五月六日 日曜日

 三番駅まで来た明美の姿を見止めると、もう意識が持たなかった。崩れ落ちるのが分かった。けどもう止められない。ずっと泣いていて、明美はけれど驚く程早く来てくれて、安心して、それで……。

 気が付くと、明美の顔が目の前にあった。
 ここが駅でないことはすぐに分かった。なにかの──家?
「ここ、あたしの家」
 明美がにっこり笑ってわたしを見る。わたしはお布団の中、眠らされていた。
「あんた背ぇ低いから、あ、それあたしのパジャマね。ちとデカイけどさ。あんた三番駅でグースカ眠っちまったんだよ。でェ、家まで連れて来て。ずっと寝ていたんだよ。今日は日曜日、時間は午後一時。場所・A市北はずれのあたしの家二階」
 じゃあ丸二日寝ていたんだ。そんなに……。
 明美のおうち。六畳一間。はっきり言おう。……きたない。明美、ちょっとは掃除したらどうよ。
「いっやー悪ィ悪ィ部屋汚くてさ。まっあんたの部屋ほどじゃないべ?」
「ちょっと、これと較べないでよ」
「じゃあ、ホレ」
 風呂敷包みを渡される。
「あんたの服。あー大丈夫大丈夫、ちゃんと洗ってアイロンを掛けてあるから。悪いけどあんた起きないもんだからさ、服脱がせて、あ・あたしがだよ、パジャマ着せて寝かせちゃった。すげー、グースカなんだもん。熟睡」
 ……わたし、ショーツにナプキン付けていた……体中、拭っても血だらけ。明美、見た、よね……。
「んっと、やー女同士でもちと言いづらいなー……あんた今生理でしょ? まーその辺はホレ、上手くやったからさ。ぱんつだけおろしたての、あたしの穿かせてあるから。頼むから恨むなよ」
「……ううん、そんなことない。ごめん、ありがとう……」
「あんたの家には、もうあたしから連絡を入れといたからさ。ほら、このあいだあんたの家へ行ったべ? で、あんたの父ちゃん母ちゃんあたしのことを覚えていてさ、あっそうですかー不肖の娘が世話になりますとか言っていたよ」
「そっか……明美、ごめんね、なにからなにまで……」
「なにを言っているんだよ。大丈夫なら、着替えな。下で待っている」
「……うん、ありがとう」
 明美が引き戸を閉めて出て行く。窓の外を見る。
 日の光が、一昨日感じたのと同じくらいだった。ほんとうに丸二日、眠っていたんだ。

 明美が下で待っている。行かなきゃ。けど躯、が……
 ……躯は思った程じゃなかった。いや、痛いのは残っているし、われながら尋常じゃない状況だということもよく分かっているけれど、けど一昨日程じゃない。
 痛みは残っている、けど、随分引いている……そして変にすっきりしている。
 すっきりしていた。
 服に汗はもうまとわりつていなくて、すっきりしていた。これがなにを意味しているか……
 首を振った。……やっぱりまる二日も眠っていると大分回復するものなのかな?
 とにかく、痛みはあってもやけにスッキリ、というかなり変な気分を味わった。

 明美の部屋の姿見を見る。パジャマ──梅子のにおいがする──
 脱ぎ捨てた。目を瞑って。姿見に背を向ける。ショーツだけになる。ナプキンは、されていた。血が少し受け止められていた。うわちゃーいくら女同士とは言え明美ごめん。あー恥ずかしい。明美、背が高いからなー。百七十センチメートルあるとか言っていた。これ、立場逆だったらわたしには無理。
 服を着る──脱がし専門──
 首を振った。さっさか服を着た──さっさか──
 首を振った。厭、って言葉嫌い。
 くつしたを履く時、一昨日ほどじゃない。
 ……おかしい?
 明美の反応。服、服のにおい……洗濯? ……よく分からない。
 いいや、とにかく明美は待っている。
 さいごに、顔を確認した。血は残っていない。けど顔は洗いたい。櫛を借りて──
 首を振った。口の切れているのには、カットバンじゃない、肌色のテープが貼られていた。乳首も同様。乳首と、口。この処置、明美が? それであの反応? 躯の拭い切れない血、痣だってあるのに?
 首を振った。ノーブラだけど、とにかく服を着て下へ階段を下りた。
 怖くて壁に躯を押し付けながら──けど。
 あの時は自分でも、よく歩けたなと思った。そうしなければ、そう思って……けど、……歩けた。ちゃんと。
 生傷を生傷で擦り合わす、ではなくて──

 一階へおりる。明美にもう一度礼を言って、……と思って見わたしたら、いない。
 するとちいさな男の子達がコロコロ、足下に寄って来た。というか、な、何人いるんじゃ!
 ちょっとずつ背の違う男の子達がわらわらと寄って来て、
「ウメ!」
 などと叫ぶ。おっっおんのれはーー!! ウメはないだろ、せめて“子”を付けんかい! こりゃ明美の弟達だな!?
 叫んだ男の子が、
「ウメ、ちょっと来い!」
 とわたしを呼び寄せた。あほうなことにツッコミも入れられずそのまま付いて行くと、居間の隣と思われる、これまた適度に散らかった六畳一間。その真ん中に将棋盤があった。わたしがそこへ向うと他のコロコロも付いて来て、座るとコロコロも座った。とはいえいっときもじっとしとらんなこいつら……。
 一番最後に座ったのが、コロコロとはもう呼べない程大きな背の男の子。とはいえ、中学生になったばかり、かな?
「オレ一太。こいつらは歳の順に二太、三太。以下略で最後が七太」
 く、くだけたお返事ありがとう……というより、そりゃ本名かぃ!?
「あ、あのわたしは、斉藤梅子。はじめまして」
 口が切れているけど、ちゃんと名乗った。
「ほんとはオレ達、本名別にあるんだけど、多分こいつら自分でももう覚えていない」
 いいのか!? いいのかそれで!?
「オレにちょうせんしろ!」
 わたしをウメと呼びつけた、カンで四太(仮)がふんぞり返ってわたしに命令する。
 明美のことも聞けぬまま、わたしの興味というか気は盤上に移った。
 まあ、この展開だと将棋を指せということなんだろうが……自慢じゃないけど将棋は出来ない。
 近所のおじさんに角道を開けることだけは教えられたものの、そこから先は歩を文字どおり一歩も動かせなかった。桂馬が変に飛ぶのだけは面白いんだけど。
 しかしどう見ても、この盤上には“歩”“と”しかないんですけど……
「じゃんけん!」
 は、はさみ将棋か!
 四太(仮)がじゃんけんに勝ち、勝負開始。ありゃー、はさみ将棋ったら勝ち方が決まっているようなもんなんだけど……
 しかし四太(仮)は端の“歩”を一番奥まで動かさない。
 あれ? ひょっとしてこの四太(仮)は、はさみ将棋のなんたるかを知らないな?
「ねえちょっと四太」
「五太!」
 ほとんど分別出来ないがまあいいか。
「失礼、五太。あの、この中で一番強いのは誰?」
「オレ!」
 その背後で一太がぷっと吹き出した。ということは、一太ははさみ将棋の方法は知っているな。
「まあ、じゃあやってみようか」
 わたしは適当なところに“と”を動かす。
 必勝方法をはずして勝負すると、かなり白熱した戦いになるのだ。けどわたしとどっこいじゃああまり日の目はないな五太。悪いけど……。
 勝負はどんな運が功を奏したか、わたしがギリギリで勝ってしまった。
「わー五太、負けてやんのー!」
「弱い、女に負けたー!」
「うるせえー! ウメ、もう一回勝負だ!」
 うっ、これは運が勝負を分けるので、次は自信がないっ。
 とはいえ、お互いの本名も分からなさそうなコロコロお子さまに負けてなるものかー。

 明美もそのご両親も姿が見えないという状況をすっかり忘れ、わたしは久し振りに対等な相手(達)と白熱した勝負を展開した。いやー、こういうのっていいな。
 なんか嬉しかった。うんとうんと楽しかった。見た目と歳はともかく視線は一緒。わたしが笑えばみんな笑って。負けるとみんなして指差して笑って。勝つとその子が嬉しがって。
 ひととおり、二~七太まで勝負をした、と思う。あのね君たち顔が似過ぎて違いが分かりません。 
 最後にわたしと一太くんが勝負して。ちゃんと真剣勝負です。ギリギリで……負けちゃった! 集中力が切れてバタン、キュー。
 そこへ明美が戻ってきた。
「おっ、さっそくやっているな。ウメコ、うちでいま流行ってんの挟み将棋。あんたやり方知っていたんだ?」
「あー、おかえり明美」
 するとコロ太共は一斉におかえり、おかえりの大合唱。いいなーこういうの。
 ──わたしはひとりっ子で……そう言った時、そう、梅子。って、少し寂しそうに──
 首を振る。
「本式の将棋はさっぱりだけどね」
「そう? うちもそれは一太しか出来ないんだよ、あたしもさっぱりでさ」
 明美がどこへ行っていたのかはともかく、所期の目的を思い出し、洗面所を借りることにした。
 冷たい水が気持ちいい──グラス二つ──
 顔を拭く──吐き気がした。

「ウメコ、そろそろ夕方だよー、帰りなー」
「うん、そうする。ありがとね明美、なにからなにまで」
「またそんなことを言ってェー」
 ──帰って──やさしい声で。
 わたしの家へ向う。明美の家の車。座る、という行為が怖かった。
 佐々木家は家族全員で送ってくれた。そう、家族全員車に乗る。ひえー。この人数、絶対なにかやばいんじゃあ。運転席に明美のお父さん、助手席にお母さん。真ん中の座席には左からわたし、明美、一太くん。後部座席と言うか荷台にその太六名。
 見つかるといろいろまずいと思う車は一路西南へ向った。

 わたしの家に着くと、佐々木家は全員車をおりて家の中に殺到した。
「はじめまして、娘の明美がいつも世話になっています」
「いえ、こちらこそ……お邪魔でしたでしょう何日も」
 母親同士の会話を尻目に、二太から七太までわたしの家で走りまくる。
「くぉらーーーっっ! よその家でなにをやっているんだてめえらーーーー!!」
 よその家ことわたしの家で明美の絶叫が響いた。明美って実はとってもお声がいい。よく徹っている。そうか、日々こうやって鍛えているのか……。
 佐々木家のコロ太共をなんとかふたたび車に押し込めた明美と一太くん。子供のことはこの二人にまかせているようで、明美の両親は車の前の座席で子供達が乗るのを待っていた。
 大家族に驚くわたしの両親を背に、わたしは佐々木家の面々を見送った。
 明美は、じゃ! とだけ言うと、大きな車の扉を閉めようとする。
「あ、あの明美!」
「バカウメコ、ちゃんと学校へ行けよ!」
 佐々木明美式颯爽風味で、大家族は嵐のように去って行った。
「いやあ……すげえ友達だなあ梅子」
「でしょ? 楽しかったよ~~」
 もう夕方だった。日暮れ前──ご両親心配しているから──
 そのまま眠った。ご飯なんて見たくなかった。お風呂、こわい。服を脱ぎ捨てる。明美のショーツのままナプキンを取り替え、他はなにも身に纏わず眠った。