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 即位の儀、婚姻の儀から三ヶ月が経過した。
 シャルロッテの症状は、もはや誰にも分かるほどになっていた。当人さえもこれはつわりと自覚出来ていた。月の障りはとうにない。周囲の、奥歯に物が挟まったような物言い。アルフレドの気遣いぶり。
 お医者様の所に一緒に行こうと、シャルロッテの方から言った。大王も近侍も、もう分かっていただろうが、この言葉を言い出すのは自分しかないだろうと思ってのことだ。
 シャルロッテはこれまで、医者にかかったことがなかった。どんな人だろうと思っていたら、いつぞや挨拶に来た、あの男性だった。
 それで? という目で夫を見た。そうだ、という目で返された。
「大王様、王妃様。誠におめでとうございます」
 第二大臣は感涙にむせび泣いておめでたを伝えた。
「わたしの、おなかに、ややが」
「はい、その通りでございます。どうかお健やかにお過ごしくださいませ」

 アルフレドは常よりさらに大事にシャルロッテを抱き上げ、家に戻った。二人掛けの椅子に座ると、妻を膝に乗せた。
 身体に障りのないように。その思いがひしひしと伝わって来るあたたかさで、シャルロッテを抱き締めた。
「でかした」
「アルフレドもね」
「ああ」
 アルフレドはしばらく妻を抱いたまま、身じろぎもしなかった。シャルロッテからはその表情が見えなかった。
「あのね」
 アルフレドは今、何を思っているのだろう。シャルロッテは思い付くままを言った。
「アルフレドが、ややが出来るの、すごく待っていたの、知っていたよ」
 その言葉に、近侍は誰もが、表情を微妙に変えざるを得なかった。
「わたしの役目は、城に住むこととか、寛ぐことじゃなくて……
 ややを産むこと。そうでしょう」
 誰かが言い漏らした。王妃様、お分かりでしたか……
「本当は、そう言いたかったんだよね。でもわたし、野暮天だから、ずっと言いたいことを言えずにいた。そうでしょう……」
 大王は抱き締めたまま。
「独特の緊張感があったよ。それ、ずっと感じていた。ああこれが、昔の後宮かって……あれって必要不可欠なんでしょう、実は。だってわたしも、必ずややを上げる自信はないもの。皆で役割を共有して、緊張をお互い和らげていたんだわ、きっと」
 その通りです、王妃様。周囲は皆そう思った。
「皆さんに言いに行かなきゃいけないんでしょう、大王様。ね、行って来て。ちゃんとわたし、一人になったりしないで、近侍さんに護られながら寛いでいるから。階段は使わないし、暴れ回ったりしないから。ね」
 大王がゆっくりと、腕を解いた。
「なんだ、バカじゃなかったか」
「どうせバカよ!」
「そう興奮するな。いいじゃないかバカで。二人でアホバカやろう」
「うん」
「……言っておくが決して、これだけが目的で、じゃないからな」
「うん」
「ところで、いつからそう思っていた?」
「いつからなんて、そんなこと。訊く方が野暮よ」
「おっと、上手い切り替えしだ。
 おまえもよく待ったよなあ。待ってろ待ってろで二十年。よく待っていてくれたよ」
「わたしだって、知らない人と一緒じゃ寛げないもの。疲れるし、嫌」
「同感だ。……なんでも言うことを聞くさ。行って来る」
 その後、謁見の間で大陸の民に伝える大王の言葉を、シャルロッテは城奥で、近侍に護られながら聞いた。

 その日の議事の間での御前会議は、大陸一の目出度い、待ちに待った慶事の報せにわいていた。皆、活気付いていた。気分は酒を持て。大王様万歳、王妃様万歳。これで王朝も安泰です。祝いの言葉が四方八方から飛び出す。大王は鷹揚に頷いた。
 臣のうちの誰かが、
「さあ、もう大王様を解放して差し上げなくては。身重の王妃様がお待ちであるぞ」
 常ならば、改革途上の王朝であるので、会議を延々としたい面々が珍しくそう言った。
「であれば、これにて」
 そう大王が言うと、とある人物が起立をした。陸将だった。
「これは珍しい、かの宿将が。祝いの言葉か?」
 誰かが言ったからかいの言葉を陸将は聞かず、懐から封書を出した。それを、大王を守る近臣に渡す。
 宿将であれば、どんな書き物でも大王に直接渡せるのだが、この宿将はそれをよしとしない。
 近臣から封書を渡され、大王がそれを開けて読んだ。
「辞表と書いてあるが……」

 鷹揚な表情を変えず言う大王の言葉が、臣達は最初、なにを意味するか分からなかった。
 意味不明の言葉に反応するよりも早く、またも起立をする者がいた。元の第三将軍、海将だった。似たような白い封書を懐から出し、堂々とした表情で、近臣に渡す。
 この一連の似た流れに、議場がざわつく。近臣から手渡され、大王が開けて読む。
「……辞表だな」
 酒を飲んでもいないのに慶びで赤ら顔であったはずの臣達は今度こそ、大王の言葉が耳に入った。
「なんと、……仰いました。いま一度」
 さらに起立をする者がいた。元の第七将軍、現在は城勤めの衛兵隊長だった。
「まさか! そなた、今からが役割を果たす時であろうが!」
 隊長は聞かず、いかめしい顔つきで封書を近臣に渡した。さらに立ち上がる者がいた。それは、
「第二大臣!? そなた、そもそも何故ここにいる! 王妃様をお守りすべき、そなたが一番の役割ぞ!」
 第二大臣は聞かず、誇らしげに懐の封書を近臣に渡した。
 起立をする陸将と海将の間に挟まれ、座ったままの空将が立ち上がった。
「そなたまで!?」
「なんだ、なんの茶番だ! 今日は大陸一の慶事の日ぞ!」
 その言葉を待っていたかのように、警察として組織をした東西南北四人の長官全てが立ち上がり、同じことをした。これで武人八人は全員辞表を提出したことになる。
 武人は、相対する大臣六人を睨みつけた。
 意味は分かっておろう。そなた達こそが。
「ええい!!」
 第一大臣が立ち上がった。
「不肖、第一大臣を賜ります某、本日只今をもってお暇をいただきとう御座います!」
 第三から第七までの大臣も起立をし、同じことを述べた。補佐、有識者達はおののいた。今日は一体なんの日か。待ち焦がれた慶事がやっと訪れたのではなかったか。我々にも倣えと言うのか。なにも一切聞いていない。
 大王が、これまでで最もざわめいた議場をひと睨みした。
「相分かった。これまでとせよ」
 その言葉に有識者達は勘繰らざるを得ない。分かっていたのか。事前に、こんなことが。
「受け取ろう。業務の引き継ぎを滞りなくせよ。これにて」

 お医者様が変わったの? なにも知らないシャルロッテは訊いた。アルフレドは、都合があって故郷に帰ったとだけ伝えた。
「あのお医者様の故郷でなら、わたしはシャーロットかな?」
「多分な。俺はさしずめアルフレッドだ」
 それから安定期に入るまで、シャルロッテは静々と過ごした。ヒマを暇と思わず、籠の鳥を鳥と思わず、落ち着く音楽とともに過ごした。薔薇園にも行かなかった。