27

 アルフレドは朝陽の漏れる部屋を出て、愛用品のコップに、皆と一緒に敷設した水道水を汲んで寝室に戻った。
「おはよう。水、飲めるか?」
 男の艶のたっぷり含まれた声だった。シャルロッテは恥じてふいと横を向いた。
「飲んだら、湯浴みをして食事。
 シャルロッテ。話がある」
 一段、声が低くなった。シャルロッテは後ろから差し出された水を飲んだ。

 アルフレドに風呂に入れてもらい、二人は部屋着に着替えて風呂場を出た。アルフレドはシャルロッテを抱き上げたまま歩き、二人掛けの椅子にそっと置いた。テーブルには朝食が並べられていて、近侍の姿はなかった。
「腹が減ったんだろう野暮天。お望み通りたんと食え」
「……そんなふうに言わなくったって」
 掠れた声で、シャルロッテは言った。

 食事の後、もう一度風呂場に戻った。シャルロッテを座らせ、二人で一緒に歯磨きを。
 アルフレドがやけに念入りに髭を剃っている。普段あまり構わない髪の毛や服も、念入りに調えていた。今朝の衣装には大王の徽章が刺繍されている。
 シャルロッテの前では常でないアルフレドの気迫に圧されて、シャルロッテも丁寧に身支度をした。伸びた髪を丁寧に梳き、吊られている服を着る。白絹の衣に揃いの徽章が刺繍されていた。
 化粧も施した。支度をおえると抱き上げられる。差した紅をこんな美しい衣装に移してはいけないと思った。

 二人掛けの椅子にそっと置かれると、少し待て、と言われた。言葉遣いが大王のそれだった。二人の時は、一度も言われたことがなかったのに。
 心臓がまたも高鳴る。事ここに至ってさえ、まだなにかあるのかと緊張した。
 王の間から出て行った大王が戻る。その手には、真ッ赤な薔薇の大きな花束があった。
 王の歩調でアルフレドが歩み寄る。止めようもなかった。
 シャルロッテの隣に座ったアルフレドは、花束を渡し、生涯唯一度だけの言葉を伝えた。
「結婚してくれ」
 受け取ったシャルロッテは言葉が継げないまま、アルフレドのすることをただ見ていた。一緒に持っていた小箱が開かれ、指輪が取り出され、左の薬指に填められる。
 人の心は移ろいやすく、だから心の臓に直接繋がる左の薬指を、揺らがぬようはめ込むのだという。
 アルフレドがシャルロッテの手を拝むように握り締めると、男の眸で女を奥底まで射止めた。
 男は返事を待っている。精一杯の笑顔で。
「……はい」
 心を伝えると、男は破顔し白い歯を見せた。

 相応しく包まれてはいるものの、女の手には大き過ぎる花束を男はいったん預かって、テーブルに置いた。
「王妃様になるんだぞ」
 途端シャルロッテは目を伏せた。握られた手も引っ込めようとする。アルフレドは逃がさず、両の手を握り締めた。
「それが“イヤ”なんだろう?」
 シャルロッテは、答えられないことで答えてしまった。
 アルフレドは溜め息をつくと、シャルロッテを抱き上げ、膝に乗せた。シャルロッテは紅が移るのを嫌がって、肩に頭の後ろを預けた。
「そうなんだろう」
「……そう」
 結論はとうに出ていた。呼ばれた時、住めと言われた時。はいと言った時。
 無理に決まっていた。分かっていたことだ。第三夫人が羨ましかった、誇れる美貌があれば誰にもなにも言われない。
 自信がなかった。とうに諦めていた。住んでいた長屋周りでよく聞いた言葉、恋をすれば女はきれいに……誰もシャルロッテには言わなかった。そして周囲の、長屋を出て行ける少女たちは皆きれいになって行く。
 何人かの男達に振られ続ければ、自分の価値が分かろうというもの。今せめてと化粧をしたが、誰もきれいと言ってくれないことなど分かっていた。
「なにが嫌なんだ、そんなに。おまえの考える王妃様とはなんだ?」
「なんだって……綺麗で優しくて美しくて賢くて……」
 言っていて惨めになった。一つも自分に当てはまらない。
「おまえの小間使いならするから、目障りならここにいられなくていい、下働きをするから……」
「アホ」
 唇を寄せた大王に、差した紅が移った。
 感触で分かったのだろう、それを指で掬い取った大王はフンと鼻を鳴らした。それから、どこからとり出したか紙になにかを書いていた。
「分かりやすく、王妃と言ったが」
 紙には“王配”と書かれてあった。
「もう言わん。法律を作り明記する。俺の妻は王配だ」
「おうはい……」
 学がないシャルロッテは、言われても文字を見ても意味が分からなかった。
「王の配偶者だ」
「王妃様とどう違うの?」
「歴史上、女王は何人もいた。その配偶者はなんと呼ばれた?」
「えっと、王妃……じゃない」
 女王が陛下、王配は殿下、王は陛下、王妃を含め三后は陛下。呼び方は各王朝で様々だった。
「仕方がないから即位はしてやるさ。俺の王朝では、王であっても女王であっても、配偶者は王配とする。
 王配に権力はない」
 シャルロッテは言葉が飲み込めなかった。自身が権力に興味がないこともあった。なにを言っているのか分からなかった。
「政治・経済・軍事・福祉・医療・歴史・文化その他全てに口を出させない。その権利を与えない。王配に連なる親族郎党、つまりは外戚にも、決して壟断させない。ありとあらゆる権力を奪う」
 真剣な眼差しから、大王は表情を緩めた。
「おまえがなにを心配しているのかは知らんが。たとえば謁見の間で臣が立ち並ぶ中俺の隣に立ち、率先して政治を、なんてないさ」
 シャルロッテは大きな大きな溜め息をついた。そしてアルフレドの首に腕を回し、抱きついた。
「そういうことをするのかと思っていた……」
「アホ、させるか。やる気あんのか?」
「ない!」

 アルフレドはシャルロッテを隣に置き直すと立ち上がり、コップに水を汲んで来た。
「そういうことをわたしにさせてよ」
「性分だ」
「そのコップに触っちゃだめってこと?」
「おっと、そういう意味じゃない。分かった、次からな」
 シャルロッテに飲ませてから、アルフレドは水分補給をした。その必要があった。今日この時のためにしつらえた衣装だった。
「シャルロッテ。王配になる、でいいな」
 男の眸に射貫かれて、今度こそ女は逸らさなかった。はい、と囁いた。
「これでおまえは俺の婚約者だ。式は半年後。皆に言うぞ。いいな」
 シャルロッテは即答が出来ず、填められた指輪に視線を落として、恥ずかしいと言った。
「理由がある。聞けよ」
「なに……」
 正確には、なにに理由があるの、全然分からない、だったがアルフレドは気にしなかった。王配に政治をさせる気はないのだ。
「わるいおうさまはやっつけた。敵はいなくなった。平和になった。途端、付き合わなければならない奴が現れるんだ。なんだか分かるか」
「おうはいなので分かりません」
「いい返事だ。経済だよ」
 人は食わねば生きて行けない。その食料はどうやって得る? 働いて。働き先が必要だ。その先では雇える金が必要だ。金は回らねば立ち行かぬ。人はそれを経済と呼ぶ。歴史上のどんな王朝、国であろうと逃れ得なかった永遠の命題。
「おまえに中途半端に見せたように、城の地下には金銀財宝がうなっている。だがいずれはなくなる、課税をすると説いて来た。これは最初に言わなくてはならない。後出しでは誰も納得しない」
 課税と聞いて誰もが反対をしたものだが、大金持ちの一番上から順次課税する、まだまだ先の話と大王は解放記念日から説き伏せていた。
 学校を作ったのもそうだ。平和を得たならばすぐにやって来る重要課題である経済、切り離せない税制度。それらを根気強く教えて行く必要がどうしてもあるのだ。
「記念日後は開放特需とも言えた時期があった。だがあれから十年経った。道路も出来、家も建ち、落ち着いた。結果、年に一度のお祭りでは、経済の活性化という意味ではもう足りなくなって来ている」
 解放記念日は一番のお祭りとされ、多彩な催しがあり金が回る。
 飲食業に従事していたシャルロッテ、この日に楽をしたことは一度もなかった。店に客がより多く来るからだ。金が回り、お祭りの頃は給金も増えた。楽しみといえばそれだけだった。
「大陸の民全てに、即位と結婚をすると伝えること。我ながら手前味噌だが、立派なお祭りになるだろう。なにせいつ結婚するんだと、ずっと言われっ放しだったからな。
 一緒にやりたかったんだよ。記念日が増える、経済が回る」
 だから皆に言いに行く。おまえ今日がなんの日か分かっているのか?
 シャルロッテはそう言われ、ようやっと思い至った。唇にそっと触れ、紅を移す。
「行ってらっしゃい」
 立ち上がり、揃いの衣装の婚約者を見送った。