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 聞き慣れぬ言葉に、シャルロッテは鸚鵡返しをした。
「内乱」
「はい」
「おめでたい日に?」
「はい。今日この日に内乱が起きることは分かっておりました」
 そう言われ、シャルロッテは半泣きとなった。
「わたしがアルフレドと結婚をするから……!?」
 目の前が滲んだ。こんな悲しいことはないと思った。民は許しはしないのか。

 何人もの近侍に、涙をそっと拭かれ、違います、そうではありませんと声を重ねられた。どうか続きを聞いてくださいと。
 しゃくりあげる主を宥め、一番のお気に入りの茶を淹れる近侍。さあどうぞ、とすすめた。
「違うの……?」
「ええ、違いますよ」
「さあ、ひと息ついて」
「大王様は王妃様に悪いようにはなさいません」
「どうかお話を聞いてください。まだまだ、始まりなのですから」
 婚約までして始まりなのか。シャルロッテはどこかで聞いた言葉を思い出した。
“結婚は人生の墓場”

 近侍は言う。今日、あの大王様のおめでたい言葉は平和の象徴だ。
「解放記念日から丁度十年。もう敵はいません。するとどうなるか」
 どうか最後までお聞きください。質問には可能な限り答えます。近侍に言われ、シャルロッテはそうした。
「軍人は不要となります」
 近侍は言う。城表で見せた武人の稽古姿、あれを世間はなんと言っているか?
「穀潰しです」
 百歩譲って、解放記念日から幾許かは確かに軍が必要だっただろう。だがあの日前後から学校に通うよう法律が作られ、最初に、いずれは課税されると教わった。
 課税? 国庫が減るということだ。減らしている物は、者は?
「軍人です。とうに平和になり、敵もいないのに二十万人の穀潰しが十年国庫を喰いました。仮に食費だけを計算しますと一食を500エンとして三食で1,500エン、掛ける20万人、たった一日で三億エンが飛びます」
 それを十年続けて来た。どんな立派な国庫でも減る一方だ。
 確かに空軍ならばまだ分かる、空路は便利だ。だが命をも削る戦時中のような訓練が必要なのか。海軍も、海運は必要だ、それも分かる、まだ。しかし陸軍はまるで必要ないではないか。剣? 槍? 弓? 一体誰に対して振るうのか。
「人は食だけで成り立っているのではありません。給金その他の経費を含めればたった一日で更に大金が飛びます。それだけ国庫を喰って、ハイなくなりました、民に課税する?
 誰も許しません」
 解放記念日直後は皇族がまだ生きているとの流言飛語はあった。しかし、それももう昔のこと。
 厳しい訓練を課せられながら、日々鍛えながら無駄飯食い、穀潰し、不要と言われ続けた軍人達。名実ともに平和が成立した大王の言葉を聞き、日々追い詰められていた焦慮が一気に爆発した。
「大王様はそれに対処する為、一人向かわれたのです。宿将? 重臣? 他の誰が行っても意味はない。
 唯一人、大王様だけが事を為せるのです。半年でさて済むか……」

 近侍に事情を聞き、とても落ち込んではいられなくなった。それどころか、たった一人で立ち向かったアルフレドが心配になった。確かにとても半年では済まなさそうな内容だ。
「さあ、そのような不安な顔をしてはなりませんよ。貴女様は王妃様なのですから」
 対面に座るビンクス夫人がシャルロッテを諌める。
「大王様は、今起きていることについて、なんと言い置かれました?」
「……出掛ける、帰城は早くて半年後と……」
「であれば、そうなのです。信じるしかありません。男の戦は男に委ねる他ありません。
 王妃様。私が本日登城をしたのは、もう一つの理由の為です」
 シャルロッテは顔を上げた。これだけ衝撃的な言葉を聞いても、まだなにかあるらしい。
「半年後、大王様はお帰りになります。これは、よろしいですね」
 言われてもとても頷けはしないが、シャルロッテは言葉を飲み込んで首を縦に振った。
「半年後、婚姻の儀があります。これも、よろしいですね」
 頷いた。結婚式があるということだ。ここまで言われて、当事者であるのにとてもおめでたい日とは思えない。
「口で言っても分からないでしょう。さあ、お持ちなさい」
 夫人の言葉の後半は、シャルロッテにではなく近侍に向かって言ったものだった。まるで事態が掴めていない主そっちのけで近侍は頷くと、何人かが扉に寄る。それが合図であるかのように開かれた。そして何人かが、運び込まれた白い物体を静々とシャルロッテの座る二人掛けの椅子付近まで持って来た。
「あの、これは……」
「花嫁衣装の模型です。着てみてください」
 シャルロッテは、言葉を咀嚼するのに時間を要した。

 解放記念日より前から大王と綽名されたアルフレド。その連れ合いの存在の有無・動向は常に大陸の民の関心事だった。誰もが早く現れることを願っていた。
 だがあの頃は混乱の極地にあり、女色さえ見せない大王様に、民はある程度は仕方がないと諦めていた。しかし道路は出来、水道は敷設され、家が建ち、城が完成すると、民の常の話題となって行く。
 意を酌んで、第二大臣および所属する第二省では、近々ではないだろうがそう遠くないこととして、省が作られてからすぐ婚姻の儀における晴れの衣装の作成計画に着手した。大王が生かした職人達の技により作られた。緻密な作業のあくなき繰り返し。あれから十年の歳月を要したまさに最高傑作、技術の粋を極めた出来栄え。あとは寸法合わせさえ行えば完成する。
「の、模型ですか?」
「ええ」
 夫人は難なくそう言うと、模型、つまりは紙で出来た白い、衣服を模った代物を着ろと言う。
「はあ、それでは……」
 もはやシャルロッテは地に足がついておらず、言われるがまま晴れの衣装を脱いで、晴れの衣装の模型を着た。
「重い」
「歩いて御覧なさい」
 シャルロッテの第一感想に全く耳を傾けず、夫人は言った。
「歩く」
 言ってその通りにしてみた。王妃の記念すべき第一歩は、紙を蹴破り引きちぎり、つんのめって前のめりに倒れることで終わった。

 王妃様をそのまま転ばすわけにはいかない。事態を予測していた近侍に両脇を支えられ、顔面から絨毯に突撃することだけはなんとか逃れたシャルロッテ。言った。
「こ。これを、繊細な出来栄えの晴れの御衣装でするわけですか」
「ええ」
「破ります」
「それだけではありませんよ」
「え」
「ただ一歩だけではありません。優雅に何十歩も歩き、更には階段を昇り、栄えある謁見の間の頂点に立っていただきます。衆人環視の真っただ中で」
 シャルロッテは気が遠くなり、今度こそ倒れた。紙がみっともなく破れる音がした。

 裾の長い花嫁衣装を頂点とするドレスは姫君令嬢の象徴とされ、奴隷は誰もが嫌った。大王は殊の外嫌った。しかし禁令には載せなかった。それも文化、まして異なる生命体とも言われる異性の嗜好を制限する程私は野暮ではない……と言ったとか言わなかったとか。
 旧王朝に纏る全ては嫌悪怨嗟の大嵐となって大陸の隅々まで吹き荒れ、何年も止むことはなかった。
 しかし時は経つ。誰かが着始めると、憧れなる感情が若葉として芽吹いて行く。更に月日を経て経済的特需とともに大嵐が止むと、旧王朝とていいものはいい、という風潮が出始めた。
 大王は皇の血は絶ったが文化の保護には努めた。禁令に記さないことの意味を数年後民は知ることとなり、先鋭的な文化人は新旧折衷したものだけでなく、そのものを身に着け、表現して行った。
 寒村出身のシャルロッテは装うことから逃げていた。言い訳だけを積み重ねて。

 寝たり起きたりした後で、もう一度椅子に互いに座った後、ビンクス夫人は言った。
「軍の内乱は男の戦。あちらはあちらです。
 女にも戦は御座います。勝つ為に、私が参りました。分かりましたね」
「はい……」
 シャルロッテは大人しく頷いた。そして思った。上手く歩けるようになるまで、半年で済むかしら……

 その日その時より、城奥で王妃の悲鳴が止むことはなかった。布地の代わりが破けぬ日はなかった。家庭教師の叱咤激励が飛ばぬ日はなかった。男子禁制の、まさに女の闘いが、一日も欠かさず繰り広げられた。