11

 清子は一瞬、なにを言われたか分からなかった。
「別に、さぁやに黙っていたいとか、隠し事をしたい訳じゃない。
 ただ、忘れた」
 静かな言葉だった。
「さぁやと結ばれて、忘れた」
 なんと言ったらいいのだろう。こんなに哀しい言葉があるなんて。
 涙が溢れた。その頃逢って上げたかった。
 もっと早く、救って上げたかった。出来たのに。いつでも出来たのに。したことと言えば、結ばれる直前までただ拒否して。突き放して地獄に落とし続けて。
「泣くなさぁや。俺はもう、甘えていいんだろう? 一生縋れる、頼れる、愛して貰える。手料理も食える、稼げているから養える。電話すりゃさぁやのオナニーを見れるしな」
 観音様のような微笑みで、惚れた女の涙をベロリ舐めとる男。
「ン……」
 決して詰るではなく問われた、連れ込まれたあの日のよう。
 応えて、怒られはしたけれどそれは当然で……
 どうして許してくれるのだろう。
 どうして好きでい続けてくれるのだろう。
 ……惚れたから?
「忠弘……」
「どうした……?」
 二人、目を開けて、唇をついばみながら。
「どうして好き……?」
「……好きだから」
「どうして……?」
「……惚れたから」
「どうして……?」
「……こんなに」
 こんなに、
 こんなに、
 こんなに、
 愛しいから。
 二人同時に目を閉じて、抱き締め合って、猛々しく貪って、それでももどかしくて、それから……

「さぁや……」
「……ン」
 熱も鼓動も同じ、冷めはしない。
「このまま、虹の架け橋を致しても、いいが……」
「……もう」
 またなにやら四十八手を。
 朝のキスをした。吸い込まれるように触れ合う。わざと音を立てて。
「話……続けるぞ」
「……ン」
 大事な話なんだ……
「さぁや、それでな……俺の客は友達だけだ。だから、さぁやも親御さん以外は友達だけにしてくれ。その辺の、小さな教会で挙げたいと思う。いやか?」
「そんなことない!! そうしよう、忠弘」
 いつも楽しそうに友達と話す忠弘。
 ろくに友達がいない清子でも、つい最近、あんなに素晴らしい知己と巡り会えた。忠弘の気持ちがやっと分かった。
 多くなくても、派手でなくてもいい。数じゃない。あの人達の為に。
 惚れた相手の望む通りに。
「うん。それでな。
 結婚の誓いの時、指輪交換があるだろう? だから、結婚指輪はその時だ。それまでには、さぁやの人脈を超える品を用意してみせる」
「ン……そうだね、忠弘、豆とかカップとかすぐ揃たもんね。待ってる、忠弘……」
 朝のキス、目を閉じずに。こうすると忠弘の、濃い影を落とす睫毛がよく分かる。
 そういえば、子供の頃はみんな、こんなふうな睫毛だったような気がする。瞳も、こんなふうに曇りなく、ガラス玉のようで、黒目が大きくて。
 人は、いつから変わってしまうのだろう。
「抜く気はなかったが、トイレと飯がある、物理的に無理だ。だが、抜いて挿れてなどもうしたくない。抜くなら抜く、挿れるなら挿れるだ。飯を食ったら役所に行こう」
「うん」
 そう、ご飯を作って上げなきゃ。
 ずっとそう思っていたよ……
「……あ!」
「どうした?」
 清子は思い出した。そうそう、肝心なことを。
「あのね、私の親に結婚報告をしたいの」
「ああ……」
 忠弘のこの呟き、今思いついたと言わんばかり。やっぱりとしか思えない。営業の知識は豊富だろうが、こういう発想は欠片もない。
 教えて上げよう、一生かけて。
「ケータイ、ケータイ」
 清子は携帯電話を取りに行こうと思った。そういえば、この家には固定電話がない。
「どこにある?」
 お互い真っ裸なので携帯電話など持っていない。どこに? 確か、忠弘にあのメールを送ったのが、操作したさいごだったから……そうそう、
「寝室」
「で致そう」
 即答するガラス玉の瞳には、欲望だけが映っていた。
 あまりにも感情がストレートだと、ガラスさえ曇らないのだと清子は実感した。本当にこの男は五歳児のままなのだ。そのままいきなり現在に至ったのだ。
 きっと間違いなくあの日、人生が再開したのだろう。
「……抜くなら抜くっていうのは?」
 この調子だといつまで経っても入籍出来ない。
「寝室イコール愛の巣だ」
「……お腹が空いた」
 二人とも、ぐーぐー腹の虫が鳴っている。
「後ろから犯ってやる」
 料理中でも致す気だ。作れるわけがない。手料理を食べたい食べたい、いつも言うのはどこの大食漢か。
「汗でべとべと」
 お風呂に入りたい。
「風呂場も致す所だ」
「……じゃ、どこで?」
「家の中は致す所だ」
 他を考える気はまっっっったく無い模様。
「……。忠弘。取って来て」
「離れられると思うか」
「トイレは?」
「トイレでも致す」
「……どうやって」
「放尿しながら」
 清子は忠弘をぶん殴った。痛くない、というので、Mの気があるのかと訊くと忠弘は、さぁやに開発されたとのたまった。
 折衷案(?)として、清子は前してもらったロマンティックなお姫様抱っこを希望した。この体勢なら致せないだろうと。それで寝室に行って、すぐリビングに取って返して電話して、ご飯を食べてお風呂に入って役所に行って、清子の実家のある鎌倉まで車でドライブ。その間清子は眠って体力をためておくから後は眠らせないでいい、と。
「さすがさぁやだ。営業に来て貰いたいが、最初からだったらさぁやの方が出世したな」
「もう。だからそういうへんなプライドは捨ててってば!」
 忠弘はいやだと即答し、清子を抱き締めたまま立ち上がって、あとは清子の言う通りにした。
 目的物を発見、なんとか寝室で致すのは控えて貰って、リビングに戻る。さっきの体勢になりながら、清子は携帯電話で実家の固定電話に掛けた。
「ヘロー! あなたの加納でーーす!」
 電話に出た五十歳前後の男性、これが清子の父である。コーヒーに関しちゃ偏狂的に凝るくせに、他は自他共に認めるスチャラカサラリーマン。
「そちらさんの娘の清子ですが」
 答える清子の平坦な声を聞いた忠弘は、ひょっとしてそちらさんとは、自分以外にも使う日常的文言なのかと想った。この堅苦しい言葉遣いも、忠弘に対してだけではないようだ。
「おーや我が娘。久々だな、どうした。いよいよリストラか?」
 そういえば、リストラがどうのの危機的状況中に結婚しちゃったな。そう思いながら。
「私、好きな人が出来たの」
「ナニーーーーーいいいい!!??」
 加納父は驚いた。清子が実家にいたのは高校までだったが、その間浮いた話は一つもなかった。それどころか、娘に浮いた感情があるかどうかも疑わしかった。
「天変地異だ!! 誰か知らんが奇特な男だ、気が変わらん内にヤっちまえ!!」
「うんヤった。それでね、気が変わらない内に結婚したいんだけど」
 加納父は興奮した。
「でかした我が娘!! さっさと役所に行け、届け出せ!! 気が変わっても離婚届にハンを捺さなきゃいいんだからな!!」
「そうする。でね、気が変わらない内に夫と家に帰りたいんだけど」
「よし分かった連れて来い!! 拷問かまして言うこと聞かせてやる!!」
 なにかが間違っている加納父(万年係長)
「お赤飯とかご馳走十人前を準備して、夫大食漢だから。ちゃんと立派な格好して待っててね。ああそうそう、ビールもいっぱい」
 ここで忠弘が横入りした。
「さぁや。行くのはいいがすぐ帰る、家で致したい」
 すかさず清子がツッコんだ。
「十八年間暮らして私のにおいの染み付いた、私の部屋で致したくない?」
「致したい。分かった、親御さん達は俺の営業トークで飲ませ潰す。そうすれば俺達の激しい愛の営みの音が聞かれないからな」
「そうして。お父さん聞いた?」
「でかした我が娘ーーーーーー!! さっさと来い!!」
 電話の向こうは滂沱の勢い。こういうのに慣れっ放しな清子、携帯をぶつっと切る。
「どう? 忠弘」
「最高だ。さすがさぁやだ、営業部長にどうだ?」
「うん、そうだね。それで忠弘をコキ使ってやる」
 二人は仲良く一緒にキッチンに立った。清子を後ろから抱き締める忠弘はちょっと泣いていた。
 さっそく料理を開始する。よかった準備しておいて。
 途端、ふ、と抱き締められた力が緩められた。そう想ったら突然、後ろから指が一本、お尻の割れ目をわざと伝って情熱的に挿って来た。
「……ァ!」
「なんだ」
「……りょうり、ちゅうだってば……」
「一本くらいいいだろ」
「そういう問題じゃ、ない……」
 根元まで突き刺さるソレ、前の晩の自分のとはあまりにも違うソレ、結ばれた夕べは一度も……
 全身、全ての意識が集まって、自然目を閉じる。
 もう……
「俺は動かさない。感じたきゃさぁやが動け」
「そん……な」
 動いて……動いて……
「こんなに濡れていてか? ぬるぬるだ、熱いぞさぁや。どうだ、足りないだろ。奥まで届かないからな。一本だけだしな」
 清子はもう、我慢出来なかった。自ら腰を動かす。そう……卑猥に。
「さあ言え、今度こそ。たかがオーラルでどれだけ俺が我慢したかその身で知れ」
「ぁ、ぅ……も、……と」
「抜くぞ」
「いやァああああ!! もっと挿れて、奥まで突いて!! 好き、すきすきすき!! 一本二本じゃ足りない、舌も指も欲しいけど忠弘が欲しい!! 忠弘とセックスしたい!!」
「いつからそう想った」
「……そんな、言ったでしょう!?」
「言え。俺の満足する答えを」
 我慢出来ない。
「さ……最初から、入社式で逢った時からカッコいいなって、……されたらいいなって想った!!」
 途端想う通りの激しさで突かれた。指は二本追加され計三本、ずっブずブに、メッタメタに突き上げられた。両足が浮く。張り裂けるほど激しくて、喘ぎ啼きまくって清子はイった。
 脳天が白濁してぐったりする妻を抱きとめ、沸騰が収まった頃を見計らって、忠弘は告げた。
「さぁや。飯」
「……ン」
 ご飯に反応する清子。そう、そう……作って上げなきゃ……。
「それで俺は一年半、自分で慰めて無駄な精子を出しまくった、だ。分かったか。分かったら料理中でもセックスだ」
「でも!!」
 指は挿ったまま。
「まだ言うか」
 この言葉にはカチンと来る。
「私は一度に一つのことしか出来ない、いっぱい一度に出来たらもう平社員じゃない!! 忠弘じゃないの!! 料理させて!! 私の手料理食べたくないの!?」
「……」
「返事して、忠弘!!」
 ズル抜いた指だけでなく、手首までにも、清子の手料理がしとど溢れていた。全部すくって、忠弘はそれを舐めた。
「……後ろから抱き締めるくらい、いいだろ」
「冷蔵庫とかに動くから、ついて来て」
「……分かった。怒るな、機嫌直せ」
 こんなふうに言われても……いい声だと想う。ときに静かに、ときに禍々しく、甘えられて縋られて。
「怒ってない。機嫌も悪くない。いつものお魚だけど、いい?」
「いい。そういえば腹が空いた。たくさん頼む」
「うん」
 意識を料理に切り替えた。忠弘がそうなら清子はもっとお腹が空いた。こういう時、食欲は他の二大欲を上回る、切実に。
 魚を冷蔵庫から出し、グリルで焼く。
「……さぁや」
「ン?」
「前、料理が出来る男が好きと言ったな。……そういう男がいるのか」
「いない! だからあれは……」
 条件反射だった、ただ単に、忠弘と正反対の、と……。
「意地を張っていただけ! 忠弘が好き、忠弘が好み! 料理は全部私がするから」
「……何故、意地を張った」
 詰りはしない響く声。髪の毛をほほで撫でられる。キスの雨が降る。ちゅう、ちゅっ。音がよく聞こえる。
「だから……入社式で、ああカッコいいな……でもすぐ隣には綺麗な人がいて、ああいう人と付き合う人だって……」
「それで無視か」
 答えられない。言ったら自分こそ……怖かった。ただそれだけで、こんなに……
「それで大嫌いか。……最初から迫っときゃよかったな」
「……ごめんなさい」
 自分がされて嫌なことは、人にもするな。
 ちゃんとそう教わって来たのに。
 今すぐ腕を解かれて、さあ帰れと言われても。
 ……その通りに……
「まあ……いい。過ぎたことだ。いくら俺でも、粘着質でしつこい男は嫌いだ。そう思われても困る。謝らなくていい、さぁや……泣くな」
 答えられなかった。
「泣くな……愛してる。役所行って籍入れて、だろ……手料理食わせて、一生……」
 ぼろぼろ涙が落ちる。応えた、一生、そうするって決めたから。
「……ぅン」
「愛してる……一生甘えるからな……縋って犯る……いいだろ」
「……ぅン」
「さぁや……愛してる。飯、腹が空いた……」
「……ぅン」
 清子の涙を忠弘がベロリ舐めとる。そしてキス……そういえばここで。
「なあ……さぁや。他にどんな男が嫌いだ?」
「……ン」
 ベロリ、清子のほほに舌を這わせる忠弘。
 そう、作って上げなきゃ……
 卵を割った。
 いつも用意して起こしに行った。マンネリ手抜きな朝食を作るところを初めて見せたあの月曜日。「これなら俺も出来るな」なんて発想など微塵もない男だ、そう思ったっけ。
 それでもいい。一生作って上げるから。
「……えっと。順番逆に、だよね。忠弘は……とにかく、全部好き。入社式で見た時、カッコよかったよ。ただハンサムってだけじゃなくて、スーツがびしっと決まってて。佇まいも、なんか全然違ってて。だから、歳上? って想ったの。
 仕草とかもいいなあ。さっき腕時計見せてくれたけど、なんかすっごく男くさくて。……えろっちい、よ?
 起こしに行って。初めてハダカ見たけど。すーっごい逞しくて……どっきどき、した。こんな人に致されるんだ、って思って……だからすぐに後ろを向いたの。顔真っ赤だったよ、もう。
 実際、致されて。キスとか、なんでもかんでも全部、すっごい強引で力強くて。それが、なんだか安心するの。ああ守られてるな、すっごい大切にされてるなって、想う」
「死ぬほど嬉しい。もっと言え」
 嫌いな男を、というのを忘れている二人。
「強引でないともういや。激しくないといや。無茶苦茶にしてくれなきゃいや」
「もっと言え。というより襲う」
「じゃ、後で」
「殺生な。もう勃った」
 清子はコンロの火も、グリルの火も止めた。大丈夫、前やったし。
「……いいよ。私の好みでお願い」
 致された後で。清子は、風邪を引くと困るので、寝室に脱ぎ散らかされた忠弘の服のうち、シャツを拾った。
「……何故、一人でベッドを降りる」
 後ろの忠弘はまだまだ致したい模様。ベッドから降りない。
「おなか空いたし。籍を入れたい」
「これからも俺を挿れる」
 清子は、ボタンの吹っ飛んだシャツを着た。
「あれー……ぶかぶか……」
 白いシャツが清子の白い肌を浮き上がらせる。ぷるぷるの美乳を隠さないよう変形する布切れ。スレンダーなエロ腰までよく引き立たせている。甘噛みされ、つままれ過ぎて真っ赤になった乳首、行為の激しさを物語る真っ赤な刻印。丸見えなしげみから伝う一番の手料理。
「じゃ料理して来るから、待って」
 て、など言えず、その場で後ろから忠弘に襲われた。
「忠弘……ね、お役所閉まっちゃう」
 なにを言っても、盛った忠弘の耳には入らない。
「このままだと私達、……単なる同棲だよ。指輪もないし……早く妻にして……」
 忠弘に言わせれば。その後料理中も襲えず。食後も襲えず。さらには風呂場でも襲えず、山本家を後にさせられた。
「……溜まったぞさぁや」
 清子の格好は、忠弘に貰ったシックなツーピースin純白の下着。忠弘はいつものセンスのいいスーツ。
「とにかく料理中は駄目なの。いやなの。一度に一つのことしか出来ないって言ったでしょう。それ以上言うなら、もう言う気なかった地獄直行台詞を言い続けてやる」
 清子は真っ直ぐ前を向いていた。景色を眺める雰囲気ではなかった。
「大の女が男を脅すなと言ったぞ何度も。さぁやの実家の部屋に行ったら見てろよ、その言葉後悔させてやる」
 忠弘は運転中なので、前を見てはいるものの、意識はいつも通り、熱く激しく猛々しく、清子にだけ向けている。
「どうして結ばれたのにお互い脅し掛けなきゃいけないの? 一生ずっと一緒にいるんだから、譲れる所はお互い譲ろうよ」
 提案の為、忠弘を見て上げた。車のことに興味はなくとも、忠弘のドライビングはカッコいいなと思う。素直に今言ったら今致されるので、ここでは口にしない。後で言おう。
「……反論出来ない」
 忠弘は前を向いたまま。冷静というよりも、この男にしてはむしろ淡白だった。
「尊敬し合って認め合って。そうでしょう。甘えるのはいつでもいい、でも我が侭過ぎるのは駄目だよ」
「……俺は出自が悪い。まともな生き方をしなかった、だから分からない」
「そんなこと言ってない!」
 分からない、なんて。分かろうとも思わない、そう拒否されたも同じこと。やっと結ばれたのにそんな、突き放すような言い方なんて。
 いつもしていて、言える立場にもないが、そんなこと言われるなんて哀し過ぎる。
 いつもこういう思いをさせて……
「一生かけて、ゆっくり分かり合おうよ。ね?」
 出自なんて。まともな、なんて。
 でもそうだったのだ。この男は。
 覚悟が要る。分かっていた、その上で応えた。だから、全部。一生かけて。
「……うん」
 区役所に時間ギリギリで行って、二人で届けを出した。
「さぁや。自己紹介をして」
 さっきの雰囲気はどこへやら。忠弘はいつもの、嬉々満面の表情に艶っっツヤの甘え声。だから早く行こうって言ったのに。
「もう。はい、山本清子です! これからも末永くよろしくお願いします! これでいい?」
 破顔とはこういうことを言うんだろうな。
 と、この時二人共、互いを想った。
「最高だ。俺は山本忠弘、末永くよろしく頼む」
「なんか、忠弘に自己紹介されたの初めて」
「ああ……そういえば」
 再び車に乗る。忠弘は、これからは電話で山本ですと言うんだぞ、ただし迷惑電話には出るな、などと言った。清子はそういう時は加納を名乗ります、と返した。
 結局、そういう時は名乗る以前に電話を切ろうと二人で決めた。
 清子の実家までは、車で片道一時間。
「私、休むけど。忠弘はいいの? 電車で来た方がよくなかった? 寝ていないでしょう?」
 忠弘は清子に、助手席のシートの倒し方と戻し方を教えた。それから、後ろに積んでおいた、空き部屋で忠弘が使っていたふとんを清子に掛ける。
「やっと結ばれたのに呑気に寝ていられるか。さぁやと一緒なら疲れ知らずだ。いいから眠ってくれ。カーセックスは後回しだ」
「ン、もう……じゃ、お休み」
 忠弘のにおいが染み付いた、あのふとんは久々だ。目を閉じると、すぐに眠気が来た。
 約一時間後、忠弘に揺り起こされて目が覚める。
「……ン」
「さぁや、言われた住所の近くだ。これ以上は分からない、教えて」
 ぼーっとしながら、清子はゆっくり身を起こして、シートを戻した。
「……ン。ああ……久々だなあ……」
 周囲を見渡し、懐かしの現在地を確認。忠弘に道を教えながら、実家の固定電話に掛けた。
「ハーイあなたの加納でーーーす!」
 電話に出たのは清子の弟で、大学二年生。
「弟? 偉い姉よ。もうすぐ着くから玄関で出迎えて」
「おお姉か。待ってるぞー。ニーチャンかっこいいか?」
「弟の百倍はね」
「おーしいいぞー。酒が飲める!」
 楽しい家庭だな、と忠弘は思った。そして、俺達も作るのだと。
 加納家に到着すると、言われた通り三人が山本の二人を出迎えた。
『いらっしゃーーーーーーい!!』
 万歳でのお出迎えである。いい家庭だ、見習おうと忠弘は思った。
「おー君が清子の亭主か! よくぞ我が娘を貰ってくれた! まあ上がって上がって!」
 加納父にこう言われ、忠弘は笑顔で借家な加納家の敷居をまたいだ。そういえば、と営業知識で思うが、女の実家に結婚の挨拶に行く時男は緊張すべきだったか。よく、一発殴らせるのが礼儀だとも言うし。どちらも該当しなさそうだが。
 家に入ると茶の間の広いテーブルにズラリと並ぶお赤飯、ご馳走、ビール。加納の三人がそれぞれ座る。
「まずは乾杯!」
 加納父がジョッキを持つと、
「その前に、挨拶させて下さい」
 忠弘は座布団の横に正座した。清子も隣に、座布団を外して座る。
「おお、そうだったな。ではどうぞ」
 加納父は増々嬉しく思った。その心境、なかなかやるな我が娘。
「山本忠弘と申します。さやを戴きました。これからも末永くよろしくお願いします」
 両手をつき、よく頭を下げた。
「ハーーーイ了解! さぁ頭上げて! 堅苦しいことは抜き抜き、倒れるまで飲み倒そう!」
「ありがとうございます」
 言われた通り忠弘は頭を上げ、加納家の面々を見た。
 なんていい表情をしているのだろう。なんていい家庭で育ったのだろう。
 気が早い忠弘は、将来娘を貰うという婿が来たらこんなふうにしようと思った。こうなれるよう努力しようと。
 それから忠弘は飲む食うで、やはり加納家を驚かせた。加納母は、言われた通りの量を準備したつもりだったが、足りないかと思い台所に消えた。
「いっやーニーチャンかっこいいですねえ! よかった兄がこんなんで!」
 と言う加納弟にも遠慮なく酌をしまくる忠弘。
 ビールが苦手な清子は今夜のことを考え酒は飲まず、食料補給に努めた。
「で!? 姉のどこがよかったっつーか、なんつーか!」
 赤ら顔の加納弟はギリギリ二十歳。先日、おおっぴらに飲める歳にやっとなれて、酒が飲めることが嬉しくて仕方ないお年頃。しかしてその実体は、彼女いない歴二十年。姉弟して似たり寄ったり。
「さやはこの通り美人だし、飯も美味い。仕事も出来て細かいところも気遣ってくれる。そういうところ」
 さらに致せば啼きまくり、と忠弘は続けたかったが、清子に怒られそうなので止めた。
「おおおー。聞いたか姉! ニーチャン褒めてんぞ! えがったなあ! そういやなんか随分キレーになったじゃん!」
 いたずらっ子な弟は、清子に言わせればまだまだ子供。
「ありがと。次は弟の番だよ、彼女は?」
「うっせーな!」
 忠弘は遠慮なく、男二人を潰しに掛かった。
「っつーか山本君……いや息子。随分飲むねえ、……あー頭ぐるぐる……」
 子供な弟はさっさとダウン、酩酊な加納父も呂律が回っていない。加納母はせっせと料理を作って持って来る。
 ガツガツ食ってガンガン飲む忠弘はなんら通常と変わらず。じき隣の清子にキスする勢いで直近に迫り熱く言った。
「さぁや、先に風呂に入って部屋に上がってて」
「ン」
 応える清子もキスして上げたかったが、なにせ実家、人前だ。取り敢えず控えて、言う通りにした。
「っっカーーー! サーヤと来たか、いいぞ息子ーーー!!」
 清子は茶の間を失礼し、荷物を持って風呂場へ向かおうとすると、廊下で母に呼び止められた。
「なに? お母さん」
 母はさっきからずっと、せっせと主婦業をこなしていた。でも今日は、全く疲れたと思わなかった。
「随分綺麗になったね。あの人のお陰?」
 清子も嬉々満面の表情で応えた。
「うん!」
 色々、お陰様。
 その心を忘れなきゃいいわ、ただし言い放ち癖は止めといた方がいいわよ……お茶の淹れ方を教わったあの女性に言われた言葉。
「よかった。でも随分食べる人だねえ。お前、ちゃんと作ってやれてる?」
 そこを問われると、とても弱い。
「う。うん、まあ。なんとか」
 こんな返事では“ハイ手抜きをしております”と答えたようなもの。やはりかと母は思う。
「こんなことならもうちょっと、ちゃんと教えてやるんだった……」
 全くその通り。まさかこれほど料理の必要が出て来るとは思ってもみなかった。女二人、後悔先に立たずだ。
「朝ご飯は手伝いなさいね」
 全くその通り。出来ればこのまま実家にいて、料理を一から習いたいくらいだ。
「そうしたいけど……忠弘私のこと離さないから、どうかなあ……」
 まさか実家で料理中に致されるわけにはいかない。
 とはいえ相手はあの夫。まさか新婚ほやほや中に“実家に帰らせて頂きます”なんて言った日には……料理を習いたいからだ、という続きの言葉も聞かず出社もせず致されることは目に見えている。この先どうしよう。
 そんなことを考えながら風呂に入る。なんにせよ確実に、毎晩致されるのだ、この先ずっと。アレもコレもべろんべろんに舐められナニされる。とにかく、色々よく洗った。
 風呂場を出て、しおりに貰った夜着を纏い、その上にパジャマを着て二階の自室へ上がった。
 六畳のこの部屋に来るのは久々だった。においがどうと言いはしたものの、別にかおりなんてないと思う。ふすまからふとんを一丁引っ張り出して引いた。
 隣が弟の部屋だが、今夜は来ないのだから、遠慮なく夜着だけになってふとんにもぐった。あの、重い音が聞こえるまで寝こけちゃ駄目だぞ、と思いながら。
 ほどなく、階段から重い足取りが聞こえた。来た来た。
 戸が開かれる。パジャマ姿の忠弘は嬉々満面。まるで、長く離ればなれだった妻と久々に再逢出来たと言わんばかり。
「さぁや、お待たせ。さあ脚を開いて」
 清子は言われた通りにした。掛けぶとんを取っ払い、身を起こして、膝を割って、よく見せる。おいでポーズも付けて、お誘いの笑顔で。
「……来て?」
 すると忠弘は、口元と鼻の部分を片手で抑え、斜め下に視線を落とした。
「どうしたの?」
 すぐにがばっと襲われるかと想ったのに。
「……鼻血が出そうだ」
「? 連れ込んだ日から出してたんじゃないの?」
「それだと眠れないと言ったのはさぁやだ。……くそ、鼻の奥がツーンとする……」
 清子とて二十年以上生きて来たので、鼻血の一つも出したことはある。別にコーフンして、ではなかったが。この言い方、本当に出そうな模様。
「? いいよ、鼻血まみれで致しても」
 いつも鼻血と滂沱って言ってたくせに。
「出来るか。体面だ、沽券に関わる」
 強い口調で返す忠弘。
「じゃあこの下着、いや?」
 黒の総レースは、清子のぷるるんな美乳、いやらしいしげみをより強調していた。下着の体などなしていない。
「わけあるか。……だが、……あのな、刺激強過ぎ……」
 忠弘は、すけべえな下着と言われた時、ある程度想像はした。だが、んなもん着ける妻の実物は想像を絶した。
「忠弘が帰宅したら、この姿で出迎えて上げるから。慣れて」
「……あのな。夫を失血死させる気か」
「うん」
「……あのな。くそ……」
 忠弘は思う。俺をして、惚れた女を直視出来ない事態が来ようとは。
 清子は思う。甘いよ忠弘。
「致してくれないの? ずっと悶えて待ってて、溢れてるんだよ? 好き、忠弘。挿れて?」
「……この!!」
 一晩中致しまくった新婚夫婦のふとんには、鼻血は飛び散らなかった。一応。
 朝の六時となって忠弘はもう、夕べ破った夜着の切れ端も身に纏っていない清子を起こした。
「さぁや、起きて。おはよう、朝だよ。愛してる」
「……ン。おはよ忠弘、愛してる……もう……激し過ぎ……」
 寝ても覚めても息も絶え絶え。声が嗄れていた。
「誰のせいだ、あんな格好。破廉恥過ぎると想わんか」
 さっきまで激しく破廉恥行為をしていたのに。へんな会話だ、へんな夫婦だなと、二人共想った。
「じゃ、いやなの?」
「……いやじゃない。分かった、根性で慣れる。頼む俺の鼻、耐えてくれ」
「へんなお願い。いま何時?」
 忠弘は、妻がすきという仕草で、互いがすきな色の文字盤の時計を見せた。
「六時過ぎ」
 目の前の、太い頑丈な手首に巻かれたそれで、六時を五分過ぎた程度だと知る。
「意外と早い時間に起こしたね」
 ちゅうと朝のキスをする。
「さぁやの実家だ。第一印象はよくなければな」
 忠弘も朝のキスを返した。
「ふうん、さすが営業。じゃ私、朝ご飯作るの手伝いに行こうかな」
「そうしてくれ。さぁやのお母さんのと思って夕べは食ったが、やはりさぁやの手料理が食いたい」
 言われると思った。
「ン。じゃそっち向いてて」
「何故」
 忠弘は大の不機嫌不満顔。
「着替えるから。襲わないでね、遅く行ったら第一印象が悪くなるよ」
「……くそ、朝からまた丸め込まれるとは……分かった」
 真っ裸同士でちゅうちゅう朝のキスを交わしている最中のわりに、意外とすんなり了承してくれたので、本当に第一印象に気を遣っているんだなと思った。そりゃそうだ、なにせ営業、初めましての人に会うのが仕事のようなもの。清子は早速ふとんを出て着替えた。
 しかし、見えなくても音というものがある。ショーツを穿く音、ブラを着ける音、それから……
「……さぁや、……襲いたくて仕方ない」
「?」
 言われて後ろの夫を見ると、夕べは口元を覆った大きな手で、今度は耳元を抑えている模様。
「どうしたの? 分かったんじゃないの?」
「音……衣擦れの……早く着てくれ、俺を試すな」
 なにやら随分なにかを我慢している模様。
「? よく分かんないの。はい着ました。じゃね!」
 忠弘はふとんをガバぁ除けて勢いよく起き上がった。
「待て、何故俺を独りにする!」
 またも不機嫌全開だ。それにしても、朝の真っ裸が似合うというか、他がないというか。
「寝てていいのに」
 一緒について来てもいいが、まさか親弟の前で致す気ではあるまいな。
「いやだと言っただろう。ちょっと待ってろ、着替える」
 旅行バッグを引っ掴み、服を引っ張り出す忠弘。そのそばにちょこんと正座した清子は、自分はいいだろうと忠弘のお着替えシーンを見た。
「……だから。俺を試すなと言っているんだが」
「だって忠弘の裸よく見てるし」
 本当にいい体。躍動する肉体、男くさ過ぎて美しいとも想う。刻まれた大傷、見た最初からキスしたかった。今でもしたい。
 そんな妻の熱い視線を受け止める忠弘。
「本当に野郎と付き合ったことあるのかそれで……まあいい。さぁや、朝飯食ったら家……の途中寄りたい所がある。それがおわったら死ぬほど致すぞ。もうなんだかんだ言わせん」
「だから、ご飯とトイレ」
「……譲り合え、か。分かった。……この調子だと我ながら、生理の時でも止まらなさそうだがそれはいいか」
「いいわけないでしょ! ほら行くよ!」
 忠弘がふとんを畳んで押し入れに仕舞う。荷物を持って部屋を出た。
 狭い階段では二人一緒に並べなかったので、一階へ降りるとすぐ、忠弘は清子を後ろから抱き締めた。
 そのまま二人で台所へ向かうと、母はいなかった。大学生という育ち盛りの男がいるのだ、この時間には起きている筈だが。
「どうしたのかな」
「三人とも茶の間にいるぞ。潰して毛布を掛けてある」
 忠弘が甘え縋って清子の髪の毛をほほで撫でる。
「お母さんまで? ビールもなにも、お酒あんまり飲まない人なのに」
「俺は営業だ。聞いたら怒るだろうがマダムキラーだの言われている」
「うっわー、それっぽそ。だから意地を張ったの!」
「……やはり最初から迫るんだった」
 怒るなさぁや、機嫌直せ。怒ってない、すきすき忠弘。
 と、新婚夫婦は実家でいちゃついた。
 致したくなりながら茶の間へ行くと、忠弘の言葉通り加納家三人衆はグースカ寝ていた。清子としてはうるさい男共はどうでもいい、母を起こさなくては。
「あれ? 皿とかどこに……」
 あれだけテーブルに溢れるように置かれた、食事の皿、ビールジョッキがない。そういえば、チラっと見た台所にもなかったような。
「洗い物なら片付けた」
「え?」
 忠弘はずっと清子を後ろから抱き締めている。
「鍋、まな板、包丁は分からんが他ならさぁやがいつもやっているようにしてみた。一生ずっと一緒だ、料理は出来んがそれ以外、やれる所は俺もやる」
 言われて一瞬、ぽかんとした。
「……ありがと」
 なにも知らなかった筈なのに。
 成長して欲しい。清子は心から思った。
 忠弘に抱き締められながらも、身を屈めて母をゆり起こすと、なんとか意識を戻してくれた。だが父と弟は完全グロッキーの模様。
「さぁや、その二人なら起こさない方がいい。まず昼まで起きられない」
「じゃ、人によってどのくらい、とか分かって潰せるの?」
「俺は本職だ」
「どうなってんだか……ね、お母さん。一緒にご飯作ろう」
 加納母は二日酔いは避けられた模様。どうもそこまで分けて潰せるようだった。
 うーん、と唸って起きた加納母は、幸せいっぱいにくっつく娘夫婦が視界に入ると、そうだ夕べは、などと思い出した。だが、普段酒など飲まない自分がいつの間に、どうして潰されたかは、全く記憶になかったという。
 二人と母は茶の間の隣、台所へ向かった。さっそく料理開始。
 さすがの忠弘も、今朝に限っては清子を抱き締めず、椅子に座って女二人の背中を見守った。
「ええっと。山本君、というより忠弘君ね。今日は日曜日だから、もう泊まっては行けないわよね」
「はい。朝ご飯を頂いたら帰ります」
 清子は米を研いで出汁作りを。夕べは母は追加の料理を作るのに忙しく、また途中から忠弘に飲まされ潰されたので、翌朝の支度が出来なかった。
「男共は情けなく寝ているし。代表で、私からいくつか質問していいかしら」
「はい」
 加納母は、マンネリな内容とはいえ意外とさっさっぱっぱな手つきで朝食の支度をする娘にちょっと感心した。
「清子と、なれ初めは?」
「一年半前、入社式で。同期の同い年です」
「ああ、それで」
「はい」
「お父さん、あまりの嬉しさにその場で結婚してなんて言っちゃったけど。後悔していない?」
「全く」
 話を聞く清子は、本当に夕べ三人はただ飲まされたのだと思った。でなければこの会話、夕べのうちに済んでいる。
「本当に、籍を入れて来ちゃったの?」
「はい。いけませんでしたか」
「そういう意味ではないわよ。でも、世間一般に男というものは、結婚なんて責任を伴うものは後回しにするものだし。同い年なら二十四歳くらいでしょう? いくつ?」
「十一月十四日で二十四歳です。要するに、お母さんは反対ですか」
「ああら、いいえ! 清子に好きな人が出来たなんて初めて聞いたし」
 忠弘は、初めて、の部分にピクンと反応した。
「要するに驚いているだけよ。ええと、あなたはどういう人なのかしら。ハンサムなのと、大食漢というのは分かったわ。それ以外で」
「両親がいません。血縁者全てとも縁を切っています。出自は最低です。やはり、いけませんか」
「……! そう、ではなくて……」
 しまったと思う加納母。つい話の取っ掛かりに、家族と天気という当たり前のありふれた話題を言おうとして。
「披露宴も出来ません。こんな最低の人間には、大事な娘さんを」
「そんなことを言ってはいけないわ!」
 加納母は包丁を置き、忠弘に向かい合った。清子もそうした。
「……ただひろ?」
 夫の真似をして、首を少しかしげて笑顔を浮かべると、忠弘も同じく返した。大丈夫だ、そう告げ合う。
 二人のこの様子を見た母は、固い口調で言った。
「分かったわ、これ以上は訊きません。でも、清子には言って」
「分かりました。他に条件は」
「……。そんなものはないわ。清子が好きなら、それでいいの」
 忠弘はこれを、妻の家族の、結婚の承認の言葉とした。
「結婚式だけは挙げたいのですが、こちらはそのような者なので、そちらの親類の方の列席はお断りして貰えますか。情けない男で済みません」
「……だから、そんなこと言うものではないわよ」
「さぁやはこんな俺でもいいと言ってくれました。死ぬほど感謝しています。つまり、俺が無理矢理籍を入れて来ただけです」
 加納母は静かに言った。
「それ以上言ったら、いくら私でも怒るわよ、出来立ての息子。私とお父さん、バカな息子は列席してもいいのね」
「是非お願いします。ただし、加納家側の客はそれまでにして下さい。後はさぁやの友達だけで」
 重い話はこれでおわり。そう思った加納母は隣の娘を見た。
「お前、結婚式に出て欲しい友達とかいる? 家に彼氏どころか友達だって招いたことないじゃない」
 忠弘は、彼氏どころか、の部分に再びピクンと反応した。
「うん、でも会社に入ってからなら何人かいるから」
「さぁや。誰か訊いていいか」
 離れていることが、へんな気がする二人。
「えっと、一課長と美女はきっと、招かないといけないと思う」
「美女とはさぁやのことだ」
「ン、もう。えっと、じゃ便宜的に秘書ってことで」
 惚気る息子、応える娘を見守る加納母。
「分かった、一課長とその秘書だな。他には」
「あのね。連絡先を知らないんだけど、それでも、仕事を教えてくれた先輩には会いたい。それと、お茶淹れを教えてくれた人。あと、忠弘は怒るかもしれないけど、やっぱり後輩の渡辺君かな。同期の、木下さんも呼べば来るかもしれない。こんな程度、私の人脈なんて」
 投げやりに、ひどいことばかり言い放って、ろくに友達がいなかった清子。
 よく忠弘の、あんないい人揃いの人脈に、ひどいことを言えたものだ。清子は自嘲した。
「そんなこと言わないでくれ。俺とて十何人かだ」
「? お仕事関係の人は?」
 営業で、マダムキラーとまで言って、成績抜群というなら、かなりいるのでは?
「それをやったら大人数になる、披露宴をしなければならない。関係先には式は友達だけ招くと言い訳をする」
 熱い視線のまま、忠弘は出来立ての義母に言った。
「お母さん、これでいいですか」
「分かったわ、忠弘君の意見を尊重します」
 加納母は、ひょっとして、出来立ての息子は招待客の層を娘に合わせてくれたのではないか? と思った。
「ところで、一緒の会社ということよね。共稼ぎ?」
「いえ、辞めて貰います。稼ぎならあります、心配しないで下さい」
「分かったわ、全てお任せします」
 清子でさえ、両親がいないのに稼ぎがあるとは? と思った。それを、倍の人生を生きて来た人間が分からないわけもなく。
「でも、たまにはここに顔を出してね。清子、知っての通り手抜き料理しか出来ないのよ」
 忠弘は真摯に応えた。
「俺のプロポーズの言葉は“君の手料理が食べたい”です。さぁやの作ってくれた料理は全て泣きながら食べました。俺は五歳で両親を失って以降さぁやの飯を食うまで、手料理を食べたことがありませんでしたので」
 加納母は言葉を失った。言われたあの時の、娘の心境と全く一緒になる。
「さぁやにはひたすら縋っています。お願いです、俺からさぁやを奪わないで下さい」
 五歳以降というのなら。もうすぐ二十四歳というなら、約二十年間、一体?
 半世紀近く生きて来た、全く想像出来ないわけがない。夕べのあの食事量。
 昨日が会ったばかりだが、それでも既に加納母は、出来立ての息子は味覚まで喪ったのではないかと思った。
 人を起こすような時でも寄り添っていた二人。
 ……どうしてもその必要があるから……
 そうと気付いた母はとても、娘夫婦に見せる顔はなかった。下を向く。涙が滲む。
「……なにか、食べたい料理はないかしら。私に……出来ることはもう、それしかなさそうね」
 なのに考えなしにあんなことを訊いてしまった。
「さぁやの手料理が食べたいです。職種が営業なので、都内一と豪語する飯屋に行ったことも何度もありますが、どれも味がしませんでした」
 やはり味覚がない……
「……要するに、家庭料理が食べたい、ということね」
「はい」
 もうこの時点で、まともな食生活をしていなかったから、却って大食漢なのだと分からされた加納母。
 味もしないものを大量に食べて来た、食べざるを得なかった。それがどれだけ……
「それと、調理実習で出るようなものが。俺は大学以外、まともに行ったことがないので」
 つまりは夕べ、ご馳走と思って作ったものも、味がしなかったということ。
 そうでないものはただ一つ。
 聞かれてもいい、そう母は思って、出そうな鼻水をぐすんとしゃくり上げた。
「……分かったわ。全て忠弘君のいいように。盆暮れ正月も来なくていい、どうか清子と一緒に……」
 朝食後、忠弘と清子は加納家を後にした。
 清子は、車の中では眠れと言われたが、涙を滲ませながら必死で食事する母の姿を見ては、とても眠れなかった。
「さぁや、どうした? 眠って、本当に明日の朝まで眠らせないぞ」
「ううん……いい。それより、寄る所って?」
「ああ……まあ」
 三十分ほど車を走らせた忠弘は、とある丘の付近で車を停めた。そこは海の、港の見える、近場の駅から歩いて行ける墓地だった。
 黙ってついて行く清子を背に、忠弘はその辺の野花を引っ掴んで、目的地と思われる所へ向かう。
 直径50cm程度の、黒い丸い石には、なにも彫られていなかった。
 野花を墓石の前に置き、言った。
「結婚したよ。父さん、母さん」
 名もない墓標。実家は稚内。本当の墓じゃない。
 決別の言葉だった。
 清子はもう、どう言ったらいいか分からなくなった。いつもされているように、後ろからしがみついて、さっきの母のように、声を押し殺して泣いた。
「泣かないで。ここに来ることはもうない」
「そんなこと……言わないで……」
「たー坊!?」
 突然、見知らぬ老人の声がした。清子は回した腕もそのままに、そっちの方向を見た。
 すると忠弘は直ちにその場を立ち去った。後ろの清子がいることすら忘れたように。
「ま、待って忠弘……」
 ああそうか、いたか。そう言わんばかりに、解けた清子の腕の先、手首を強く掴み、忠弘は足早にそこを後にする。
「たー坊、待て!」
 七十を超えているだろう、老人は走れない。それを尻目に忠弘は駆け足に近い速度で清子を引っ張り、車に押し込んだ。
 天気はよかったのに、忠弘はオープンカーにもせず車を発進させる。
「寝てくれさぁや。本当に、朝まで眠らせない」
 ここは墓地。
“とあるお寺に身を寄せた”
 さっきの老人。
“住職に直接”
 多少調べた、と言った椎名が直接行ける距離。
「……あの、ね」
「どうした?」
 こんな時ほど、観音様の微笑。
「ご飯の支度は、させて……」
「ああ……」
 まるで、飯を食う必要が、そういえばあったかな。そう言いたげに。
「何故人は食わなければ生きて行けない。眠らなくてもいいのに。性欲だけありゃいいのに」
 言葉の意味全てが分かり過ぎる。
「そんなこと……言わないで……」
 清子も、とても忠弘に逢わせる顔がなくて、倒されたシートに身を任せ、ふとんを深く被って目を閉じた。かおりを吸い込む。
「俺が料理出来たらな。さぁやに食わせてやれるのに」
「私がするって、言ったでしょう……」
「眠れないか」
「……うん」
「だったら……なあ、質問に答えてくれないか。ほら、昨日の。さぁやの嫌いな男。つい俺のことばかり訊いて襲っちまった。運転が出来なくなる、頼むから本当に、嫌いなタイプだけ言ってくれ。いいか?」
 まるで清子をあやすように、わざと軽い口調で。
「じゃあ……」
「じゃあ?」
「あのねえ。これ、愚痴になっちゃうけど……いいかな」
「妻の愚痴の一つも聞けなくてなにが夫だ。で?」
 清子は、当初はしようと思わなかった、会社でのことを言った。
「とにかく、仕事の出来ない男は大嫌い」
「そりゃ俺も嫌いだ。だが、かなり恨みがこもっているように聞こえるぞ」
「うん。ものすごーく。もう、ストレス溜まりまくり」
「そうか。俺は性欲溜まりまくりだが……詳しく言ってくれ。ツッコミは入れない。俺を挿れはするが」
 清子は話を続けた。
「あのね。男というだけで、歳を取っているというだけで、私より仕事が明らかに出来ないのに肩書き給料が上のやつがいる。アッタマ来る。なのにこっちの仕事に口出して。自分でやればいいのに仕事こっちに押し付けて、電話も取らずに椅子にふんぞり返って座って。あー、大っ嫌い!!」
「随分総務とは酷いものだな」
 忠弘は前を見て運転しながらぶつぶつ呟いた。
「あと。俺は仕事が出来るんだぞ、だから茶なんか淹れるのは女の仕事だ。そうふんぞり返ってお茶出しさせる営業の男が大嫌い」
「……俺の、ことか」
「違う!! いつもありがとうって言ってくれたでしょう、そんなの忠弘だけだったもん!」
「……じゃあ、なんだ」
「忠弘以外はそんなこと言わない。頼むだけ頼んで下に見る。片付けもなにもかも、それごとき女がやって当たり前、それ以下。そういう態度で来る、女を下に見る男が大っ嫌い!!」
「相当ストレス溜まってたんだな……後でどこかで飲もう。で?」
「上司に頼まれれば仕事する。それは当然。でもね、例えば頼まれた書類を我ながら完璧に出すでしょう。でも後で叱られるの。“君ぃここはこうしてくれないと困るよ、いちいち説明させないでくれ!”なんて言って来る。例えばその書類には、開催日は六月一日、曜日は月曜とある。でも、上司は大抵そこを間違う。水曜とか平然と書いて来る。それはどっちが正しいんですかって訊いて直すよ。でもね、結局曜日も日付も違ってた。それは私には分からない。なのに分かれって言う。間違った自分じゃなく、察せない私が悪いと言って来る。
 自分の仕事に責任も持てず、持たず部下のせいにする男。部下を庇って矢面に立とうともしない、肩書き通りの仕事をしない男。ぜーーーーーーんぶ大っっ嫌い!」
「……そりゃ、分かるが」
「それと。課が違かったけど。忠弘も知ってるでしょう、ハゲ面の下らない社長のご親戚様方のこと」
「……それは、確かに」
 社長の親類という、若い男女二人の社員の態度は横暴だった。なにかあったら社長に言いつけてやる、が口癖で、過分な給料、高い肩書きを与えられながらなんの仕事もしなかった。誰もが“なにしに来てるんだ”“家かどこかで遊んでりゃいいのに”と思った。つまりこの二人は、周囲を自分の意のままにする為に出社していたのだ。茶を淹れろ、コピーを取れと言えば歳上のベテラン社員が頭を下げて飛んで来るのが快感だった。たまに社長が自分達の元にやって来て、“みんな、この二人の言うことを聞けよ!”と人前で命じてくれるのが嬉しかったのだ。そんな経営者と係累を良く思う一般社員などどこにもいない。
「社会人をやって一年半でしかないけど。ほんとまともな上司がいない。忠弘が聞くと怒るかもしれないけど、うちの会社で忠弘以外、まともな男と言えば渡辺君くらいだった。だから楽しく話してたの」
「せめて妬かせてくれ。式に招かないといけないじゃないか」
 車は都区内に入った。
「あと。俺はこんなに仕事してるんだぞ。だから、簡単な仕事しかしていないお前ごときとは違う、偉いんだぞってふんぞり返る男が嫌い。確かにそんな、判断力を必要とする仕事は出来ない、単純作業の毎月繰り返しの仕事しか出来ない。でもね、その代わりお給料と社会的認知度が違うの。私は安くて下に見られてあっちは高い、お互い給料なりの仕事してるってだけ! どんな仕事でも楽なのはないのに偉っっそーに……アッタマ来る!」
「そうか。だったら辞めろ、せいせいするだろ。そんなやつ、俺が懲らしめてやる」
「うん、お願い!!」
 清子は鼻息も荒く頼んだ。
「仕事は以上か」
「うん」
 吐き出せばすっきりするものだ。忠弘は本当に、懲らしめてくれるだろう。欲を言えばそれを直に見たいが、頼んだものは頼んだ。結果など後だ。
「となると、学生時代はどうだ」
「……うーん。私、情けない経験しかなくて。聞いたら怒ると思うけど、男って女を短期で飽きて捨てる存在だと思ってたの。だって実際、……二回ともそうだったから」
 実にビミョーな話である。イヴ前の男女だ、前歴なんて訊かずに置くもの、聞けば嫉妬しちゃうだけ。その位は分かっている。
「……まあ、そこはお互い様だ、大人だ、詳しくはツッコまんが……ひょっとしなくても、俺もさぁやをそうする存在だと思っていたのか」
「……うん。それで延々意地張ったの」
 ごめんなさい、と小さく呟くと、忠弘はもう、あんなふうに怒ったりはしなかった。
「いい。粘着質はどうせ嫌いだろう、そう思われたくない。過ぎたことだ。後は俺のことだけ考えろ」
「うん」
 山本家に到着。清子の手をつないだ忠弘は、玄関を開け、二人で入り、鍵をかけて清子を抱き締めるとこう言った。
「いいだろ?」
 だってもう。勃っているから。
「……うん」
 だってもう。濡れているから。
 あとはもう、忠弘の言う通り、家中のそこらで致した。まずは玄関、次に空き部屋、荷物置き場、仕事部屋、風呂、トイレの狭い中に至るまで。
「ぅっぁ……ぁっくんぅン!! ……はっぁ、はぁぁはぁんぅぁっ、っはっうっぅくぁっぁ……ふっぅ! んんっ……んっ……はぁはぁぁ……はうぅん……そう……ソコ……んあっ」
「なんで……ここまでヤって締まりがいい……イくぞさぁや、お待たせのキスマーク攻撃だ……啼いて啼いて啼きまくれ!」
「壊れる……よぅ!!」
「壊しているんだ、壊れちまえ俺で……あとなにも考えるな!!」
 午後二時には二人とも、空腹がぐーっと鳴ったので一旦抜いた。キッチンで水を飲む。リビングで、忠弘に抱き締められた清子はピザを取ろうと言った。
「たくはいぴざとはなんだろう」
 やっぱり知らないか。
「お宅に配達してくれるピザのこと。私、面倒くさがり屋だから、休日はゲーム三昧で動きたくないのね。そういう時はすかさず取った」
「すかさず。そうか、食いたい。取るとはどうすればいい?」
「ピザ屋に電話するの。出前ってとこ」
「出前か。なるほど、社でよく取るな。あんなノリか」
「そう、あんなノリ」
「さぁやはピザはその……」
 五歳児丸出しで甘えてお伺いを立てる忠弘。料理が出来ない男が、“この料理も作れないのかー”など言える筈がない、怒られる。
「ン? ああ、買って来たピザ生地に買って来たチーズとか乗せて焼くことはあるけど。宅配にも慣れて。だって週末はこの通りでしょう? 私、いつもへろへろになるでしょう?」
「その通りだ。分かった、まずさぁやが取ってくれ。会話を覚えてあとは俺がやる」
「ン、じゃあ電話する。量が多いから、多分五十分くらいで来るよ」
「五十分。充分だ、来るまで致そう」
 さっそく忠弘は襲う体勢。
「いいけど、先にお金用意して。あと、ピザ屋が玄関まで来るからチャイムが鳴ったら抜いてね。服着て行って、ピザを受け取る時お金払って」
 清子はマンション暮らしをしたことがないので、こういう時の為に宅配受けがあるということを知らない。
 とはいえ、知ってはいても、毎度真っ裸な忠弘を共有のマンションエントランスまで行かせられない。
「分かった。では早速」
 五十分後にチャイムが鳴っても、忠弘は抜きたくなかった。
「もう来たか……くそ、今いいところなのに」
 清子はずっと喘ぎっ放し。
「まさかこのままでは行けんしな」
 忠弘の腰は激しく動きまくり。
「バカ!!」
「分かっている、言ってみただけだ。だがさぁや、抜いていいのか?」
「バカ!!」
 啼かされまくって、これしか言えない。
「分かった。だが宅配も考えものだな。そう想うだろう?」
「もう。仕方ないから抜いていい、早く行って。食べたら襲って」
「無論」
 出してから仕方なくズル抜き、手料理を全て舐めとると、そのままで行こうとする忠弘。
「バカ! 服着てって言った!」
「ああ……」
 忠弘は苦笑した。あられもない美肢体を晒す妻に見とれる。
「なあさぁや、俺はバカだがそう連呼するな。言ってっていつも言っているだろう?」
「もう。好き! すきすき忠弘! 早く行って、早く帰って来て!」
 Lサイズ七枚を取ってやったが、次々食らう忠弘に、清子は二切れだけ食べた。
「さぁや、もっと食え。そこまでスレンダーで何故チチもケツも形がいい」
「どうして忠弘はそこまで食べるのに無駄なゼーニクがないの?」
「営業やってりゃ無駄肉など付かん」
「もう。どうせ総務ですよーだ」
 なにせ内勤、空調完璧な一室で座ったまま、ほとんど定時で帰る。外勤の営業は猛暑極寒のなか汗だく凍えて靴を履き潰し、お帰りは深夜、残業代ゼロ。これだけでも、そりゃ下に見られるかなとは、清子でも思っていた。
「明日で退職だ、総務も営業も関係なかろう」
 こういう男だから、応えて上げた。
「ね、忠弘。夕ご飯のリクある?」
「千鳥の曲。二つ巴。雁が首」
 またなにやら四十八手を。
「……お腹空いたなー」
 いけない、食料補給に努めなければ。清子は思い直してピザに手をつけた。
「精液飲み放題のリクだ。ああ、顔射がいいか」
 聞かなかったフリをした。
「シチューなんてどう? その実態は、カレーのルーがシチューの粉に変わるってだけだけど」
「固形物だと、女体盛りが出来るんだが」
 聞かなかったフリ。
「明日の朝ご飯の支度も、したいんだけど」
「ローターはどんなのがいい? その美穴にブスリと挿してやる。外すなよ。昼飯の時電話する」
 フリだけしても、全部致されそう。
「……だから。私の手料理を誰かに見られたらどうするの?」
「ああ……分かった、だったら写メだ。撮って送れ」
 どこまで極端なんだろう。
「あのね。現在我が社は未曾有の混乱時期ですことよ。そんな中、呑気にお弁当食べていられると思う?」
「ああ……そういえば」
 困った夫だ。
「トイレと食事は別って約束しなかった? 約束守らなきゃ私がなんて言うか分かってるでしょ?」
「脅し合わないとも約束しているぞ。分かった、さっきトイレで致したしな。いつか野外で致そう」
「あのね……それで、仕事中はどうしてるの?」
 清子はやっぱり、あの大会社にいた時“すき”なんて言わなくてよかったと想った。大体惚れた男のこんな体、他の女になんてもう見せたくない。
「無論、営業先では笑顔を振りまきつつ、頭ではさぁやを犯っている。さぁやもそうだろ」
「……はいはい」
 フリだフリ。清子は五切れ目に手をつけた。
「またそれだ。はいはいはなしだ。話を逸らすな」
「もう!」
 口の周りにちょっとピザソースを付けながら、食べてから開き直って言った。
「そうです、仕事しながら忠弘に致されまくって濡れまくってました! ……もう仕事しないからいいでしょ」
「ときにさぁや」
「? なに?」
 なにやら真剣そうな表情。やっと性欲以外の話か?
「俺がいない間、オナニーしまくりたいだろうがそれで体力を減らされても困る」
「ゲームをしています。そういえば手持ちのソフトが尽きたので、アキバにでも行って買って来る」
 こうなったら経験値上げを延々やってやる。
「止めてくれ、俺以外の男を勃たせるな。営業だ、アキバにも行ったことがある。適当にソフトを漁って来るからそれで遊べ」
「ゲーマーでない人がなにを漁れるっていうの。前やったソフトを買って来られても困るの」
「どんなソフトを?」
「言っても分からないよ」
「言ってみろ」
 ゲーマーな清子はプレイしたゲームのタイトルを忘れることはない。忘れると本当にダブリ買いなんて悔しい思いをするだけだから。
 よって全部を言い尽くすと。
「分かった、それ以外だな」
「……全部覚えたの?」
 結構数があるのに。そりゃ確かに今、昔のソフトなど売られていはいないが。
「俺は随分過小評価されているようだな。さぁやがゲーム好きと知って研究したんだ。情報を集め傾向を把握、分析、判断。結果こういうのが欲しいだろ」
 忠弘はぺーらぺらと清子好みのソフト名を言った。
「……凄い」
 いつの間に。連れ込んでからそんな暇あった?
「仕事に比べりゃ簡単だ」
「……なんか。バカにされてるって感じ」
 ちょっとは、一緒に仕事をしてみたいと思った時もあったが。そういえば忠弘は成績抜群、清子は単純作業しか出来ない。較べられそう。
「俺はさぁやに惚れることはあってもバカになどしない。分かっているだろうが」
「……うん」
 そう、周囲は較べようとも、忠弘はそんなこと考えたりしない。そんな男じゃない。
「他の暇つぶしはあるか。ローターバイブも所詮オナニーだからな」
 仕事もしないで家にいるというのは確かに、暇、ということなのだろうけど。でも、世の主婦はそんなに甘くないぞ。
「私、そんなに性欲旺盛じゃないんだけど……」
「あんなに啼きまくって腰振ってチチ振ってケツ振ってヨがって喘いでおいてか」
 あれはさせられただけですよ、そちらさん。
 と、あやうく言いそうになった。
「……忠弘がいないと、なにもしません」
 忠弘は、六枚目に手をつけた。
「無論だ。まあいい、日中はゆっくりしてくれ。昼寝しておけよ、夜に備えて。済まんが昼夜逆転生活をして貰う」
 不眠に悩んでいるじゃなくて、眠れないがどうした構わんと言わんばかり。
「……お肌に悪そう」
「それは困る。どうすればいい」
「夜の十時に寝て朝の六時に起きるのがいいって言われてるよ」
「誰が言ったそんなこと」
「ビューティスリープと言って成長ホルモンが出てお肌が綺麗になるの。妻が綺麗になるとこ見たくない?」
「……くそ、なんだその都合の悪いホルモンとやらは……」
 眠らない気満々だ。いけない、言い訳してでも眠らせなければ。
「見たくない?」
「見たいが、その代わり出社したらもう一人で家を出るな。誰をハメる気だ」
「またそれ? なに、私が脇見するほど、忠弘って魅力ないの?」
「……くそ。まただ。俺はなにしに仕事をしていたんだ?」