四月二十六日 木曜日 放課後

 授業がおわって、教室を出て新校舎のあの部室へ。
 それにしても昨日、先輩に言うは言ったけどあれってなんの解決策にもなっていないんだよなあ。おまけにあの内容、いくらなんでもその通りを西川に言えないし。
 ドアをノック、失礼しますと言って入ると今日は西川がひとりでいた。
「おう。どうだった」
「どうって、まあその。なんていうか」
「随分歯切れの悪ィ返事じゃねえか。いつもの勢いはどうした」
「こういうので勢いがあっても……そ、そういう西川はどうなの」
「俺ァちゃんとお役目果たしたに決まっているだろうが。はっきり確認しろと言ったよ。今日はご両名が来るからな。テメェの首尾、見させて貰うぜ」
「わたしがどうとか言う問題じゃあ……」
 すると西川の宣言通り先輩ふたりが遅れてだけど、部室へ来た。この部屋に四人が揃うなんてあの日以来。
 なんて思っていると……坂上先輩、顔が真っ赤。昨日は、むしろ青ざめてすらいたようだったのに。なにやら言い淀んでいるようで、視線が彷徨っている。じゃあ久保先輩は、というと、どうしたらいいか分からない、そういった表情。
 坂上先輩は随分躊躇って、やっと意を決した、そういう表情になって、どうしたんだろうと思っても問えない後輩ふたりへ向かってはっきり言った。
「生理が来たの」
『……』

 ……ストレートな先輩達ふたりは西川が丁重に帰しました。無言で。
 えー、さくっと解決出来て実によかったと思います。結局わたしはやっぱりなにも出来なかったのだけど実によしとします。

 必然的に部室で、西川とふたりっきりになるのだけど。
 お互い指定席に座ったけれど、無言。気まずいなんてもんじゃないこの場を、西川はさくっと切り出して来た。
「うい」
「ん?」
「そういやテメェ、模試どうだった」
「うっ」
「そうか」
「納得すなァ!」
 くっそー、やけにご丁寧にうんうん頷いてやがる西川め! 分かったような顔をするなー、どうせその通りだよーだ!
「なあ、そしたらばさ。このあいだここへ来たやつ……俺の知り合いなんだ、相棒っていうか。住んでるとこ三軒先でさ。アタマいいぞ。って知っていたか。どだ? 勉強、教えて貰うか?」
「止めてよ」
 冗談でしょう。
「……あ? どうして。いい機会だぞ?」
「止めてよ。あたまいいひと振りまわすの、わたしきらい」
「いや、あーゆう連中ともなるとだな、誰かに教える余裕くらいすげェあるぞ」
「関係ないでしょ西川には」
「そりゃそうだけどさ、ひとの折角の好意をだな」
「関係ない。あたまいいひとは……」
「んあ?」
「そういうひとと……お似合いなのよ」
「……」
「もう部活はじめよ。ほらほら」
「テメェ、今なんて言った」
「え。いやだから部活はじめようって」
「そうじゃねェ。似合いがどうって、なんだ?」
「え?」
「テメェ、差別するのか。成績で。ひと、差別するのか」
「そんなことしない! ただわたしは頭悪いからいいひととは」
「関係ねェだろ!!」
 大きな声。
「テメェ。騒ぎ起こしたときなんて言った。なんて言ったよ!」
「……」
「まあー、最低だな」
「……」
「そんでテメェ……のーのーと部活やるの? したら家帰るの? ひと経由で勝手に自分あれこれ言われるのを嫌っておいて、テメェはどうよ」
「……」
「似合い? んなもん当人の口から直接聞いたのか。僕アタマいいから同じアタマのいいやつしか好きじゃない、とでも?」
「……」
「テメェの友達とやらも、ンなふざけたこと言ってんのか。どうなんだ」
「……」
「ワビ入れして来い」
「……」
「いますぐワビを入れて来い! 直にだ! 斉志は部活に入っていない、運営会議もない。もう家へ帰っている」
「……」
「早く行け、バカ野郎」

 ──駆け出した。

四月二十六日 木曜日 夕刻

 遼太郎は梅子が部室を出て行った後、すぐに斉志へ電話した。
「お前に直接言いたいことがあるってさ。そっちへ向ったから待っていろ」
 斉志の住む家の最寄り駅、三番駅への電車到着時間と、斉志の住所は知っていても実際の場所は分からないだろう梅子に、着いたらひとまず自分の携帯に電話しろと言ってある、と。
「なぜ遼の番号を梅子が知っている」
「先輩の件でだ! いいから黙って待っていろ!」
 ──まったく声が浮かれているんだよ。
 遼太郎は斉志の三軒先たる自宅へは帰らず、学校へ居残ることにした。どんな展開となっても二人の問題だ。邪魔はすまい、そう思って。
 遼太郎から見てればこの手に関してはあの二人、お子さま度はどっこいだが、やはり梅子は斉志を成績その他で避けていた上、似合いがどうのなどと考えていたようだ。まあ分からんでもないがなにせ自分の相棒はそんなことなどどうでもいい。もしそうだったら誰が惚れハレ告白なんざするか。
 ──余計な事ァ考えるなってんだ。
 しばらく作業に没頭した。勿論、左胸ポケットの改造携帯は震えれば必ず出る。それは相棒と二人、絶対の鉄則。最近はなにやら例外ばかりだが、これからはもうないだろう。
 などと考えていると……おや、震えんぞ。梅子が三番駅に着く予定の時間は? ……過ぎている。
「遼、まだか」
 早速過保護な相棒から電話が入る。いつもなら言い返すところだが、想い人から友達だ、もう逢わないだ、なんぞ言われて打つ手無し、それが直で逢えます待っています、な状況だ。遼太郎が持つ改造ではない携帯へ、同じく改造ではない斉志の携帯から電話が入るのは当然だった。確かに遅い。
 だがまだ少し過ぎただけだ。
「ああまだだ。いや、確かに三番駅と言った。あいつだってまさか乗り越しはすまい。それだったらいくらなんでも途中で気付くだろ」
 もう少し待て、それだけ言って電話を切った。
 ──あいつどこに行っているんだ? まさか電車の乗り方や降り方を知らねェとか、そもそも切符の買い方を知らねェとか……いやいやこんなことまで考えていたら過保護な相棒も顔負けだ。第一そうだったらさっさと電話が入っている。
 だがその電話が入らない。……変だ?
「遼」
 十分もしない内に再び斉志から電話が入る。これはなにかのシグナルだ。なにかが起きた、それに気付けというシグナル。同時にそう考える相棒同士。予定到着時刻より十五分経過。言い訳は立つ、そう思い、梅子には遼太郎が斉志へ前もって連絡しておいた、こちらに来ると聞いたが時間が過ぎているので電話したとして、相棒の持つ改造から梅子の携帯へ電話させた。
 ──まァこれで済むな。
 そう思い、作業は再開せず休憩しようとすると、なにかの音がした。
 部室奥の例の、ではない。そこにも、ここにも遼太郎以外誰もいない。だから彼は微動だにせず耳を澄ます。すると等間隔の音が僅かに聞こえた。聞き慣れた振動音。けれど室内が相当静かでなければ聞き取れない音。その音の方向を見る。
 そこにあったのは鞄だった。学生鞄。革の、使い古されてもいなければなんの飾り気もない鞄。
 ──まさか。
 悪いとは思いながら鞄を開ける。中は見ないように、けれど中身を片手で探る。震える物体があった。
 頼む、頼む。そう呟きながらそれを引き出す。
 物体は携帯電話。画面には──成田斉志。
 途端改造を引っ掴み、電話を掛ける。しかし出ない。
 あの時のように、他はなにも見えていなかったろうあの時のように、相棒は今焦燥の面持ちで一向に出ない、いや、出るわけのない改造携帯を握り締めているに違いない。梅子のこの携帯をこちらから切れば逆効果だ、そんな事をしたら間違いなく、相棒の耳にはもうなにも入らなくなる。
 ──出ろ、斉!
 改造にキャッチなど付けてはいない。ちょっと待ってくれなどと言って保留にするような相手ではないのだから。遼太郎も同じように焦燥の面持ちで改造携帯を鳴らし続ける。出ろ、出ろ、速く!
 相棒へ電話して、これだけ長く待たされたのは初めてだった。それでも待つと、なんとか相棒は出た。
「斉! 聞け斉! あいつ鞄を部室に置き忘れていやがった! 悪いが中見た、携帯が入っている!」
「!」
「切るぞ」
 梅子の携帯の終了ボタンを押す。切れた音が、向こうからもした。
「……こっちから連絡が取れない」
 途端二人は梅子から連絡をただ待つ身となった。

 梅子が今携帯を持ってはいないとしても、梅子お得意の公衆から掛ける手、があった。待つことしきり。だが一向に遼太郎の改造携帯は鳴らない。斉志のそれも、梅子のそれも。
 ──あのバカ鞄を忘れて行ったの気付いていねェな。
 しびれを切らすだろう、そう思っているとやはり来た。通常の携帯から相棒の焦る声。
「動くぞ」
「待て斉、お前のところへ行ったんだ、なのに当人が動いてどうする、すれ違いになる。そこにいろ。ああ、これから学校を出る。こっちの駅へ行く、まさかとは思うが一応探してみる」
 遼太郎はそう言って梅子の鞄も引っ掴み、梅子と自分の外靴がある中央階段下へ急いだ。

 数分後、遼太郎はA高最寄りの一番駅へ走って向かっていた。お互いの通常携帯が断続的に鳴りあう。
「遼、いくらなんでもおかしい」
「学校は出たようだ、ああ、下駄箱に内履きがあった。迷ったら電話が来るだろ」
「だからそれが来ないのがおかしいんだ! もう一本通った、その次の電車が三番駅に到着する時刻になる。とにかくこっちの駅へは行く」
「ああ、そうしてくれ」
 遼太郎は念の為にと、梅子が寄る店をぐるりとひと回りしてから斉志へ連絡する。
「いま一番駅へ着いた。道中はいなかった。いや、寄り道なんざしないだろやつのことだから。駅構内には……いやいないな」
 斉志は次の次の便となった電車から降りてくる中にも、また乗り過ごす中にも梅子を見出せない。二人とも、それぞれの駅構内をくまなく探しながら掛けっ放しで連絡を取り合った。
 ──妙だ。待てよ、梅の字は自転車通学。学校から駅までは走ったりバスで行くより自転車の方がいい。とはいえあいつの自転車は見て来なかった、なにせどんなのに乗っているかなんて知らねェ……。
 ……。

『自転車か!』
 相棒二人、同時に叫んだ。
「遼! 梅子の鞄を確認してくれ、財布は!?」
「……って……。ああ、入っていた。鍵束もどきは見当たらん。間違いない、自転車だ」

 斉志の出身校、六中のある街は地形上、A市ではなくB市へ組み込まれる可能性のあった街だ。それより北の四中と二番駅のある街とは距離もあり、途中かなりアップダウンのきつい起伏で遮られている形となりる。トンネルはかろうじて無い程度で、その付近は人家もまばらだ。
 A高から斉志の待つ三番駅までは自転車だと男の足で一時間。ただの一時間ではない。山あり谷あり、とは言わないまでも起伏の激しい道で、だから通学には誰しも自転車ではなく十五分程度の所要時間で済む電車を使う。女の足でなどどれ程掛かるか。
 とうに陽は沈んでいた。
「すまん……てっきり電車を使うもんだと……」
 しかし遼太郎は思い直す。
「オヤジに電話する、車でこっちの駅へ来て貰う! 探しながらそっちへ向かう! お前は戻れ!」
「……」
「斉! 復唱しろ!」
「分かった、家へ戻る。頼む、遼」