26

「イヤーーーーーーーーッッッッッッ!!!!」
 城の外にも届かんばかりの、耳を劈く悲鳴が上がった。

 肺の息が切れるまで叫んだ。その後も、瞑った目を開けることは出来なかった。
 ぎゅっと目を閉じていると、襲う熱がふと消えた。そそと目を開けると、男が悪魔の剣を持ち部屋から出て行く。
 途端、シャルロッテは再び寝室で惑う身となった。
 さっきは待てば解決すると思った。今は違う。
「あ……あ」
 息も整わぬまま、煩い心臓も押さえられぬまま、しばし呆然とする。なにに? 分からない。
 この部屋に誰もいない。
 シャルロッテはなんとかして起き上がると、よろめきながら歩き、少し開けられ置いた扉を全開にする。
 王の間から大王が出て行くのを、ただ見送った。

 今、王の間は明かりがほぼ落とされ、所々が仄かに灯されているだけだ。こうして見る王の間は初めてだ。広い。そして、外の灯の方が明るい。出て行かれたのは分かったが、どの出入り口かは暗くて分からなかった。
 後を追う? 相手は大陸一のアシを持つ男、飛ばれれば追う術はない。
 人を呼ぶ? どうやって言い訳をする。なにに悩んでいたのかも言わずにいたのに。
 待つ? 来たらなにを言えばいい。そもそも来るのか? 確かに書類は山と積まれているが、紙が主なのではない、城も主ではない。主がいる場所こそ城なのだ。書類など簡単に動かせてしまえる。
 先ほどと違い、ただ寝室をじっとしていられなくて、外の灯が見える窓辺に行った。おそらくではあるが、武人ならばまだまだ鍛練の途中で、文人ならばこの机上にのせるための書類を作っているのだろう。
 溜め息をつくと、窓ガラスが曇った。

 拒否してしまった。明確に。
 そんなつもりはなかったと今言っても後の祭り。シャルロッテはひょっとしたら、アルフレドはもう帰って来てくれないかもしれないと思った。城になんらの執着心もない男だからだ。それどころか嫌っている。
 シャルロッテは幾度も愚かなことをした。アルフレドは一度もない。
 そのアルフレドに、拒否されたことは一度もないシャルロッテ。思い付いて振り返り、執務机に向かった。あの石に手紙を送れば?
 ……なんと書こう。帰って来て?
 帰って来たら、言わなくては。なにを、どう?
 シャルロッテは深く考えなくてはならなかった。今しか己の想いを深思すべき時はない。

 沈思黙考し腹を決め、言うこと思うことを紙に書き散らしてしまうと、後は途端待つ身となった。
 本当の主は帰って来てくれるかどうかも分からない。
 手紙として書いて送るのは止めた。待とうと思った。何ヶ月でも何年でも。
 アルフレドはそうやって、こんな想いで来てくれたのだろうか。

 この間に元よりあった椅子に座った。広くて深い。寸法が合わない。
 周りが暗いから、誰も来ないと知っているからこそ出来た芸当だった。大王の椅子だ、他人が見ている時、当人がいた時、とても座れない。でも今は、いくら愚かと言われようと、アルフレドのぬくもりが残っているかと思ったのだ。
 暗がりでも分かる書類の山。最初に見た時、ある意味あの煌めく黄金竜より圧倒された。
 シャルロッテの前では、ただ前を塞ぐ壁でしかない。
 座りはしたものの肘掛けを使うなどせず、ちんまりと腰かけた。身体に合わない偉大な椅子。
 暗がりで、何時間もそうした。

 寝るわけにはいかないと思いながらも、朝方はうとうとした。眠るつもりがなく、外が明るくなった時にこそ眠くなるのは何故だろう。
 気が付くと、机に突っ伏してしまっていた。慌てて起き、立ち上がった。
 眠気の残る頭で今どうしようかは決めかねたが、朝が来たのだ。せめて顔を洗って歯ぐらい磨こう。
 身なりを調えるべく風呂場に向かった。思えば夕べはここを出た時、明日はどうなっているのだろうと思ったものだ。そんな先のことを考える必要はなかった、お陰でこのザマだ。
 きっとここを出れば、近侍が心配しつつ配膳をしている。ここのところ言えない悩みを抱えていたと知られているのは分かっている。平気な顔をしなければ。
 いつもより入念に支度をして、水分補給をして風呂場を出た。
 近侍はいなかった。
「……っア」
 いたのは主、アルフレドだった。先ほどまでシャルロッテが座っていた大王の椅子で、常のように執務をしていた。
 こんなことは考えになかった。徹夜明けで頭が重く、外の光が黄色く見えていた。
 思考停止したシャルロッテは、ふらふらと大王様に近寄った。
 どうしたらいいか分からなくなって、いつもと全く違うことをした。今まで一度もしたことのない、するつもりもなかったことだった。後ろから抱きつき、大王様の執務の邪魔をしたのだ。
「アルフレド……」
 目を瞑った。男の眸をのぞき込むことも、真っ正面から話すことも出来なかった。
「あの、違うの……」
 一気に言ってしまわなくては。それだけ思って、大王様が執務の手を止めたかどうか、そこまで頭が回らなかった。
「あのね、あの、あの……自信がなかったの。は、……」
 言ってしまわなくては。今しかない。返事をしてもらえるかどうか、そこまで思い至らない。
「裸に……」
 自信がないことだから、自然言う声も小さくなる。
 シャルロッテの声は、まさか鍛えたわけでもなし、それどころか積極的に声を出したこともないので、鈴の音のようとはほど遠い。
 言葉を何度か飲み込んで、
「お、おまえは、……バスタオルを取れって言うけれど、……そりゃ、自信があったらもうしていました。ないの。全然。あの……む、胸小さいです。あと、……左右の大きさが違うの……」
 さらに目を強く瞑った。
「なにも、見てもいいことない……おまえは、すごいかっこいい身体だけれど、だから……かえって、というか、……見せる自信ない」
 書類を手繰る音はとうに止んでいたのだが、シャルロッテは気付かなかった。
「イヤって言ったのに、……帰って来てくれてありがとう。あの……嬉しい、わたし……アルフレドのこと」
 シャルロッテはアルフレドに想いの言葉を伝えた。
「ずっと前からだから、……イヤなんかじゃない、イヤなのは自分、おまえは別、ずっと前から……」
 言の葉に想いを乗せて、何度も伝えた。言うこともない、口に出すこともないと思っていた言葉だった。
 他人じゃない人の肌って、あったかいなあ……
 返事がないことがどういうことか思い至らず、シャルロッテはアルフレドに抱きつき続けた。

 返事がないなあ……
 どのくらいの時間が経っただろう。ひょっとしたら、抱きついて身体を預けたのをいいことに、眠ってさえいたかもしれない。言うだけ言って、自分の気持ちを吐露したシャルロッテは、やっとアルフレドがなにも言い返して来ないことに気が付いた。
 ひょっとして、迷惑?
 だったらすべきことは決まっている。シャルロッテはすぐに腕を解いた。
 アルフレドはその腕を取って、さらりとシャルロッテを抱き上げた。なにも言わずどこかへ歩く。
 シャルロッテは急に姿勢が変わって、視点も変わってついて行けず、徹夜明けということもあって状況判断が出来ないでいた。
 支えるもののない頭の自重があやふやとなった時初めて、飛行類に乗せられる時のように抱き上げられているのだと分かった。どうしようと思ったら、また姿勢と視点が変わった。
 気付いた時、シャルロッテは二人掛けの椅子に座るアルフレドの膝の上に座らされていた。
 肩を抱かれ、男の眸に射貫かれる。
「あ、……の」
 小さな声で、どうしてと訊いた。
 それでも男は喋らない。
「……アルフレド?」
 言うだけ言って、こうして見つめられると、より恥ずかしい。よく酔う頼りない心臓は鳴りっ放し。
「ね、あの……イヤ? そうならいいの。わたし」
 離れようと思い、身じろぎをする。すぐに肩を抱かれた方の手で引き戻された。
 男がまたも眸で射貫く。シャルロッテはもう、なにも言わないことにした。伝えはした、聞こえてはいただろう。
 あとは返事を待つだけ。なにを言われようと、意を決して受け止めようと思った。
 男の口が動く。髭が、少し目立った。
「……俺が嫌いか」
「ううん」
 そう思わせてしまったことを、今度はきちんと否定した。その上で、想いの言葉を再び伝える。
「ずっと……最初から……」
 毀れた人形でもここまで言うまい。それくらい言い続けた。

 男は返事をしない。言い続け、途切れてしまうと、自然瞼が落ちる。うとうとし出した。あたたかくて、抱き寄せられたままで、緊張の糸が切れた。
 視線を下げたシャルロッテに、アルフレドが反応をした。
「……嫌われたのかと思った」
「違う……」
 返事をしてくれるらしい。それならと、もう一度想いを奮った。
「違うんだな」
「違う」
 再び視線を上げて、今度こそ男の眸と対峙した。
「ずっと前から」
「俺もだ。……先に言わせるつもりはなかった」
 アルフレドはシャルロッテに想いを返した。
「ずっと、……ずっと……」
 深い深い言葉を、女に伝えた。

 深く深く貪り合うと、その距離のまま、触れ合ったまま言葉を交わした。
「嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
「嫌じゃなかったさ。ただ、それが返事かと……ここにはもういられないと思った」
「大王様だから、帰って来たの?」
「……違う」
 逢いたかったからだ。男はぽつりと言った。
 嫌がられて、嫌われたのなら、そこを直すから考えを変えてくれ。そう言おうと思って帰って来たと。
「帰って来てくれて、ありがとう。嬉しい」
 シャルロッテは自分からは深くなど出来ないから、唇に触れるだけをした。
 アルフレドはそれでは足りなくて、女の頭を支えた上で深く深く貪った。
 唇から漏れるか細い声を存分に堪能して、男は言った。
「嫌じゃないのなら……今度は、いいか」
 ついと視線を寝室に向けた。気付いてシャルロッテは頬を染めた。
「自信、ないけど……」
「そんなものはなくていい。……さすがに今度拒否されたら立ち直れん」
「なくていいの?」
「いいさ。……答えろよ。拒否するか?」
「……しません」

 どこに行っていたの……誰も見ていない海の上、だったかな……おなかへった? 野暮だなおまえ……
 男が女を呼んで数ヶ月。二人は無事に、後朝の朝を迎えた。