30

 アルフレドが王の間を去った直後、近侍が十人近く入室して来た。常にはなかったことだ。シャルロッテは心をそのまま沈ませて置くわけには行かなくなった。対応をしなければ。
「さあ、こちらに」
「歩けますか?」
 こちらに? どこかへ行けばいいの?
 わたしはだれ? ここはどこ?
 あの時は答えてもらえたのに。
 シャルロッテは言われるままその足で王の間を出て、槍を持った甲冑の兵士が居並ぶなかを、訳も分からず歩いた。

 こちらに。こちらに。
 そう言われて向かった先は城奥。大王が家と呼んだ区画だった。二人掛けの椅子をすすめられ、座るしかなかった。
 すぐさま温かい飲み物が出され、どうぞと言われた。惰性? 習慣? 口をつけた。
 カップを持って、じわり。涙が浮かぶ。ここに連れて来られたということは、つい先ほどまで居たあの場所に、最低でも半年は戻れないということ。
 なんの理由もなく液体を飲み込み、カップを置く。素人でも人の多さの気配に気付き、顔を上げた。
 そこには今までにない人数の近侍が勢揃いし、膝を折っていた。
「ご婚約おめでとうございます、王妃様」
 全員が口を揃え、一礼をしシャルロッテを祝福した。

 同じ女、全員と話したことがあるといえど、ここまでの人数と声に圧倒され、言い返せないシャルロッテ。それでも、そう、言わなくてはならないことが。
「あの、わたし……王妃様じゃありません」
「はい、王妃様」
 またも一同が口を揃える。練習でもしたのだろうか、一糸乱れぬ発言は見事だった。
「あの、……大王様、出て行っちゃいました。だから……」
 シャルロッテが、置いて行かれた惨めさを訴えようとすると、
「それはともかく!」
 ともかくって。
「やっと成就されましたね!」「我々!」「一同!」「お待ちしておりました!!」
 近侍の表情は一様に、キラキラと輝いていた。ああ、女の顔だわ……シャルロッテはそういう感想を持たざるを得なかった。

 溜め息をつくシャルロッテに構わず、近侍は次々と発言をした。
「もどかしくて」「どうなることかと」「さっさとくっついてしまえばと言いそうに」「どうしてお二人とも、いつもあんなに遠回しにご発言をされるのですか?」「大王様があのような言い方をする方など、王妃様だけですのよ」「あんなに気兼ねなく仰れる相手など、王妃様だけですわ!」
 異なる口々が似たような言葉を並べる。圧倒されて、シャルロッテはしばし涙が飛んだ。
「あの、わたし王妃様じゃないです」
「やっと王妃様と呼べますわ!!」
 口を揃えた一同に、練習でもしていましたか? とシャルロッテは内心で思った。

 曰く、護り始めたその日から、近侍の間では護衛対象をずっと王妃様と呼んでいた。それ以外の呼び名はなかった。
 あれから約二十年。解放記念日まではともかく、それからも吉報は届かず業を煮やし続けた折り、ついに届いた召還命令。やっと城に王妃様を呼んでくださる、盛大にもてなそう。
 と思ったら指示内容は“なるべく事情を話さず連れて来てくれ”
 は?
 近侍は全員目が点になり、短文にして難解な命令に首をひねった。なにを言う、やっと呼べる体制になったのだから常のごとく黄金竜を飛ばし攫って行けばいいではないか。なるべくとはなんだ。事情? あなたは王妃様です、と言ってはいけないということか? 連れて来い? その為にわざわざ宿将が一人を空軍から異動させ、黄金竜も呼べるのにわざわざ黒竜で? 目立つなということか?
 あの時は心苦しゅうございましたと、あの時の女性達がほとほと困った体(てい)で愚痴をこぼした。
「はあ、それでお嬢様……大変でしたね」
 当の本人もそう言わざるを得なかった。
「一時間も歩かせるなど、全くやりたくも御座いませんでしたが今更ながらお許しください」
「あれはどういう意味だったんですか?」
 シャルロッテを近所でも一人で歩かせない近侍があの行動。そういえばおかしかった。
「寒村に黒竜が数騎も飛べば、なにごとかと周囲に思われるでしょう? ひとえに目立たぬ為でございます」
「なるほど。じゃあ、しばらく陸路で行く、は?」
「王妃様が飛行類に最初にお乗りになるのは大王様の黄金竜が一番いいに決まっているではありませんか! 大王様に攫っていただく隙を見せるためでございますわ!」
「はあ、それはまた随分お考えになられましたね……」
 つられて呂律の回らぬ敬語になるシャルロッテ。
「確かに、アルフレドなら黄金竜でカッ飛びそうですね……実際はどうだったんですか?」
「お察しの通り、緊急案件が入ってしまい」
 あの時、陸路か空路かを決める人間はアルフレドでなく事情が全く分からないシャルロッテ。タイミングが合わなかったのだ。もしあのまま陸路を選択し日数をかけていたら、大王様はきっと自らお迎えに来られましたよ、とは近侍の弁。
「はあ、なるほど……」

 お願いがあります。そう近侍に改まって言われ、シャルロッテはどうしようもなかった。
「我々の勤務は交代制です。全員、王妃様にお祝いを述べたいのです。お許しを頂けますか?」
 誰一人名乗らない近侍が言った。
「全員……」
 アルフレドは、近侍の人数は言わなかった。言えばより緊張をするからと。
 確かに、城住まいには慣れた。いかつい者達で鍛えられもした。訊いてみた。
「近侍さんは合計何人いらっしゃるんですか?」
「我々に敬語は必要ありません。人数は言わないよう大王様から指示を受けております」
 この言葉を合図とばかりに、部屋の扉がそっと叩かれた。シャルロッテは溜め息をついて、どうぞと言った。
 訓練された足取りの、同じ軍服の体格のいい女性達が、シャルロッテの目にはおそらく、室内にいるのと同じくらいの人数が入って来た。
 全員が訓練された通りの敬礼をし、
「ご婚約おめでとうございます、王妃様」
 口を揃えて目の前の主を祝福した。

「なんとじれったい」「ようやっと」「この日を待ち焦がれておりました」
 様々な言葉で祝われるなか、交代制という最初の第一陣はシャルロッテの許可を得た上で退室した。
「第三陣、参ります。よろしいか伺います」
「……どうぞ」
 否やもないので、シャルロッテは返事をした。また部屋の扉がそっと叩かれた。そこまで気が回らなかったので、音が少々違っていたことはシャルロッテは分からなかった。
「失礼いたします」
 入室の音が今までと全く異なり、ようやっとシャルロッテは気付いた。
「あ……」
 思わず声が漏れた。入室者は人数こそ室内にいる者達と同じであるが、装いが違った。今度の者達は全て、槍を持った甲冑の兵士達であった。
 姿だけは見慣れていたものの、歩くところを見るのは初めてだ。金属の音を立て、訓練された足取りで主の前に整列をする。そして、全員が訓練された通りの敬礼をし、口を揃えて目の前の主を祝福した。
「兵士さん……女性、近侍さんだったんですね」
「はい、そうです。城奥は男子禁制。通ずる廊下を守るのも女性ですわ」
 笑って言った声は聞き覚えがあった。
「交代制、って、じゃあ……飲み物を淹れてくれたり、甲冑を着たり、休んだり、ってことですか?」
「その通りでございます、王妃様」
 シャルロッテは全ての近侍に祝福をされた。人数など数えようもなかった。

 今日はこれからビンクス夫人も来られます、ご婚約のお祝いに。
 ひとときの喧騒は止み、戻って来た第一陣の近侍がそう言う。ここまで大人数に祝われ続ければ確かに嬉しい。だが独りなのだ。シャルロッテは複雑だった。
「おめでたくはないですし、わたしは王妃様ではありません……」
 主と言うわりに、誰も言うことを聞いてくれない。シャルロッテはようやっと、大王と呼ぶなと言い続けたアルフレドの気持ちを理解した。

 ビンクス夫人がやって来た。いつもならば午後に来るので、午前中に来るのはこれが初めてだ。
 近侍が両脇を固め作る道を、しゃんと歩く元侯爵夫人。シャルロッテも立ち上がった。
 完璧な所作で、ビンクス夫人は一礼をした。
「ご婚約おめでとうございます、王妃様」
「ありがとうございます……」
 シャルロッテは一刻も早く落ち込みたいのに、どうもそうは行かないようだ。
 二人は着席をした。
「どうなることかと気を揉んでおりましたが、やっとそのお姿を拝見することが出来ました。大王様のお言葉、見事でした」
 シャルロッテはそういえばと思った。揃いの徽章が施された衣装のままだ。
「その指輪を生きて拝見出来るとは、あの時は思っておりませんでした」
「これ……ですか?」
 シャルロッテは左手薬指に光る物を見つめた。
「私が仕えた王朝でも、誰も指に通さなかったという秘宝中の秘宝ですわ。王妃様、オーパーツをご存知ですか?」
「あ、ええ……」
 あの時アルフレドに連れて行かれ、見せられたのはてっきり洒落のようなものだと思っていた。意味があったのか。
「なんでも、この星のものでない成分で出来ているとか……月の指輪と呼ばれていました」
 婚姻の式では、王妃様が王様に指輪を填めます。火の指輪と呼ばれた秘宝のはずですわ。そう夫人は言った。あの悪魔の剣でも斬れぬやも、と。
「大王様はどのように求婚なされたのですか? 私も皆も知りたがっています。よければ、教えてください」
 あの時のように、女の顔で言われて、シャルロッテは思い至った。そういえば、テーブルの上に置いたあの花束。
 二人きりでのことだったので、言っていいものかどうか分からないが、薔薇のことは近侍に頼まなくてはならない。
「ええ、赤い薔薇をたくさんいただいて……あの、これ以上はご容赦ください。代わりといってはなんですが、薔薇をお見せします。といいますか、王の間に置いて来てしまいました。持って来てもらえますか? 飾りたいの。遣り方を知りませんけれども……」
 夫人も近侍も、肝心の場面の欠片を聞けて大層喜んだ。そして近侍が数人軽やかな足取りで薔薇を取りに行った。シャルロッテは、王の間にはやはり大王様が帰るまで行ってはいけないのだと思った。

 テーブルに見事な花瓶が置かれた。薔薇は夫人が生けた。
「さすが大陸一の薔薇伯爵、見事ですわ。よく切らせました事……」
 夫人の独り言は、シャルロッテには届かなかった。

 そろそろ、王妃様の疑問に答えましょう。近侍は言った。
「何故、晴れのめでたい日に大王様が衣を替え王妃様を独り置き城を出られたのか。
 あることが起きたからです」
 いきなり核心に来た。近侍の常になかったことだ。受け止めなければならない。シャルロッテは緊張をした。
「軍の内乱です」