三井素子は焦っていた。
「だって、そんな……」
 好きな人に彼女がいたらどうするの?

2

 近所なのは分かっている。電話をすればいいとも。でも、逢って話をしたかった。
「あんたはそんなだから。彼女どころか奥さんがいてもおかしくない歳の人なんでしょう?」
 ぐっと堪える素子。
「一度家に行ったもの。あの人しかいなかったもの」
「実家に行っていただけだったりして」
 ぐっと詰まらされる。
「しかも、臨月で実家に里帰りとか……」
「ゆ、有給休暇を取得させていただきます!」
 有給どころか世間は連休中、本来警察官なら休みなど取れないところだ。
「人の恋路を邪魔するんですか、かちょー!」
 素子の同期の友達は面白がって課長に楯突いた。警察署で課長とくれば警視だ。巡査の素子達にとっては雲の上の階級である。でもなんとなく親しみやすかった。
 素子はなんとか休暇を取得出来た。嫁き遅れになるなよと課長は孫の心配をするように言った。

 四月二十九日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
 四月三十日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
「すみません有給をください!」
 言い切って電話をぶっつり切った。
 五月一日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
「すみません連休中は有給をください!」
 言い切って電話をぶっつり切った。
 五月二日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
 四日間にわたった攻防の末、さすがの素子も考えた。佐藤さんは普通のサラリーマンじゃない。
 三回にわたって見知らぬ他人(未成年)に百万円オーバーのお金をぽんと差し出した。あの時から気付いていないわけではなかった。
「素子、上手くいった?」
 友達から電話が来る。
「……家にいないの」
「電話にも出ないの?」
「電話をしていない」
「なんで?」
「だって、逢って話をしたいじゃない?」
「あんたはそれだから二浪もしたのよ」
「……泣きたい」
「今すぐ電話をしなさいよ! じゃね」
 電話を切られる。あと三日間しかない。
 友達には言っていない、名刺に書いてある企業名。一部上場の大企業。
 素子は知らない。所属する営業一課とは精鋭中の精鋭、エース揃いの花形達だということを。

 五月三日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
 五月四日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
「……どうしよ」
 どうしてかたくなに電話をしないのか。タイミングを失ったからだ。もとは合格したその日に言えば良かった。喜色満面の声で掛ければ祝って貰えたかもしれないのに。でもまさか受かるなんて。現実を受け止め切れなくてつい疑った。そうよ採用の書類が来るまでは。来たら来たで、これがあの有名な警察学校の案内書かと。
 いいことだったのに。落ちたと言うより楽だったはずなのに。
 なぜ言えなかったのだろう……甘えるなと言われたくなくて。
 だから、軌道に乗ってからと……

 五月五日、玄関のチャイムを鳴らす。出ない。
「はぁ……」
 指折り数えて一週間も戻らない。こんなことは以前にもあった。
 まさか家族旅行を……している?
「ハーイ……」
 その時、ドアが開かれた。

 胸を張って訊いたつもりだ。なんとなく、奥さんがいますかとは訊きたくなかった。言われてしまえばお終いだ。でも、彼女はいないけど奥さんはいますという意味かもしれない。
「手も握っていないのに……」
 佐藤がなにかをつぶやいている。よく聞き取れない。
「佐藤さん、あの、私」
「ハ、ハイ」
 気持ちがどこかに飛んで行ってしまっているような返事だった。
「今休暇中で……この服、本当は着れないんです。帰って着替えて来ます」
「アッハイ」
 あきらかに歳上で、自分で自分をおじさんという佐藤がなぜか敬語。よく分からなかったが見つかったらただでは済まないので素子はすぐさま家に帰った。また来ますと言わないで。
 なので、佐藤はボケっと惚けていた。このうららかな天気がそうさせるのか。春の夢か、砂上の城か。
 急いだのだから、すぐに素子は戻って来た。今度はしゃんとした春スーツで。
 最初に逢った高校二年生の頃、素子はお化粧なんてしていなかった。今はばっちり決めている。佐藤にそれが分かっただろうか。
 分かって欲しい。逢いたくて選んだ服、いつもと違う口紅。
「佐藤さんっ」
 玄関をちゃんと閉めて来たつもりだから、とって返した素子はもう一度玄関のチャイムを鳴らした。
「ハイッッッッ!」
 佐藤はすぐに出た。まだ惚けた顔をしていた。
 どうだろう。どう見られているだろう、ちゃんとした社会人には。
 私のお化粧、服……通用、する?
「……きれいだ」
 新米巡査の素子は、全てが報われたと思った。

 今日は休みですかと素子は訊かれた。今日どころか一週間も休んで、明日からは怒濤の?連出勤ですよとは言えなかった。
「え、と。今日のほかは、しばらく休みはないんです。ほらっ、警察官ですしっ」
 言えない素子は正解だけを述べた。
「なら、……今日、デートをしませんか。いつもの「椿」だけじゃなくて……」
 素子は天にも昇る気分だった。
 その日、なにをしたかはいちいち語るまい。翌日両名は花を咲かせて出勤をし、全員に春が来たと知らしめた。

「それで、招待状はいつですか係長」
 むっつりと座る佐藤は係内で戦友に訊かれた。皆が知りたいことだった。
「……」
 佐藤は答えなかった。最初はむっつり。しかし途中から顔がニヤけた。
「うわぁ……数年前だったら淫行で逮捕されている顔ですよ係長。やめてください」
 気難しい係長の顔をしようとして見事失敗する佐藤。
「最低でも顧客、上司、課内全員に手書きで出すんですよ、皆スケジュール調整が大変なんですから。係長聞いています?」
 まさか言えない──招待状どころかただそこらを一緒に並んで歩いているだけで、手も繋いでいないなんて。

「どうしよう俺……」
 佐藤はボロの一軒家で、ビシっとスーツを決めて独り言を言った。もうすぐ時間だ、愛する素子の非番に合わせ、一所懸命スケジュール調整をしてせっかくのデートなのだ。あと一時間なのだ。
「ひょっとしてこの先ずっと……手も握れないのか?」
 素子は輝いていた。まぶしくて眩しくて……なにも出来ないのだ。
 おじさん、いや、オッサン特有の、この激しく深い妄想。
 こんなことやあんなことを、前途ある若者にひとつでもやったら最後、淫行だ。いや、サヨナラだ。
「おじさんキタナイ、サヨナラっっ!」
 そう言われてお終いだ。
 佐藤はビビっていた。自分の歳に。相手の歳に。

 かわって素子はとても機嫌が良かった。理由はひとつ、若過ぎて子供で、オッサンのような妄想などしていないからである。
 忙しかろう好きな人が自分に合わせてデートをしてくれる。好きな人はとても素直だ。署内によくいるいじわるジジイとはまるで違う。自分の望み通り、言葉通り、思う通り言ってくれる。振る舞ってくれる。
 とても紳士だ。好きになって良かった、助けて貰って良かった。素子は心からそう思った。それが佐藤にはまぶし過ぎると思われているとも知らず。

 佐藤の電話にいやな相手から連絡が来たのは素子の非番の日ではなかった。まるでそこまで調べているかのように掛かって来た。
「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」
「ありきたりなオヤジギャグを課内で言うな佐藤。悩みがあるだろう、言え」
「いやです」
「やはりあるな。ないならないと答えるはずだ」
 クソオヤジめ。
 そりゃあ分かられるはずである。佐藤の歳ではのんきにデートだけをしていればいいというものではない。ボロ一軒家から引っ越しすべきだから、マイホームがどうのと浮かれて課内で喋り出すだろうし、ウェディングドレスがどうのと浮かれて喋り出すだろうからである。こういう行動に出た者は課内に多くいた。経験者は語る、である。
 電話を掛けて来たひょっとこ元係長とてそのうちの一人だ。
「いつもの場所でヒトナナマルマル。来いよ、洗いざらいぶちまけて貰う」
「やなこった!!」
 叫んだ佐藤を課内の者達はそっとしておいた。さすがは歴戦の戦士達である。

「ヒトナナマルマルって……退勤と同時に来いってか」
「来たじゃないか」
 いつもの飲み屋で深酒をする新旧係長達。もう深酒だった。
「どうなんだ若妻は。やはりギャグは通じんか」
「言いませんよ」
 顔を赤らめ、佐藤は答えた。今日は吐かされないぞ、ただ人脈を維持したいだけだぞ。
「じゃあなにを言わせているんだ?」
 ただ、おちょこを傾ける佐藤。
「ここはお惚気エロトークをするものだろう、おじさん」
 ただ、おちょこを傾ける佐藤。
「お前なあ。二十一歳だろ、普通に犯罪だぞ。なにか文句でもあるのか?」
「ありません」
「じゃあ不足でも」
「ありません」
 あるわけがない、知りもしないのだから。
 佐藤はただ、毎回違う(仕事でもそう)スーツをバリっと決め、素子を誘導しているだけだ。
 いろいろな所に行った。レンタカーではなくマイカーを買おうか、いやいや係長だとマイカー通勤は許されないか、ぐらいは考えた。
 それだけ。お手々も繋がずテーマパークに行って、署内の人達にと買うおみやげの荷物持ちをして手が塞がる。それだけ。
「ハァあああああああああああああああああああああ……」
 酒に顔を伏せ、海よりも深いため息をつく佐藤。
「おいおい……なんだよ、嫌われることでもしたか?」
「グサっっっっっっっ」
「やはり歳の差か……こんなおじさんより若いカレがスキ☆とか言っていたりして」
「グサっっっっっっっっっっっっっっ」

 かわって素子はるんるんとしていた。いつも笑顔を絶やさない佐藤(仕事でもそう)。決して不快な思いをさせる言動は取らず(同)紳士で真摯な佐藤(同)。
「るんるん〜☆」
「良かったね素子、長年の想いが叶って」
「うんっ!」
 素子の周囲は誰一人として焦っていない。当たり前だ、二十一だ、結婚の前に合うか合わないか慎重におつき合いをすべきと考える者達だらけで当然だ。
 警視くらいは相手の気持ちを慮ったかもしれないが、定年に近い。もう枯れていて、三十歳でもまぶしいくらいだ。相手はどう思っておるのか、くらいで、口には出さなかった。

「ところでさあ〜」
 誰かが言った。
「どうだった? キスとか」
「……は?」
「……」
 季節は秋。たそがれの秋。
「え。なにそれ。なにそれ」
 素子のきょとんとした顔に、同期の友達は敏感に詰め寄った。
「さすが大人の男性はすごくて、とても言えない? ってことでいい?」
「なんですかその反応。さすが若者初々しい? だから汚れた我々には言えませんか」
 戦友達はまさかそこまで考えなかった。あれから半年以上経過し、相変わらず佐藤はノルマを係内一番でクリアしているのに。
「別に、詳しく言わなくていいからさ〜。どこまで行ったの?」
「そろそろ招待状を出すべきでは? 係長だと関係先累々に……」
「キスは当然でしょ〜、って……ちょっと、あんた新米巡査なのよ。一昔前の腰掛けじゃあるまいし、勤めて半年そこらで寿退社って時代じゃないのよ」
「主賓の会長の都合はかなり前からおさえておかないと……」
「まさかもう妊娠とか……している?」
「花嫁のドレスはお直しは……」
 佐藤は自宅で深酒をした。

 肝心の素子は……
『なにも……ないとか……言うんじゃ……』

 ないよね?
 ないですよね?

 肝心の素子は、キスってナニ? 状態だった。

 そりゃあ、映画やドラマは観た。知っている。
 でもあんなの、画面の向こうのものよ。
 現実って、ナニ?
「あぁあああんたねえええ!!」
「だって……」
「だって、ぇ!? なによ、言い訳でも出来るの? そんなに相手を待たせてどうすんの!」
「待たせる? なにを?」
「はぁあああああああああ……」
 素子の同期の友達もまた、深いため息をついた。こりゃ相手がかわいそうだ。

 ヒトナナマルマルに集まった元・歴戦の戦士と現在ノルマをとっととクリアして余裕(なはず)の戦士はまたしてもよんどころなき場所で飲んでいた。泥酔だった。
「なにも! そんな! 隙が! ないんだぁあああああああああ!!」
「バカかお前はぁああああああ!!!」
 佐藤は真摯に紳士を振る舞った。振る舞って振る舞って……振る舞い過ぎて、狼になるタイミングを失っていた。

 素子の非番の日はほぼイコール・デートの日。と、今年度は決めている。その為に世界中を駆けずり回った。そんな、顧客に向ける笑顔と同じ、いやそれ以上の笑顔で接した。
 こんな顔から男の顔に、なれるわけがなかった。だから佐藤は係長に昇進したのだ、他のライバルに抜きん出て。
 それはいいが……
「良くない……」
 今日も今日とてスーツを決め、佐藤はひとりごちた。
 最近は、デートのために服をおろす。下着も靴下もおろしたて。何足もある靴もおろしたて。これでもかと毎回磨く。もうヒゲヅラで逢ったりしない。
 紳士に。紳士に。
「って……じゃないぃいいいい!!!」
 これでは毎回おんなじだ。相手は顧客ではないのだ。男の顔を見せてもいいじゃないか。
 試しに鏡相手にそれをしたら、自分でも顔をそむけた。
「いかん……」
 でもなあ、紳士の顔をプライベートでも、は疲れる。正直しんどい。
「どんな顔で俺……逢っていたっけ……」
 紳士も紳士、足長おじさんとして会っていました☆
「あぁああああああぁぁぁああああああああ!!」
 あと五分で、素子のボロアパートに行かねばならない。

 かわって素子。
「キス、キス……キス」
 ってなに。
 まさかあんなことであるとはつゆ知らず、素子はキスをして貰おうと思っていた。なんら躊躇いはなかった。みんな甘いと言っているし、やり方が分からないのだから佐藤にして貰えばいい。
 なんたるのんきなと万人に言われる心理で、素子は今日もお化粧をがんばり、気張った衣装でボロアパートの玄関を開けた。チャイムが鳴ったからだ。
「おはようございます!」
 さあ今日はして貰おう。
「おはよう……」
 さあ今日も、紳士に振る舞おう……

「あの……三井、さん」
「はい」
 未だ名字呼び。さんづけ。お堅い二人。レンタカーとはいえ車内で二人きりでなければ、他人か親戚かと思われるだろう。
「あのアパート……引っ越しませんか」
「? どうして?」
 親を失い、逃げるように家賃の低い住み処にやっと落ち着いた素子。別の場所など考えてもいなかった。キスと同じ、公務員以外と同じ。人生経験が足らなくて考えが至らない。いくら毎年必ずボランティア活動に勤しんでいるとしても、いくらなんでもそこまでは誰も教えてはくれなかった。
「私も引っ越しますから……」
 佐藤、渾身の一撃。
「えっ、佐藤さんお引っ越しするんですか!? 手伝います!」
 ナニカガチガウ……
「いやあの……」
「どこにですか? 遠くに……なっちゃいます?」
 可愛い。可愛くて、可愛過ぎて佐藤の一撃はそよ風となった。
 しばし高速を走る。佐藤はパーキングまで黙って待ち、ようやっと車を止めた。
 車内で。
「三井さん」
「はい」
 聞こえないといけないと思って、佐藤はエンジンも切った。しばらくなら寒くない。
「私と……」
 今しかない。佐藤はそう思った。仕事と同じだ、即断即決。でなければ一課では勤まらない。叩き込まれた基本の基本。
「俺と、……一緒に住みませんか。マイホームを買いますから」
「……え」
「一緒に住んでください。……この通り」
 佐藤はシートベルトを外して、隣の、助手席に座る素子にキスをした。

 風のように、されて素子は、驚いて目も閉じなかった。知らなかったから、なにも。
 一瞬だった。
「返事を……いい返事をくれ、素子」
 わけが、分からなくて……
「……いやか?」
 その日、おみやげは買わなかった。

 翌日の素子は仕事にならなかった。全然別の、男の顔を見たから。
 地に足もつかず勤務する素子は役立たずだった。同期の友達は帰れと言った。
「あんたは今が肝心よ。犯人は逃げるけど、あんたのいい人は逃げるどころじゃなさそうだから、逮捕しておいで!」

 素子は午後に休みを取った。なにかをすべきだった。
 でも逢うことは出来なかった。あれ以上、なにをされるか分からない。いや、二十歳も過ぎたのだから分かるような気がするが、される前のキスと同じ。実感出来なくて分からない。
「電話……」
 懐かしい。思い出す、落ちたとばかり言った電話。
 して、みようか……

 佐藤は仕事に集中していた。もうノルマはクリアした、そんなものは来年度に回せと言われる勢いで勤務した。佐藤は取れた仕事を来年度になど回さず、係内の後輩に分け与えた。そして、お礼の飲み会に出るのを断った。
 連絡がない。
 あれから素子は一言も口をきかなかった。むろん実際は言う言葉を知らなくてのことなのだが佐藤はそうと思えなかった。歴戦過ぎて初心の手前など忘れていた。佐藤や課内の者達はそんな期間はあるかないか、あっても一瞬で通過していた。素子の気持ちを分かってやることが出来なかった。
 連絡がない……
 怖くてボロアパートをノック出来なかった。怖くて電話も出来なかった。現代のありとあらゆる通信手段を、佐藤は取らなかった。
 怖くて怯えていた。失うことを。そんなものは一瞬だから。

 ヒトナナマルマルを過ぎ、佐藤は家路につくため歩いていた。健康のため、仕事のため。体を目一杯使う仕事だ、ジムにも通っていた。鍛えている自負はある。
 見せても、見られても……自信はあるのに。
 気分はとぼとぼ。その実カツカツと歩く。鍛えた足取りは変えられなかった。
 スーパーに寄って帰る。今年度はそう急いで世界中を飛び回らなくていい。ならば素子のそばを離れたくなかった。さすがに、こうも時間が経てば向こうからなにか言ってくれるのではないかと期待をして。
 告白されたのも向こうからだった。こちらからは何一つ踏み込めなかった。この間を除き。
「諦めないぞ……」
 ぶつぶつ言いながら買い物をした。デートではいつも外食で、まさか家に上げて料理をして貰うなんて出来なかった。いつかそうして欲しかった。
 気配にふと顔を上げる。
「……三井さん」
 素子が佐藤の自宅前に立っていた。寒そうで……
「……っ」
 両手の荷物をその場に置いて走った。
「素子!!」
 すぐに抱きしめた。なんたること、また寒い思いを。もうさせないと思っていたのに。
「なぜ……」
 連絡をくれない。なにも言ってくれない。どうしていつも効率の悪いやり方をする?
 後半は仕事モードの考えだった。
「私……」
「うん。……うん?」
 言わせるだけか? また? それで落ちたと言わせる気か。また。
 それでも、自分から言って貰わないと……
「びっくり、して……」
「そりゃそうだ。いきなりだった、済まない」
「すごい……強いんですね、……圭佑は」
 はっとした佐藤はすぐに素子を手放した。
「痛いか、悪い……済まない」
 素子はすぐに寒さを感じた。
「違う……の」
 だから、自分からも抱きしめた。教えて貰ったこと、ついさっきでも。
「あったかーい……」
 佐藤圭佑はその手をいったん振りほどいた。
「素子!」
 そして思いっ切り抱きしめた。
「頼むから結婚してくれ」
 玄関前で、二人。
「料理が出来るか? 俺は本のレシピ通りにしか出来ないんだ、小さじと大さじとカップと計量器が手放せない。実は仕事で作っている暇がない、出来れば作って……いや一緒に作って欲しい」
「……」
「せっかく勤められた仕事を辞めろとは言わない、いや、続けてくれ。それでも俺を支えて欲しい」
「……」
「家事を全部しろとは言わない、二人でやろう。まずは引っ越しから……素子?」
「……」
 三井素子は現実について行けず、ショートした。

 新年度、直属の上司からにこにことノルマを言い渡された。
「一係よりも三係よりも多く与えよう」
「かしこまりました」
「即答か。さすが新婚、すばらしい。実は私も新婚の新妻にしてやられたことがある。そちらもさぞ強かろう」
「それはもう」
 圭佑は余裕の笑みで課長補佐に答えを返した。このクソ上司が、と思いながら。