た。……ひょっとして?

 梅子はお互いのクラスでちょっと落ち着いてみよう、クラブはちゃんと運動部へ入ってねって。そう言った。寂しかったけれど……梅子の言う通りだわ。おかしな噂を立てられたら、また梅子が酷いことを言われてしまう。そう、私が努力しなければ。
 でも入学式早々梅子があんな時間に私のクラスへ来るなんて。梅子は私のいないところで勝手なことを言われる。勝手なことを言う人は事実を決して信じない、見ようともしない。私はなにも出来なくて、歯噛みしていただけだった。悔しくて、それでも力が足りなくて。また梅子が酷いことを言われたのと思って。梅子はああ言っていたけれど心配で心配で、五限目がおわったすぐに教室を出てF組へ行こうとしたら背後から猛スピードで私を追い抜いて行った人がいた。
 勝負にならない人だった。思わず足を止めて見ていたら、F組へ行っていた。このまま私もF組へ行けばまた勝手なことを言われてしまうと思ってD組へすぐ戻った。
 ……ひょっとして? いいえ、やっぱりあの瞬間、梅子に恋を?
 エリート校へなどいくらでも行けたのに敢えてA高へ。私のクラスへ梅子が来たのは五限目ギリギリ。総代は自分でクラスも言っていた、C組だった。だから私は間違ってもC組へは行かない、そう思っていた。私は廊下側の席だけど、窓際の席へ座っていたなら梅子がこんな時間にD組へ来たのは分かるわ。だから?
 放課後。教室を出て、F組へ行ったら梅子はいなくて、梅子の下駄箱を見ても案の定上履きも下履きも無かった。あったのは自転車だけ、梅子のお家に電話をしてもいなかった。だから学校中探しまわった。やっと電話に出てくれたから、やっぱり気になって、中学の時のように一緒にいようって言ったらやんわり断られたわ……。
「もう高校生なんだから、自分のことはちゃんと自分でする!」
 梅子はいつも自分を卑下するの。こんなわたし、って。こんな、なんて人の言う言葉じゃないわ。……寂しかったけど、梅子の言う通りだった。

 入学二日目。私も自分のことは自分でしようと思ったけど、友達なんかいない。梅子だけだったから。でもそれは梅子も同じ。
 そう思っていたら。
 あの噂、あの噂が突然沸いて出て来た。馴染めないクラスメイトの言葉を拾って、そのクラスメイトが私を見る。嘗め廻すような目付きで──梅子と一緒にいた一年間、ずっと忘れていたのに。
 噂、噂、噂! また!? 否定して、あんなことまでして何故今そんな話が出て来るの!? 私なんかどうでもいい、どうして私になにも言ってくれないの、今度こそ自分で、そう自分のことは自分でする!!
 そう思って教室を飛び出した時私を止めた人がいた。
 私は何一つ言い返せなかった。真実だったから。
 自分のことは自分でする、そう言って本当にそうする梅子。梅子の努力を私が誰よりも知っている。知っていた、梅子は梅子が全然悪く無い噂にも自分で立ち向かっていたことを、それを私は何一つ止められず、私に言って来てくれないからとなにもせず。私には力が無くて、そう思って、解決なんて何一つ出来なかった。
 けれど。
 信じていない? いいえ。それだけは違うわ。
 この人が誰だか知らないけど、私が信じるのは梅子だけ。こんな風に勝手に言ってくる人は幾らでもいたわ。私のことじゃなくて、梅子の悪口を私に言う。勿論いつも否定した、そして信じては貰えなかった。
 もう、こんなこと──
 行ったわ、初めての教室。校舎の違う、つくりの違う教室へ、思いっきり大声を出して、誰より梅子のいる前で、本当のことを言ったわ!!
 私のしたことなんてたかが知れたことだった。ほんとうはごめんなさいと言うべきだった。でも言えなかった。だからそのまま出て行った、とても梅子の所へは行けなかった!
 こんなことは最初からすればよかったのよ、中学の時あのクラスで! 中学校の人数なんて高校のそれに較べれば少ないわ、梅子がやって来たことに較べれば私は? 出来ることなんてもうあったのに、梅子があんな目に遭うまで考えもしなかった!!
 梅子は自分のことをちゃんと自分でして来ていた。落ち着いてみよう、なんて言った自分のクラスの人にきついことを言ってまで初対面の人を逃がして、初めて行った場所で、一クラス四十名の前どころか三学年揃った行ったことも無い学校の校舎の真ん前でその件を一人で収めて帰って、自分に全く関係ないあの酷い噂を全部帳消しにしていた。
 ……力が無いことをこんなに実感したことはなかった。

 その週、金曜日。
 居づらい教室を出て、そうしたらこの学校で行きたい所なんて梅子の所しかない。それで渡り廊下まで出たらその向こうに梅子がいた。私と視線が合ったのに梅子は踵を返して駆け出した。私と隣を見ていた。隣?
 そこには勝負にならない人がいた。
 その瞬間分かったわ。梅子、勝負にならない人に恋をしている。
 勝負にならない人はまたも猛スピードで梅子を追って行った。間違い無いわ、勝負にならない人も梅子に恋をしている。だから私はすぐD組へ戻った。
 まっさらのキラキラ光る梅子。恋をして当然よ。

 合同の話は聞いたけれど、私の耳には入らなかった。梅子と組が別になってしまって、競技なんて適当に書いた。それだけは梅子と同じだった。嘘を書いてもと思ってその通りタイムを書いたらリレーへ出ることになってしまっていた。

 今度こそ私自身のことをなにかしよう。そうは思ったけど思い付かない……そうだわ、運動部へ入ってみよう。梅子は言っていたわ、ちゃんと運動部に入ってねって。考えて、私の意志で入部した。その先は弓道部。いくら梅子が素敵って言っても、テニスのようにあんな格好をするスポーツはもうしたくなかった。正門への坂を下りる途中にある自転車置き場。そこから一人で帰る時、必ず見る弓道部。
 弓を引いているその姿が凜々しかった。これだと思った。自分の意志で決めた。
 梅子に言おう。あ、模試ね。でも梅子なら大丈夫。信じているわ。
 梅子は高校へ入れたのは私のお陰、なんて言っているけれど、そうじゃないわ。でもそんな勝手なことを言う人はいる。大丈夫、梅子の努力が実って梅子はここにいる。私が一緒に勉強をしては、また勝手なことを言われてしまう。梅子の言う通り、梅子は自分のことをちゃんとするわ。見ていてご覧なさい、梅子は梅子の力だけできっと成績を上げるから。
 だからそうね、模試明けに梅子の所へ行ってみよう。

 梅子は朝いつも学校へギリギリに来る。勝手なことを言う人達に朝から酷いことを言われたくないから。月曜の時間割は一限目が生物。この先生の授業はいつもおわるのが早い。だから勝負にならない人よりは先に行ける。ちょっとだけ、部活を始めたと言うだけ。
 久々に行った一年F組。私は自分のクラスにまだ全然馴染めていないけど、梅子はそうではなかった。やっぱり梅子だわ、あの噂だけではなく、クラスみんなの誤解を自分の力で解いていた。私も努力しなければ、そう思っているのだけれど……。
 久し振りに逢って、私が運動部に入ったの、って言ったらとても喜んでくれて。嬉しくて休憩時間ごとに行ったら逆に梅子に心配されてしまった。
「ダメだよ環、ほら、自分のクラスでちゃんと」
 そう、そうなのよね。梅子の言う通りなのは分かっているわ、でも梅子と一緒しているとつい時間を忘れてしまう。ひょっとしたらお邪魔してしまったかも知れない。これでも一限目だけにしようとは思っていたのだけど、つい。駄目ね……。

 梅子は私にそんなことを言わないけど、きっと入学式の日のあの時、お昼以降授業に出ていない。あんな噂で学校を出て行かざるを得なくて、私の力が足りなくて。きっと梅子は学校の先生に酷いことを言われている。学校の先生なんてみんなそう。
 でもやっぱり梅子は私に、へんなことを言われた、なんて言わない。全然言わない。だから逆に、ああなにか言われたんだなって分かったわ。いつも梅子はそう。
 私の出来ることはなに? 努力するのよ。そして梅子に言うの、言えるようになる。
 弓道部で、勉強で、そして……

 あの日、私も恋をした。
 夕暮れも過ぎた、正面に下りる坂を一人歩くあの人に。
 もう夜だった。そんな刻に、視線が合った。

 次の日、水曜日。その時間にあの人は通らなかった。だから木曜日は、気になってしまって部活どころではなかった。
 あの人は坂を下りて来た。時間は一番最初に逢った刻ではなかった。まだ陽が残っていた。あの人はあの時間に下りてくるのではないのかしら。
 あの人は鞄を二つ持っていた。
 その内ひとつはおそらくあの人の分。
 もう一つは飾り気の無い、見たことはある鞄……
 視線は合わなかった。
 ──。

 金曜日は一人ではなく、他の誰かと坂を下りて来ていた。身長が同じくらいの人。梅子じゃない……。
 視線は合わなかった。
 ──。

 私、なにを考えたの──。

 こんな私に、梅子が教室まで来てくれた。そう、梅子はいつもそう。まっさらにキラキラと光って。あの日、梅子は初めて逢ったあの雪の日のようにキラキラと光っていた。
“好きな人が出来たの”
 ──。
“成田斉志、くん、と言って、あのその……”
 ──。

 あん、しん、……してしまった……。
 そのあと私、梅子に言えていた? おめでとうって、そうよ梅子の意志よ。やっぱりあの時思った通り、そう、私は梅子を信じて、
 しん、じて、……。

 その日、五月一日。私の誕生日だった。梅子の大切な告白を聞き、ブレゼントを貰ったその日。放課後部活へ行こうと教室の後ろ扉を開けた。するとほんの近くで扉の鍵を開ける音がした。だから見た。
 あの人が、図書室の隣の部屋へ入って行くのを。
 私はその場に釘付けになって、そうしたらその後から梅子がその部屋へ入って行った。
 ──。
 梅子がその部屋を出て行くまで、誰もその部屋へは入らなかった。
 ──。
 次の日も。
 ──。

 新入部員というのに部活を休んでしまって、それ以降は休むなんて出来なかった。そもそも新入部員は誰よりも早く弓道場へ行かなくてはならない。だからそれ以降は、あの人があの部屋へ来るまで待つことは出来なかった。
 部活が始まればよそ見は出来ない。だから見られるとしたら部活のおわり掛けのあの時間、だけ。
 その刻、梅子を見ることは無かった。
 見るのは、あの人だけだった。一人で……。
 視線が合った。

 私。安心した?
 ──そう。
 そう、私。
 私、梅子に嫉妬している──。

 ゴールデンウィーク明け。月曜日も、火曜日も視線が合った。でも水曜日はあの人の姿を見られなくて、木曜日も。
 あの場所で、なにを?

 金曜日、合同の全体会合でB高へ行った。私には友達なんて親友の梅子しかいない、周りは本当に誰一人として知らない人。知らない場所。
 そこにあの人がいた。
 B高の体育館、青一年は体育館の端。一番遠い所にあの人はいた。三年生が集まっている筈のあの場所に。
 声を。
 声を初めて聞いた。
 視線が合った。
 後はなにも考えられなかった。

 声を。
 声をあの部屋向こうでも聞いた。
 全体会合の翌週、月曜日。
“うーーーめーーーのーーーー、字ィーーーー!!”
 その声はあの刻初めて聞いた刻のそれよりも血が通っていた。なんて、嬉し、そう、に。
 愛、称……?
 次の日も。次の日も次の日も、その週ずっと。
 視線は合った。

 二度目の全体会合ではあの人の姿を見つけられなかった。競技別に分かれるから、そう思っていた。私は結局、折角のお祭り行事だというのに誰も友達なんて出来ない。そんなの梅子しかいない。
 こんな、こんな私に出来ることはなに?
 そう、勉強。
 勝負にならない人との勝負。中間試験。部活は停止となる一週間。
 こんなに集中したことは無かった。
 二番ばかりを取り続けた私でもプライドはある。二番なんていざ大学入試となればなんの意味も無い記号。
 本気で。本気で。本気で。
 高校受験を思い出した。本気を見続けた一年間。
 ──梅子。

 中間試験明けは模試の時のように梅子の所へは行けなかった。こんな私が梅子に逢えるわけがなかった。梅子が好きな人と付き合っているとはっきり分かっていたから、お邪魔したくなかった。
 その週、もうあの声を教室向こうの部屋で聞くことは無かった。部活へは早く行かなくてはいけないから。
 あの声を、もしいつものようにもっと早く部活へ行っていたら、
 聞くことも、
 ──。

 その週、誰より早く弓道場へ向かい、準備をしていると梅子が正門を下りて自転車で帰っていた。
 ──。
 なにを──。
 私はなにを考えたの──。

あの部屋へはもう行かない?

 なんて最低な。
 私、梅子に逢う資格なんてない──。