36

 シャルロッテは一人、いつもなにも知らされぬまま、踵の低い靴を履かされ、寛げと言われていた。もう特訓は終わった、急に立つな。走るな、負荷のかかる運動をするな。
「本当に、籠の鳥ですね。わたし」
 大王様は激務多忙。三度の食事時と、深夜眠りに帰る時にしか、家にはいない。大王様とよりも、近侍と会話をすることの方が多いかもしれない。
「本を読んだり音楽を聴いたり。いかがです?」
「音楽。はあ……音楽隊がこちらに来るんですか?」
「まさか、ここは城奥。昔の後宮ですよ」
「大王様が聞いたら怒るのでは?」
「そうですね。ですが王朝を興せば、結局そういうことです。ただし禁令なので、大王様の御前では申せませんが」
 魔法石は日進月歩で進化をしている。最近では音楽を石に刻み、触れれば音を再生するものもあるという。
「だったら、そうですね……聴きたい音楽ならあります」
 シャルロッテが前勤めていた食堂のある寒村に、託児所があった。昼になると流れて来るお昼寝の音楽、あれを聴きながら眠ってみたい。
 王妃の願いはすぐさま叶えられ、それで午睡をすることが多くなった。

 シャルロッテは王の間に思いを馳せた。行ってはならないとされては、逆に行きたくなるもの。
 決して王配を一人にしないよう、こればかりははっきりと口に出して大王に厳命されている近侍は、遠い目をしたシャルロッテの様子に、なにかありましたか? と尋ねた。
「懐かしいなあ、と思って」
「郷里がですか?」
 寒村出身だろう近侍が言う。
「それもですけれど……王の間が。もう行っちゃいけないと言われたら、かえっていたくなるなあって」
 懐かしむほど、そして悲しい表情を浮かべるほど、あの間には思い出がある。
「そうですね……」
 城奥に住んでもらうこと以外を考えていなかった近侍。それが、大王様に足りないものを齎してくれるというので、ならばそちらの方がいいと思ったのだ。
「王妃様……そのようなお顔をさせると知っていたら、我々は最初から……」
「ううん、いいの。わたしが勝手に泣いているだけ」
 涙が頬を伝う。シャルロッテにしては珍しく、やけに泣きたい気分だった。流れるままにしていたら、近侍に随分心配をされた。休んでいると周囲は安心をするようだったので、今日も午睡をした。

 城奥にある近侍控え室。
 王妃の様子を情報共有すべく、近侍の間では盛んに話し合いが持たれていた。眠気がかなり強いこと、だるそうであること。直近の月の障りから一ヶ月が経過しているが、次の様子が見えないこと。
 非常に機微的な情報であるので、同じ性でもあり、話し合いはより慎重になった。
 ビンクス夫人からは、自分の顔を見ればまたすわ特訓かと、要らぬ緊張を強いるだろうから登城はしない。特権階級だった自分がいれば運気を損ねるかもしれない。はっきり分かるまでわざと行かないから、くれぐれも頼むと言われていた。
 しかし、もしやというその状態で、外にも出さず、階段さえも昇降させない今の状態は、早い話が暇である。人間、なにかをさせないと、そちらの方が悪いこともある。よって、夫人が来てくれて、よもやま話でもしてくれた方がよかった。しかし夫人の言うことも一理ある。

 眠ってばかりのシャルロッテは、これではいけない、自堕落が過ぎると自身を叱り、なにかしようと考えた。
 雑誌でも取り寄せて、読んでみようか。
 思い付いたら即、周囲も分かってくれる。言えば早速手元に届いた。これが慣れってこと? いいものよね。
 などと思いつつ読んでみる。
「わぁ……」
 華やかな誌面だった。ドレス特集だそうだ。
「王妃様の花嫁衣装姿は、それはもう、大陸の娘さん達には大好評で」「結婚するときは、これからはドレスね、と皆が申しております」「何故旧王朝で、これでもかといわんばかりにドレスが流行ったのか、少し納得いたしましたわ」
 だそうだ。着た当人は「ふぅん」と思った。あれは特訓が必要だし、運よく破かなかったが躓いたら終わりだったし、危険な面もあるのだが。
「ドレスは気が進みませんか?」
「え? ええ、まあ……昔は皆、大嫌いだって言っていましたし……」
「そうでしたね」
「大嫌いなものが多い大王様が、よくドレスなんて誂えさせましたね」
「そういうことは、苦手な男性が多いのですよ。任せる、とでも仰ったのでしょう」
「ふぅん……じゃあ、禁令に載せなかったのは、苦手分野だからでしょうか?」
「おそらく、そうですよ。大王様は魔法石を造らせた当初から、女性には随分気を遣っていらっしゃっていましたからね。下手に口を出すまいと思われたのでは?」
「大王様は、女に弱いんですよ」
「それはお惚気と思ってよろしいですか?」
「いいえ、わたしには弱くないんです」
 聞いていた近侍は内心、そうか? と思ったが、主の言葉に異を唱えはしなかった。

 シャルロッテが、どこかへ出掛けたいと思っている。
 それは近侍にも、アルフレドにもすぐに知れた。しかし、今はどうしても動かせない。これは大陸の大事。もう、独身時代のように容易には連れ出せてやれない。
 しかし、どこへと口に出して言わせる必要はある。聞いてから、なんとか宥めて。
 そう思って、アルフレドは訊いた。ずっと中にいるから、やはりどこかへ出たいだろうと。
「……うん」
 シャルロッテは出掛けたがりではないものの、ずっと室内にいれば誰だって退屈だ。その上、つい先だってまで苦痛の特訓を受けていた。アルフレドとて本音を言えば、いつだってどこへなりと連れて行きたい。
「どの辺だ?」
「ん……元いた食堂。あの寒村」
「なるほど」
 懐かしくなったか。それはそうだ。
 王の間さえ懐かしく思い泣いていたというシャルロッテ。
「やっぱりダメ?」
「まあな。実は、いつ言われてもダメなんだ」
「え? 結婚したからダメ、じゃなくて?」
「そうだ」
 アルフレドは訊いた。シャルロッテと名付けた時、誰にも教えるなと言ったことを覚えているかと。
「うん。結構苦労したよ? 皆、凝った名前にしたじゃない。でもわたしはそのまんまシィで。名字は内緒って言い訳が通じるの、わたしにさして興味がないおかみさんとおやじさんくらいだったよ。あの頃周りでは、あなたはどういう氏名にしたのって、そういう話になったんだから」
「悪かったよ。その説明をしよう」
 アルフレドはこれなら、シャルロッテを動かさずに済むと思って言った。
「城に呼べるまで、おまえの氏名が判明すると困る人物がいる。あのおかみさんとおやじさんだ」
「えっ、どうして?」
 名前に纏わる説明から先にした。アルフレドという名は諱。そうと決めたのは大王自身ではない。
「でなければどうやって俺を呼ぶんだ、ただの責任者なのに。登記した時点で、立派な名前を付けたからどうぞ呼んでくれと言ったらすぐに大王様……参ったよ」
「へえ。おまえが命令をしたわけじゃないんだ」
 シャルロッテは、てっきりそうだとばかり思っていた。あの寒村にいた頃、そういえば周囲は誰一人、大王を名で呼ばなかった。そういう意識もなかった。
「するか。いかにもえらそうなわるいおうさまじゃないか。名前一つとっても皆に無視される。おまえはいない。城になんかいたくなかった。だから飛びっ放しで年中空けていた」
「ふうん……」
 これは言葉通りではないだろう。城に籠っていたところで、難題だらけのあの当時はなにも解決しなかった。
「おまえの名前だって俺が諱としたわけじゃないぞ。ただ、呼ぶなとは言ったから、周りが気を遣っただけだ」
 遣い過ぎてお嬢様。あの時、近侍は苦渋の選択をしたのだ。
「どうしてそう言ったの? こういってはなんだけれど、おまえ、結構大雑把よね」
「まあな」
 散髪の様子を見せれば、そう思いもするだろう。ただしあれは、刃物を持った他者を、急所の頭部に近づけさせないためなのだが。
「始まりの地には、頼んでもいないのに碑が建っているのは知っているな」
「ああ、あれ。うん」
 肖像画も銅像も嫌うアルフレドが、碑を建てろと誰かに命じるわけがない。有志を自称する民によるものだった。
「でも正確に言えば、あそこじゃないよね」
 もっと正確に言うなら、鬨の声を上げた実際の地点は、アルフレドもシャルロッテも分かっていない。二人ともあの地からその後離れたからだ。
「そうだ。だが、おまえの勤務地はあそこに近かった」
「うん」
「始まりの地から近い所にいるシャルロッテ・オーフェルベルクという女。俺の幼馴染。おまえが名乗っていればすぐに、勤務地は特定される。すると人の心理として、その食堂に行ってみよう、食べてみようという気になる。
 まず、万単位で行くぞ。あの食堂は日に何人さばけた?」
「えっ、そんなには……万単位って。一日に何万人も来ちゃうってこと? たった二人か三人しかいない、寒い村の小さな食堂に?」
「その通り。すぐに満員御礼、どころか、とても対応出来かねるだろう?」
「そりゃ、そうよ」
「それどころかこう言われる。“せっかく来てやったのに、スープ一つ出さないなんて何様だ!”何万人もの人々に、一斉に」
「うわあ……」
 アルフレドの言う通り、そこまで大挙して訪れる客に対応する術など知らない。器も席も店の面積もまるで足りない。なにをすればいいか分からず、ただ戸惑うだけだろう。
「たった一日でパンクして、店を畳むどころか夜逃げだな」
「そうだね……」
「だから、城に呼べるまでおまえに名乗らせなかった。近侍にもそういう意味で言った」
「そうなんだ」
「おやじさんとおかみさんはひょっとしたら、王妃様のいた店と喧伝出来れば商売繁盛、と思ったかもしれないが。
 いかに恰幅のいいあの二人とて、一日に何万人も相手は出来まい。何年も雇ってもらって、給料の未払い遅延は一度もなし。恩義を感じているだろう? あの二人のために、おまえには誰にも名前を教えるなと言った」
「……そっか」
 大雑把どころか、きちんと考えていてくれた。シャルロッテはアルフレドに、ごめんなさいと謝った。
「じゃあ、お城に呼んでくれたあの時、おまえは来なかったけれど、やっぱり意味があったの?」
「ああ。あの食堂に黄金竜で行って、おまえを攫ってみろよ。もう想像出来るな?」
「……はい」
 アホのシャルロッテでもここまで説明をされれば分かる。黄金竜が顕れたとは大王様のお出ましを意味する。するとあの食堂は臨時の観光地となる。すると人が大挙してやって来て、結果は夜逃げ。結婚をした今行っても同じこと。
「そっか。……ちゃんと考えていてくれたんだ。わたし、護られているなあ……」
 アルフレドはしょんぼりしてしまったシャルロッテの額に触れて、少しは信じる気になったか? と囁いた。