六月七日 木曜日

 朝、ちんたら起きました。母ちゃんの機嫌が……。
 のん気に遅めの食事をとる。家にいるときは、ちょっとぶかぶかだ、としか思わない室内着、普通の服。もう一回歯を磨いて、そして着替える。
 あまり、言いたくないけど、前の服は体のサイズにあちこち合っていなくて、ちょっと厭だったけど、今回のは全部サイズ合わせをした。自分でも胸以外はよく意識していなかった。ちゃんと合う服というのは着るととっても気分がいい。すっきりする。引き締まる。けど、靴のサイズまで引き締まるとは思わなかった。
 母ちゃんの財布と機嫌も引き締まっていました。ひーえー。
 だから学校へは自転車で行くと言ったのだけど、それでお前、また倒れたら母ちゃんどうするの、と言われまして、泣く泣く父ちゃんの車で学校へ。父ちゃんは助手席に乗れと言った。鞄持ったか、携帯持ったか。財布は持ったか、と確認される。
「持ったよそのくらい」
「ぶっ倒れた時車に荷物全部忘れて行っただろ。帰る時電話の音が鳴りっぱなしだったぞ。しょうがないからさいごは出たー」
 あ、そうか。そうだったなあ。
 父ちゃんから手渡された携帯。いまでもまだ慣れない手つきで着信履歴を見ると、五月三十一日の朝で止まっていた。
 成田くん……。
 胸が痛んだ。合同、成田くん生徒会のひとでもないのに最初からずっと名を列ねていて。
 もちろん成田くんだけじゃない。明美、和子、りう、前野先輩渡辺先輩、そして西川。タカコもあすみも手伝ってて。楽しそうだったのに……ひとり、ぶっ倒れて寝ていた。わたし。
 今更思い出してがっくりうなだれているわたしに、父ちゃんはまた声を掛けた。
「斉君、一等賞を取ったって言っていたぞー」
「へ?」
 一等賞ってなに?
「そう言っていたぞ。父ちゃん詳しくは分からないけどなあー。梅子の友達、みんな楽しくやってたぞ。病院にいっぱい、友達来てなあ。楽しんでくれ、って父ちゃん言ったんだ。お前がほら、倒れてみんな心配しててなあ。斉君、途中で投げそうになってなー。投げないで一等賞取ってくれ、って言ったら取ったって言っていたぞ。お前の友達、いっぱいいたんだなー。みんな心配していたぞ。父ちゃんな、ちょっと感動してな、みんなにちゃんと、梅子の分まで楽しんでくれ、って言っておいたからな。母ちゃん、金が吹っ飛んで怒っていたけど、ちゃんと遊べよ、高校生のうちに。今が一番いい、楽しい時期なんだからな」
 ……。
 父ちゃん、こんなに喋るの、はじめて……かもしれない。

六月七日 木曜日 A高 昼前

 わたしも慣れたものというか、ひとり全く違った時間に登校するというのは、もうさすがに度胸がついたというかなんというか。正門からの坂を上がる時、体力は落ちたけど体は軽かった。服がちゃんと合っていて気持ちいい。あんまりそういうの、なかったから。これはバイトして、服とか揃えるのもいいかも。
 母ちゃんは最後はとーーっても怒りながら、でも下着だけはたくさん買って貰えた。ちゃんとこれだけはしなきゃね、って。けど太ったらあんたどうなるか分かっているだろうね、父ちゃんお前に甘いけど、絶対土日働いてもらうからね、とのお達し。ハイ、がんばります……。
 もともと甘いおやつはあんまり食べなかったけど、退院したら全然甘いものを食べるという気がしなくなった。食事も、うす味が好きだし、ごはんはお茶碗に少なめ一杯で丁度いい。あんまり食べないのもなんだし、運動不足がたたっているのは間違いないから、ちゃんと自転車で来よう。しばらくは無理だけど。
 とにかくまず職員室だ! わたしは常連さんなのだ!
 かくしてなんの気負いもなく、まるで教室の扉を開けるがごとくさくっと職員室扉を開けた。
「おお、斉藤。もういいのか」
 毎度お馴染み副担の席へ寄って行くと、副担は自分の席を立ってそこをわたしにすすめてくれた。なんだかこそばゆい。
「あ、……はい。毎度御迷惑をお掛けしています。今度はほんとに長く休んでしまって。なんかもうお詫び」
「ああそんなのはいいぞ。先生も病院へ行ったからな」
「……そう、なんですか……? ありがとうございます……」
 なんだか、……すごく照れる。
「斉藤頑張ったからな。疲れが出たんだろう。随分痩せたな。真っ白になってまあ」
 そう言って、わたしを机から少し離すと、机下の引き出しから一片の紙を取り出す。横長のもの。
「結構上がったぞ。よかったな」
 それは中間試験の結果で、そういえばずっと忘れていた。順位は二百五十、とあった。
 なんだか、……感動した。
 ありがと西川。うんとお礼を言わなくちゃ。
「あ、そういえばわたしの処分」
「ああ、それなら済んだぞ」
「……は?」
「二週間の生徒指導室掃除。ちゃんとやってもうおわっているだろう。それで処分は済んだ」
「……は?」
「斉藤。よく考えてみろ。二年に進級したとき、ああそういえば一年の時いくつか出られなかった授業があったな、計五回かあ。と」
「……」
「斉藤はかなり派手に五回出なかっただけだ。それで停学、まして退学にさせる学校がどこにある」
「……」
「そんなわけでもういいぞ、ああ、C組は五限目教室移動だ、行ってもいないぞ」
「?」
「先生が言うのもなんだがな、自己管理はきちんとしろ。随分みんな心配していたぞ」
「は、はい……」
「合同の話なら訊きたいやつに訊けよ。合同は生徒の自主運営だからな。先生が言うのはちょっと違うからな」
「……」

六月七日 木曜日 A高 五限目

 西川にお礼を言いに行きたかった。勿論逢いたいひとはいるけれど、教室にいないとかいう情報までいただいたし。いると言われても行かないけど。隣のE組へ行くのは五限目がおわってからにしよう。
 F組の教室後ろ扉をあけて隣の人の隣のわたしの席へ。
 なんか、花瓶が机に置かれてあるかなと思ったけど。さすが高校、ううんこのクラス。ないや。
 いーいクラスだなあ……。
 と感慨に耽りつつさくっと座ると隣の人が驚いたようだった。
「ちょっとちょっとトーコちゃん」
「え、どうしたの坂崎く……」
 隣の人はわたしをなにか厭っっそーーーに指差した。悪かったなー。
「わーっっっ! ウメコちゃん!?」
「あ、あの柊子ちゃん久し振り」
 前の人こと柊子ちゃんはわたしを見て、固まっていたようだった。
 けど授業がその直後に開始されたから、次の句は聞けなかった。

六月七日 木曜日 A高 五限目おわりの休憩時間

 ちゃんと授業に集中。けどやっぱり休んでいた間授業は進んでいて、これはまた苦労しそうだなと思った。そうだ、隣。E組へ行かなきゃ。
 わたしは、阿っちゃんとか、実はこのクラスのひとであるサッカー部くんへ挨拶をするということも忘れ、勿論前の人隣の人へもだったけど、さっぱり忘れて授業がおわるとすぐに席を立って後ろ扉を開けて隣の教室へ行った。
 E組の前扉からちらりと顔を出す。
 E組もF組も旧校舎だから、教室のつくりは大体おなじ。けれどやっぱり、ほかの空間。
 どのあたりにいるかな西川、と思ったら。教室のど真ん中にいるではないか。真ん中の列、真ん中あたり。なかなか分かりやすい配置。体格がいいから、頭ひとつぴょこんと出ているような感じ。
 ちょっと失礼してE組内へ。ひとまず近くまで寄った。
「……!!」
 やつはわたしを見てうんと驚いたようだった。声が出ていない。まあ珍しい。
「あ」
 のね西川、と言おうとしたら、やつは大慌てで人さし指を立てて唇に付ける、万国共通のポーズをした。なに、静かにしろ。はい分かりました。
 そして西川は、大袈裟なくらい両手を使ってゼスチャーをしまくる。
 まあ大体分かるので……なになに。とにかく喋るな。はい分かりました。部活のノリだな。部室で……西川、さかんに新校舎を指差す。OK? ……あとは左手の人さし指と親指でマルを作った。
 ふんふん……なにか事情があるのだろう、わたしはE組の生徒じゃなし、話はすべて部室で言え、ということなんだ。
 あとはしっしっ、というジェスチャーのみでわたしの方を見ない。
 まあ大体分かったから、頷いてそのままE組を辞した。

六月七日 木曜日 A高一年E組廊下 五限目おわりの休憩時間

 学校内で、ありふれた携帯電話による会話があった。彼らのそれはこんな内容だった。
「お、お、お前の来た!! さっきここに」
 焦って電話を掛けているのは西川遼太郎。
「……!」
 驚いて電話を受けているのが成田斉志。
「そんなの知らねェよ、おぉぉ俺のせいじゃねェ、なにも喋っていねェって!! っだーーー喚くなそんなに!!」
 斉志は遼太郎が耳を携帯から離すほどわめき散らしたようだった。
 斉志の周りの人間は一体どう思っただろうか。一応、斉志は曰くつきの後ろの席の奴には聴こえぬよう、教室内から廊下に移動して喋ってはいる。
「あー分かった分かった、一応返せよ、しょうがねェ、あんまりその」
 遼太郎も廊下に出て、必死になって小声で掛けていた。周りに人がいるので、あまり直接表現は出来ない。
「と、とにかく防音には気をつけろ……」