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 高校二年、七月。
 体育祭も修学旅行もおえ、周囲にちらほらカップルが出来るなか、鈴原綾は奥手だった。友達からは、結構可愛いからそろそろ彼氏のひとりも出来るよ、なんて言われてはいたが、別にモテたことはなく。自分から意思表示をしよう、なんて考えもなかった。
 でも、もう高校二年生。同じクラスでいつも一緒にいる二人の友達は、一人は彼氏がいるし、一人は片思い中。なのに綾にはそんな相手すらいない。
 誰かいないかなあとは思うが、簡単に見つけられもせず。しかし焦ってはいなかった。来年になれば受験で大変だろうけど、まだまだ時間はある。切羽詰まったりはしない。
 友達二人はどちらもまじめな部活所属者。放課後になれば綾は一人で帰る。周りを見ると、同じ立場の者もいるが、青春を謳歌している者も当然いて。
 あーああ、と思いながら下駄箱へ向かうと、一人の男子生徒と目が合った。
 それ自体はなにも珍しいことじゃない。ただ、誰でもそうだが、相手が見知らぬ者だと気恥ずかしくてすぐ目を逸らす。
 でも、今だけは。綾は自分から目を逸らせなかった。自然と、二人の行く先が別になる、わずか数瞬後、それまでずっと合わせた。
 誰だろう。そう思った。家に帰るまでは覚えていたが、ごはんを食べて風呂に入ってさっぱりして眠ったら、翌朝にはその出来事を忘れてしまった。

 一週間後、綾達二年生には期末テストが近付いていた。勉強しなきゃなあ。
 二人の友達とこの話題にはなるが、だったら今すぐ休憩時間にも勉強しようとかいう話にはならなかった。誰でもそうだが、勉強なんかしてないよー、とか言いつつ自宅では結構やっているものだ。まさに学生である。
 私もそろそろやらなきゃ。そう思って下駄箱に向かうと、ふと、誰かと目が合った。
 あの人だ。
 またも数瞬後、もう姿は見つけられなかった。あの時もそうだが、周りには多くの人がいて、あちらも、こちらも、人で囲まれた状態だったから。

 とある土曜日、三時過ぎ。綾は映画館通りで母を待っていた。もうすぐ試験だが、どうしても観たい映画があったのだ。タイトルはSW2。
 母からは、その歳にもなって親と一緒に映画に行くのか、と言われたが観たいものは観たいし、彼氏もいない。試験がおわるまで待っていたら、せっかくリバイバルでの上映公開時期を逃してしまう。いいじゃない、行こうよ、映画館に一人でなんていやと言ったはいいものの。
 母は、出かける直前、井戸端会議仲間から電話を受け、捕まってしまった。女のあれは長いのだ。綾は仕方なく、行ってるからすぐ来てよね、とだけ言った。が。
 もう、開始五分前。
 せっかくチケット買ったのに……。
 しょうがない。一人で観るか。せっかく今回は、この映画のシリーズで一番恋愛物っぽいって言われているのに。
 そのわりに女二人で来ようとしているのだが、それには目を瞑り、あと少ししたら行こうと、映画館入り口でぼけっと突っ立っていたら、誰かに声を掛けられた。
「一人?」
 男の声だった。ナンパ? いやだ、そう思って顔を上げる。
「……あれ?」
 見たことある、この人……
「待ち合わせ?」
 あの人だ!
「あ、は、はい、お母さんと」
 初めて見た、私服姿。結構、ううん、なんかいい。
「ひょとして、映画? SW2?」
 声もちょっと、好み。
「あ、はい」
「もう始まるんじゃない?」
 その通りだったので、時計を見て。
「そ、そうなんです。でもお母さん、来てくれなくて」
「チケット、ひょっとして二枚分買った?」
「あ、はい」
「だったら俺と観ない?」
「え?」
「俺も観たかった。お代は払うから」
「え……そ、そんなのいいです?」
「よくない。とにかく行こう、もう時間だ」
 するとその人は、綾の手を取って繋いだ。
 綾は知らないけれど、それは恋人繋ぎ。指一本ずつからめて。男女だから小さな手と大きな手。綾にしてみれば、多少強引に指を広げさせられ。
 温かかった。力強かった。だから、手を繋がれたんだとさえ思えなくて。
 照れる間も、赤くなる間もなく、暗い映画館に入った。もう観客はいっぱいいて、後ろの、でも真ん中当りの席を確保。隣同士で座る。
 座っても、手はそのままだった。だから綾は、やっとここで赤くなった。それから事態を飲み込めた。
 私、今、男の人と手を繋いでいる。知らない人とならいざ知らず、あの人と。
 映画が始まった。SW2はドルビーサラウンドを開発した大元、だから音響は抜群にいい。デジタル上映でもある。恋愛物。観たかった作品。なのに目の前の華麗なCGはただ流れていくだけ。骨にまで響く重低音すらただ流れるだけ。
 手に。指に。心臓が宿ったのかと思った。汗かいたらどうしよう。
 142分後、映画がおわっても、二人はそのままだった。いや、綾の手を繋いでいる人物が席を立たなかった。あの有名なエンドロールがおわっても。綾はどうすればいいか分からなかった。
 大きなスクリーンから完全に、映画の気配が断たれると、綾の手を繋ぐ人物が言った。
「帰ろっか」
 ぽんと言われた。なんら気負いなく。綾はほっとした。
「うん」
 ずっと、手は繋いだままだった。
 あったかい。

「家、どのへん?」
 映画館を出ると眩しかった。チケット売り場にはSW関連のグッズが売ってあり、買う人ももちろんいた。
「あ、あの、中央通り」
「じゃ中央橋のバス停?」
「知ってるの?」
「一度だけバスに乗って行った。俺んちは本町通り。よく大通りまでは歩いて来る」
「……そうなんだ」
「行こ。送ってくよ」
 季節は夏。確かに五時過ぎだったけど、暗いなんてわけはない。
「えっと……別にいいのに」
「まあまあ」
 突然手を繋がれて。二度、目が合っていなければ、ちょっと強引な軽いナンパ男と思っただろう。
 でも。こういう気配り、悪くない。かな。
 来たバスに乗る。二枚取った乗車キップのうちの一枚を渡された。
「ここ空いてるよ。座って」
「う、うん」
 入り口すぐ右の一席が空いていた。座る時、初めて手を離された。ゆっくり。
 思わず上を仰ぎ見ると、相手は座らず、綾のすぐ隣に立ち、つり革を掴む。
 なんだか、護られている気がした。
「バス賃、いくらかかるっけ」
 そう言われて思い出した。わざわざ映画を付き合って貰ったんだから、返さないと。
「あ、あの、いいです、払います」
「? なんで?」
「なんでって。……わざわざ、付き合って貰ったのに」
「? なんで? 俺は観たい映画を金も払わず観たってだけだし」
「そ、そんなことないです」
「まあ、確かにこの金、俺が稼いだんじゃないけど」
 相手は財布を取り出した。払う気だ、映画代もなにもかも今。
「あ、あの、いいです!」
「そうは行かないんだよね、女の子にバス賃まで払って貰ったなんてバレたら親に折檻される」
「そんな大げさな……」
「ホントホント。いいから、いくら?」
 この人が何年生だか分からないけど。同じ高校だろうってことは分かるけど。
 でも、気詰まりな人じゃない。よかった。
 綾は仕方なく190円だと告げる。じゃ両替しなきゃな、とか言っていた。
 目的地が近付いたので、綾が席を立とうとすると、
「あ、駄目ダメ。ちゃんとバスが停まってから」
 と言われた。
 なんかずいぶん、紳士的?
 言われたとおり、バスが停車してからおりる。バスは制動がいきなりで、立ってつり革を掴んでいても慣性の法則通り体が動くものだが、相手は普通に立っていた。最初からそうだが気負いなどなんら感じさせなかった。
 相手が両替する間に綾がバス賃を払っておりる。
「ちょっと待ってて、すぐおりる」
「うん」
 二人ともにバスからおりると、相手はまた手を繋いで来た。
 また、どきどきする。心臓が二つに増えたよう。

 信号を渡り、橋を渡り。町に通る一本道を行く。相手が前、綾はすこし後ろを。
「ほんとにここ、知ってるんだ」
「いや、知ってんのここまで。どのあたり?」
「結構奥まで歩いて左」
「この辺って、大学生向けのアパートが多いと思ったけど。ひょっとして一軒家?」
「うん、そう。一応。でも狭いし小さいよ。庭なんてないも同然」
「いいじゃん、俺んちなんてボロアパート、俺の部屋はあるけど壁なんてないも同然、なにやっても親にバレバレ」
 綾は思わずくすっと笑った。
 家のそばに着くと、綾は言った。
「ここ、左に折れてすぐだから」
「玄関前まで送らせてよ」
 綾はその通りにした。とはいえ、10mも歩かず着くのだが。
 そしたら、家の玄関が開いた。母が慌てたように出て来たのだ。娘の姿を見つけると、
「あ、綾ごめん! お母さん遅れちゃった、今まで話してて」
 なんとまあ、あれから三時間近く経っているのに?
 と思って言おうとしたら、
「……綾!?」
 なにか、ひどく驚かれた。あれ、なにかしたっけ?
「……まあまあなんてこと! そう、そういうことだったの! 早く言ってよ、お母さん準備出来ないじゃない!」
「……え?」
「とにかく入って? まあどうしよう、お赤飯お赤飯!」
 綾は母の言っていることがさっぱり分からなかった。
「どうしたの、早く入って? 彼氏、なんて名前?」
 鈴原母は綾の隣にいる人物に向かって言ったのだが、綾にはとてもそう思えず。
「お、お母さん、彼氏とかじゃないよ!」
 もちろん、分からないはずもない鈴原母。この言葉で大体の事情は飲み込めたが悪ノリする。
「お前はいいの! ね、なんて名前?」
「金城篤です」
 綾は驚いた。名前を初めて知った。そして、そういえば自己紹介もなしで映画観ちゃったんだ私、と思った。これでは軽いナンパに軽く捕まった尻軽なんとかではないか。
「よぉし篤君、狭いけど入って? ありがとね綾に付いててくれて。この子奥手なもんだから、一人でぼけっと突っ立って、いかにも悪いコからナンパされそうだったでしょ?」
「家に入ってもいいんですか?」
 口に出せば、答えを返せば綾に失礼になる。だから言わない、意図的な会話逸らし。その意味に気付かない母ではなく。
「どうぞ~? さ、綾、紅茶のひとつも淹れなさい!」
「……はあい」
 篤は思う、へえ、ひょっとして茶葉から淹れる気? 結構難しいのに。
 鈴原母に通されて、篤は居間のソファに座った。
 綾が、やかんに水を入れて沸かしている間に、鈴原母は怒涛のように篤に訊きまくった。名前はどう書くのか。誕生日、高校何年生か、家族構成血液型、住所は部屋番号まで、身長体重、所属部は、どういう生活をしているか、好みの女の子のタイプは? 大学はどこ? 成績は? っていうか彼女いる? その他もろもろ。
 綾は、ちょっと表現が古いが耳をダンボにして聞いていた。でかくなった耳をぴくぴくさせながら。
「金城篤です。誕生日は六月十四日、東和高校二年五組。家族構成、父母それぞれ一人、一人っ子。血液型、変人が多いB。住所、本町通一丁目6-10、藤村アパート201号室。身長180cm、体重68kg。所属テニス部。部活で平日は朝六時から、夜は九時まで。土日は朝九時から三時まで。今日は部活あがりなんで、たまに行く大通りをプラプラ歩いていたら映画館前で逢いました。部活以外で家にいれば、学校の勉強最悪に苦手なんで机に向かう時間は少ないです、大体外に出てその辺ランニングとか体鍛えてます。毎度大通り歩いたって自分の金じゃないしそう欲しいもんがあるわけでもないんで、今日はたまたま。好みは優しくて家庭的で可愛い子がいいです、あまりに年上とか年下とかでなければ。大学は近場の東和大学経済学部を狙っていますがスゲえ厳しいです。成績は、50点とか60点とか。マジ苦手です。彼女いません」
 その他もろもろも篤は言った。娘の耳の様子を見ながら、どう? こういうふうにするのよん、と言わんばかりに母は態度で娘に言う。娘は視線を逸らした。
「家庭的かあ~。こりゃ綾にもうちょっと、家事頑張って貰わなきゃ駄目かな?」
「もう、お母さんったら!」
 いくらなんでも意味は分かる。綾は恥ずかしくてしょうがない。
「じゃ、お母さん出掛けるから。綾、今日はお父さんも帰って来ないから。二人で二階で熱く語ったら?」
「だからもう、お母さん!」
 綾は顔を真っ赤にさせた。耳は元に戻っていた。
 しかし、父母両方今日いないなんて聞いてない。
「ちょっとヤボ用よん」
 などと軽く言う、今日初めて会ったばかりのおばさんの意図は、綾はともかく篤には分かる。気を利かせたということだろう。
 困った綾は、それでも紅茶を三人前淹れて居間のテーブルに静かに置いた。篤は綾がお盆を片付け、ソファに座ってから飲んだ。
「美味しいね、これ」
 言われて綾はほっとした。正直紅茶は本当に淹れ方が難しい。いつも薄いか渋いかどっちかだ。
 母はそれでもいつもの通り、急がず慌てず飲みおえて、
「じゃお母さん行って来るから。篤くぅん? いつまでいてもいいのよぉ~ん?」
 そんなお誘いに乗る篤ではない。
「明日も部活ありますから」
 そして母は出て行った。つまり、二人っきり。
 とたんに綾の心臓は忙しくなった。見知らぬ人、ではないだけで、男と二人っきり。
「あのさ」
 突然言われた。沈黙する間もなく沈黙は破られ。
「一軒家っていいな。階段もあるし」
「……う、うん」
「部屋。見たいなあ」
 まるでおねだりするかのように言われて、綾はある意味ほっとした。よかった今日掃除しといて。
 家庭的な子がいい……
「あ、あの、……、狭いけど」
 綾は緊張しながら階段を上がった。後ろからする音は、どたどたではないが確実に、男の体重を感じさせる足音だった。
 違うんだ。私とは。
「あの。入って」
「お邪魔します」
 ドアを開ける。フローリングの床。カウチ二つに小さなテーブル、その下に二メートル四方の毛の長いじゅうたん。ベッド、勉強机。パンダのぬいぐるみ大小計五個。
「どうぞ、座って」
 なにか飲み物を持って来ればよかったか。でも、さっき飲ませたし。
「名前はなんて言うの?」
「え?」
 そういえばと思い出した。そう、名乗ったのは篤だけ。綾は自己紹介もまだ。
「あ、えっと、鈴原綾です!」
「鈴原さんね。俺二年だけど、学年一緒?」
 綾も、残ったカウチに腰を降ろして。
「うん、クラスは一組」
 二学年は校舎三階に並んでいるが、クラスは離れているらしい。
「そっか、同い年か。やー……よかった、逢えて」
 本当に、ほっとしている篤を見て、綾はなんとも言えない気持ちになった。
 この人も、私と目が合ったの覚えてる。知ってるんだ。しかも、ひょっとして。
 私と同じく、探してた?
「ガッコのセンセに入学式の集合写真全部見せてって言ったんだけど、個人情報がどうとか言われて見せてくれないし、ダチから結構見せてもらったんだけど探せず仕舞いで」
 すごく嬉しくなった。そこまでして、探してくれたんだ。
「嬉しい」
 思わず言ってしまった。口に出てしまった。初めて、自分の意思ではなく口が動いた。
「そう? でもさあ」
「……え?」
 違うの? 金城くんは嬉しくないの?
「そういうさ。可愛い子が可愛いカッコして大通りで一人ぽつんといてごらんよ。危ない野郎が寄って来るよ? まあ、俺もそのうちの一人かな」
 言葉一つ一つにツッコミを入れたかった。そんな、可愛いなんてそこまでまっすぐ言われたことない。可愛い格好、すごく嬉しい。危ない野郎って、
「金城くんはそんな人じゃない」
 篤はちょっとした苦笑を浮かべた。
「とにかくさ。一人は危ないって。お母さんと一緒に行かないと」
「……でも、いつまでも子どもじゃないし」
「ま、そうだけどね。ところで鈴原さん、ケータイ持ってる?」
「あ、うん」
 綾はさっき置いたバッグから携帯電話を出した。
「バンゴ交換しようよ」
「え、あの」
「? ない?」
「そうじゃなくて、あると思うんだけど、ごめんなさい。私機械疎いの。らくらくフォンにしようと思ったら、一緒に来てくれたお母さんにバカにされちゃったくらいで」
「そっか」
 篤は笑ったりしなかった。ただ、ケータイ出して、勝手するけどちょっとだけ使うよと言って。
 篤が、自分達の携帯を向かい合わせにしてなにかやっているのを見ながら。
「私、一番苦手なのがパソコンの授業なの。キーボードなんて指一本じゃなきゃ打てない。みんな早いし焦っちゃう。ケータイのメールなんてそれ以上に苦手。あんなちっちゃいボタン何回も押さなきゃ言葉が伝わらないなんてもどかしくて」
「そう? じゃ俺が送るの専門ね」
「え」
「メールするよ。電話も」
 篤は立ち上がった。
「また明日」
 さっさと部屋を出て行かれてしまった。
「……」
 総じて、よく分からない。綾はそう思った。

 階段をおりた篤はすぐ玄関へ。ああそういえば、戸締まりよろしくって言わなきゃな。と思いつつ、携帯を出しながら靴を履いて鈴原家を出た。道路を歩きながら、さっそくメール。

そう言えば金払うの忘れた。明日でいいかな。戸締まり今すぐよろしく

 送信しおえると、誰かが背後を追い掛けて来た。
「ちょっとちょっと、篤君!?」
 振り向くと、鈴原母だった。
「用事で出掛けたんじゃないんですか」
「分かってるでしょ、気を利かせたのよ。ずいぶん早く出て来たわねえ。それでキスする時間なんてあったの?」
 篤は苦笑した。
「そんなのしてませんよ。いくらなんでも、いきなりじゃないですか」
「でも、逢ったのまさか今日昨日じゃないよね」
 そうではないかと思ったが。このおばさん、カン鋭いな。
「学校で二度ほどすれ違いました」
「好きなんだろ~ぉ? ウチの娘が」
「そういうことは本人に言いますよ」
「じゃあ言って来たんだ。避妊はしろ!」
 さらに苦笑。いくらなんでも、だ。
「そんなの遠い先の話ですよ」
 きわどい会話。確かに今はまだ17歳、片一方が民法上結婚出来るってだけ、実情はどちらも高校生。確かに先の話。でも。
 それは、綾と、でいいって意味?
 そう訊きたいような気もしたが。確かに早い、まだまともに逢ったのは今日が最初。
 それは分かっているけれど。初心な綾に、中途半端な気持ちで近付いて欲しくない。それが親というもの。軽くつままれちゃ困る。

 その頃綾は、部屋で、明日金を払うという篤からのメールをどう解釈すればいいか分からなかった。いや、解釈しようはある、要するに明日も逢うということ。
 そう判断出来たら、次は迷う番だ。
「服、どうしよ!」
 せっかく可愛いって褒めてもらった。確かに今日は結構気合を入れた、好きな映画だったから。
「……あ、映画」
 そう、ロクすっぽ観ていない。
 でも、まさか今日ほとんど初めて逢った相手に、もう一度観ましょうなんて言えない。でも、どうしても観たい。
 お母さんに言わなきゃ。明日は午前中観に行こう。だって篤は言ったから、土日は午後三時まで部活だって。その前に観ておこう。もし映画の話題が出たら、観てませんなんて言えないし。

 翌朝、気を利かされたとは思わず、両親が帰って来た。
「はぁ~、綾、朝ごはん!」
 おはようの言葉の次がこれである。
「えー?」
 すると母は眉をひそめた。
「えー、だと? まさかご飯支度してないなんて、言うんじゃないだろうね」
 綾はマズイと思った。そういえば、ご飯も炊いていないし、お味噌汁の準備もしていない。
「昨日、篤君が言ったの忘れたの? 家庭的な子がいいって言ってたぞぉ?」
「うっ……そ、そんなの関係ないじゃない!」
 母はにたにたしながら言った。
「今日も逢うんだろ?」
 綾はバっと真っ赤になる。
「昨日以上に可愛くしないと、嫌われるぞぉ?」
 ありありと蘇るあの言葉。
 可愛い子が可愛いカッコ
「……お母さん」
「なんだい」
 もちろん母も女、次の句は分かっている。
「デパート付き合って!」
「了解。ただしご飯の支度、これから手伝うんだよ。いいね」
「うん!」
 綾は映画にも行こうと言ったが、服選び、おざなりにする気かと言われて行けなかった。母からは、内容なんてちゃちゃっとネットで調べられるだろ、と言われたが、綾はネット巡りすら苦手だった。
 デパートの洋服売り場であれやこれやと言い合いながら。
「じゃお前、篤君になんにも言ってないの? 昨日お母さん手本見せたじゃない! あんなふうにズケズケ訊くんだよ!」
「……ずけずけって……」
 買い物は結局、午後一時まで掛かった。その頃影の薄い鈴原家の大黒柱は、ずっと家で新聞を読んでいた。
 バスの中でメールが届く。
“三時過ぎに行くから。待ってて”
 すると、隣にいる母に目ざとく見られる。
「ちょっとお母さん、見ないでよ」
「待ってて、だって。いいねえ青春で!」
「う。……邪魔しないでね」
「その服買ってあげたの誰だっけぇ~!?」
「……お母さんです……」
 綾は、紅茶を淹れたら居間ではなく部屋に持って行こうと思った。父なぞは二階への階段すら昇らないし、こんなこと言う母だって、綾の部屋のドアを必ずノックしてから入るから。
 三時となったので、綾はやかんに水を入れて沸かす。今日も上手く行きますように。
「ところでさあ、綾」
「? なあに、お母さん」
「せっかくデートなんだから、大通り行って遊んで来たら? お前にもようやっと春が来たようだから、お小遣いなら上げるよ?」
 それは嬉しいけど。
「あのね、金城くんとはそんなんじゃないの。ただ、学校で二度ほど目が合ったってだけ。デートなんかじゃないよ。今日は、昨日付き合わせた映画代を払いに来るんだって」
「まさかお前、お金受け取る気?」
「ううん、そんなことしないよ」
「じゃ、どんな口実でもいいから逢いたい。そうね?」
 綾は答えなかった。
 お湯が沸く頃、玄関のチャイムが鳴った。
「お母さん出るよ」
「うん、お願い」
 母がぱたぱたと玄関に向かい、開錠する。相手は思った通りの人物。
「ハーイいらっしゃーい。篤君、今日も一日ご苦労様♥」
 母はハートマークが付く勢いで言った。だが。
「すいません、これ。昨日の映画代です。じゃ失礼します」
 篤はお金の入った紙袋を鈴原母に押し付けると、すぐ踵を返した。
「ちょ!? ちょっと待ちなさい! 篤君!!」
 母が急いで家を出るのを、綾は呆然と眺めていた。
 用って。また明日って、これでおわり?
 確かに金は明日でいいかな、とは言っていたけど。
 ひとめ逢いもしないで、帰るの?