27

 いろいろ写真を撮りためると、それを見たいと思うのは当然。麻衣子でも。
 デジカメで撮った。ならパソコンで見られる。多少使えるとうぬぼれている麻衣子。とは言ってもケーブルとソフトがなければ見られない訳で。
 おやつを運んでくれる夫に言った。
「あの、デジカメで撮った写真を見たいの」
「分かった」
 政人はこれから起こる事態を完璧に予想出来たので、せっせと妻の願い通りにした。どこから出したかケーブルを取り出し、デジカメと繋ぐ。ソフトを起動して。
 サムネイルが出ている段階までやって上げてこう言った。
「仕事に戻る。見ていろ」
「うん」
 スケベなキスを落とす夫の思惑など全く気付かず、自分がどんなキャラであるかを未だ認識出来ず、麻衣子はサムネイルをクリックした。
「……あれ?」
 世界最速のマシンと豪語するどっか製のパソコン+シネマディスプレイが全面に映し出したそれは、ぼんやりとしていた。
「……?」
 次のサムネイルをクリック。
「……」
 しかし結果は同じ。せいぜい色が違うだけ、ぼんやりとしていた。
 次を見る。マウスではなくキーボードの矢印を押して。
「……」
 以下同文。全部を見てもそう。
「……」
 そう。
 つまりは全部、ピンぼけしていた。
「……ゎぁん」
 すぐ政人は動いた。休憩だと日本語で。
「……ぅゎああああーーーーーん……」
 泣いた麻衣子の耳に、休憩室が開く音が聞こえた。途端にこう叫んだ。
「来ないで!!」
 普段そんなことを言われても無視して麻衣子を抱き締める政人は、この時ばかりは止まった。なにせ予想していた事態だったから。
「こないで、いや、いやぁ!!」
「分かった。麻衣、モニターの電源を落とせ。出来るか」
「う、ぅ、……ぅん、ああーーーん……」
 泣きながら麻衣子はボタンを押す。途端モニターはなにも映さない。
「目を閉じろ」
「う、う……」
「そのパソコンは廃棄する、モニターもデジカメも。いいな」
「う、う……」
「泣き止んだら眠れ。後は全て忘れろ。俺以外」
「う、う……うん……」
 目をつむって泣きながら、夫の気配を近くに感じた。なんら重みを感じさせず、目の前のなにかが移動したのが分かる。夫が部屋を出て行くと、麻衣子はひときわ高い声で泣いた。
 後で、政人の口癖「気にするな」を聞いた。でも、言わずにはいられない。溜め込むとか、抱えるとか、ほとんど出来ないし、夫はなんでも聞いてくれる。安心し切って全部を話した。夫は聞いてくれた。
「……麻衣。ドジ」
「それが可愛い」
「……でも。麻衣、自分のドジがいや。だから、いくら政人がすきって言ってくれても、麻衣はもう、ドジをしたくないの……」
「分かった」
「どうしよう、……せっかく残そうと思ったのに……」
「麻衣が写真を撮った地点は全て小島が覚えている。お前と一緒に行って、俺が撮る」
「……」
「なんだ」
「……だって政人、忙しいのに……」
「俺だって景色を見たい。特に、お前が気に入ったものはな」
「……そっか」
「気にするな。お前の夫が、いつ細かいことにケチを付けた」
「……うん。ない」
「俺と一緒ではいやか」
「そんなことない……」
「そばにいたくないのか」
「そんなことない!」
「だったらいいな」
「……うん。一緒に、いっぱい撮ろう、いっぱい……」
 年末も押し迫った十二月三十日午後九時。ようやく政人は年内の仕事にケリをつける。じき隣にいる、恋する妻を迎えに行く。
「麻衣。今おわった、家に帰るぞ」
「……いえ?」
「前に言っていた、パリ郊外の家にだ」
「あ、そっか。うん、行こう、帰ろう」
 そういえば、あれを言われた時、どんなのかなあと思った。質問すればよかったな。また上げてない、ってことになるのかな? ほんとにばかだなあ麻衣は。
 などと麻衣子は思ったが、その程度はすでに夫に知られている。だから上げてないなんてことはないよ麻衣子。
 もう夜なので、外は街灯しか見えない。そんな中、車で移動していた。前の席に小島・水野。後ろは今村の男女。睦み合いながら。
 政人が言う家、に入っても、麻衣子はその日のうちには家がどんなものか、全く認識出来なかった。それほどやられまくった。途中で休まされているとは言われたが、麻衣子に言わせりゃ全く間断なくやられている。海も海、広過ぎて深過ぎる快楽の海。浮いて沈んで漂って。
 ただ、幸せだった。
 翌大晦日。政人は前々から言っていた。海外に出れば忙しくなる、休暇もそう取れないと。貴重な休暇だ、元々そうだが政人の想い通りにしてもらいたいと思っていた。政人の想い通りなどひとつだけ。
 麻衣もその体で。その心で。全て応じよう。
 朝。もこもこダウンを始めとした、がっちりな極寒仕様に身を固められた麻衣子と、普段着も似合うコートを着た政人が、共に車に乗る。
「……どこに行くの?」
 なにせ格好が格好。行為に及びそうにないとは麻衣子でも分かる。休暇中に家の外に出るとは思わなかった。
「家の外観を見せに、門の外まで出る」
 がいかん? もんのそと?
 実際見なけりゃ分かる訳のない麻衣子。いくつものはてなマークを浮かべるが、そんなの逢った当初から毎度であるのでさすがにもう慣れた。門の外とやらまで出りゃ分かるだろう。
 でも、車はしばらく走ったまま。
「……ここ。どこ?」
「パリの郊外」
「……あの。まさと?」
「なんだ」
「隠し事。言っていい?」
「いつでもいくらでも言え」
「……あのね?」
「なんだ」
「政人はね?」
「なんだ」
「……説明。少し。ううん。すごく。……少ない人だねって、……麻衣最初から思ってたよ……?」
「そうか」
「うん」
「そろそろ着いたな」
「え?」
「出るぞ」
 もこもこ麻衣子を恭しく、優しく車外へ出す。一歩も歩かせず抱き上げる。だいすきだいすき囁く、恋する妻へ。
「あれが家だ」
 そう言われて、麻衣子は顔を上げた。
「……どこにあるの?」
「あれだ」
 だから、説明が少ないって言われるんですよ政人。
「……どこにあるの?」
「あれだ」
 何度か同じやり取りがあったが省略。
「……あのね?」
「なんだ」
「……麻衣の目には……」
「なんだ」
「門の、奥には。なんだか、立派そうな……お庭? っていうの? があって。その周りに森? があって。
 そのずーーーっと先に……ぽっつーーーんと。あるの。は。
 ……お城?」
「そうとも言う」
 断言する政人に、麻衣子は言った。
「あのね」
「なんだ」
「隠し事」
「言え」
「麻衣と政人って、差があると思うの」
「そうか」
「分かっていたでしょう」
「金銭感覚に差があることは分かっている」
「……他にもあるもん」
「生まれ変わる前の話だ」
「……う」
「だが、生まれ変わろうがなんだろうが麻衣には贅沢をして貰う」
「……う」
「不動産屋には、どうせなら宮殿を買わんかとも言われたが」
「そんなのいやーーー!!」
 麻衣子、涙まじり。
「と言われるかと思ってただの城館にした。どうだ、差なぞないだろう」
 あのー……。
 再び車中の人となる今村の男女。
 いくら麻衣子でも、政人の目的が済めば、どんな格好でも車中だ、されると思っていたが。
「麻衣。外を見ろ。あれが麻衣が散策する庭園だ」
 今、散策って言いましたね? 散歩ですらないのですね? ただの庭っていうふうにも言わないんですね?
「なんだ」
「……あの」
「なんだ」
「……。麻衣。あんなとこ散歩したら、日が暮れそう。筋肉痛になりそう。迷いそう」
「一度に全部を見て回れなど言わん。好きな所をちょっとずつ、おやつの時間まで散策すればいい。遠い所はカートで行く、俺と小島が付いている。迷いはしない」
「……う」
「気に入らんか」
「……あの」
「なんだ」
「いくらしたの、……って訊いたら。ひょっとして麻衣。吐く?」
「そんなことはない」
「え?」
「高騰する都市部の物件と比べ、歴史ある城の価格は、麻衣が思った以上に下がっている。マンションを買う値段で買えるものもある。フランスには四万三千の城があり、うち年間四百が売りに出されている。平均価格は俺のボーナス一回分とも言われている」
 意外なことを言われて、金銭感覚を狂わされている麻衣子は呟いた。
「……そうなんだ」
 もっとも、麻衣の感覚で行けば維持するのが大変なんだがな。
 とは、政人は言わなかった。
 しばらくして車が停まる。信号などない、家、もとい城の正面入り口に到着したらしい。政人が麻衣子を恭しく、優しく車外に出す。城館に入る。
「……わあ……」
 外観もそうなのに。城内も、やはり豪華の一言だった。全く持って煌びやか。
 夕べは車中でやられて行為の余韻に浸りつつ、抱き上げられて寝室に連れて行かれるという、いつもの通りだったので、とても周りを見る余裕は、いつもだけど、なかったけど……
「……あの」
「なんだ」
「……麻衣。貧乏性なの」
「知っている」
「だからね」
「なんだ」
「……隠し事」
「言え」
「……こういう、ところ……前吐いたのに……」
「もう慣れただろう。麻衣は両親譲りだ、根性がある」
「……ないって言ったら政人、うんって……」
「今、吐いていないだろう」
「……う」
 一度は高飛車な所に連れて行って、それで度胸を付ける。政人の常套手段。もっともそれで一度吐かれたが。
「庭園には花畑もある。春になれば咲く。どうだ」
「……みたい!」
「上の天井も見てみろ」
 犬の麻衣子はその通り見上げる。
「……わあ、きれい……」
 美しい天井画があった。
「……なんか、本で見たことあるような……」
「壁にあるものもそうだが、麻衣はああいった、西洋の絵画に興味はないか。あれば本を揃えるが」
 そういえば政人はそういうこともやったと言った。だったら、見てみたいと思う。
「……うん。お願い」
「分かった」
「……でもね」
「なんだ」
「……あれ、しゃんでりあ、とか、言うんでしょう。……なんか、贅沢が過ぎるような……」
「あんなものは単なる飾りだ。気にするな」
「……またその口癖……気にするもん!」
「要するに、寛げない。と言いたいんだな」
「……うん」
「麻衣は博物館に行ったことはあるか」
「? うん、修学旅行とかで」
「だったら、数時間で出て行かなければならなかったな」
「うん」
「中の物は一切触れられなかったはずだが、少しは触れたい。使ってみたい。もうちょっといたい。そう思わなかったか」
「……あ。そういえば」
「だったらここを博物館と思えばいい。壁にあるもの、調度品、全て展示品と思えばいい。どうだ」
「……ああ、そう言われれば……」
「もちろんここのはどれも触れるし、使える。時間制限もない。どうだ」
「……うん。いいかも」
「俺が必ずそばにいる。麻衣独りには決してしない。一緒に見て回ろう。いやか」
「ううん、いやじゃない。政人がいるなら、どこでもいい。麻衣、政人のそばにいる」
「そうだ。麻衣、盆暮れ正月とは言えんが、たまに麻衣の実家にも帰す。もちろん俺も一緒に。どうだ」
「……うん!」
 政人に抱き上げられ、食堂へ。
 びびりな麻衣子、これまた豪華な食堂にびびるが。
「……朝からおにぎり? おいなりさん?」
 出されたものは、まるで運動会の昼食のようだった。
「嫌いなものではない筈だが」
 ちなみに麻衣子の嫌いなものとは、塩辛・たらこ・白子・めかぶ。なぜか全部海産物(ケーキ除く)
「なんか……ばーんとフランス料理が出るのかなあ、って……」
「緊張しているようだからな。和ませてくれと板に頼んだ」
「いた?」
「調理人のことだ。日本人で、出国の飛行機から同行している。おやつも全て板が作っている」
「……あのおやつ、日本っぽくないっていうか、……っていうのもあったと思うんだけど……」
「板は京都の出身だ。俺が引き抜く前はまさに純和風、和食一本だったそうだがプロ中のプロだ、なんでもござれだ。なんだったら昼からフレンチのフルコースでも食うか」
「……麻衣、ハンバーグが食べたいな……」
 こんな部屋で食っておいてそんなものを要求するとは。意外と図太いね麻衣子。
「分かった。十時のおやつのリクエストは」
「……クレープ食べたい……」
 いつもだが、これも全くその場の思いつき。
「初めて聞いたぞ。なんだ、隠し事か」
「う。違うの。今思いついたの。ほら、歩行者天国とかで食べ歩くんでしょう? あれ、やりたいなあって思って。あ、甘すぎるのとかだめなんだけど」
「分かった。夕飯は俺がつくる。メニューは、初めて食わせたあれと同じにする」
「……」
「嫌か」
「……ううん。食べたい。ほんと、美味しかったよ政人……」
「そうか」
「……うん。麻衣、あの時全然食べられなくて、でも……つくってくれたの見たら、すぐ食欲沸いたよ……」
「そうか」
「うん……」
 食後、歯を磨いて。政人は麻衣子を抱き上げ、大広間へ向かう。
「今日は大晦日だ。明日は正月。いい記念日だと思わんか」
「え?」
「……今夜、竜也をお前に」
 突如。
 どきどきした。子宮を強く意識した。
「……うん……」
 赤ちゃん。
 そういう言葉が頭に浮かぶ。
 でも麻衣子は、誰がどうとか言う前に、自分が赤ちゃんに近かった。
 でも。
 逢ったあの日から、体から流れた、白濁した液体。おりもとのは違うもの。
 あれが精子だとは、言われなくても分かった。
 愛の行為。それは、赤ちゃんをつくるため。
 だから麻衣子は、こう言った。ただ無意識に。
 溢れる想い、その通りに。
「麻衣……政人の赤ちゃん欲しい……」
 この言葉がなければ、政人はこのまま麻衣子と散策しようと思っていた。
「……それが、麻衣の聖域か」
「……うん」
 踵を返す。天蓋付き大寝台のある寝室へ。 
「やっとくれたな」
「……うん……」
 どれだけ政人が狂喜したかなど。
 もう、麻衣子だって分かっている。
「お前の全ては俺のものだ」
「……うん……」
「本当は、一室に押し込め連れ回すなど、安定期に入っていない妊婦にはよくないと、言われたが……」
「……ううん、いいの。だって、お母さんだって麻衣がお腹にいた時、ずっと働いていたって言うし」
 政人がもし過去に戻れるなら、まず自分の愚かな行いを止めた。次に、中川母を仕事から即引退させた。
「麻衣は、……政人のそばにいるの、愛して上げるの、……そうじゃないとだめ……」
「俺もだ」
 今年最後の晩餐まで、今村の男女は食事をベッドでとった。夕暮れ時、麻衣子はひときわ声を高く上げさせられいかされた。その間政人は食事をつくった。初めて逢った日、あの通りに。
 寝室にテーブルとチェアを運ばせて。初めて逢った日、あの通りの姿で。
 まずは紅茶を。
「……美味しい」
 政人も飲む。
「俺があの時、どれだけ緊張していたか分かるか」
「え? ……あ」
 そりゃ分かる。麻衣子でも。
「偏見と言っただろう。だから、どちらがいいか分からなかった。麻衣は俺以上に緊張していた、それでもすぐに全部飲んでくれた。
 俺がどれだけ喜んだか分かるか」
「……うん」
「お前がそばにいて、俺がどれだけ救われているか分かるか」
 それはあの日言われたこと。あの時は分からなくても、今はもう。
「……うん」
「もう、分かったな」
「……うん。全部分かった……」
 食べおえて、歯を磨く。麻衣子の口元を優しく拭いて上げた政人は、待ち切れないとばかりに麻衣子を抱き上げた。
「だいすき……まさと、だいすき……」
「俺もだ。大好きだ麻衣、愛している」
 天蓋付きの、淡いレースがおりる大寝台へ。二人共に。
 生まれたままの姿で。
「麻衣……」
「ん……?」
「……優しくする」
「うん……」
 そう言って、首筋に噛み付くようにキスをするの、麻衣の旦那様は……
 小振りな乳房を揉みながら。
 唇は。舌は。
 あの日と同じく、ゆっくりとおりて行き。
 脚を割られ、そこに息が。
「……ぁあ……」
 赤く熟れたそこはもう、溢れていた。想いも全て。なにもかも。
「政人……だいすき」
「麻衣……愛している」
 舌で。
 指で。
 全てで。
 愛し合い、実を結ぶ。
 今年最後の夜に、今村の女は新たな今村の男をその身に宿した。名は今村竜也。約十ヶ月後、男児は伝統の、泣きぼくろをもって生まれ落ちることになる。
 けだるい豪奢な天蓋付きのベッドの中で。
 今年最初の陽光を、淡いレース越しに浴びながら。
 政人は麻衣子の子宮直上にキスを落とした。
「ここに、……竜也がいる……」
「うん……」
「麻衣、お前は……この世に存在したその日から、……もう俺のものだ、お前だけのものじゃない……俺達のものだ……」
「……うん……」
「愛している、麻衣。お前だけだ。お前だけ……」
「うん……まさと……だいすき……」
 目をつむる。あの日のように。これが麻衣子に残された、麻衣子が遺す、たったひとつの聖域。

 もし叶うなら 竜也 あなたは
 どうか どうかひとりだけ 愛して

 様々な女の涙をのみながら、今村の血は脈々と続く。