25

 それからアルフレドはもう、隠すことをしなくなった。顔を合わせれば、眸を射止めれば迫り、シャルロッテの唇を深く欲した。朝のまどろみ、食事のあと、同じ味だなと言って、執務の前、会議の前、風呂の前後、シャルロッテが眠る前。
 気の小さいシャルロッテがそんな一日を過ごして易々と眠れるはずがなかった。寝室で大きな寝具で寝返えりばかりをしていると、大王がやって来て、いい子だから早く寝ろと言った。でなければ襲うと。
 そんなことを言われてはますます眠れない。シャルロッテが言い返せないのをよくよく知っているアルフレドは、今夜は止めておくがそのうちな、ちゃんと覚悟をしておけよと言って執務に戻って行った。

 シャルロッテは覚悟を決めなければならなかった。住めと言われ、はいと返事をしたあの時から、あり得ることとは分かっていた。それでもまさかと、違うと思いたかった。想いが大き過ぎて、決意を先送りしていただけだ。
 決めるのは自分。それだけは弁えていた。あれから起こった出来事を、近侍にもビンクス夫人にも言わなかった。溜め息が増えた。
 夕べは風呂場ではっきりと、次からはバスタオルを取れよと言われた。
「どうしよう……」
 理由は言われ放題言われた。それでも、アル少年と一緒に住むのと、大王様の隣に立つでは意味が違うのだ。

 主が考え事をしている。
 近侍はとうに察していた。二十年近く見守って来たが、いよいよであることは杳として知れた。上の空でビンクス夫人と話している。歩くも習字も練習は散々。一昔前の夫人なら、どれだけ厳しく叱咤したことだろう。
 夫人とて誰に言われずとも事情は察せた。だからただやんわりと「集中して」と言うにとどめた。結論はシャルロッテが自力で出さなくてはならない。周りに言われて、ではいけないのだ。

「どうしよう……」
 午後の、ビンクス夫人との会合は酷い有り様だった。まず、夫人に挨拶をすることさえ忘れて叱られた。手が震えて茶をこぼし、絨毯を汚して真っ青になった。服も汚した。お構いなくと言われて替えの服を渡され、泣く泣く着替えている間に絨毯は元通りとなっていた。手が震えて習字は散々、集中出来なくて歩くのも散々。これを大王様に報告されようものならどれほど笑い飛ばされよう。しまいには、夫人に「今度ここまで勉強に身が入らないことがあれば大王様に報告します」と言われてしまった。それだけは、お助けをとシャルロッテは惨めに縋った。
 這う這うの体で王の間に戻る。二人掛けの椅子に座れば、ほどなく大王様がやって来てしまう。シャルロッテの目には涙が滲んだ。なんの決意も出来ないまま、このままではなし崩しに身体を開かざるを得なくなる。
 断ればいい? あれほど望まれているのに?
 受け入れればいい? どうやって。
 結局、自分のことを自分で決めず楽に生きて来たツケが肝心なところで廻って来た。
 もういい歳をして惑っていると、重い扉が開かれた。シャルロッテはくぐらないであろう、城表との通用口。
「ただいま」
 いつから、執務机ではなくこの二人掛けの椅子の方に向かうようになっていたのか。大王は真っ直ぐにやって来た。惑う女。一度も判断を違わない男。
「おかえり、あのね……」
 決めてもいない言葉は、また深く封じられた。

 息も絶え絶え。そうなってやっと男は獲物との繋がりを解く。
「奥でよく身を清めて来たか?」
 こんな状態にしておいて、そんな問いに答えなど返せない。
「俺もよく我慢して来たよなあ、忍の一文字だ。シャルロッテ、たんと食えよ。朝陽はまあ……拝めまい」
 言われた方も、言った方も、ごくりと咽を鳴らした。

 どうしよう。どうしよう。
 砂を噛むとはこのことか。食事の味が分からなかった。目の焦点も合っていないような気がした。これで風呂のお世話をしないといけない。無理だ。
 主婦を始め一日の休みも許されない職にある人を、シャルロッテは内心言葉を尽くして称賛した。
「今日はいい。先に風呂に入って、寝室で待っていろ」
 心臓に深く、重い言葉を穿たれた。

 どうしよう、どうしよう……
 そういうことよね。逃げる? 無理、探されて同じこと。
 なにを言っても、日頃見ているあの身体通り、組み伏せられる。深く封じられる。
 シャルロッテは自分がなにをしているかを俯瞰して見れないまま、髪を洗って身体を洗った。いつものことだからやれただけで、基礎化粧を施して夜着に着替えて風呂場を出た。
 アルフレドはどこ? 探す必要もなかった。大王様は常の通り、執務机に向かって書類の山を裁いていた。その眸は責任者のそれだった。
 アルフレドはシャルロッテの前でだけ纏う威を解いている。もうそれは、たった一人のためのものであって、意識しなければ出来ないものであるということも分かっていた。
 決めていないのだからその通りにする必要などないのに、言われたまま寝室に入る。シャルロッテはどうしても、扉を完全に閉められない。
 足下も灯して……まるで誘っているかのよう。
 この部屋は眠るだけの部屋? いや違う、最初から。ふかふかの室内履きのまま、うろうろと惑った。
 逃げることも逃げないことも出来ず、ただの女は歩くのさえ止め、佇んだ。

 男が部屋に入って来た。
 ほの暗いのに、ギラついた眸だけがよく見える。
「シャルロッテ……」
 欲しいと、名付けた低い声がそう言っていた。

 男が女を押し倒す。金属が置かれた音がする。悪魔の剣だ。外す姿を見られるのは女唯一人。
 男は惑うがままの女の声をたっぷりと封じる。想うがまま所望をして、待たせた年月通り味わった後、女の夜着を剥き、肝心の言葉を言おうとしたその時。