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 とりあえず麻衣子は、目の前の食器二人分をとことこキッチンへ持って行って洗って片付けた。
 鍵がなくともここを出られるので、さっきまでの麻衣子の気持ちなら、バッグを持ってどこかへとんずらすればいい。だが麻衣子は前後の判断が出来ない。スーパーならいいな、というおばかな考えしか巡らせられなかった。
 時計を見ると二時過ぎ。政人が定時に帰ることは有り得ない。そう、七時とか。もっとか……九時とか。
 七時間は長い。麻衣子の感覚では、テレビとはイコール地上波のみ。こんな時間のテレビはつまらないと思っている。まさかここのテレビがBS・CS入り放題の代物とはさっぱり気付かず、いつもながらおばかな行動を取った。荷物のある部屋に行ってパジャマに着替え、とことこ寝室へ向かう。夕べは人の家で緊張して眠りが浅かった。胃にものが入って、血がそっちに行って脳みそに回らず、要するに眠くなる。ふかふかのでかいベッドに入ってぽってりと眠った。
 数時間後、意識が戻って来て、さあ起きようかなと思ったら大人のキスがやって来た。政人だ。
「ん……ん……ん……」
 せいいっぱい、腕を政人の首に回す。自覚せず腰がもじもじした。
 ゆっくり舌が離れて、
「眠いか」
「……ううん」
 そろそろ起きようと思っていたところ。そう言うと、政人は麻衣子を恭しく優しく抱き起こした。首に腕を回す前に気付く。
「あ、……あれ?」
 政人の格好は、白い洗いざらしのシャツに下がジーンズ。
 こんな服も着るの……
 よく見れば、いつもきれいに撫で付けられている髪がさらりとおろされている。かなり若く見えた。
 政人はそのまま麻衣子を荷物のある部屋へ連れて行く。
「着替えろ。出掛ける」
 そう言うと、すたすたその場を出て行った。
 行き先はスーパーだ。政人のあの格好。あれなら、自前の服でなんとかなる。
 気が楽になった麻衣子は、適当に服を見繕って着た。
 麻衣子の感覚では、スーパーとは近所にあるもので、歩いて行くもの。外車で乗り付けるなんてしない。
 家を出て、駐車場に向かう政人の背を追い掛けて、麻衣子は言った。
「あの、……歩いて行かない?」
「買ったものを乗せる」
 ああそうか。
 麻衣子は出不精で、スーパーに行く時は確かにまとめ買いをする。とはいえ独り身、たくさん買っては生鮮食料品が腐る。両手いっぱいには買ったことがない。
 まさか自分の分だけではないだろう。男はたくさん食うぐらいの知識は麻衣子にでもある。納得して車に乗せてもらった。
 ほどなくして車が停められる。外の景色は暗くて見えず、同じ都内でもちょっと場所が違えばもう知らない土地。どこをどう来たかなんて覚えようがなかった。
 あの経緯からして、まさか高級なスーパーには連れて行かれるまい。それは分かっていた。さてここは。
 店名を見てもさっぱり知らない。チェーン店なら分かるかもしれなかったのに。
 入り口でぼけっと突っ立つ麻衣子に政人は来いと言う。あわてて付いて行った。入ってすぐのところは果物売り場だった。
「……あ!」
 麻衣子はあるものを見つけた。さっそく駆け寄る。
「こ、これ……高い!」
 手に取ったそれは白桃。値札は、
「五百円……そんな、三百五十円でも手が出ないのに!」
 みみっちい話だが、ビンボな麻衣子にとっては大問題。
「麻衣子」
 すっかり存在を忘れられた政人が、麻衣子になにやら紙切れを渡す。
「? なにこれ」
「俺の給料明細」
 はて。なにそれ。
「五・六回は、お前も自分のを見たことがあるな」
 そう言われれば同じ会社である、同じ様式、見たことはある。ということは、見方は分かる。途中をすっ飛ばして右下の数字を読めばいい。
「えーっと。いち、じゅう、ひゃく、せん」
 おばかな麻衣子は数字の見方もろくに知らない。指で数字を指しながら右端から数える。
「まん。じゅうまん、ひゃくまん、せん……」
 おばかな麻衣子でもはたと気付く。ちょっと待って。私の手取りって十数万円なんだけど。いま私、なんて言った?
 麻衣子は、まさかと思いつつ政人を見上げた。
「あ。あのあの……これって、年収?」
「月収」
 麻衣子はぷっつんした。
「絶対! ぜーーったいぜったい、私のお金なんか出さない! 全部おごらせてやるーーー!!」
「そうしろ」
 麻衣子はぷんぷん怒った。キレてさっきの白桃を政人の持つかごに遠慮なくえいやと入れる。政人は同じものをもう二個追加した。
「あ、これ! きゃー!」
 次に目が移ったのはレッドグローブ。きれいな紅色、おおきな実。前から興味はあったものの、手が出せず敗退していた。
 政人は分かったと言ってそれをかごに入れる。
「きゃーこれ!」
 安いチーズにまがいもののカニカマが巻かれてあるおつまみ。十二個入り、二百六十一円。政人は分かったと言って以下同文。
「これー!」
 まがいもののカニカマに卵が巻かれてある。三個入り、二百四十三円。
 以下麻衣子は、政人にとっては見れば即手作り出来る、調理の必要のないものばかりに歓声を上げた。
 麻衣子は、いかに自分がずぼらか、即ばれる品物ばかりかごに入れたかなど気付きもせず、いつものコーナーに向かう。スーパーなんて大体品物の置き方は似ている。多分、この先にあるはず。
「う……美味しそ……」
 そこは総菜品売り場だった。味の濃さそうなものに目を輝かせる。まさにおばか。
「ハンバーグ……食べたい」
「分かった」
 政人はまさかここのを買う気はない。
「あんかけそば……食べたい」
「分かった」
「唐揚げ……大好き」
「分かった」
「焼きそば……」
「分かった」
「たこ焼き……」
「分かった」
「コロッケ……」
「分かった」
「のり弁……」
「分かった」
「スパゲティ……」
「分かった」
「この、ほうれん草に鶏肉が混ざったの」
 もはや料理名ですらない。
「分かった」
「あ、あ、エビチリ!」
 それくらいは分かるらしい。
「分かった」
「これ」
 もはや材料名すら分からないらしい。
「分かった」
「これ」
「分かった」
 以下略。
 麻衣子は、つい先ほどまで吐く思いをしていたのを、もはやすでにころっと忘れた。
 買い物袋はふたつになった。ぎっしり中身が詰まっている。政人が持つと軽そうに見えた。持ちますと言ったら殺すと言われた。それでも麻衣子は、家に帰るまで待ち切れず、中身を見ていたかった。
 帰りの車中でそわそわする麻衣子。後ろに積まれた、自分の好きな物ばかりに気を取られる麻衣子。この時点で政人は、もう麻衣子は吐くまいと判断出来た。最初からこうしていればよかったのだ。
 確かに順番が違った。性急過ぎた。だが政人とて所詮男、惚れた女を夜家に上げて、ただで帰せようはずもなく。
 しかしそれは政人だけの事情。自分の意だけ通していい歳でもない。謝罪すべきだった。
 家に着くと政人は買い物袋をキッチンに置き、ぼけっと突っ立つ麻衣子を抱き上げてソファに座らせた。
「すぐ戻る」
 あとは返事も待たずすたすたキッチンへ戻る。麻衣子はわくわくしていた。これから出るものは全て自分の好物。こんな、食べ物が出ることにわくわくするなんて、一体いつ以来だろう。
 はな歌すら出る勢いで、政人を待った。
 言われた通り、わりとすぐに政人は居間へ戻って来た。その手にある皿のもの、それは
「……桃!」
 きれいに剥かれ、食べやすいように一口大に切り揃えられ、きれいに並べられた、食欲沸き立つ甘そうな白桃。
「た、た、食べていい?」
 よだれが出そうな勢いである。
「俺も少し」
「うん! いただきます!」
 麻衣子はすぐにがっついた。
「おい……っしい……!」
 一口食べてまさに至福。こんなに桃が甘かったなんて。舌でとろける食感、まさに美味。
 ぱくぱく食べると、すぐに桃はなくなった。政人はこれでも二個切っていた。
「もっと食うか」
「うん。出来れば」
「少し待て」
 政人は皿とフォークを持ってすたすたキッチンへ。麻衣子は機嫌良くにこにこと政人の帰りを待った。
 政人は残り一個の桃を切り、他にレッドグローブをよく洗って房を小さく分ける。あとは麻衣子がスーパーでちらっと見た、ヤクルトのでかいのを高価なティーカップに注いで持って行った。
「食っていろ。夕飯の支度をする、鯖の味噌煮だ」
「えーー!」
 さっき私、あれが大好物なんて言ったっけ?
 もちろん目が口ほどにものを言ったのだ。麻衣子に全てのものを口で説明出来る器用さなどない。
 すたすた戻る政人。姿が消えると、麻衣子の興味は眼前の美味しそうな好物に移った。嬉しくて泣きたくなりながらがっついた。
 ぺろりと平らげ、ヤクルトのでかいのをするっと飲んで、あとは政人を待つ。
 そういえば時間は……
 麻衣子のお気に入り、中学入学時に買ってもらった、筐体がプラスチックで出来た腕輪のような時計を見る。
 ……六時半?
 待って。なにそれ。
 麻衣子はない頭で逆算する。スーパーでの時間を一時間と見ると……
 定時に直帰したのだ。あの政人が。間違いなく、自分のために。
 いてもたってもいられず、空けた食器も持たずキッチンへ向かった。
「政人」
「なんだ」
 調理中の政人は、呼ばれてもキスなんかして来ない。
「定時に帰って来たの」
「そうだ」
「なんで」
「お前に逢いたかった」
「私なんて、ただもの珍しいだけよ。今まで周りにいなかったタイプなんでしょう」
「どんなタイプの人間とも会って来た」
 ぐうの音も出ない。そういえばこの人は、自分のように社会経験が足りないなど有り得ないのだ。
「恋をしたと想ったのはお前だけだ」
「おかしいわ。私なんて」
「自分を卑下するな」
「私……仕事、もうしたくないの。人間失格。無能なの。なにも出来ない。政人になにもしてやれない」
 こんなことを言われて調理を続けるような政人ではない。すぐ火を止めて、振り向き麻衣子を抱き上げた。
「離して!」
 政人は答えず無言で居間に連れて行った。
 恭しく、優しくおろした途端逃げようとした麻衣子の腰を捕まえ、前に抱き、政人は一緒に座った。
 耳元で言う。
「お前は今村麻衣子だ」
「違う!」
 政人、聞かず携帯を取り出す。
「主任、今村だ。中川麻衣子を退職させろ」
 ……なんてこと!
 麻衣子の反論を待たず電話を切り、次に政人は懐から紙切れを取り出し麻衣子に見せる。
「な、なに」
「俺の賞与明細」
 しょうよってなに?
「ボーナスだ」
 そんなもの、麻衣子は貰ったことがない。
「数えろ」
 訳も分からず、麻衣子は言われた通りにした。
「いち、じゅう……」
 拙く数字を読み上げる麻衣子の、消えない首筋の刻印に、政人はいますぐ口づけたかった。
「……せんまん、の次。って、……なに」
「俺の賞与明細。年二回」
 もはや理解不能。
「俺の妻が、同じ会社であくせく働くことなど有り得ない。お前は俺の専業主婦だ」
「私が仕事したくないって言ったから、お情けで願いを叶えて上げたの!?」
「殺すぞ」
「だって!」
「お前は俺にどう想われている」
「え」
 それは夕べ散々言ったこと。今朝散々考えたこと。
「今すぐ言えなきゃ飯の後だ」
 政人は麻衣子を一旦立ち上がらせ、あらためて座り直させ、空いた食器を持ってキッチンへすたすた向かった。
 その背を追えもせず。
 ……そうだ。私はなにも出来ない。なにもしてやれない。それを言えばいい。
 麻衣子は開き直って政人を待った。
 いいにおいがして来る。お金がなくてたまにしか食べられなかった鯖の味噌煮。食べたら、ここを出よう。実家に帰るんだ。仕事をクビになったと言えば怒られるだろう。まして、もう仕事したくないんですと言って就職活動もせず家でのんきにしたいなど、聞き入れられるはずもない。なにをしているのかと、周囲にもすぐ陰口を叩かれるだろう。それがいやでこの半年、歯を食いしばって出社した。
 麻衣子が暗鬱な未来に思いを馳せていると、いつの間にか食事が運ばれていた。
「食え」
 すぐに食べ始める政人。それを見て、とりあえず麻衣子は一番に鯖に手をつけた。スーパーの総菜とは全く質が違った。
「……私、なにも出来ない。なにもしてやれない」
「出来る。今している」
 そんなこと……
「俺のそばにいること」
 ……。
「……他には?」
「簡単なこととでも思うか」
「か、簡単よそんなこと! ただなにもせず、ぼーっとしてればいいだけじゃない!」
「お前がそばにいて、俺がどれだけ救われているか分かるか」
「え」
「お前は俺にどう想われている」
 それは……
「お前に目の前で吐かれて、俺がどれだけ後悔したと思っている」
 そんな、
「確かに順番が違った。言われた通りだ。あの日、いくら俺でもまさかその日中にものにしようなど思っていなかった。飯を断られなかった。家に来てくれた。笑顔を見た時、もうどこにも出す気はなくなった。
 お前なしでは気が狂う」
 目の前には、恋に苦しむ男がいた。
「俺にどう想われている。答えろ」
 言うしかなかった。
「……愛されて、る」
「今週土曜、お前の実家へ一緒に結婚の許しを得に行く。飯を食ったら電話しろ。その日は家にいろと」
「……私」
「食え。冷める」
 鯖の味噌煮は美味しかった。
 食べおわると政人は食器を持ってキッチンへ向かった。麻衣子もその後を付いて行った。
「あの……食器、洗う、もん」
「分かった」
 麻衣子はそれらの食器がどれだけ高価なものか知らない。台所に居並ぶ調理器具の全てが。この家にあるもの全てがどれだけかなど。
 そこらの男なら、揃えられる力を誇示したい。そこらの女なら、そんなふうに玉の輿に乗せてくれる男を捕まえたい。
 政人も所詮男だった。だが麻衣子にはそんな欲がなかった。それを知っていれば、あんなことにはならなかったのに。
 麻衣子は拙い手つきで一生懸命食器を洗う。政人は隣に立って、それらを拭いて片付けた。
 作業がおわると、政人はバスルームへ麻衣子を抱き上げ連れて行った。歯磨きに粉を付け、麻衣子に渡す。
「むが」
 歯磨きをしている途中になにを言ったって日本語にはならない。
「なんだ」
「むが」
「分かった」
 歯磨きがおわると、政人は麻衣子を抱き上げる。
「だから、一人で歩けるって言ったのに!」
 政人は居間のソファで、さっきのように麻衣子を抱き寄せて一緒に座った。携帯を取り出す。
「実家の電話番号を」
 ……ほんとに電話する気だ……
 時間を見ると、八時前。あののんきな両親でも起きている。
 どう言ったものか……
「実家の電話番号を」
 そういえば。
「えっと」
 おばかな麻衣子。答えなくてよろしい。
 どう言おう、どう……
「はいー、中川ですー」
 なんとのんきな母の声。
「あの……麻衣子、だよ」
「なんとー! 麻衣子! あんだぁー麻衣子だー」
 きっと父は掘り火燵でうとうとしていただろう。
「おー、どうした麻衣子ー。久しぶりだなあ、元気かぁー?」
「あ……あのあの。元気」
「そうかぁ。で、いつ帰って来るんだー。正月かー」
「あのその……えっと……今度の土曜日に」
「おぉそうかー、早ぇなあ。おっかあ、土曜日だっつぞー」
「なにが土曜日ー」
 電話口にいない方の親の声も聞こえる。でかい声だ。
「麻衣子が来るのー」
「はぁー、なんと急だごどー」
「あの……迷惑?」
「わげねぇべー」
 さて、どう本題を切り出したものか……
「ところで会社はどうだー」
 なんと説明しづらい。
「えっと……」
 言いよどむと、政人が電話を横取りした。
「初めまして、私は今村政人と申します。娘さん、中川麻衣子さんと結婚を前提とした真剣なお付き合いをしている者です」
 電話の向こうの反応はなかった。しばらくしてから、
「ま、麻衣子お前……声、変わったな」
 混乱するのも無理はない。むしろ麻衣子は、よくぞボケられたと親をほめた、心の中で。
「今村政人です。あなたの娘さんを、心から愛しております」
 どう答えるかなあ……
「ぅっっっっぎゃぁああああああ!!」
 親の心、子知る。
「ど、どうしたあんだ!!」
「麻衣子が、麻衣子が!」
 かわいそうな中川家。
「どうした麻衣子! とーちゃん泡吹いたぞ!」
 母が代わって電話に出た。
「初めまして、私は今村政人と申します」
「……は? あんた誰や」
「中川麻衣子さんと結婚を前提とした真剣なお付き合いをしている者です」
 さぞ母は首をひねっているだろう。
「なかがわまいこって……誰や」
「あなたの娘です」
「あんた……誰や」
「今村政人です。あなたの娘さんを、心から愛しております。今週土曜、結婚のお許しを得に娘さんと共にそちらへ行きます」
 さぞ理解不能だろうなあ……
「……ひっっっっっっえーーーーー!!!」
 母も泡を吹いて倒れた。復活するまで、政人は電話を切らずずっと待った。
「あのね。政人」
「なんだ」
「もうちょっと言いようが……あると思うの」
「気にするな」
 します。
 数分後、電話の向こうで復活した気配を、政人だけが感じた。
「もしもし。もしもし」
 政人の声を、両親がすぐに受け入れられるはずもなく。麻衣子は電話を政人の手から取った。
「お父さーん、お母さーん。起きてーー」
 病院へ担ぎ込まなければならないほどだったらどうしよう。
『なんだ今のはーーーーー!!!』
 両親の声が重なった。仲のいいことだ。
 それはともかく、さてどう言おう。
「麻衣子ーーー!! どういうことだ説明しろーーー!!」
「え? あの、……今言った通りなんだけど……」
「なんだけっこんってーーーーー!! おら知らねえぞーーーー!!」
「ええっと……ええっと……」
 ふたたび政人が電話を取る。
「仔細は土曜日直接申し上げます。午後一時に伺います、必ず家においで下さい」
「……ちょ、ちょっと待てーーーーー!!」
 中川家は皆おばか。
「それで納得出来るか! 今言え、どういうことだーーー!!」
「私は半年前、あなたがたの娘さんの入社式で彼女を見初めました」
 麻衣子は恥じらって下を向いた。
「じっくり愛を育てまして。ついさっき、本人から結婚してもいいと。そこで早速電話しました」
 なにか違うような気もするが。
「ちょ、ちょっと待て……おらぁあほだ、すぐ分かるか」
「では待ちます」
「あー……まずだな。……あんた誰や」
「あなたがたの娘さんと同じ会社の者です」
「はー……。それで麻衣子に会ったと」
「そうです」
「はー……。あのやあ。麻衣子のどごがええんだ。大して可愛ぐもねえし、おらだづに似てあほだ。根性ねえ。なんで東京へ一人でやったか分んねえ」
「全てを愛しています」
「……おっかあ代われ。おれぁもう無理だ」
 父はダウンしたらしい。代わって母が出た。
「あの……悪いけどな。おらもあほだ。分かるように言ってけろ」
「娘さんと結婚させて下さい。お願いします」
「……あのやあ。麻衣子のどごがええの。美人なわげねえし、あほだし根性ねえし、知らねえべ、……ドジだぞぉ……」
「全て知っています。その上で、娘さんを戴きたい」
「なあ。……悪いけど、おら歳だ。もうちょっとこう……ひらべったい言いようがあると思うんだが……」
「娘さんを誰にも渡したくありません。お願いします、私に下さい」
「……麻衣子と代わってけろ」
 電話機を持たされた麻衣子。
「麻衣子か」
「うん」
「今の話、本当か」
「うん。本当」
「お前、歳いくつだ」
「二十二」
「……早過ぎんでねえの」
「そう思わないでもないんだけど」
「騙されてんでねえの。脅されてんでねえの」
「そんなことないよ」
「……悪いけどな。そこのあんちゃんに聞こえねえように答えてけろ」
 無理。
「ちゃんと定職に就いてんのか」
 さっき同じ会社と言われたのを覚えていないらしい。
「うん。課長さんだよ」
「なんだそりゃ。……年収は」
「えっと。私よりすごく多い」
「どんな人だ」
「優しいよ」
「ひょっとして、男前か」
「うん」
「そりゃお前、騙されてんだ」
「そんなことないよ」
「お前がそんなの、掴まえられるわげねえべ」
「あのね、掴まえたんじゃないの」
「じゃなんだ」
「えっと。実物を見れば、分かると思う」
 母は考え出したらしい。よくぞここまで聞いてくれたと、血のつながった娘は思う。
「……よし分かった。連れて来なや。ちゃんと覚悟を決めておく」
「うん。お父さん起こしてね。驚かせてごめんなさい」
「頼むがらなぁ……おらだづが歳だっつーごど、もうちょっと考えて来てけろな……」
 さて電話はおわった。土曜日かあ……どう言おう。
 と思った直後政人に後ろから愛撫されてその場で一発、後は寝室で一晩中やられた。
 翌朝、政人に大人のキスで起こされる。腰はがくがく、脚は開け過ぎてふらふら、中に政人がいて、すぐ濡れる。
 麻衣子は、自分もそうなのだから政人が眠っていないことを考慮すべきだった。だが麻衣子だ。行為の余韻に浸ってそれどころではない。どう考えても専業主婦失格。
 横抱きで居間へ連れて行かれる途中、
「目玉焼きの固さは」
 と訊かれた。
「えっと、固め。あの、ステーキとかもそう。お肉が生とかちょっといや」
「分かった」
 朝ご飯を、こぼすような拙さでもぐもぐ食べる麻衣子。政人にとってはなにもかもが愛しかった。
「麻衣子。仕事で三日逢えん、次は金曜の夜だ」
 ……そんなに……
「定時に無理矢理帰ったから、それで?」
「違う。元からそういう予定だ」
 だから政人は夕べ、無理矢理直帰した。
「もうお仕事、さぼらないでね……」
「約束出来ん」
「どうして……」
「麻衣子がそばにいなければ、仕事など辞めてやる」
「……いるもん。ちゃんと仕事に行って」
「その言葉忘れるな」
 嵐の政人は出て行った。
 はぁー……と、心の底からため息をつく。