五月十日 木曜日 昼

 昨日、西川には部活を休んでいいとは言われたけど、ちょっと頼みがあった。西川とは学校が同じなんだから直接お願いしたかった。ちょっと電話では言いづらい。
 お昼、ご飯を食べる前に隣のE組を覗いてみた。いつかのB組のときと同じように、知らない空間。
 ……けど、いなかった。屋上かな。
 屋上にもいなかった。これはお昼抜きだなあ。
 あとは部室しかない。時間を時計で気にしながら、渡り廊下を新校舎へ。C組は見ないようにして、部室の扉をノックした。
 ……いた。
「西川」
「おー、梅の字。どした」
 思った通り。放課後と同じように、モニターに向かっていた。ただし今日は打ち込み作業をしていない。
「お邪魔してごめん。昨日はどうもありがとう。タイミングぴったりだった」
「そうか。いや傑作だった。あの野郎、花束持ってほほ染めてんでやんの」
「いやーあのー、わたしも真っ赤になったよ……」
「そいつぁいいんだ。で、用は」
「うん。今日、部活休んでいいって言われたけど、出るよ。全然、まともにやっていないし。大丈夫、今日はちゃんと集中するから。今、邪魔しちゃっててなんだけど、今度からもうしない」
「あー、今日は部活ごと休みなんだ。俺も放課後はすぐ引ける。そうか、それ言いに来たならすれ違いにならんでよかった。昨日言えばよかったな」
「あ、ううん、それはいい。あの、ただちょっと、西川にお願いがあって」
「頼み? なんだ?」
「あ、うん、ちょっと今はもう時間がない」
「俺、今日放課後時間ねェぞ」
「あ、そうか」
「……なんだ。言えよ。気になるだろうが」
「うん……」
「おし、五分だけ体空けとく。放課後速攻でここへ来い。いいな、遅れるなよ」
「うん、ありがとう西川」
「んじゃ行くべ教室。マジ今日時間ねェからな、迷うなよ。はっきりしろ、ちゃんと考えとけ」
「うん、そうする」

五月十日 木曜 放課後

 速攻で来いとは言っても、わたしと西川は隣のクラス。教室を出るタイミングが同じだった。一緒に渡り廊下を歩いて部室へ。隣に並ぶことはしないでおいた。
「で、ホレなんだ今言えさっさとしろ」
 西川は本当に時間がないらしく、部室に入っても鍵と鞄は持ったまま。まあいいや。扉はちゃんと閉めてあるし。わたしは自分の鞄は置いて、西川に近付き、
「じゃ、失礼します」
 抱きついた。

 うん、やっぱり同じ体格。においは違う。
 昨日、成田くんと結局……仲直り、というのかな、なんかさいごはとんでもないことになったけど、出来たのだけど。やっぱりまだなんか、怖い。
 あのときは緊急事態と言うかなんというか、で成田くんを抱きとめられはしたものの、多分、抱き締め返されたら、怖くて震えた。
 いまだってそう。成田くんに触れられたら、多分逃げてしまう。
 せっかく、あんなふうになったのに。いざ、というとき逃げてしまったら……そんなのは厭。
 もうカットバンの類いは全部外せてある。躯も、もう大丈夫。
 だから西川に協力してもらうことにした。
 西川なら恐いことないし。こうして二人きりになっても、昨日とは違ってびくつかないし。ちゃんと抱き締めてみる。ちゃんと気持ちをこめて。うん、出来る。
 問題は成田くんが、わたしを嫌っていないかどうか、だったんだけど……。だったんだけど、あの花束……成田くんに勝とうとか全然思っていないけれど、あれには負けた。だから思考が成田くん化しているのを承知で。土曜日、逢いに行く。多分、そうなる。その時わたしが成田くんを拒否してしまうのがこわかった。絶対震えたくない。けどわたしの躯は血で刻み付けられてしまったので、いざとなるとどうなるか分からない。だからこうしているのだけど……。
 あれ、そういえばわたし、このこと西川に言ったっけ……?
「五分」
 西川はそう言ってわたしの腕を振り解くと、部室の鍵をわたしに押し付け、部室の戸を開け廊下へと走って出て行った。
 脚、長いけど速くもあるらしくて、ばびゅーんとあっという間に行ってしまった。らしい。
 結局状況説明をなにひとつしてなかった、ということに気付いたけど。
「まあ、いいか……」
 時間がないというからには明日言おう。そう思って部室を出て鍵を閉めた。この鍵どこへ返せばいいのかな? 職員室、だと思うけど。

五月十日 木曜日 夕刻 斉志自宅

 先程からものも言わず制服スカートのまま馬乗りになって、倒した相手を殴りつけているのは佐々木明美。歯を防御することなく無抵抗のままで殴られ続けているのは成田斉志。
 ここは斉志の家、居間のソファの上。向いでは西川遼太郎がこちらは黙って座って酒をかっくらっていた。手酌ですらなくラッパ飲み。目の前の行状を見ることもなく、まるでひとりの世界に閉じこもってしまったかのように。テーブルの上の一升瓶は残り僅かしかない。
 明美が、疲れたのではなく根負けするかのように斉志から離れ、ソファの上から床へ殴り落とす。パンツが見えそうなくらいどんがり勢いを付けてソファに座ってテーブルの上の一升瓶を握り締めそのままかっくらった。
「ちょっと! 酒ねぇ! 持ってこいクソ成田!」
 自分が転がした相手を蹴り上げる。斉志は黙って起き上がると台所へ向った。
「ったくてめェはよぉ……」
 明美が咽をならし、斉志が持って来たばかりの一升瓶をあおると瓶をテーブルにドンと置き、口元を乱暴に拭う。
 斉志は、というと、ちゃっかりソファに座ってはいる。が、一人一辺。三人とも間違っても隣に並んで座って酌などしたりしない。
「言い訳くらいしな! ちったァ抵抗しろっつーか、全然効いていないか、クソ……あたしァ本気なんだってえの……」
 明美、さすがに呂律が回らないようだ。遼太郎が立ち上がって台所に行き、自分が空けた一升瓶に水を入れ、冷蔵庫から取り出して来たらしい氷をありったけボールに入れて持って来た。手には大きなグラス二個。取っ手も付いていない。
 明美は遼太郎からそれを奪うと、自分で氷水にして一気にあおった。
「あたしは泣かせるなと言った筈だ」
 遼太郎も氷水にして飲む。
「顔に、血ィこびり付いていた。それで駅構内でひとり泣いていた。スプラッタじゃないんだ。聞きゃああんた、そんなウメコにプロポーズしに行ったァ? どういうことだ」
「……」
「なにを言い包めたんだか、脅したんだか知らないが……そうか、言う気はないか。それでも構わない。あたしからウメコに言って別れさせる。文句は言わせない。何故生理中の女の口を切るような喧嘩をした。あの家はなんだ? 毎回運び込まなきゃならない程ウメコの生理は重いのかよ。しかも二日。おカタい学校でめっさ首の涼しい学生が昨日今日まで学校を休み。言えよそろそろ。ボクの女を泣かせちゃったから三番駅へ迎えに行ってどこかの家へ連れて行け? 命令もいい加減にしろ」
「……」
「強姦が女にとってなんだか知っているのか」
 これは遼太郎。
「……殺人」
「聞こえてんじゃねェか。なんとか言えよ他にも。なにが生理だ鬼畜野郎。舞い上がってんじゃねェ」
「……俺が訊きたいくらいだ」
「はァ!? なにをさ。……強姦って、なんだ……」
 明美は、いやな予感に中腰になった。
「説明、する……だから俺に教えて欲しい。何故梅子があんなことを言ったのか。教えてくれないか……」

 明美は斉志をソファから再び蹴り落とし、今度は拳を使わず足で攻めた。遼太郎は、しかし戦線に参加しない。明美は顔・頭・腹、斉志のありとあらゆる箇所を蹴り飛ばしたがやはり斉志は無抵抗だった。避けることもせず、目を瞑ってただされるがまま。
「死ねよクズ」
 明美は斉志の胸ぐらをつかみあげ立ち上がり、自分の鎖骨の高さまでそれを持っていく。床のところから男の体重を、であるので、明美の腕力の強さが知れた。
「あたしは面も成績も興味はない。まさかそれがいいと思い込めてりゃそうじゃない人間になにをしてもいいと思っているのか。今すぐ死ね。死んで詫びろ」
 口元は再び切れている。血を拭うことはしない。
 斉志は明美に電話した五月四日、梅子を血まみれにしたことを言った。その前後はまだ言ってはいなかったが明美が斉志を殴るには充分だ。
「強姦話はもういい、前後の事情を説明しろ」
 遼太郎が口を挟む。
「いいわけあるか!!」
 明美がハラの底から叫んだ。
「俺もよくないがアケ、話が進まん。とどめは全部ゲロの後だ」
「……キレて……」
「そんなのァ分かっているんだ。なんでキレた?」
 明美は斉志を殴り、もといたソファに押し落とす。遼太郎はもう一度台所へ行って空いた一升瓶にふたたび水を充たすと、居間に戻ってテーブルの上に置いた。あらたに持って来たグラスに水をそそぎ、それを斉志の前に置いた。斉志は沁みる口の中を構わず飲み干す。
 明美、遼太郎共にソファに腰深く座り、腕組みをして斉志の言葉を待った。