18

 中川父母のことは少々麻衣子に言わなくてはならない。飯の時にするか。そう思いながら麻衣子の尻と自分を処置し、のびた麻衣子を仰向けにして、逆に乗って麻衣子の花びらをなめしゃぶる。麻衣子はすぐに目が覚めて、目の前の○×△を拙く咥えた。
「ふうん……そんなことがあったんだ……」
 麻衣子に最初のあの格好をさせ、政人も最初のあの格好で、ご飯を食べる。
「そうだ。済まん」
「ううん、政人悪くない……」
「そうか。いくら俺達の両親の願いとはいっても、それだけは聞き入れん」
「うん。麻衣もそんなのいや。聞かないでね?」
「分かった。だが俺達の両親だ、そんなことを言いはしない」
「うん、そうだと思う」
「あと二時間で着く。一発やるが、シートベルトを締める必要がある、仕方なく着席させる。いいな」
「うん。どんなところだろ。楽しみ」
 中川の両親はマンションに着くと、へたな料理をつくって二人で食べた。掃除をきちんと。のんきに昼寝して、マンションを出て書店をうろうろ探し、ガイドマップを見ながら電車で東京見物した。そんな二人に、今度はみゆきの側近頭であるあの老婦人が付き添った。もう無体は申しません、どうか見守ることだけは許して下さいと老婦人は懇願した。だったら、やっぱり本を見ただけでは分からないから、案内してくれと返事した。やっと役目を果たせると、老婦人は嬉々として二人を連れて回った。その背後には、政人の警備の者達が常にいた。
 中川の両親は、現在らぶらぶ新婚旅行中の娘夫婦に電話するなんてしなかった。ただし、帰国した二人に、頼むから田舎の家を元に戻してくれ、車も元に戻してくれと言った。政人は了承する代わりに、それでも世界一周旅行はして下さいと言った。
 今村の男女が楽園に辿り着く。ゆっくりと時間が流れる島。その中でも、ひときわ夕日が美しい。
 麻衣子を歩かせたがらない政人でも、ここの、信じられないくらいやわらかな砂のビーチは感じて貰いたい。
 麻衣子にはふわふわの、淡い桃色のワンピースを着せた。政人は上がタンクトップ、下がチノパン。髪はおろしたまま。この髪型を見る麻衣子が、いつものなでつけたそれよりも、親しみをもって自分を見ると、政人は知っている。
 誰もいない海岸を、手をつないで二人、裸足で歩く。
「……きれい」
 おっとりした波の音。真っ青な空。透き通った海。どこまでも続く水平線。
「麻衣が奇麗だ」
「……うれしい」
 しばらく、眺めていた。
「麻衣」
「……ん?」
「泳ぐか」
「ん……でも、水着持ってない……」
「裸で泳げばいい。誰も来ない」
「……恥ずかしい……」
「俺以外の誰が見る」
「ん……分かった……」
 仕方なく手を解いて、まずは政人が躊躇いなくバリッと脱ぐ。麻衣子は恥じらって直視しない。
「なんだ」
「だって……」
 麻衣子の、肩のひもに手をやる政人。解くと、簡単に落ちる、脱がされるためにあるワンピース。下着など着けていない、全裸。
「一緒に」
「ん……」
 おっとりした空間で。ただ、温かな海で。手をつないで。
 しばらくそうして。見つめ合うと、もう……
 波の音を立てて。繋がり合って。求め合って。名を呼び、愛を叫んで。
 夕日だけがアダムとイヴを見守った。
 その後、政人は麻衣子を抱き上げ、服を拾って宿泊先の、こぢんまりとした一戸建てに向かった。
 まずはシャワーを浴びて海水を流す。すぐにバスルームを出て、麻衣子にバスローブを着せる。髪を乾かす。
 それからベッドルームに連れて行って、キスで起こし、あとはいつもの通りに。ちょっと遅めの夕飯まで。
 麻衣子の望み通り、この地の名物料理を。そしてこの地自慢のビールを。悩んではいるが、予定としてはこの後麻衣子は妊娠する。その前に飲ませたい。
「麻衣の美しさに乾杯」
「……政人のかっこよさにかんぱい」
 麻衣子はセイブルー、政人はエクを。
「麻衣は酒をどのくらい飲める」
「ん……あんまり飲めない。弱いの。政人は?」
「ザルだ」
「ふうん……なんか、それっぽい」
「麻衣。飯を食ったら、どの体位がいい」
「ん、もう……いっぱいして……」
「一番好きな体位は」
「ん……あの、政人の顔が見えるの……」
「正常位か。俺もそうだ」
「……そう?」
「そうだ。麻衣のいく顔はひときわ美しい」
「やだ……」
 奇麗になったな、麻衣。
 その顔を、苦痛に歪ませて俺の子を生むのか。
 あの腐った母親ですら、声を荒げたという。俺もその場で直に聞いたらそうした。
 江口もいいが、総合病院だ。産婦人科の世界的権威は腐った父親の友人。せいぜい動いて貰おう。向こう二年予約がぎっしりだと聞くが、帰国後には東京に来ているだろう。
 麻衣子のために、午前三時で止めにして、政人も眠ることにした。なにせこの先、長期休暇は出産時を除き引退するまでない。
 ま い こ
 ま い こ
 呼ばれたような気がした。誰かに。
 政人は、隣の麻衣子が起きるのを、熟睡のさなかでも確認した。この動き、トイレか。
 そう思って眠ったままでいると……麻衣子の気配がバスルームより向こうへ行く。
「……?」
 起きた。寝室を出て麻衣子を追うと、麻衣子はふらふらとした足取りで玄関のノブに手を掛けた。
 たまらず背後から抱き締める。すぐに首筋に舌を、左手は麻衣子の心臓、右手は麻衣子のしげみの奥へ。
「あ……ン」
 いつもの喘ぎ声。
「麻衣。どうした。その先は玄関だ」
「……え?」
 え? だと?
 政人は愚かでもなんでもない。この事態がなんであるか、すぐに思いつく。
 夢遊病か。
 夢遊病。深く眠っているはずなのに、おもむろにベッドから起き上がり、ぼんやりとした無表情のまま寝室を出て、家の中を歩き回る。今の麻衣子がまさにそれ。
 精神的に問題を抱えていることが多く、欲求不満や心の葛藤が無意識のレベルで行動に出てしまうのが原因とされている。
 精神的な問題。
 ストレス、プレッシャー……なに飲んでも効かない、ほっといて……
 思いつく節はたくさんある。あの、頭を打って昏倒した時。異常はないと言われたが、脳は神秘。どんな影響があるか分からない。
 体重減。それによる体力低下。それで引き起こされたと思われる、抱いた後から頻発した風邪。
 警鐘だ。
「ん……まさと、どうしたの?」
 思わず愛撫が止まっていた。
「やぁ……もっと……」
 世には短命という聖域もいる。
 当てはまらないとは、政人だけは言えない。
「麻衣」
「ん……?」
 愛撫を再開。
「独りで死ぬな」
「……? なにそれ……あん……」
「もう二度と離さん。執務室隣の休憩室は一部屋しかない、狭いが我慢しろ」
「だいじょうぶ、麻衣一間で暮らしてたから……ん、ン……」
 監獄と侮蔑された。だが、その通りだった。
 何故俺は、自覚するまで三週間も掛かった。見初めたその日、既に頭の中は麻衣でいっぱいだったのに。せめて自覚したあの日、あのドアを蹴破って麻衣を連れ去ればよかったのに。
 半年も麻衣は吐き苦しんだ。単純作業だからその程度はとたかをくくってこの通り。
 悪友に助力を求めよう。悪友自身は動かせないが、次ぐくらいの腕の立つ者を頼もう。頭を下げてでも。
 ここまで濡れた麻衣子をやらずにはいられない、一発でおわらせ朝食を。それからもやって、麻衣子が眠るさなか、愛しいほっぺをそっと撫でながら電話した。
「えーなんでー。俺、お邪魔虫になりたかないぜー」
 とは言ってもこのタイミングでの電話なら緊急事態だとは、悪友ならば分かるだろう。なにせ現在、日本は早朝、いや未明である。
「麻衣が死にそうだ」
「カンベンしろよなー」
「そこで頼む。お前の所の板、一人預けてくれないか」
「ふーん……」
 どんな大金でも、どんな者の命令でも動かない悪友。動くのはただ一人、聖域の為だけに。
「分かった。俺と板チョは動かせないが、副でどう?」
「どう恩に報いればいい」
「俺の聖域の売り上げに協力」
「他には」
「これ以外ないって知ってるクセに。50kgまで増やしてそこで止める。あとはなんとかしろ」
「ありがとう」
 あとは精神科医。これまた権威は父親の友人。父に頼むなど金輪際しない、直接電話した。
 麻衣子を昼まで寝かせる。自覚したその日、すぐにこの旅行に想いを馳せ、その時は絶対抜くものか、やりまくってやると思っていた。実態はこの通り。
「ん……ん……」
 昼となって麻衣子が身じろぎする。最初、空腹で起きたという麻衣子。
 たまらずキスをした。あの頃は、いつも一発やって遅めの昼食で……
「まさと……」
 誘惑とはなにかも知らないくせに。能力ないくせに。ろくな言葉も知らないくせに。
 その全てが俺を狂わせる。
 誰かの聖域。俺の、俺達の恋に終わりはない。
 ここの産業は紅茶。いつもマスターの所から仕入れていたが、日本を離れる。ここのを麻衣子に飲ませたい。
「麻衣。食え。おやつだ」
「おやつ……」
 その表情。俺の口からそんな言葉が出るとはな、と言っている。
「……バナナボート……」
「俺が作った」
「いつの間に……」
 今村の男は時間の使い方が上手い。
 それを言えば、ごめんね麻衣は時間をいい加減に使って、などと言われそうだから止めにした。
 目の前の麻衣子が、あの日のようにぱっくり食べる。いい食いっぷりだ。今まで一度も残したことはない。俺達の両親に感謝を。
「どうだ」
「ん……美味しい。どうして政人、麻衣がこれは食べられるって知ってるの?」
「お前が吐いて少々俺達の家を出た後、バナナが減っていた。だからだ」
「……ごめんなさい、もうあんなことしない……」
 今回ばかりは信じようと思う。
「あの時さみしかったな……家に戻った時、ああ帰って来たなって、実感した……」
「そうか」
 今村に言わせればあの家は狭い。だが、見初めた次の日紹介されたあの物件を見た時、麻衣ならこれか、とぼんやり思えた。ほとんど麻衣の知識がないあの時の判断は正解だった。その割に、抱いた後失敗したが。
「ごめんなさい、目の前で吐いちゃって……もうあんなことしないから、大丈夫だから……」
「分かった。食え」
「うん……」
 麻衣がケーキと紅茶をするっと平らげる。
「なんかこの紅茶、いつもと味違う……」
「ここの土地の名産の茶を使った」
「そっか……美味しいね」
 後で麻衣から、思いついたように、そういえばシュークリームなら食べられると言われた。こうなりゃケーキバイキングでにも連れて行くか。甘い匂いで吐きそうだと言われたらさてどうするか……
 それからはゆっくり、熱く激しく抱き合った。三食プラス二回のおやつは欠かさず。毎日熟睡させた。
 事の合間に、政人は麻衣子に腕枕した。まれにしかやらないピロートーク。
「麻衣」
「ん……?」
「うとうとする時、ふとんを蹴飛ばしたりしていないか」
 麻衣子の返事はなし。確定か。
「分かった。うとうと用のふとんを作る。それにくるまれ」
「……あの」
「風邪は」
「……引いてない」
「具合は悪いか」
「ううん……」
「気分はどうだ」
「すごく幸せ……」
「俺もだ。なにか隠し事は」
「ないよ……全部見せてる……」
「他に言いたいことは」
「うで、……重くない?」
「麻衣は軽過ぎる。太れ」
「……。あのね。だいすきな人に、太れと言われて喜ぶ女の子いない……」
「お前は女だ。いつまで女の子気分でいる」
「う……じゃ、じゃあ……まんがだめ?」
「それはいい」
「よかった……」
「執務室隣の休憩室には、入るだけ漫画、花、小物を置く。日本の番組を放映させる。パソコンも置く。他に欲しいものは」
「えっと……」
「今より忙しくなるが、三食ごとと睡眠時、逢える」
「うれしい……」
「しばらく取れんが休暇の際、パリの家に連れて行く。そこで使用人に会わせる」
「? しようにん? それ、なに?」
「麻衣の世話をする人だ」
「せわ……」
「俺は本家を出てから一人暮らしだった。麻衣をあの家に住まわせても、俺一人で対応出来ると思っていた。だが結果はお前を独り延々歩き回らせ」
「そんなこと! あれは麻衣が悪いの!!」
 身を起こす麻衣子を政人が優しく制する。
「俺が」
「違う! やだ、そんなこと言わないで!!」
「何故」
「政人は麻衣の憧れの人なの!! 完璧なの、あやまったり、おれが悪いとか言っちゃいけないの!!」
「完璧な人間は存在しない」
「でも麻衣にとってはそうなの!! 言わないで!!」
「麻衣」
「……いわないで……」
 政人の逞しい胸板にほほを寄せ、すりよる麻衣子。恋する妻の髪を撫でる夫。
「分かった。麻衣の願いなら聞く。全て叶える」
「うん……」
「なんでも言え。全部答える」
「ん……思いついたときでいい?」
「分かった」
 政人は室内で抱き合うだけでなく、この島の景色をよく見せた。そして二人で写真を撮った。
 いろんな国に行き、景色を見せ、写真を撮り続けよう。アルバムを作り、麻衣に、竜也に、その聖域に……
 名残惜しくて仕方がないが、十日後、楽園をあとにした。引退後、また来ればいい。
 政人は引退の歳を三十五くらいにしようと思った。どうせあと少しで社長の椅子は自分のもの。その後すぐに退いてもいいが麻衣子とあの両親が許さない。だが数年も働けばもうそんなことは言わせない。三十近くまで意味もない人生を続けて来た、これからは寿命が尽きるまで麻衣子のそばにいる。
 帰国後、中川の両親と少々会話。政人は親の不始末を詫びた。
 それから今村別宅へ。麻衣子を動かしたくない、あのマンションを気に入っている麻衣子にいてもらって医者を呼ぼうかと思ったが、麻衣子は他人が家に上がられるのをあれだけ嫌う。思い出させたくもない。中川家三人は本家のでかい家が嫌い。本家に比べればこぢんまりした邸宅へ。
 ここどこ、と麻衣子に質問されたので、今村が持っている家のうちの一つと言った。薄々気付いているだろう、今村がどういう家かを。
 訊きたいだろう。だが訊かない。言えない。
 いい状態であるはずはない。それは分かっているが……
 事前に、産婦人科医の権威には滔々と説明された。
「だからね。僕、医者なの。触診してどこが悪いのかな?」
「全部悪い」
「えっとね。いくらバージンでも、健康診断とかで何回もオヤジなヒヒジジイに胸見せて、触られてるんだってば」
「全部殺した」
「冗談に聞こえないから止めてよ……だからね。体を診たいの。どうしても触んなきゃなんないの」
「触るな。診るな」
「あのね今村。僕が医者って分かってる?」
「それ以外のなんだ」
「だからね。触らないと産褥死しちゃうよ?」
「その前にお前を殺す」
「あのね今村。僕これでも権威なの。僕以上いないの。そんな偉いお医者様と話しているって分かってる?」
「それ以外のなんだ」
 見事な押し問答であった。麻衣子に説明。
「麻衣。今日は二人の医者にお前を診せる」
「? おいしゃさま? どうして二人も?」
「必要だからだ」
「ふうん……ん、いいよ」
「そこで」
「ん?」
「実に仕方ないが、触診のためお前の裸を見せることになる。それだけじゃない、触られる」
「……。いや」
「医者に、そうされたことはあるな」
「……そうだけど、いやだった」
「俺もいやだ」
「だったら……」
「実に仕方がない。後で殺しておく、気にするな」
「するんだけど……」
 麻衣子は二十畳ほどの和室にいた。ふかふかの重厚なざぶとんに座り、ふわふわとろんで久々に、家族以外の生物を見た。入室して来たのは白衣を着た初老の男性と、もう一人白衣を着た初老の女性。初めまして、私は某という医者です、この者は看護婦ですと説明された後、なにやらな書類を、目の前の沈金の座卓に置かれた。
「? これ、なんですか?」
「簡単なアンケートす。気を楽にして全てに答えて下さい」
「はあ……」
 夫はそばにいてくれない。部屋の外で別れたまま。どうしていつものように抱き上げて、優しくおろしてくれないのだろう。独りで歩かせたがらないのに。
「正直に書いて戴けると助かります」
「はあ……」
 麻衣子は犬だが、夫以外に犬になりたくない。抵抗したかったがおばかなのでやり方も知らず。これが済めば夫と逢えるだろうと思って、仕方なく久々にえんぴつを持った。えーっと、なにこの質問。
 拙く一生懸命回答する麻衣子。結構数が多かった。一時間近く掛かった。
 それから医者に口答で質問される。意味も分からずそのまま思った通り答える。これまた結構時間が掛かった。どうしてこんなこと訊くのか、とは思ったが、これで以上ですと言われた途端、もう忘れてしまった。
 医者と看護婦が出て行く。入れ替わりに入室して来たのは夫。二人分の食事を持って。
「まさと。やっと逢えた」
「済まん。寂しかったか」
「うん。すごく。もういや」
「済まん。午後、もう一度診てもらう」
「……さわられるの?」
「そうだ」
「いや……」
「俺もいやだ」
「じゃ、せめて……一緒にいて……」
「分かった」
 昼ご飯を食べて、本来ならさあここで一発のタイミングで部外者が入室する。
「邪魔だ。出て行け」
「だから僕、医者です。今村夫人、初めまして。これからは僕がついてるから」
「?」
「だからね今村。そんな、殺すと言いたげな目で睨まないでくれる? 触診出来ないんだけど」
「言いたげじゃない。今すぐ殺す」
「そんなこと言ってぇ。十月十日の間、誰が今村夫人を診るのかな?」
「だから仕方なく生かしている」
「言っとくけど僕忙しいよ。どっかのヒヒで偉い爺様と奥さんに直接来られて、揃って泣いて頭下げられたから仕方なく予定キャンセルしたけど。一年が限度。僕以外だと産褥死だ」
「それが触診前の見立てか」
「触診すれば変わると思うよ。今村夫人、失礼」
「待て、俺が脱がせる」
 麻衣子は知らないうちに前開きの服を着させられていた。それを脱がされる。ブラは着けさせてもらえなかった。真っ白ななめらかな肌、派手に散る赤い刻印、小振りな乳房、真っピンクな乳首。露出されて夫に見つめられれば濡れるというか、夫といるとすぐ濡れる。
「だから、濡れ場後にして。早く済ませた方がいいだろ」
「あの……誰ですか?」
「僕? しがない産婦人科医」
「はあ……」
 政人が麻衣子の目の前から退き、背後に回る。しがない医者が麻衣子の前に。恥じらうというより、心底いや。
 しかし医者はいやらしい目で麻衣子を診ない。あくまで事務的に聴診器を取り出して、真剣な眼差しで。
 肌に冷たい金属を点々と押し付けられながら。
「今村夫人、あなたはこれから妊娠するんです。診る必要があるから、悪いけど下の履物もうちょっと下げて」
 実にいやだ。でも、後ろの夫が寄って来て、麻衣子のスカートをしげみが見える一歩手前までおろす。
「いやあ……」
「そう緊張しないで。ちょっと触るよ」
 夫以外に触れられるなんて屈辱もいいところ。そういう単語は知らなくても、嫌悪感いっぱいだ。
「いや、いや、まさといや……」
「もう少しだ。待て。どうだ」
「んー。そうだね」
 手が離れた。麻衣子はもう涙を滲ませている。政人は麻衣子の服を素早く直し、後ろからいつものように抱き締める。安心させる為、首筋に舌を這わせて。
「ん……」
 もう触診はおわったので、目の前の濡れ場は気にしないらしい医者は言った。
「江口のレントゲンは診た。総合的に判断した。結論、大丈夫だよ」
 政人が視線だけ医者を見る。本当か、そう口に出さずとも言っている。
「僕、誰だっけ? 疑われる覚えないよ」
「分かった。ありがとう」
 医者が退出すると、麻衣子はここで一発やられるかと思っていた。だが。
「麻衣。これから仕事だ」
 実に残念だが、普段から仕事してと言っている立場上、いやだの、ここにいてだの、やってだのは言えない。
「ん……いつ帰るの?」
「今日は遅い。午前様だ」
 その実態は、こうして妻といて仕事していないから。出社が遅いから帰宅も遅いのだ。見抜けもしないおばかな麻衣子。
「ん、分かった」
「ここにいるか。マンションに帰るか」
「帰る……」
「分かった。済まんが送ってやる時間がない、車には一人で乗れ」
 いやと言いたかったが仕方がない。夫がこう言うんだったら覆せない。麻衣子は犬、従った。マンションに帰ると今日の分の食事が。ソファにはくるまる用に縫われたふとんがあった。目新しいものを見つけたので、被ってみた。あったかくてふわふわ、気持ちがいい。そのままうとうとした。
 その頃政人は自社高層ビルの上から二番目のフロアの専務室で仕事をしていた。多分来るだろう、そういうタイミングで電話が鳴る。
「どうもー。お気楽社員の藤村でーす」
「用件は」
「はいはい。ってことで、今村夫人に恋の相談をしたいのですが」
「断る」
「嘘だね。予想はしていた、だから電話に出た。そうだろ?」
「用件は」
「さっき言ったけど? ボク、手短かが身上なの」
「本心は」
「知っての通り、ボクちゃんの想い人って舞子なの」
「それで」
「なのに貴方様は人の前で麻衣子麻衣子と言ってくれちゃってぇ。お陰でボクの舞子ちゃん、煽られちゃってね。ボクの目の前で今村政人を愛してます、だってさ」
「迷惑だ。麻衣の耳に入れるな」
「その辺は任しといてチョーダイよ。ってことで、ボクも恋に苦しんでいます。専務だってそうでしょ」
「否定はしない」
「他の誰でもない、関係者に相談したいの。もー籍入れて、式挙げて披露宴して旅行までして。大丈夫でしょ? ボク、結構待ったんだけど」
「断る」
「断らないね。でなきゃあんたの前に出る資格もない、ペーペー社員のケー番確認する意味はない。そうだな」
 その頃麻衣子はぴりぴりという音で目が覚めた。うとうとだ、そう深く眠っていたわけではない。今朝からやられていない、疲れてはいなかった。緊張はしたが。
「はーい」
 ふとんを脱ぎ、とことこ携帯に駆け寄って。
「政人」
「麻衣。なにをしていた」
「あのおふとんかぶってうとうと」
「風邪は」
「引いてない」
「具合は」
「悪くない」
「気分は」
「幸せ」
「俺もだ」
「ん」
「それで」
「ん?」
「この間、俺が家に上げてしまった二人組を覚えているか」
「ああ……。どうかしたの?」
「あの二人は彼氏彼女だが、実はまだ、告白し合ってもいないそうだ」
「……そうなの?」
「お前はあの二人と初めて会った時、どう思った」
「え? んっと……ああ、仲いいなあ、かな」
「そこで止まっているそうだ。なかなか一歩踏み出せんと、彼氏の方が俺に相談して来た」
「ふうん……政人、仲いいの?」
「よくはないが、お前の体重減と頻発な風邪を知らせて来た男だ。さらに言えば」
「言えば?」
「お前が吐いて少々家を出た日、会社で、俺の執務室にいきなり入り、お前を心配して来たのがあの男だ」
「……そうなの!?」
「そうだ。だからあの男と面識のないお前はあの男の彼女未満と共に喫茶井上で会った」
「……そうだったんだ……」
「実を言うと、それで俺はお前を迎えに行けた。恩がある。返さなければならない、分かるな」
「うん……そうだね……」
「そこで、実に仕方ないが、あの男に会ってくれ。場所は居酒屋だそうだ。酒に弱いと言ったな、あまり飲むな」
「……うん」
「おわったら車を呼んで帰れ。ソファではなく寝室に戻って、きちんとふとんを被って眠れ」
「うん、分かった」