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 紅を引いた。

 城奥から謁見の間までの通路を、槍を持った甲冑の兵士に見送られ歩く。控えの間で、定刻となり扉が開かれるまで護られながら座して待つ。
 ここは王配の控えの間であり、権力のない存在にとって、使用するは一度きり。本日の、婚姻の儀のためのみにある。
 シャルロッテにその実感はない。しかし、この半年間を全てこの日に捧げた。ただの一日も休みはなかった。毎日が基礎訓練の繰り返し。応用などする暇も、出来るはずもなかった。
 分厚く閉ざされた扉の前の椅子に座っている。そのシャルロッテの周りを、ずっと付き添ってくれた者達が取り囲み、見守る。もう言葉はない。全てをやり尽した。あとは本番のみ。
 そう思って、待っているのはこの間にいる者達だけ。この先の、扉の向こうでは、歴史に名を残す名君が謁見の間の頂点に立ち、即位することを宣言していた。
「……はず」
 ついに今日までシャルロッテは、本日夫となるはずのアルフレドに逢えなかった。帰城は早くて半年後と言っていた。つまりは一年でも二年でも時間が掛かるという意味ではないか?
 シャルロッテはちらりと右斜め上に視線を向けた。昨日まで、いや先ほどまで城の主を叱り飛ばした女性、ビンクス夫人がしゃんと立っている。
 さあ王妃様。いよいよですわ。
 扉が開かれた。

 椅子から立ち上がるところから、シャルロッテの戦いは始まる。一歩目の前につんのめらないこと。そして第一歩。ドレスの足さばきである。
 似合わないから。縁がないから。アルフレドはああ言うけれど、きっと関係がないから。振られてばかりだから。積み重ねた言い訳と真っ正面から向き合った半年間。
 立ち上がり、扉が開かれると、万雷の拍手と歓声が主役を待ち受けていた。

 今のシャルロッテに周囲を見渡せるような余裕は毛筋ほどもない。観衆が、当初民が予想していたものとは全く違っていたことさえ分からなかった。
 今日、謁見の間にいるのは臣達ではない。抽選に当たった大陸の民だった。
 あの後、大王と軍人以外を集めた議事の間で、第二大臣が発言を求めた。
「謁見の間では誰の立ちようも決まっておらぬ。式当日あの間に居並ぶのが、なにも我々でなければならない決まりもない。ならば誰が間近で祝ってもいいではないか。誰にその権利があってもいいではないか。
 よって大陸の民全員に機会有り。臣は特別扱い? 宿将、重臣は別? 知らん!」
 年若い、城勤めも浅い者の言いようなど、いつもならば誰も聞きはしない。しかし文化人から賛同の声が上がった。文人からも、それもよしと意見が出た。大王様ならお分かりくださる。それが総意となり、結果、大王の裁可を待たぬまま決定された。
 第二省が総出でくじを輪転印刷し、全土に陸送で配布された。羨望の的たる当選番号は式の一ヶ月前に発表され、はかったように城勤めの臣は全員落選した。

 大王が滅多に開けない謁見の間に来られるのは一度きり。当選者は一生分の幸運を使い切ったと誰もが言った。その、運でいっぱいの観衆が叫ぶ。
「王妃様!!」

 耳も遠くなった気がする。周りも見えないことさえあるのだとシャルロッテは初めて知った。城に来てからそういうことだらけの毎日だったけれど、今日は別格だ。
 一歩、とにかく一歩。繊細なレースの衣装を纏い、足さばきを。全ては今、この時の為。
 多くの民に見護られ、人生で一度きりのバージン・ロードをたった一人で歩いて行く。

 ああ お願い どうか

 虹のたもとか陽炎か。近付くことも叶わないと思われた階段下にようやっと辿り着く。今日は一体幾度目か、またも気を奮い立たせた。一段一段をゆっくり昇る。歩く足さばきとはまた違う、半年叩き込まれた高度な技。決して猫背になってはならない。頂点を見てはならない。
 聖山キュロスより高く感じた極みに、シャルロッテはようやっと立った。溜め息はどうか許してほしかった。何度も自らを奮い起こし、意を決して真正面を見た。顔を上げる。視線が合った。
 大王はその頭上に王冠を戴いていた。ヴェール越しでも分かる見事な造り。衣装も違った。穢れた者と己を貶めるアルフレドが一度も纏ったことのない色。徽章を縫い取る糸の色さえ同じ、胸を搏つただ一度きりの純白。

 二人が宣言をする。
「私、アルフレドは、シャルロッテを妻とし、生涯を共に過ごす」
 天井までも豁けた謁見の間で、偉大なる王には後光さえ差していた。
「私、シャルロッテは、アルフレドを夫とし、生涯を共に過ごします」
 シャルロッテは卓上の指輪をそっと取り、アルフレドの左手薬指に填めた。

 そして近いのくちづけを。
 花婿が花嫁のヴェールを静かに上げると、城周りに無数の白い鳥が羽ばたいた。歓声と拍手が沸き上がり、地鳴りのように轟き渡った。

 大王が皆に応え、観衆に向き合う。王者の笑みでゆっくりと手を振った。隣に立つ者も、ぎこちなくそれに倣った。誰もが微笑ましく、なったばかりの新郎新婦を見守った。
 二人はしばし、壇上からそうした。遠く城から離れている者にもよく見えるように。

 やがて大王が手を下げる。代わりに視線を上に向けた。
 大王に注目していた皆は、それが合図であるかのように、一斉に上空を見た。歓声が上がる。
「わぁ……!」
 祝いにやって来た、羽ばたく鳥達とは大きさの全く違う、竜ほどの白い鳥が顕れていた。ゆっくりと降下し、階段に降り立つ。
 王は、王配を裾の長い繊細な衣装ごと横抱きにして、一緒に鳥に乗った。
 観衆が大王様、王妃様と叫ぶ中、二人を乗せた白い鳥はゆっくりと離陸し、謁見の間を、城をあとにした。