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 人も、建物も見えなくなるほどの上空に達してから、アルフレドが口を開いた。
「お疲れさん」
 シャルロッテは盛大な溜息をついた。呼吸の仕方も分からなくて、息をひそめていたからだ。ただアルフレドに抱きしめられ、初めて乗る大きくて優しい存在に驚いていた。
「色々言いたいことや訊きたいことがあるだろうが、それはだいぶ後にしてくれ」
 後にしてくれ、までなら分かるが、だいぶとは。
 この鳥はなに? 内乱は? 即位の儀を見たかった。特訓頑張ったんだよ。これからどうするの?
 色々あるのに。
「なにを着てもきれいだが」
 シャルロッテがなにを言いたいか、訊きたいかなど分かっているはずなのに、今のアルフレドに答える気はないらしい。
「とびきり綺麗な今日のおまえを皆に見せたいんだ。悪いが日付が変わるまで付き合ってくれ」
 言うが早いかアルフレドは、王冠を頭上から気怠く外して、こともあろうにブン投げた。
「きゃあ!」
 ここははるか上空、そこから物を放り投げたらどうなるか。シャルロッテは真っ青になって身を乗り出し、届くはずもないのに手を伸ばした。
 するとその先、白い鳥の下には煌めく黄金竜がいて、王冠はその広い背中が受け止めていた。
 分かってのことだ。わざとだ。そう理解したシャルロッテ、アルフレドを睨んだ。
「なんてことをするのよ、アホ!」
 シャルロッテの頭上のティアラほど華奢な造りではあるまいが、宝冠には違いない。それを、たいしたものでもないといわんばかりに扱ったのだ。
「アホだがその衣装で睨むな。分かったよ、悪かった」
 アルフレドにも言い分はあって、慣れない偉そうなものをいつまでも身につけていたくなかった。そうする必要のある相手はここにいない。場所は上空、造った技術者の前でもない。開放感に溢れて投げたのだ。
「わたしを誰かに見せる!? じゃあおまえもちゃんとした格好でみんなに会ってよ。あれを拾って。ちゃんと頭にのせて。おまえだって、まあ……かっこいいって言ってやってもいいよ」
「なんだそりゃ」
 綺麗だなどと、誰に言われたこともないから、シャルロッテは照れてぶっきらぼうにそう言った。すると、
「きゃあ!」
 再びシャルロッテを裾の長い繊細な衣装ごと横抱きにしたアルフレドは、白い鳥から王冠を背に乗せた黄金竜へと飛び移った。
 された側はたまったものではない。空中で、こんな非日常な恰好でされたのだ。心臓に悪い。
「なんっっってことをするのよ! アホ!」
「悪い悪い。あの鳥は儀礼用だ、見世物なんだよ。速く飛べなくてな。やはりこいつがいい。飛ばすぞ、舌を噛むなよ」
 そう言われてはシャルロッテは口を噤むしかなかった。
 言葉通り、今まで数回乗った中で最も速く黄金竜は飛行した。もしもシャルロッテが飛行類を呼べる者であったなら、こんな速度で飛べば数秒で能力が枯渇すると思えるほどに。

 大気圏も突破出来きそうな勢いで飛んだ先は、思った通りの浜だった。
 とうに寂れた終わりの地。
 今日も子どもが波と戯れて遊んでいる。王冠を被りなおしたアルフレドは、シャルロッテ横抱きにして降り、歩かせることなくそのままで子どもに近寄った。
 二人を視界に入れた子どもは、遊びを止めた。
「ねえちゃん、きれい」
 なんの衒いもない、素直な言葉だった。
 いつもは貨幣の音でしか小屋から出て来ない二人の老人が、呼ばずとも姿を見せていた。シャルロッテは老婆とは会ったことがあるが、老翁とは会ったことがない。
 アルフレドはシャルロッテをおろすつもりはないようだ。この衣装は流木だらけの浜を歩くには向かない。
「ほれよ」
「あいよ」
 老婆がアルフレドになにかを渡した。
「それ、なに?」
 シャルロッテは気になって訊いた。
「弁当」
 咄嗟にはなにも返せなかった。隣の気難しそうな老翁はなにも言わない。
 シャルロッテは、あの寒村で誰かが言った言葉をよく覚えている。
“お弁当は愛情の塊”
「……ありがとうございます」
 気難しそうな二人が、微笑んだような気がした。
 目的を果たしたアルフレドは、シャルロッテを横抱きにしたまま歩き、黄金竜に戻った。

「さて、忙しいぞシャルロッテ。おまえに会いたいと言うやつらはたくさんいるんだ。笑顔で手を振ってくれ」
「そういうのって、さっき言うことじゃない?」
「なあに、あの三人はそんなんじゃねえ」
 あれほどの速度で航行したのに、変わらぬ鷹揚さで黄金竜に乗るアルフレド。
「この竜を降りて歩かなきゃいけないの? あのね、そういうこと出来ないの。さっきので精一杯」
「もう降りなくていい」
 そこまでするべき人というのは、あれで済んだということだろうか。黄金竜はひらりと降りたのは、小さな集落だった。さきほどの場所から少ししか離れていない。
「よう、連れて来たぞ」
 老婆、老翁とは言えなくても、それなりの年かさの者達ばかりだった。
「花嫁さん、きれいね」
「幼馴染とは、花婿さん、本当に良かったねえ」
 深い皺の刻まれた笑顔で、誰にも言ってもらえた。黄金竜はすぐに飛び立った。

 次の地では、竜は浮いたまま、着陸をせず、建物に横付けした。
「トメキチ爺さん、連れて来たぜ」
 開けた窓越しに、アルフレドは花嫁をよく見せた。
「なんと別嬪さんだ、きれいじゃのお。これであと三百年は長生き出来る」
「その調子でな」
 ほどなく黄金竜は飛び立った。もうずっと、あの爺さんは寝た切りだ。施設はいやだと言う。ぜひ見せてやりたかったんだ。アルフレドはそう言った。

 それからアルフレドはたくさんの知り合いに今日迎えたばかりの花嫁を会わせた。老婆老翁、出産直後の母子がほとんどで、ほぼ全員が自力で歩けない者達だった。そして、行った先はその全てが寒村、辺境だった。港のある栄えた街、城の出先機関、そういった所には一度も行かなかった。
 アルフレドの知り合いは一体何人いるのだろうとシャルロッテは最初こそ思ったが、あまりの多さに数えることを止めた。

 昼になって、空腹を覚えた二人は黄金竜の上でお弁当を食べた。美味しいねとシャルロッテが言うと、あの婆さんのタダ飯はこれきりだから味わって食べろよ、とアルフレドは言った。その通りだろうと確信したシャルロッテ。アルフレドがなぜあんな食生活だったのか、空の上でもう一度再認識をした。

 シャルロッテはまる一日中、笑顔で手を振り続けた。行った先々で歓迎され、疲れも飛んだ。
 きれいだね。一体何度言われただろう。聞きなれない言葉に、衣装に言われたのだと卑屈に考えたのも最初だけ。幾度となく紡ぎ出される誉め言葉は素直に身に染みた。
 夜になってもアルフレドは飛び続けた。どれだけ顔が広いのだろう。これも後で訊こう。だいぶ後でだそうだが。
 アルフレドの知り合いには、全員名前付きで紹介された。シャルロッテにとっては人数が多過ぎて、正直全員を覚えることは出来なかった。そう詫びると、アルフレドはそんなもんだ、気にするなと言ってくれた。

 月と火の星が二つとも中点を通り、さすがにシャルロッテの体力も尽きたころ、黄金竜は静かに地上に舞い降りた。知らない土地なら月の灯りではそれがどこかは分からない。さて次は誰か、どこか。
「今夜はこれで終了だ。大体回った、お疲れさん」
 そうアルフレドが言うと、シャルロッテを横抱きに降り、そのまま歩いた。
「お帰りなさいませ」
 聞いたことのある複数の声がした。女性だ。
「ここは緑の館だ」
 別荘、保養地があると言ったのを覚えているか? アルフレドの問いに、シャルロッテはそういえばと頷いた。
「新婚旅行の宿泊先だ。腹が減っただろう、飯を食って風呂に入って、もう休もう」
 そう言われて、シャルロッテは気が抜けた。肺の底から息を吐き出し、緊張が切れた。

 翌朝、シャルロッテは緩慢に目を覚ますと、あたたかかった。後ろから抱きしめられている。太い腕が巻き付いていた。
「おはよう」
「……おはよう」
 半年ぶりの、朝の人肌は、一瞬で半年前のことを思い出させた。
「疲れは?」
 甘い感情がわき出して、すぐには答えられなかった。
 それを遠慮しているから疲れたと言いたくないのだと受け取ったアルフレドは、まずは食事にしようと言った。
 引かれる手もそのままに、大人しく歯を磨いて大人しく食べるシャルロッテ。アルフレドはいつもと様子が違うなと思った。
「やはりまだ疲れているんだな。食べたら午睡をしよう」
「どうしてそう思うの?」
「いつものスープの蘊蓄がない」
「ああ、あれ。ビンクス夫人に、はしたないからお止めなさいって」
「おまえはおまえだろ。いいから言えよ」
「ん……」
 半年間、毎日叩き込まれた教養と作法は、さすがにある程度体得をした。シャルロッテが自ら望んだことだった。周囲に王妃様と呼ばれるのだ、まさかそうはなれなくても、少しでも近付きたかった。
 それでも今は。
「あのね……」
「なんだ」
 食事をおえてから、シャルロッテは言った。
「……いちゃいちゃしたい」
 アルフレドは目を瞬かせたが、すぐに応えた。
「俺もだ」
 人生で一度きりの新婚旅行。二人はたくさん夫婦の時間を取った。
「野暮天は返上か?」
「うん」
 寝ても覚めても触れ合った。
 十日間、二人は睡眠と食事を充分にとった。アルフレドにとっては初めてのことだった。