14

 日曜深夜に自宅に戻った今村夫婦は、帰って来たと実感出来て、二人ともに求め合った。だが時間が時間だったので、政人は一発で止めにしておいた。それから、いった麻衣子を抱き締め一緒に体重計に乗った。
 ピタリ2kg。どういうタイミングで体重計に乗ったのか、乗るのかすらも見抜かれて。
 麻衣子の好きな食べものは、はっきり言えば調理に時間の掛からないものばかり。麻衣子の拙い人生経験上、それは仕方がない。また、なにせ政人は性欲が強くて麻衣子を抱きたくてしょうがないので、抱くのにだけ時間を割き、時間の掛かる凝った料理を今まで出してこなかった、ということもある。
 だがあの宿で出されたものは、もはや天と地だった。いくら政人でも、あれの後で麻衣子の好きなハンバーグを出そうとは思えない。間違いなく比べられる。麻衣子はおばかなので、自分が比べるということが政人にとってどう取られるかなんて考えられるわけがない。抱えていないということで、それはいいのだが、味がしないと思われるなんて政人のプライドが許さない。あの料理に対抗出来るといったらただ一つ。子供の頃から食べて来た、お袋の味ってやつしかない。
 やはり実家に戻そう。友人知人と会う約束もしているというし。
 問題は、どこに麻衣子をやっても、一週間も逢えないという動かしがたい事実。
 耐えられるか?
 答えなど、とうに出ていた。
「ぁ……ン……」
 寝室で、いつものように。生まれたままの姿、裸のまま。ベッドで、一糸纏わず。シルクのシーツはとうにしわくちゃ、汗と愛液精液でまみれ。
 繋がってもいないのに。声が出る。麻衣子だって分かっている、自分の声が、どれだけ愛に濡れているか。
「ん……、ん……」
 もう、限界だった。
 政人にのしかかられている。身長差も体重差も、体格の差だってあるのに。差ばかりなのに。
 いつもなら向かい合う形でシックスナイン、だったらこれはなんと言う? うつぶせの麻衣子の肩の両脇に、逆に乗るうつぶせの政人の膝が。
 だから……麻衣子の背に、押し付けられていた。政人の、固く熱く激しく脈を打つ、怒張した、欲望の証が。
 わざと、体重をかけて。のしかかる政人。
 麻衣子の脚を割り。熱い舌で、片脚ずつなめたくる。それだけで、もう麻衣子の頭に真っ白な花火が散っている。なのに。
 政人のそれが。いやらしく、いつもは麻衣子の中でそうしているそれが、外で、麻衣子の背と政人の腰の間で、熱く激しく蠢く。
 その動き。円を、楕円を描くように。
 政人の○×△が麻衣子の背で。
 濡れた、熱くて大きくて激しいそれが。
「ぁ、……ぁ、……」
 麻衣子の拙い口からよだれが垂れる。止められない喘ぎ声と共に。何度も飲み込んだ精液と共に。
「……麻衣……」
 政人のそれが、ときに激しく上下に、麻衣子の背中で。
「ン、……ン……」
「麻衣……」
 濡れたそれが、わざと、わざと麻衣子のお尻に。
「ぅ、……ぁ……」
「……麻衣」
 虚ろな目をした麻衣子の、お尻の谷間が、それを扱く。
「ん、……ぁ……」
「……愛している……」
 わざと、もっと脚を広げられ。
「……麻衣」
「ま、さ、……と」
 ひくつくソコ。麻衣子も蠢く、熱く、激しくいやらしく。
 しとど溢れる愛液が、しげみを濡らす。
「……なんだ」
「挿、れ、……て……」
「……なにをだ」
 また、それを背に押し付ける。いつもは中で嵐のように暴れるそれを。中じゃない、動きに制限がない、濡れたそれが、小さな白いなめらかな肌まで犯す。
「……麻衣の……」
「……麻衣の?」
「欲しいの、を……」
「だから……なにをだ」
「……麻衣の、……政人を……欲しい」
 のしかかり、ぐりぐり、ぐりぐり、円を描き、時に突き、押し付ける。
「いくらでも……くれてやる……」
「……欲しい……」
「麻衣……愛している……」
「……麻衣も……あいしてる……ほしい、いれて、おねがい……」
 なのに……
 体位を変えられた。麻衣子はあおむけに。政人は移動し麻衣子の足下へ。まずは手始めに、そう言わんばかりに足の指を舐められて。その舌遣い、愛撫以外のなにものでもなく。以前もされた、でも、あの時、いつもだけれどもうそれで声が。
 足にまで刻印を。
 それだけではとても物足りないらしい、足首、もも、膝、膝裏、ふともも……焦らすように舌が這う。片脚から片脚へ、舌が移動するたび、いやらしく麻衣子の脚を広げて。もうそこの中心は、求めているのに。言ったのに、挿れてくれない。熟れて、ひくついている。欲しがっている。分かっているはずなのに。
「ぁ、……ぁ、……」
 わざと穴のまわりをかすめて。政人の熱い舌が、力強い指が麻衣子を這う。
「ンぁう!」
 もう、もう挿れて。どっちでもいいから。
 言わなくても分かっているはずなのに。
 麻衣子はもう弓なりで、何度もいっていた。
 なのに満足出来ない。
 絶頂でなきゃ、もう、いや。
「ン、……ン……」
 どれだけ自分から、いつもされているように、脚を広げられ、膝を肩の脇に付くほどにして、もっともいやらしい穴二つ、天に向かせようと想っただろう。もうだめ、もう限界、挿れられなければ気が狂いそう。
「ま、さ……と……!」
「……なんだ」
「挿れ、……てぇ、……くるっちゃう……!」
「……指か。……舌か。……なにをだ。……言え」
 もう、何本も飲まれて。飲んで。
「まさとの……!」
「……俺の、なんだ……言え、麻衣……」
「それ……! ……○×△!!」
「……俺も……だ、△×○に挿れなきゃ気が狂う……」
 最初から。
 そうだった。正常位で、がっぱり割られる麻衣子の両脚。
 淫乱な、欲望と欲望がぶつかり合う。
「……ああッ!」
 麻衣子はお尻さえ浮いた。淫らな、欲望の穴に欲望の証がぶち込まれる。途端白い火花が今村の男女を襲う。
 繋がる体、とける心。
 充満する雄と雌のにおい。
「ン、あ、あ、まさと!!」
「麻衣……愛している……」
「まさと、まさと、まさとぉ……!!」
 空が白むまでそうして……
 結婚式一週間前の朝。政人は本当に時間がなかった。だから、東京駅まで中川父母に麻衣子を迎えに来てもらった。
「麻衣をよろしくお願いします」
 深々と頭を下げる政人。それをじっと見る中川父。
「じゃあ、当日はあのなんたらって聖堂に麻衣子を連れて行けばいいんだなー」
 中川母。
 結婚式の朝まで、政人の予定はぎっしりと埋まっていた。一つでも外せば幾人もの社員が路頭に迷うような。
「はい」
 麻衣子は政人に、毎日メールをすると伝えた。分かったという政人。
 しばしの別れ。愛の余韻をたっぷり残し。
 親子三人は初めて同時に新幹線に乗った。
「なあ麻衣子や。新幹線ってこんなに広かったんだなー」
 切符もなにもかも政人の用意したもの。当然ながらグリーン席。三席も並んではいないので、中川母・麻衣子、通路をはさんで中川父。中川父の隣は空いている。
「……そう?」
 ありていに言えばこの親子、グリーン席になど乗ったことがない。途中でおしぼりとか飲み物とかが出て来るのにも驚いた。でも麻衣子は、この飲み物まずい、椅子も狭いし固いとしか思えなかった。
 今晩、麻衣子は友人達と会う。麻衣子としては一週間もあるので、どの日でもよかったが、友人達は今か今かと麻衣子を待ち構えていた。
 午前中のうちに、中川家へ辿り着く。晩秋、外は寒い。政人に着せてもらった分厚いダウンを脱ぐ。さて、夜までいつもの通りぼーっとしよう。
 などと思っていたが、中川母によって遮られた。
「ところで麻衣子。お前ちゃんと主婦やってんだろうね」
 つい、明後日を向く麻衣子。
「やっぱりか……そこまでおらだづに似なくていいだろ。いいから昼ご飯つくるの手伝え!」
「はーい」
 中川の女は久しぶりに会話した。その中で、政人が調理師免許を持っていると言うと、
「なんとまあ婿さんは……んじゃお前、そんな料理出来なくて食わせてんのかー」
 またしても明後日を向く麻衣子。
「このおばかたれめー。せめて肉じゃがくらい作れ!」
「……はい……」
 午後は、庭の手入れを手伝わされた。こういうふうに体を動かすのは全く久々だった。中川母は、どれだけ甘やかされて来たんだろうねえ、と思った。いつ三行半を叩き付けられて泣いて実家に戻って来るかと思っていたが、この変わり果てた外見。中身はほとんど変わっちゃいないようだが……
 夕方となり、約束していた時間となった。駅前なのでバスで行けばいいだろうに、麻衣子は躊躇いなく電話でタクシーを呼んだ。
「じゃあね! 行ってきます!」
 その持つ華奢なバッグも。服も靴も。身に着けたアクセサリーも。髪型も、化粧もネイルも。
 全て変わったと、友人知人ならばこそ実感した。
「久しぶりー!」
 輝くような笑顔。居酒屋で、十数名集まった友人男女は、第一声をどう掛けていいか分からなかった。
「? どうしたの、飲も飲も!」
 そこにはあか抜けた都会の奇麗な女性そのものがいた。
 ぽつぽつと飲み物を頼む友人達と混じって、お酒を注文する麻衣子。そういえば飲むの久しぶり、と思う。
 ぽつぽつと、麻衣子に質問し出す友人達。電話メールである程度話したが、やはり直接会っての会話は違う。酒が入り、興が乗ると、女の友人達は当然ながら夜の営みはどうか、とか訊いてくるわけで。
 この場の全員がとっくに二十歳を越し、経験がないのなんて麻衣子だけだった。その麻衣子がここまで変わり果て。
「うん。へへー……。すっごい、です!」
 と、麻衣子は堂々とのろけた。これしか言いようがあるわけない、ずばりばらせば誰もが目をむくだろうから。
「どうすごいのよ?」
「うん、多分みんなよりずーっとすごい!」
「言うようになったねえ麻衣子のくせに!」
 友人達は変身しまくって外見はほぼ別人と化した麻衣子のことではなく、政人のことをより訊きたがった。
「うん、あの、会社の課長さんで。それがね、四十過ぎないとなれないって言われてるんだけど三十前で課長さんで」
「ひょっとして、お金持ち?」
「うん。そうみたい」
「うっわー、玉の輿!?」
「うん、そういうことになると思う」
 本来ならばこんな話を聞けば、あの会社の者達のように醜く嫉妬するのであろうがそこは友人知人。こんなに幸せそうに言われては妬く隙もなく。
「うらやましー。あたしもそういう人と逢えないかなー」
 麻衣子は食べるより飲むのを優先させた。酒のつまみはどれも味が濃くて不味かった。それが社会人時代に食べていたものとなにも変わらないものであるはずなのに。
 くいくい飲んでしまって、麻衣子はそう時間が掛からず眠くなった。なにせやる以外体力がない。
「ちょっと麻衣子、まだ早いよー」
「うーん……」
 首筋に派手に付けられた刻印、隠そうともしないその姿。声、テーブルに突っ伏すその様まで、全く以て色っぽい。
「おいおい、なんだ中川もう潰れたのか」
 これを言う彼は、麻衣子と高校時代、三年間同じクラスだった。
「やー、ついつい飲ませ過ぎちゃったよ、だってすっごい羨ましいんだもん!」
「そうだなあ。まあ……随分奇麗になっちまって」
「そう思うんだったらとっとと告ってればよかったのよ。目え付けてたんでしょ?」
「まあ……な」
「うーん……」
 麻衣子はすでに、眠り込んでいるようだった。大して飲んではいなかったが、酒なんて約一年ぶりだったから。
「じゃ……俺、こいつ送ってくわ」
「送り狼になるなよ!」
「そいつ人妻だぞ!」
「分かってるよ」
 元クラスメイトは麻衣子をゆり起こす。
「おい、中川」
「うーん……」
「中川」
 品の良いツーピース。それを纏う、あの日よりも華奢になった体。突っ伏す背、襟ぐりからすらも見える別な刻印。いくらするか分からない、間違いなく本物のネックレス。揃いの控えめなデザインの、だがおそろしく高価なイヤリング。高校時代、麻衣子の私服といったらせいぜい安物のジーンズ一点張りだったのに。
「中川……」
 元クラスメイトの手は、麻衣子の肩から華奢な首筋へと動いた。肌に直接触れる。真っ白くてなめらか。喉が鳴った。
「失礼」
 突然現れた甘いバリトンの声の主は、妻がされた戒めを簡単に解くといつものように抱き上げた。妻はなんの意識もなく夫の首に腕を回し、熟睡のさなかだいすきと囁いた。夫婦はその場の十数人を全員ぽかんとさせてその場を後にした。他の男が一瞬触れた箇所を、噛み付く勢いで舐めしゃぶる。
 中川家では、もう遅いというのに大黒柱が玄関に仁王立ちで待っていた。義父に挨拶する。
「麻衣をお願いします」
「婿さん。ここに来るまで何時間掛かった」
「一時間です」
 今回はヘリでここまで来ていた。
「往復で二時間か。いつ寝てる」
「たまには」
「それ麻衣子知ってんのか」
「いいえ」
「麻衣子を持って帰れ」
「出来ません」
「ここには来てもか」
「はい」
「持って帰れ」
「麻衣をお願いします」
「あんだ麻衣子から離れられんのか」
「お願いします」
「もうこいつは婿さんのもんだ。持って帰れ!」
「逢えません」
「んでもここより近えべや!」
「逢えません。お願いします。ここに来たことも言わないで下さい」
「後悔するぞ」
「一週間後には逢えます」
「……分がった。頼むから寝てけろや。な」
「はい」
 翌朝、麻衣子はとりあえず二日酔いにはならなかった。だが所詮は安酒で、体が強いわけでもない麻衣子は胃がむかむかして、胃腸薬を飲んだ。さて政人にメール、っと。
 そう思って携帯をぱかっと開けたらメールがたくさん。
 まさか政人が?
 と思って相手の名前を見たら、夫からはなく、全員昨日会った友人達からだった。内容、
“この浮気者!”
 ほぼ全部がそう。
 ……えっとー……
 訳が分からなくてぼけっとしていたら着信音。電話だ。
 出ると、
「やっと起きたかこの浮気者! あれ誰よ!?」
 と来たもんだ。
「えっと……あの?」
「あのじゃない! ボケんな! 夕べのあの人誰なのよ!?」
「えっと……。あの人って?」
「こっちが訊きたいわ!」
「えっと……どんな人?」
「どんなぁ!? どこのイケメン俳優かと思ったわよ!!」
「……。背、高い?」
「高かった! って、なに知ってる人? この浮気者!!」
「……。左目の下に泣きぼくろある人?」
「そこまで見ちゃいないわよ!!」
「……。スーツ、似合ってた?」
「激似合ってた! って、知ってるのね、誰よ!!」
「えっと……。その人が夫」
「ナニぃいいいいい!!!????」
 そっか、来たのか。忙しいはずなのに。また迷惑かけちゃったな……
 麻衣子はメールした。
“夕べ来たの? 忙しいでしょう、麻衣こっちでちゃんとやるから、心配しないで。ありがとう”
 その後も友人達から電話メールが来たが、全員なぜか女だけだった。全員にあれは夫と伝えると、貰った写メなんか目じゃないくらいカッコいい、というのが全員の感想だった。白状が足りない、今日も飲むぞと言われたが、それだときっとまた来られてしまうので、うちに来ない? と麻衣子はみんなに言って回った。
 電話とメールが一段落して、麻衣子は一階に下りて行った。お腹減った、ごはんごはん。
 もう十時を過ぎていたので、用意された朝食は冷めていた。そういうのは麻衣子は得意だったので、温めようとすると、
「麻衣子」
 と父に言われた。
「あ、お父さんおはよう。ごめんなさい、昨日飲み過ぎて寝坊しちゃった」
「お前、会社で誰か知り合いいないか」
「? いるけど……」
「電話番号教えろ」
「? お父さんが掛けるの?」
「んだ。別にいいべ」
 なにせ考えなしのおばかな麻衣子。その意味を知ろうともせず。
「ん、分かった」
 さっそく携帯を操作する。えっと、上條さん上條さん。
「……あれ?」
 上條のデータはなかった。
「おっかしーなー……」
 となればあとはこの人しかいない。庶務一課主任。
「えっと、椎名さんっていうの。麻衣の上司で主任さんだよ。090の」
「分がった。早ぐ食べろ」
「はーい」
 十時に食べたらお昼どうしよ、でも三食全部食べなきゃなあ。
 などとのんきに台所へ向かう娘を尻目に、中川父は電話した。
「初めまして、中川と言います、麻衣子の父ですー……」
 中川の大黒柱は、麻衣子に似た拙さで、一生懸命説明した。が、無駄だった。
「無理です」
「そんなごど言わねえでけろ……」
「往復で二時間と仰いましたね。それですと、会社所有のヘリコプターを使っての移動と思われます。おそらく、この三日で就寝・食事全てを含めた休憩時間はそれだけです」
「……」
「この会社はいわゆる大会社ですが、つい先だってまで危ない状態にありました。あなたの息子さんの陣頭指揮により持ち直しましたが、まだ順風漫歩ではありません、そうなるためにあなたの息子さんの力が必要です。それが十日間も不在。本来許されません」
「いやー……」
「執務室は専用ですが、休憩場所は共有です。既に社外の人物となったあなたの娘さんが入り込む隙はありません。また、会社と無関係の配偶者を連れ込んだなどと言われる隙を作る訳には行きません、そういう立場には元々ない人です」
「はぁー……」
「もう少し、あなたの息子さんを信じて下さい。逢えないというならそれまで、それ以上にはなりません。大丈夫です、たかが一週間でどうにかなる程度の絆ではありません」
「……悪いけどな。おれの目には、どうにかなりそうだったぞ、婿さん」
「あなたの息子さんに限ってそれはありません。失礼します」
 電話は無情にも切られた。中川父は深い深いため息をついた。これまでか、と思う。
 だが、この会話を聞いていた人物がいた。主任はこの電話をする為社員食堂へ向かって話したが、
「あららーやり手の主任さんをして無理だなんて。そりゃあないんじゃないスか?」
 お気楽社員、藤村がそこにいた。
 椎名は藤村と上條が一緒に執務室に行ったタイミングを知っている。そして、政人の恋心を藤村より早く最初に知った人物である。もっと言えば、知らされた人物で、麻衣子をそういう意味でも見守って来た。
「なにか手が?」
 ある訳はない。そういう意味を込めて。
 この会話で、藤村と、おそらく上條も、今村夫婦誕生の内情を知っているのだと椎名は思えた。
「とぉーーーっても、非人道的な手なら。思いつきませんでした? カチョーは分かってますよ、とっくに」
「だったら……この場にはもう一人必要ね」
「さぁっすがァ、話が早い。んじゃ三人仲良く早退しましょっか。落ち合い先は当然喫茶井上で」
 そして三人は別々のルートであの店に到着した。
「さァて……さっそく話すが」
 それぞれ飲み物が来てから、藤村は切り出した。
「これから言うのは、あなた方女性にはキツイ話だ。男の一方的な話だ。それでもいいか」
「前置きいいって。さっさと言えバカ」
 上條と藤村が会話するのは、あの深夜以来である。
「今村夫人が社内で存在出来る空間がたった一つだけある」
「ないわ、そんな所」
 椎名。
「やっぱ女だな。視野が狭い」
 二対の目に睨まれても、藤村は怯まなかった。
「執務室の、あのでけえ机の中さ」
 女二人はあやうく飲み物を落としそうになった。
「あそこなら、この時期はどうしても入室して来るスーパー切れ者達の目からも隠せる。食い物は運ばせりゃいい。問題は排泄」
「バカじゃない!? どうやって睡眠取れって言うのよ!!」
「課長の脚を枕にして」
「……!」
「だから言ったじゃん、非人道的で女には絶対思いつかなくてキツイ話だって」
 椎名は、それでもカップを傾け飲み切った。さすがだなと藤村は思った。
「許されないわ」
 それが椎名の結論だった。
「待って下さい」
 上條だった。
「いくらなんでもだめよ。あなた方より、課長より私は今村夫人を長く知っている。そんな状況に耐えられる人じゃない」
「分かっています」
「だったら」
「あたしは今村政人を愛しています」
 藤村はひゅぅ、と口笛を吹いた。
「だから逢わせます。なにがあっても」
 マスターは、この会話を政人には伝えなかった。
 警備の者達から、今晩の麻衣子は自宅およびその敷地内から出ていないと連絡を受けた。麻衣子からは、今日は家に女だけ友人を招いて飲み会をする、夕べ来た政人のこと凄く驚いていたみたい、もっと知りたいっていうから追加の写真を送ってくれとメールが届いた。今の政人にとって、これだけが生命線。
 この時期は、藤村が指摘した通りどうしても、執務室に部下上司社員を入れなくてはならない。もちろん選りすぐりの上級社員のみ、言語国籍は多岐に渡る。
 政人が思いつかないはずはない、キツイ手段。だが、麻衣子の体調がどれだけ悪いか一番知っているのは政人。つい先日悪友に指摘された通り。2kg増やしてもらったが、政人ではどうしてもそこまで一挙に増やせない。一番いいのは、政人という嵐から逃れて、住み慣れた田舎で養生してもらうこと。次点であの宿にいてもらうこと。いずれ逢えない。
 だが逢いたい。矛盾も炎も、もうどうでもよかった。
 飲み会か。どうか麻衣、そのままで。どうか麻衣、体を休めて。
 翌日も、政人に休みはなかった。だがひとまず現在は来客者なし。時刻は昼だった。
 いつもなら麻衣に電話した。だが今は。声を聞けばもう……
 政人は内線電話をとった。食事を持って来るように伝える。届くまで、しばし恋を置いてモニターに向かった。
 控え目なノックの音で、政人は画面から目を外した。来たか。
 入室者は言った。
「三時間、だって」
 時間を戻す。上條の告白を聞いた椎名は、その場で電話した。
「最中失礼します。今村課長の部下、椎名と申します」
 中川麻衣子を守れと言われ、その代償に昇進した椎名。彼女は、ではある程度の情報を下さいと政人に要求した。これがその内のひとつ。今村本家の電話番号。
「まぁ……はぁン! あぁん!! なニ……か、しらぁ?」
 携帯は、生々しい水音も全て拾って。
「当社の不破社長の直通電話番号を教えて下さい」
 面倒なので以下喘ぎ声は省略。
「理由は?」
 今村将。
「今村の男女を逢わせる為です」
「あの放蕩息子め。それしきか」
「協力、お願い出来ますね?」
「待ちなさい、私が電話した方が早い」
「お願いします」
「言っておくが、あの会社の情けなさは多少知っている。放蕩息子では三時間程度が限度だよ」
「充分です」
「私の娘へは、誰が迎えに行くのかね?」
「ヘリ使用の許可を与えて下さるようお願いします。私が」
「そこにいるのは君だけかね?」
「いえ、もう二人協力者が」
「別に気にならんが肩書きは?」
「私が主任、二人にはありません」
「気にせんでやってくれ。仕事ならどんな肩書きの人間でも扱えるが、聖域となると今村は話が別でね」
「分かっています」
「このまま待ちたまえ、今不破に電話する。ああみゆき、ちょっと抜くぞ」
 いやだのなんだの声が聞こえて来たが、椎名は待った。
「大地、あまり人の息子を不正使用するな」
 電話の向こうでは、そんなことはない、正当使用だとかなんとか聞こえた。
「さっさとその席をどけばこんなことにはならん。引退しろ。楽しいぞ」
 用件を先に言えと言い返しているようだ。
「お前の会社の庶務一課椎名玲、営業三課藤村茂樹、企画二課上條舞子以上三名にビル内全フロアフリーパス資格、およびヘリ常時使用許可を」
 さすが今村父、こちらのことは全て筒抜けかと名前を出された三人は痛感する。
 そんなものは言われなくても分かっていると、不破は言い返したようだ。
「大体お前の会社はケチ過ぎる、執務室内に休憩室くらい作れ愚か者」
 やかましい、てめえの会社だって大して変わらんだろうとかなんとか声が聞こえた。
「今村会長、話が脱線しています」
 椎名。
「おやおや」
 そこで電話を切った。
「不破の電話は内線で4×××、携帯は090……だ。放蕩息子の警備達には連絡して置く、行きたまえ」
「ご協力、誠に感謝します」
 三人は会社にとって返した。屋上直行のエレベーターへ向かう。その前に立つ二人の警備員は、三人を見つけると上へのボタンを押した。
 政人は入室者を見て呆然とした。またもお初。
「あの、よく分かんないんだけど、とにかくここに入ったら三時間って言えって言われて」
 政人は瞬時に、これが出来る為の協力者のメンツを頭に巡らせた。社長にまで話が行ったか。
「……いや?」
 そう言われる前に、もう政人は席を立っていた。恋する妻を腕に抱く。
「俺が」
 うっとり見上げる麻衣子に。
「いやと言ったことは?」
「ないよ?」
 そして紡がれる熱い睦言。