38

 ある日アルフレドが「出掛けるか」と言ったのは、とっくに夜だった。
 場所は城奥、家の寝室。今日は寝ないで待っていてくれ、と夕食の時に言われていたシャルロッテ。「今から?」と尋ねた。
「ああ」
 家の灯りはほの暗く、もう城奥の警備体制は夜間だった。
「皆さんに言って出掛けるの?」
「いや、お忍び。おまえも、今日出掛けたことは誰にも言わず、内緒にしてくれ」
 いかにもそのようだったので、訊いてみたらその通りだった。

 城奥にも城中にも、開けたら外という大王専用扉がある。そこから黒竜に乗って、二人は外出をした。衛兵隊の全員に内緒のお忍びである。発覚したら大目玉だと大王は言った。

 今夜は、シャルロッテが思っていたのとは違うことがあった。
「ねえ、ひょっとして。ゆっくり飛んでいる?」
「そうだ。分かるか?」
「そりゃあ、まあ」
 アルフレドは超高速飛行を常とする。結婚式のあの日は星が流星に見えたものだ。
 今夜の月は二つとも出ていない。星が瞬いているのがよく見えた。
「どこに行くの。驚かせたいはなしよ。ややに障る」
「おっと、脅しを覚えたな。でもやっぱり驚かせたいんだよ。時間稼ぎをさせてくれ。夜話をしよう」
 二人でゆっくり話す時間は、即位の儀以降も忙しくて、あまり取れなかったからな。そう言ってアルフレドは、よもやま話をしていった。
「俺がブン回して乗るのが得意の、この飛行類だが」
 旧王朝よりもっと前の大昔、飛行類は存在さえしていなかったという。
「え? じゃあどうするの? 伝達とか物資の流通とか」
 便利なものは、得れば有難いと思うのは最初だけ。すぐに手放せぬ生命線と化す。それはまるで危険な依存症に罹っているのではないかと思えるほどに。
「書物が散逸焚書されて、憶測しか伝え残されていないが。
 空になにかが飛んでいて、伝達や物資流通、人の行き来があったのは昔も同じらしい。だがな、飛んでいるものが違うんだよ。信じられないものが大空を飛び交っていたそうだ」
「なにそれ」
「どうもな……」
 アルフレドは剣を鞘ごと掲げて見せた。
「こんな、鉄が空を飛んでいたらしい」
 魔法石もなかったんだぞ、と言うと、シャルロッテは、
「はい、もういいです」
 相手にしなかった。あまりにも突飛過ぎる。奴隷時代でもあるまいし、魔法石がなければ夜、寒い日、どう過ごすのだ。まさか大昔とは夜はなく、常に温暖な気候だったとでも言いたいのか。
「あ、おまえ、嘘だと思ったな。そりゃ当時の書物はほとんどないが、本当らしいぞ」
「はい次」
「全く……
 じゃあな、これも嘘じゃないかと思われる話だ」
「今度はなに」
「この大陸は、大昔は五つかそこらの島だった。それが地殻変動で集まって、一つの大陸になった。だから大陸に点在する大きな湖のいくつかは潮水だ」
「今夜はホラ吹きアルちゃん?」
「おっ、いいねえ。その他にも博徒アルちゃん、呑兵衛アルちゃん、脱走魔アルちゃん、なんかがあるぞ」
 夜な夜な大陸のあちこちに偽名で顔を出しては色々な綽名で呼ばれる男は言語統一の話もした。
「俺はよく破天荒と言われているが」
「破天荒って、破れかぶれの人って意味?」
「アホ。今まで誰もがなし得なかったことを、初めてすることだ。前人未踏。明日から図書館行きだな」
「歩いて行っていいの?」
「おっと、ややが心配だ。本は俺が選ぶ。家で読んでくれ」
 やはり俺を破れかぶれかなにかと思っていたな、と口には出さないで置きつつ、アルフレドは話を続けた。
「言語統一こそこの世の破天荒だよ。なにせ言語は文化だ。統一する側はいいが、される側はたまったもんじゃない。今までの、そして先祖代々伝えられてきた文化を自ら破壊したようなものだ。それが、言語の数だけそこら中で起きたんだぜ。
 これも書物が散逸していて詳しいことは分からないが、ここまで広大な大陸で言語がほぼ統一されているというのは、歴史を考えればむしろそっちの方がおかしいんだ。
 俺が歴史家なら、その辺を研究する」
「ふうん」
 アルフレドは歴史家という性格ではないと思っているシャルロッテ。訊いてみた。
「おまえ、大王様を辞めたら、研究家になりたい?」
「なりたいねえ」
 やけに情感たっぷりなものだから、シャルロッテは言ってやった。
「無理。その間生活費はどうするの? 無給の大王様」
 黒竜は静々と飛んだ。

 月のない星空の夜間、黒竜でゆっくり飛ばれ、降り立った所がどこなのか、シャルロッテには分からなかった。
 広い竜の背から降りる。夜目が効かないなかある地点まで行く。
 そこには焚火がされてあった。火事の元であり、魔法石が大陸中に行き渡った現在ではほとんど見ない。
 それを目の前に、シャルロッテはアルフレドが持参したふかふかの座布団に座らされ、寒くないよう毛布を巻かれた。
 誰かに会わせようということか? そう思っていたら、焚火の向こうから声がした。
「やあ、シィちゃん。久し振りだね」
 聞いたことのある男性の声がした。年の頃はシャルロッテより幾つか上だ。
 しかも名前の呼び方。この声色。いくら会っていなくても、記憶にはあった。
「ひょっとして……センパイ、ですか?」
「当たり」
 焚火が揺らめく。映し出した顔は、あの時から二十年は経過していた。

 目の前の人物と会えたことに興奮して、アルフレドがそっとその場から離れ、しかし視界には入るような位置に陣取ったことは、その時シャルロッテには分からなかった。
「えー! え……久し振りですね。お変わりないですか?」
「よせやい、そんな他人行儀な。同じ血泥水を啜った仲じゃないか」
「ふふ……そうです、そうね……」
 シャルロッテは嬉しくなって、目の前の推定十歳年上の男性に語り掛けた。この人物もアルフレドと同じ、自分から言い出そうとしないシィに話し掛けてくれた貴重な人物だった。
「どうしたんで……どうしたの。アルフレドはわたしを歩かせようとしないの。それが、こんな夜間にどうして……」
「ああ、なにも聞かされていないか」
「うん」
 そうか、と言うセンパイは驚いていない。まるで予定されていたかのようだった。
「俺は第一将軍、陸将だったんだが、この間辞めてね。
 俺がシィちゃんと会うのはこれで最後だ。だから夜間、内緒でアルフレドがシィちゃんを連れて来た」
 シャルロッテは、驚きに目を見開いた。そして、
「わたしがややを宿したから……!?」
 目の前が滲んだ。またも悲しみに突き落とされる。母になる、それを許してはもらえないのかと。

 センパイは、アルフレドの方角に一旦視線を投げて、それからシャルロッテを宥めた。
「おいおい。シィちゃんが一人でややをもうけたのかい」
 呼吸も止めていたシャルロッテは、その言葉に息を吸った。
「その分だと、アルフレドが半年城を空けたことも自分のせいかと思っていそうだね。
 シィちゃん一人で婚約をしたのかい?」
 涙は止まった。その通りだから。
 シャルロッテは、アルフレドが「でかした」と言った時、もやもやとした思いを抱いた。つまりはそういうことだ。
「よし、納得したね」
「はい……」
 素直にはいと言えた。シャルロッテは涙を拭った。
 正気に返ると、途端に照れ臭くなった。話を逸らしたくて、気になったことを訊いた。
 話の順番からして、センパイが言いたいことを言う、だろうが、あの村にいた仲なのだ。構わず言った。
「久し振りに、誰かがアルフレドのこと、名前で呼ぶのを聞いたわ」
「ああ、そういやあ」
 センパイは、諱など全く構わず喋っていた。綽名される有名な呼び方はしたことがなかった。その為にも、次代を育てる為にも、議場で一言も喋らなかった。
「もうお城で、皆さんすごいのよ。アルフレドに気を遣っちゃって」
「そうだって、分かるかい?」
「そりゃあもう。アルフレドってひょっとして、怖い存在?」
 その通りなのだが、何故かと訊かれれば前々任の第二大臣のことまで言わなくてはならない。他の例も血生臭い。センパイはその辺はごまかして喋ることにした。
「ひょっとしなくてもね。こいつは生粋の戦人(いくさびと)だ。斬った張った、飛行類を何千騎も呼んだ。巨大船をいきなり操縦して見せた」
 そういえばアルフレドはどこ? そう思ってシャルロッテが辺りを見渡すと、見えはするが遠いところで焚火を起こして座っていた。
「どうして……」
「俺とちゃんと話せ、最後だからな。ってこと」
 まるで今夜の詳しい打ち合わせを、直接していたかのような二人の言動。
「どうして……? 最後ってなに。辞めたって……将軍様が?」
 センパイは言った。少し歴史の話をするよと。

 古来より王朝はあった。いつか倒された。倒した側は大抵軍事政権だ。倒せるならば然りとした家来がいる。人はそれを重臣と呼んだ。
 王は重臣を頼りとして頂点に登り詰めた。褒美をやりたい。領地を与え、封じた。
「するとどうなるか。
 国が割れちまうんだよなあ」
 そうなれば争いが起きる。その前に、
「せっかく初代が築き上げた王朝だ。二代目が継ぐ。二代目の最大の敵は、初代の重臣なんだよ」
 なにせ初代が頼りにしていた。そして確実に二代目よりも年上。生まれた時から煙たい存在が複数いる。
「争いの元だ。
 国を割らない為に、アルフレドとシィちゃんのややの邪魔にならない為に辞めた」
 文人七人、武人は自分を含め八人。主だった重臣は全員巻き込んだ。その理由は他にもあった。
「組織の硬直化を避ける為だ。
 このままなにもしなかったら、俺達は城、軍、警察、省内に何十年と居座る。すると他の者はいつまで経っても肩書が上がらない。戦時中でないとはいえ、努力をしているのに。長く勤めているのに。その思いを無にしない為だ。
 俺達が前例を作ったことで、今の新しい将軍、大臣、長官、隊長も時を経ずして辞めざるを得なくなる。重臣は作られない。肩書も努力をした奴が上げられる」

 涙も乾いたシャルロッテが、どうしてセンパイが会うのが最後なのか問うた。
「辞めたとはいえ元は重臣。年を喰ってもいないのに宿将とまで持て囃された。そんな俺とアルフレドが外で会っていたと知られれば、うるさく言う奴が必ずいるんだ」
 会うのが最後なのはシャルロッテとだけではない。アルフレドともだ。
「シィちゃんはややを出産すれば体調を整える為にも、子育てをする為にも、そう簡単に城は空けられない。どんなにアルフレドが巧みに飛行類を操ろうと。
 だからだよ」
「いやです!」
「……さて。俺の説得内容は言い終えちまった。これ以上は俺の職責じゃない。
 おいアルフレド。いい加減、身重のシィちゃんを一人にするなよ。ちゃんと話したぞ?」
 シャルロッテは本当に、アルフレドを名前で呼ぶ人がいることがこそばゆかった。
「アルフレド! ねえ、来てよ、寂しい!!」
 シャルロッテは大声でなく、普通の声量で言った。
「来てくれないと、泣いちゃうんだから!」
「ここまで言わせるなよ、アルフレド」
 するとアルフレドは、のそりと立ち上がって歩み寄り、シャルロッテの後ろに回って背中から抱き締めた。
「盾が戻って、良かったねえ。シィちゃん」
「え……盾?」
「ああ。人はね、後ろには目が付いていないから。前しか見えないから。
 戦いの時、後ろに仲間がいるのは有難いもんだよ。お互いを盾と出来た。そういう奴だけで、軍を構成したつもりだ。
 アルフレドを盾にして、無事出産してくれるよう、願っているよ」
 センパイはあの話を知っているのだろうか。
 確かに出産は、センパイは願うしか出来ない。これ以上ない言葉だった。
「ありがとうございます。アルフレド、盾になってくれる?」
 いつも後ろから抱き締める男。あたたかくて、じんわりして、心臓が高鳴る。
「ああ。その為に鍛えている」
「そっか、それで……」
 実に見事な体つき。当初から謎に思っていたことが、今ようやっと分かったシャルロッテだった。

「どうしても……最後なの」
「ああ」
 それでも、シャルロッテは納得しなかった。
「二十年来の付き合いで、普通に話せる数少ない人なんでしょう」
「そうだ。それでもだ」
「頼りにしていたんでしょう。背中を預けられたんでしょう」
「ああ。それでもだ」
「わたしは嫌。確かに妊婦なのに空を飛ばされて怖かったけれど、出産後はそうそう出歩けないだろうけれど。
 いやだもん」
「そんなに嫌か」
「嫌」
「実は、この場にはもう一人呼んでいる。そいつとも最後だ」
「え? 誰よ。驚かさないで教えてよ」
「コーハイだ」
「えぇえ!? コーハイ? あの?」
「そう、あのコーハイだ。慌てん坊。粗忽なせっかち。短気でよく興奮する、あの」
「え、え、どこにいるの」
「今日この時間だとは前から言っていたんだが、あいつは船で来ると言って聞かなくてな。大陸をぐるり半周するんだと。今夜どころか何ヶ月先にご到着かな」
 センパイがしょうもない奴だと言った。同感の三人は顔を見合わせて笑った。

 こんな夜中に妊婦を外に出しているのは非常識。さあ帰ろうとしたらコーハイがひょっこり現れた。この野郎から始まって、ひとしきり場は盛り上がり、それでも妊婦は帰さなくてはと二人は先に離脱した。センパイとコーハイの二人は朝陽が昇っても酒を飲みかわした。

 城に帰る途中で、アルフレドはセンパイとコーハイの話をした。
 まずセンパイ。懐妊の報を聞いたその時に辞職することは前から決めていた。最初、あの寒村を出た時にそんな余裕はなかったが、地上制圧戦を有利に運べるまでになったあたり、アルフレドから指示の中継役を任されたあたりから考えていた。自分はこの重い役割に固執をしてはならないと。
 誰もいないところで、コーハイにこの考えを伝えると、その時ばかりは冷静に、コーハイも同感だと返事をしたという。
 解放記念日後、給金をもらうようになっても、生活費以外は手を付けなかった。結婚し、家を構えたがその場所は城から遠い中核都市。飛行類で遠距離通勤をしていた。家族には、自分は必ず辞職をする。間違っても、私は第一将軍夫人です、令息ですなどと言うな思うなと徹底して伝えていた。だがセンパイは家族にこれ以上の負担を与えない為、辞職をしても住居は移さなかった。
 あの、焚火のあった地点は、アルフレドとシャルロッテが婚姻の儀後、二番目に行った場所だった。終わりの浜の住人は食料や生活資材を自分で調達出来ない。必要物資を運ぶ役割を、センパイは担っていた。
 あの浜だけではなく、辺境はいつの時代もアシが足りない。そういう人達の為に、今も飛び続けている。

 コーハイは主にその性格から、現在も独身である。
 自分が海から、船から離れられないことは、巨大船を急襲したあの時から自覚していた。権利主義ではないので辞めるのは全く構わないが、なんにせよ海に関わった生活をしたいと思っていた。
 海将を辞職後選んだ職種は漁師。天職だと言い切った。
 一人格好をつけて海軍を後にしたら、仲の良かった海軍内の男達が、ならば自分もと数人辞めてしまった。家族も生活がまるで変ってしまう、将軍大臣なら喜んで巻き込んだがお前達は違うんだ。そう何度言っても彼らは聞き入れなかった。仕方なく、だったら今から仲間だ、よろしくなと言い、開き直った。皆仲良く漁師をやっている。

 翌朝、城奥で食事をしながら。
「イヤだからね」
 シャルロッテはスープに唸りつつ言った。懐かしい、あの二人ともう会えないなんて嫌だと。
「全く。理由は理路整然と話しただろう?」
 いつもああいう話し方をするんだよ、奴は。アルフレドはそう言った。
「イヤだもーん」
「……仕方ない。いいさ、言うことは聞く。ただし、頻繁になんて無理だからな」
「でしょうね。なにせわたし、ややを複数もうけるつもりだから」
 アルフレドの食事の手が止まった。あれから決してシャルロッテを一人にしない、室内にいる近侍の足も止まった。
「そう考えている。そうでしょう」
 アルフレドはスプーンを置いた。
「ああそうだ。その通り。二代目は一人じゃ心もとない、出来れば複数、欲を言えば……もう言わせるな。
 なんだ、本当にバカじゃなかったな」
「これで全部かな? 大王様を始め城勤めの皆様の言いたいことは」
「ああその通り。お手上げだよ」
 アルフレドは実際、両の手を上げた。初めてした動作だった。
 シャルロッテは思う。ああわたし、この人とずっといるんだ。
「なにを見ているんだ?」
 降参したアルフレドは、シャルロッテがまたなにか言い返せないことを言って来るのかと思った。それがない。
「アホの顔」
 アルフレドは白旗を上げた態勢のまま。
「いい男だろ?」
「はい」

 むかしむかし。
 わるいおうさまがいましたが、やっつけられて、大陸は平和になりました。

 おしまい。