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 待っているから、待たせているから、少しまとめて話そうと清子は思った。
「さぁやは順を追ってきちんと話したいんだろう?」
 耳元で心そのまま囁いてくれる。熱い、激しい、極端で……
「う……ン」
 こっちが声を聞きたいくらい。
「聞きたい……」
「……ン」
 同じことを想ってくれている。いいな、目線が同じって、いいな。
「ゆっくり話し合う時間を持てるって、いいよな」
「ン……」
 いい瞳。一点の曇りもない。翳りもない。そうなることはもうない。
「私……」
 言いながら、じっくり観察した。今まではこっそりとしか出来なかった。目の端でなくともいい。こんなに心臓躍る距離でいい。
「友達も満足にいないの。忠弘はいつも、さすが俺の友達って、その人に向かって言うでしょう。なかなか出来ることじゃない。私は恥ずかしくてビビり屋。相手の反応ひとつ一つが怖くて、上手く対応出来なくて、面倒くさいって言い放って全部諦めてた。でも忠弘はちゃんとしてて、きちんと人間関係を築けてた。すごく羨ましかった。
 こんな私に、ほとんど初めて出来た友達なの、あの二人は。だから大切にしたい。私はなにもしていないけど、喫茶店に行こうって言ったのは私だし、そういう意味では友達に、私にとっての忠弘を紹介して上げたと同じことでしょう。もし私が誰かに忠弘を紹介されたら、その人に感謝したい。同じように、私の友達も考えていると思うの。だから、直接会って上げたい。
 ね、前に私と飲もうって言ったでしょう? ほら、忠弘が私を連れ込んでくれた日、居酒屋で逢ったよね。あそこで飲もうよ。私と忠弘、私の友達二人、あとオマケに友達の出来立ての旦那様と。
 どう?」
「即答出来ん」
 なんと。
 即答してくれると思っていた清子。この言い方、まだ説明が足りないのだ。
 それはどんな箇所か。
「なにか、いやな所がある?」
「ツッコミ所が満載だ」
 そうか? そうだったのか。前半の、羨ましいを否定されたらどうしよう。
「確かに、友達を大事にしたい気持ちは分かる。俺とてさぁやを誰かに紹介されたらそいつに直接感謝したい。だが居酒屋? しかもあの、渡辺君とやらと楽しく飲んでいた所でか? 今度はどの客を勃たせる気だ」
 そこに反応するか。清子はがっくりと来た。
 清子の反応に気付いた忠弘、清子の目じりをチロりと舐めた。
「俺だってビビり屋だ。一年半もさぁやをナンパ出来なかった」
 そう言われれば。
「勝手に全人類の半分を代表して言うと、声を掛けるってかなり難しいんだぞ」
 男性代表を宣言しましたよこの男。
「営業でかなり鍛えられたと思っても、それでも難しい。どうすればいいか毎日悩んだ。俺がハゲたらさぁやのせいだ」
 男の禁句をよく言った。清子は本気で感心したから言い返した。
「じゃ、私がどんなに太っても離婚しないでね」
 たとえばこうして上に乗ったら床が抜けたりしても。
「だったら俺はもっと太る。それで縋るぞ。必死で引きずれ、さぁや」
「よく言った」
 口に出してやった。
「いくら夫婦でも冷や汗ものの会話は常にするものじゃない。同感してくれ、さぁや」
「うん、する」
 本当に冷や汗を実感したぞ、どうしてくれる。
 社会に放り込まれ最初に無言で学ぶ絶対律。
“決して人の外見を論ってはならない”
 まだまだ新人の二人、習いたての法則を伴侶に対し反するは実に気まずい。
「それで? どの客を勃たせる気なんだ」
 そういえば。際どい話がいきなり入って忘れていた。
「えっとね、他のお客さんはいないの。貸し切りにするって」
「ならいい」
 今度こそ即答。ほっとした。
「さぁや。俺はもう過去をほじくり返したくはない。だがな、渡辺君とやらとサシで密室で楽しく二人きりで飲んでいる、と知った時の俺の心境を少しは分かってくれ」
「……うん」
 あれはちょっと反省。
 そこで、あの時の心境を自分のこととして考えてみた。たとえば、その気がある木下と忠弘が二人きりで夜、サシで飲んだら?
 東京タワーによじ上った架空の怪獣より凶暴化出来る。清子は力強く想像した。
「……おっほん」
 どうやら忠弘に伝わってしまったようだ。咳のポーズがわざとらしい。視線は床を這っている。まあいいやと捨て置いた。
 途端キリっと清子に向き合う忠弘。ちょっと充血していたので、お返しで目じりを舐めて上げた。
「もっとも、そうと知ったのは二通の怪メールで、だったが」
「え?」
 怪って、怪獣の怪? そこまではっきり伝わっちゃった?
「おっほん! ……一通目は昼。前にも入ったアドレスから。
“あなたの状況を知らせて上げます。モーションを掛けているのはこの目で見て知っています。でも通じていないようですから、会社でじゃなくて、家に連れ込んだらどうです?”
 二通目は夜。
“居酒屋にいます、迎えに来て下さい”
 誰が打ったか分かるな」
 ……ったく、このぉ……今度会ったら火ぃ吹いちゃうぞ……嬉しくて。
「さぁやが合コンなんぞに行った時、俺が現場に急行出来たのもあのアドレスからの怪メールでだった」
 今度は蛾の怪獣になれってかぁ……?
「おっほん!」
 がぉー。
「……まあいい。他人なぞ全く興味はないが、同じ男として、突然人生を変えさせられたさぁやの友達の亭主とやらは多少哀れに思う。会って話を聞いてみるか」
「いいの?」
 忠弘は何度も何度も咳き込んだ。そして必死に態勢を立て直した。
「一度だけだ」
 でしょうね。色々な意味で。
「後は、式をどこで挙げるかはまだ決めかねているがそれまで敷地内から一歩も出さん」
 きりりと音が聞こえるほど凛々しい表情で言い切る忠弘。これは清子がどうサディスティックに形態変化しようと曲げないぞ、という意思表示だ。さて困った。
「……あの、ね」
「駄目だ」
 困った、大弱りだ。なんでもします好きにして下さいませ旦那様と初夜に言い切った上、その要因をだっぷり作っての御成婚で今に至るのだから。
「……散髪くらいはしたいでしょう? 私もするよ。髪ぼうぼうはないと思うけどなー……」
 お知恵拝借。清子は心の中で友人を拝んだ。
「なんだ。またぞろ日本一の散髪屋にでも来い、か」
 バレたか。それでもいい、ちょっとくらい出してよぅ。
「確かに身だしなみは整えなければな。さぁやにモテたい、それは気を遣っていた」
 やっぱり? 気合い入ってたもんね、あのスーツ姿……
「だがな、俺にとっての日本一の散髪屋とは、俺の髪質をよく知っている友達の店だ。そこ以外は行かんぞこれからも」
「うん、それでいい。でもあの、私は……」
 まさか会わせはしないでしょう? その男と。
「……くそ。分かった、さぁやが綺麗になるところはこれからも見たい。とはいえ独りでなど行かせんぞ。一緒に行く」
「うん、お願い」
 どう行くか、どこへ行くかはもう後は野となれ山となれ。その時にしか分からない。
 約束を守れて、清子はとてもとてもホっとした。今の気分をたとえれば、一秒でも過ぎると処理費用倍、のところをなんとか一秒前で処理しました自慢の光速打鍵で! といったところ。あれは実に快感だった。
「他に話は」
「えっとー。以上かなー」
 しれっと言ってみせた。
「わざと話を逸らしたな」
「なんのことかなー」
 口笛を吹く真似などをしてみる。
「四ヶ月間二人きり。犯りまくり天国だ。ばんざーいだ」
 非常に平坦な声が清子のこれからの体力バロメーターを非常に低い方へと明示する。ああ、振り切れるんだわ私……
「まずは家の探検だ。どこでどう俺に犯られるか、濡れながら見ろ」
「ン……もう。いいよ、連れてって」
 そういえば覚悟を決めていた。仕方ない、これも人生。主婦道とはかくも激しく遠いものか。
 安寧を願う清子を致す気満々の忠弘が抱いたまま立ち上がって、妻をひょいとお姫様抱っこした。
 清子は思う。なんだろう、忠弘ってこんなことする人じゃないのに。いつも私を荷物のように運ぶデリカシーのない人なのに。言えば殺されるけど。
 そんな妻の思惑など一切察せず、忠弘は清子と一緒に家の中を見て回った。