四月十七日 火曜日 放課後

 昨日の部活。西川は本当に、あきらかに早めと思われる時刻に
「時間だ」
 と突然言った。終了の合図だった。すぐそうだと分かった。だからただ黙って立ち上がって、失礼しますと言って部室を出た。
 あの背中に、ただ惹かれた。だから今日も。

 渡り廊下を通りすぐ右へ、曲がったらもう西川の姿が見えた。部室に入ってもいない。今からさあ部室に入りますという体勢でもない。その姿は、どう見てもわたしを待ち構えていた。部室扉の外側で、昨日みたいに、ピンと姿勢を伸ばし腕を組んで高い視線から見下ろされまたしても開口一発、
「今週はマイコン部は休部、土曜の模試に備える。仮な部員に反論権はない」
 ……。ないです。あるわけないです。
 だから踵を返してまっすぐ帰った。黙って帰った。
 ──いつか必ず。

四月十七日 火曜日 放課後

 今日の斉志と遼太郎の通話距離は昨日より短かった。よって会話相手はまだ一番駅まで辿り着いていなかった。正確に言うと彼らは二人ともA高校内にいた。
「ご機嫌麗しゅう斉ちゃん」
「……」
「あー、状況を報告する。部室外で今週は休部と言い渡し一言も喋らさんで速攻で帰した。現在時刻、六限目おわって七分経過。文句ァねェだろ」
「……」
「なんだちゃんと監視してやっただろうが。大体なァ、コキ使われてやった挙げ句イチイチこんなことをさせやがって、人遣いが荒いなんちゅーもんじゃねェぞ斉、もうこんなのやらねェからなってもう切れてら……」
 電話はすでに切れていた。

四月二十一日 土曜日 全国模試

 やっとおわったあ!

四月二十一日 土曜日 放課後

 模試明け当日の放課後、一年F組。
 ひとり、机に座ったままうっとりと開放感に浸る……ああ……いいもんだわ……。
 隣の坂崎も前の柊子ちゃんももう席を立ち、帰るなり部活へ出るなりしていた。
 すると、教室前扉がガラリと開け放たれた。そこへA高生とは制服が違う女生徒が立っていた。忘れもしない、D高のもの。
 明美が腰に手を当ててわたしを見据えた。まったくサマになるやつ。
「よっ」
「よっ」
 お互い手を上げた。先日のことがあってちょっと照れくさい。
 このあいだ聞いたけど、工業高校のC高と農業高校のD高は全国模試がない。なのに明美は制服姿で他校にいる。ということは、きっと合同のなにかが今日A高であるんだろう。忙しいやつをとっつかまえてどうの、というのは西川でも遠慮したので明美ならばさもありなん。けど1Fでなにかをするわけない。どうしたのかと思っていると、明美がそばまで寄って来た。
「ウメコ」
「なに?」
 明美が、隣の人こと坂崎君の席に座る。
「どうだった? 全国模試とやら」
「うっ」
 答えに詰まる。
「まあ、あたしなんかはそれ、受けないクチだから、あんたに偉そうに言えた義理じゃないけどさ。やっぱ難しい?」
「そりゃそうだよー……」
 英国数の三教科。それだけだ、などと言うなかれ。
 わたしが試験のことを言うのを躊躇っていると、明美の方から別な話題に切り替えてくれた。ほっ。
 けど明美、わざわざこんなことを話すために、休みの日に他校へ制服で来たりするものかな? そう思って、明美に言った。
「ところで明美。わたしに用だったの?」
「そりゃ当然。……おっと、ちょうどいいな」
 わたしがハテナマークを浮かべているその時、明美の携帯から着信音がした。折りたたみ式の携帯を開いて、画面を見てなにやら確認する明美。
「ちょい来てよ」
 明美ががたんと席を立った。
「? どこへ?」
「あたしここ不案内なんだよ。一緒に来て」
 明美がわたしの腕を引っ張り、F組の後ろ扉から出ようとする。不案内といえば、そう言えば……。
「ああ……そういやお祭りの要綱にそう書いてあったなあ」
「そゆこと。では連れて行きな」
「どこへ?」
「生徒会室」
「……は? 運営の場所でしょそれ。明美、何回か行っているでしょう」
「文句言わないで行く」
「ひょっとして、迷った上に無駄話していたわけ?」
「人聞きが悪いなウメコ。無駄話じゃなくて世間話。あたしは運営会議の予定開始時間より早く来過ぎたからこうしていただけさ。さ、迷子の他校生にはどうするんだっけ?」
「そりゃ、それも書いてあったけど……」
「そうそう。ほら早く」
「まったくもうしょうがないなあ……」
「文句言わない」
「はい」
 今日運営会議があるということは……ひょっとして西川、またあの名称不定の部室にいるかも? 行ってみようかな、どうせ今日はもう予定ないし……。

 教室をわたしと明美、二人で出る。
「明美、靴は?」
「この階段下」
 見れば靴下のままスリッパも引っ掛けていない。まったくもう、と思いながら鞄を持って、中央階段下の下駄箱へ明美を伴って行った。
 お互い外履きに履き替えて、生徒会室へ向う。下駄箱を右に出て、第一体育館への渡り廊下を通って旧校舎裏手へ。少し歩くとすぐに生徒会室が見える。
「ほら、着いたよ。ここまで来ればもういいでしょう」
「冷たいなーウメコ。あたしはひとりで入るの怖いんだヨ」
「なにを言っているんだか……」
 しょうがないから、生徒会室扉をノックしてやった。
 この建物は生徒会室用専用で、わたしのように関係のない一般生徒はせいぜい前を通り過ぎるだけ。
「ちょっと扉くらい開けてよ明美」
「おっけ~~~」
 そしてやつはガラリと扉を勢いよく開けた。なにが怖いんだヨ、だ!
「というわけで! アッタ~シぃのー、ダチを紹介しまァ~す!」
 ちょっと待て! なんでそういう話になるの! ここは学校探検しまくったわたしとて入ってはいない、かなりおっかない、縁のない場所なのだぞ!!
「あああ明美! あのねわたしはただ案内を」
「こいつが例のD高殴り込み事件を起こした張本人、斉藤梅子、いちねん!」
「あーのねー……」
 そこまで言われてはもう抵抗出来なかった。
 わたしは生徒会室の、開け放たれた扉の内に手招かれ、室内のひととなった。

 眼前にいるのは六人。
 こちらから見て右端から眼鏡の女生徒。その左隣が多分、うちの学校の生徒会長。左端から女生徒、男子生徒が二人。そしてこの部屋の真ん中に座っているのが、先週会ったきりのひと。少し長めの黒髪、眼鏡、長身で足も長くて、うつむいていてこちらを見ない。
 そういえばここにいても不思議じゃない、ここへ来るまで考えもしなかった。
「初めまして斉藤さん……私は森下和子。ウメコさん……でよろしい?」
「あ・は・はい」
 つい、ボケっと突っ立っていたわたしに話し掛けてくれたひとは、右端のB高の制服を着た眼鏡の女生徒。
「私のことは……和子でいいわ?」
『ヘ?』
 わたしはなにも知らなかった。このひとがB高が誇る才媛であるとか、校長先生の椅子にどんがり座っちゃっても文句は言われないとか、この場の誰も名前で呼ぶことを許されていないだとか、こんなことはどこの誰にも言ってはいない筈だと言うことも。
「森下女史だなんて言われているけれど……私のことは和子。それだけでいいの。呼んで?」
「か・か・か、ず、こ」
「かかかずこではないけれど。まあ……いいわ」
 くす、と和子……は笑った。なぜかちら、と成田くんを見ているけれど。なぜそこまで艶然と笑える。一・二歳程度しか違わない、筈じゃあ。
「僕は横島茂」
「は、はじめまして横島先輩」
 これ以上センパイを呼び捨てはかなわんと思い、先手を打った。ヘタだけど。校章で分かったけど、同じA高の制服を着た、思った通り生徒会長。身長は百七十センチメートル……? くらい。短髪の、一見爽やかそうな外見に、そうでない笑顔を浮かべている。
「僕は前野勇。いさむちゃんと呼ぶのだけは勘弁して欲しいんだ」
「は、はい……前野先輩」
 聞いたことある、この名前。竹宮くんが言っていた。C高生なんだろうけど、管内の男子生徒はみんな詰め襟だから一見しては分からない。校章でも見ないと分からない。このひとも生徒会長。うう、生徒会長なんてお偉いひと三連発……そうだった、ここは運営、そうなんだ。横島先輩よりは少し背が高く、誰がどう見ても気弱そうでかつ人のよさそうな笑顔。目が細い。
「渡辺和彦。これは藤代りう」
「ふふ。女同士のよしみね。わたし“は”りうと呼んでね?」
 な、なにか予防線を張られたような……
 E高の生徒会長さんと副会長さん。管内の女子生徒の制服はもちろん全部違う、E高のそれがA高と一番形が近い。こちらは女子でも紺のネクタイ、むこうは青いリボン。
「は、はい。はじめまして渡辺先輩。りう先輩」
「りうだけでいいのよ。なにか付けると“りゅう”という発音になってしまって嫌いなの」
「は、はい……り、りう」
 渡辺先輩は体格のがっしりしたひと。成田くんだけがこの場で席を立っていないけど、成田くんよりは身長が低いというのは分かる。
 りう……は、本当に清楚なひと。サラっとしたボブカットが似合う。瞳の力が強い。一見して先輩と分かる。
「で! あったしーは佐々木明美! ハジメマシテ、ウ・メ・コ」
「あのね……」
 佐々木明美は背がデカい。百七十センチメートルはある。本人の性格通りのきっぱりショート・カット。似合います。
「で、こっちが」
 横島先輩が右手でさす人物。
「あ、そのひとならもう知っています。おなじ一年の」
 なるべくそちらを見ないで言った。
「そう。なら話は早いな」
「はい。友達で」
「まあ……そうなの」
「はい。あ、あのそれで、わたし、お時間をこれ以上割かせるのは申し訳ないので、これで」
「ちょっとーそんな冷たいこと言うなよウメコ。ちょっとはあたしに付き合いな」
「もう充分付き合ったって!」
「そんなこと言わないでさー」
 わたしが明美と押し問答している脇で、横島先輩が成田くんをつついていた。
“なにをしている成田。自分の名前くらい名乗れないか”
“冷たいんじゃない? ……成田”
 和子が、ぽそっと言っている。それにも無反応。
 そして明美が。わたしに笑いかけながら。
“無視されるってさ──”
 視線でそうわたしに言っている。
“ツラいんだよ、ウメコ”
 うつむいてこちらを見ないひと。なにも話さず、わたしと視線を合わせることもなく。
 こんなことは初めてだった。会えば、いつもあの瞳。
 話せばやさしい声で──よく徹る低い声で、
 好きだ。
 好きだ。
 好きだ。
 好きだ。
 好きだ……

 一度もわたしを見ないで、ずっと黙っていた。
 明美に、用事があるからと言って生徒会室を早々に辞した。