25

「致す所だ」
 扉を足で開けた忠弘の第一声。
「……そう」
 さっきの場所から一番近いというだけ。コンビニやスーパーを見て回る時のような定石ルートもへったくれもない。
 清子は首だけ動かして室内を一瞬で見渡すという高等芸を地味に披露した。リビングルームだ。テーブルが丸いガラスでこれまたレトロなおみ脚。こんな所で致そうってか。
「あのテーブルには俺が座る。さぁや、俺に乗って腰を卑猥に激しく振って」
 誰か、そんなことしたら壊れるって言って。
 夫は妻の本音を見抜けなかった。さっさと次、隣の扉を開ける。
「致す所だ」
「……そう」
 外が見える。緑の芝生。一昔前に観た洋モノドラマのよう。
「外が見えるガラス窓に手をついて。後ろからさぁやのケツを突き上げて犯ってやる」
 誰か、そんなことしたら私が壊れるって言って。
「次の致す所は」
 部屋とも言いませんよこの男。
「ドレッシングルームだ。三面鏡の化粧台に手をついて、後ろからさぁやのケツを突き上げて犯ってやる。鏡でさぁやのイく顔を見たい」
 部屋の呼称を教えてくださりありがとうございます旦那様。
「ここが俺の書斎、男の夢だ。いい椅子だろ? さぁや、俺に乗って腰を卑猥に激しく振って」
 そうだ、椅子を壊そう。そうすれば私は壊れない。
「ゲストルームの全部のベッドでも致そう、さぁや」
 なんて客に失礼な。……待てよ、来る客いる?
「メインダイニングルームではさぁやの手料理をさぁやに女体盛りだ。さぁやの一番の手料理と合わせて三段重ねだ、楽しみだな」
 男子厨房に入るべからずって張り紙したろか。
「朝食ルームもあるんだぞ。いつものメニューはどう女体盛りすればいい?」
 いつ服を着ればいいんだろう。とてもいいものばかり揃えて貰ったというのに。
「台所は俺の領分だ」
 料理のりの字も知らないくせにいつからそんな。今までと言っていることが違うぞ。
「後ろからズブズブ致す。キッチン・ファック、男の夢だ」
 睡眠時間をください……

 ツッコむ余力のなくなった清子の本音を一切見抜かず、忠弘は男の夢を笑顔で述べ続けた。
 ファミリールームではのんびりしながら激しく致そう。バスルームは本当に楽しみだ。まず脱衣場で致すだろう? でかい鏡張りだから気分はラブホだな、後で行こう。トイレの個室は三つある、それぞれで致そう。狭い所ほど燃えないか? 二十四時間風呂だそうだ、もういちいち洗わなくていいぞ、湯船で致そう。シャワーを浴びながらペッティングしよう。髪の乾かしっこは気持ちがいい。視聴室ではAVを大音量で聞きながら見ながら致さないか? より燃えるぞ。映像は俺達の夫婦の営みシーンだ、いっぱい撮ろうな。ここが荷物置き場の部屋だがどうだろう。そうか、どこになにが置いてあるかよく分かるか。よかった、とことん致そう。ほらここ、広いだろう? あえて手を入れず、さぁやのアパートにあったテーブルと、致すのに丁度いいソファだけを置いた。喘ぎ声がこだまする、いっぱい啼いて。お待たせさぁや、もっとも重要なマスターベッドルーム、俺達の愛の巣だ。横になりゃすぐ眠れるが、眠らせない。とはいえ昼寝はしろよ、ころっと眠れるぞ。毎晩必ず全体位致そうな。シルクのシーツ、毎晩何枚駄目にしようかさぁや。さぁやもスプリングもぶっ壊す。

 清子は社会人のたしなみ、話を右から左、を実行した。たとえ夫の主張がたった今全部実現するものだとしても、現実というのはなかなか受け入れ難いものだ。
「ごはん。食べたい?」
「うん!」
 嬉々満面で二つ返事。気のせいかお肌がツヤツヤしている。ほっぺがなんとなく桃色だ。そこまで嬉しいか。
 台所へ向かった。
「さぁや。指二本じゃもう足りないよな。襲っていいって言ったよな」
 これでも一応、事前に了解を取ろうとしているらしい。そんなに夢が大事ですか?
 お姫様抱っこからそっとおろされた。以前はいかにも荷物を廊下に置きましたよ、という扱いだった。それが一変、まるでお姫様を扱うようにそっとおろしてくれた。なんだろう、いつものデリカシーのなさはどこへ行った。
 考え事にふけって油断すると夢が現実となる。キリリと言った。
「すごいねここ」
「うん」
 即座に背後を取られ、ぎゅうぎゅうに抱き締められた。この男、台所自体は見ちゃいない。
「業務用のとんでもないのが来るかなー、って思ってたけど。広いのにほんわかして、いいなあ」
 腰に当たる。
「まな板を置く所が何箇所もある、余裕を持って料理出来るよ。ぴっかぴか。片付けきちんとしなきゃ、今まで以上に時間掛かるな。わあよかった、前買ったジャーだ。知ってる? 忠弘。ご飯はね、ジャーじゃなくて、私が到底使えないようなので炊くと本当に美味しいんだよ。見て、食器が多種多彩、ずらり。全部一枚につき何百万円単位かな、間違っても落とせない」
 熱い。大きくて硬くて。
「調味料も調理器具もやっぱり量も数もすごい。こんなの使いこなせないよう。冷蔵庫もすごいね、こんなでっかい業務用が三つ。ワインセラーにビールばっかりはないと思うけど?」
 激しくて、動き出す。上下に。左右に。円を描いて。
 その気になってしまうではないか。
「あれ、食材が置いてある。そっか、旧宅の冷蔵庫にあった食べ物粗末にしなかったんだね。えらいな忠弘」
 挑発は嫌いじゃない。むしろ好き。
「やっぱり、包丁もこの間買ったの以外が置いてある。何種類もあったって私、使いこなせないんだけど」
 こっちだって、熱くなってしまうではないか。
「聞いてる?」
「聞いている。犯したい」
 ペチコートドレスの裾をめくり上げた。シルクのスケスケに近いレースのパンティを中途半端におろし、ナマ尻をぷりっと上げる。
「来・て」

 何時間経っただろう。目が覚めたのは空きっ腹、汗だく、熱さ。どれでもなかったし、全部だった。忠弘が、ゆっくりそっと髪を梳いていた。
「ン……」
 なにもかも全て男のものになって、吹っ切れるまで。大きな手が守るよう。心地いい。
「ただひろ……」
 ぼんやりと目を開けたら、意外なことに不安そうな顔をしていた。こんなにいっぱい……したのに。
 どうして?
「……なに?」
 気付いて、感じ取れた。撫でてくれる手が、どこかおぼつかない。慣れないもの、不思議なもの、分からないものを扱っているかのよう。
「ああ……」
 そうか、分かった。
「……髪?」
 短くしたんだっけ。そういえばかなり。
 軽くなって気持ちよかった。眼鏡の重さからも、意地を張っていた嘘の心からも開放された。言えたら全部奪ってくれた。もどかしい想い、ため込んだ想い、伝えられない気持ち全て。
 すると忠弘が今度は眉毛をハの字にした。なんだろう、五歳児が拗ねている。
 首をすこし傾ける仕草を真似してみた。そうした清子にこそ分からない、表情は無上の菩薩様。
「短いのいや……?」
 ゆっくりと、忠弘は首を振った。こんな至近距離で、ずっと熱い。重ねた肌、におい。ここまで一心同体になっても、近くて、恥ずかしい……うぶなんだよ?
「長いのもいい」
 やっと聞けた、いい声。さっきまでは、イけとか射精る射精る啼け啼けそんなことばっかり。おっぱいぎゅーだし舌レロレロだし熱いし凄いし突き上げガンガンだし。
「……髪コキ出来る」
「?」
 今度は清子が眉毛をハの字にした。分からないことを解説なしで言わないで欲しい。
「なあ、……さぁや」
 なにやら非常に言いづらそうにしている。こんなになってまで、まだなにか遠慮することがあるのだろうか。
「なに……?」
 ヨダレまみれの舌で、言い渋るくちびるを舐めて上げた。それでもまだ言ってくれないから、ぎゅうぎゅう抱き締められたままだけれど、乳首にのの字を描いて上げた。爪でつつっと、感じて声を上げたくなるまで。
 熱い色、視線、射ぬかれるの好きだよ?
「言って……ぇ?」
 その色っぽいのどぼとけ、動かして。
 首筋を攻めて上げた。舌を這わせると、声帯がふるえた。
「俺はな、さぁや」
 くちびると耳、同時に声が伝わる。頭を撫でる手に、胸板にも力が入った。緊張している?
「怒んないから、言って? なんでもいいよ?」
 わずかな音を立てて、番の鎖がシーツにこぼれた。ン、一緒。
「だったら……少し、前のことを言う。しつこい男と怒らないでくれ」
「怒んないよぅ」
 もう。
 なにか格好をつけているのだろうか。男のプライドをそっと守るのがいい女、ともいうし。
 今更怒る気も、怒らせる気もない。昼下がりの淡い陽が射すこの場所で、多くの時間を共にするのだから、ふわふわして、力任せに抱かれて力が抜けて、なにを言われても許して上げられる、と思う。
「甘えて……言うが」
 いっぱい甘えて。いっぱい攻めて。好きだもん。
「抱く気満々と伝えても、素っ気なくて……」
 なんのことだろう。
「てっきり会社にいるものとばかり……」
 なんのことやら。
「脱いでベッドにもぐっていよう、いや玄関で迎撃して犯る、と勇んで寝室を開けたら、惚れた女が俺のお株を奪った真っ裸で、失恋を象徴するかのような短髪で、なにより欲しいと想っていた言葉を言った揚げ句、空恐ろしい挑発で即勃起、愛撫もヘッタクレもなく即本番、……だったのだが……俺の心臓は、よく持ったものだと……」
「そんなことあったっけ」
 愛した男が脱力していた。だったらと、舌でのの字を書いて上げた。なんとなく、心拍数が速かった。
 背中をナデナデ。
「私の夫になったんだから、全部鍛えてね。全然まだまだ本気出してないから」
 鼻も心臓もコレも、もっと。
 こうなったら、行けるところまでイったろうじゃん?
「俺は……」
「な・ァ・に?」
 のどはふるえなかった。それでも、直後に覆いかぶされて、初夜以上にいきなり乱暴にブチ込まれて、そこから伝わった。
「とんでもない女を嫁にしたもんだ!!」

 午後。空きっ腹を抱えた新婚二人は、忠弘の書斎に来ていた。食材を揃えるにもメニューを考えてからでないと効率が悪い。いろいろ調べて、コンビニへ行くのはそれからだ。
 書斎の名に相応しく、書棚が天井まで高く届いている。忠弘のマンションにこんな蔵書はなかった筈、と思っていたら、案内役から譲り受けたとつぶやいた。
 部屋の一辺すべてがガラス窓、それを背に二つの机が並ぶ。ひとつは忠弘の重厚で広いデスクとチェア。机上には採算度外視の目に優しいモニターが上下左右に連結されて並んでいる。
 本来はこれらだけの、静謐な室内。そこにちょこんと、清子お気に入りのパイン材デスクセットが置かれていた。隣にあるのに、後付けにも申し訳程度にも、清子には見えなかった。生成りの布張りの椅子に忠弘が座って、清子を上に。ぎゅうぎゅう抱き締められながら、三年前に買ったパソコンとにらめっこ。
「コロッケなんかいいなあ。でも油を使うから……忠弘、油は本当に危ないからだめ。ね? あ、そうだ、連れ込まれた日にカレーだったから、新居に引っ越し祝いってことでカレーにしようかな。いか大根、いいなあ。ひじきの煮物食べたい。なめこ汁にしようっと」
 作れそうなものをリストアップ、買いだめに走る清子。この男相手に、毎日規則正しく外出出来るなど思えない。効率という言葉が今の清子を支配する。仕事より深くかしこく考えないといけないぞ。なんと厳しい主婦の道。
「牛丼なんていいなあ、忠弘どうせよく食べたでしょ特盛り。もっと盛って上げる」
「女体盛りのお初が牛丼か。さすがの俺も考えなかった」
「そのなんとか盛りって、私に盛るの私じゃなくて忠弘なんだけど。料理のりの字も知らない夫がなにか食べ物盛ったことある?」
 バカな忠弘を丸め込み、二人仲良く一緒に家を出る。
「そういえば、私達の家って一階なんだ」
「うん。まず、ここは五階建てだ。五階が案内役達、四階が案内役達の親御さん。二・三階が訳あり世帯。残っているのはここしかない、どうだと言われたが、俺達は元々一階に住んでいた、エレベーターも階段も使わないのは楽だ。確かに上から下の景色を眺めることは出来ないがな。さぁや、レースのカーテンをどけて野外露出気分に浸りたいだろうが駄目だぞ、裸はもう俺以外見せるな」
 こっちの台詞だ、やはり裸を誰ぞに見せたな。惚れちゃうじゃないかそんなの見たら。やきもち焼いちゃうぞ。
「私が近づくと扉って自動で開くんだね」
「うん。今朝は、一階入り口にいる管理人という名の警備員がさぁやの様子を見てタイミングを計り開けた。一階の鍵穴はダミーだ、なにかが差し込まれたら途端に御用だ」
 御用にならない方法を詳しく訊いた。実に複雑で、方法は刻々と変わるらしい。面倒くさそうと顔に出すと、余裕の笑みが返って来た。知らなくてもいい、外に出さないから、という意味だ。包囲網のど真ん中にいたことを、清子は全く分かっていなかった。
 エントランスを通り、外に出る。もうすぐ十月の気候は穏やかで、外と中はこうも違うかと実感した。世間の空気を吸えたはいいものの、ひとりでは無理っぽい。こうなったら怪盗清子を名乗ろうか。
 手をつないで歩いて、コンビニへ。今までは、買ったものはレジ袋に入れていた。持つのは主に清子なのだから、それで量が制限されていた。これからはでかいカートに入れっぱなしで家に運べる。清子一人でも楽ちんだ。
「すごいね。ね、見てこのにんじん」
「にんじん位は俺でも分かるが、俺がいない間寂しいからと言って挿れてもいいが撮って送れ」
「土がついているでしょう。これはね、新鮮さを保つため、土を落とす暇があったら、その時間さえ惜しんでここに運んでいるの。色も、スーパーで売っているものとは全然違う、とても濃い。栄養価高そう。産直みたいな考え方なんだろうなあ。
 あ、やっぱり。ね、玄米で量り売りされてる。毎日食べる分だけ買って精米しようね。全然味違うよ。わあ、卵産みたてだ。よかった、レトルトもある! これがなきゃだめだよう」
 スパゲティ用のレトルトソース、カレーのルー、チャーハンの元、など、清子にとっての必需品もきちんと置いてあった。これらがなければ外に遠征させてと言わなくてはならなかった。かなりほっとした。
 大量の食材をでかいカートで忠弘が運ぶ。
「洗濯物は全てそこのクリーニング店でと言われた」
 なんとまあ。贅沢を通り越して楽をし過ぎてない? 過保護過ぎるといいことないぞ。
「さぁやのブラとパンティは出すなよ。誰にも見せるな」
「じゃ室内に干すけど。それ見て欲情しないでね、私でしか勃っちゃだ・め」
 青カン。忠弘の脳裏にこの文字が浮かんだ。いやしかし、妻の裸を見せたくない。打ち消したかったが無理だった。待て、ここの庭でなければいいのだ、それには気候が、と思って足を止めていると、妻はそそくさとカートを押し出したので、後を追って捨てないでさぁやと甘えて縋った。
 濡れ場になりそうな庭をチラ見した後、一階の新居に戻る。清子に言わせればあくまで主婦の領分。忠弘に言わせればあくまで致す所、台所へ。二人の胃袋は一番の手料理で満たされていた。でも空腹、ぐーぐー。
 旧宅で米の在庫が切れていたので、精米したての白米をさっそく使用。カレーを作る。
「挿れていいよな」
「だ・め」
「……いいって言ったろ」
 もう。さっき充分致されたよ?
「やっぱりだめ。ちゃんと集中して作りたい」
「男の夢だ」
「おなか減ったし」
 この調子だと、いつまで経っても手料理を振る舞えないではないか。さっきいっぱいべろんべろんされたけど。
「忠弘、私が仕事、集中しているところ見てくれたって言ったよね。あんな感じで見て? 後ろから抱き締めてね、でないと料理しない」
「そういう脅しは実に嬉しい。丸め込まれるのも実にいい。さぁや、カレーなら前の1.5割増しで頼む」
「……マジですか」
 あれ、でかい鍋いっぱいだったのに。
「その堅苦しい言葉遣いでも充分勃つ。というか懐かしい。さぁや、言って」
 言いたかった、意地を張っていたあの頃に。心に溜めていた想いの言葉。
「私、そちらさん愛してます」
「俺は君が好きだ」
「……感じちゃった」
「勃ったぞとっくに」
 三食毎日きっちり摂れ、という説教が山本家に通じるのはいつの日か。