24

「新聞でも取るか」
 とある日の朝、王の間で。二人で食事をとりながら、アルフレドは言った。
「しんぶん。だいおうさまが」
 シャルロッテはサラダも好みだった。スープとともにすぐに露見、以降多彩な草達が食卓を彩っている。
「悪いかよ」
「ううん。またなんで? 内容を一番知っている張本人じゃないの?」
「おまえ、読みたいんだろう?」
 確かに先日そう言って、大都会の本屋に歩いて行った。
 しかしながら、片や山積みの書類をさばき、片や届けてもらう情報誌をのうのうと読むというのも。と思ったシャルロッテ、
「ううん。いい」
 と言った。
「欲がねえなあ……ああそうだ。この間出来なかった歩きデートをしよう」
「あるき……!? 大都会が嫌いな大王様が、どちらに歩くの。目立つよ」
「アホ、城内だ。見せたい物がある」
 大王がそうと決め、予定を作りたがらない相手とデートならすぐ行動に移せる。歯を磨いた後、アルフレドはさっそくシャルロッテの手を引いて目的地へと向かった。

 城内で、いかな間・通路とて、衛兵がいなかったことはない。つまりは手を繋いでいる姿を皆に見られているのだが、もういいやと、シャルロッテは振りほどかずそのままにした。
「どこに行くの」
「地下」
 簡潔な答えが返って来た。地下とは確か、金銀財宝が眠るっているのではなかったか。
「え、あの……なにを見せるの?」
 アルフレドはすぐに返事をしなかった。階段を降り続け、厳重な扉をくぐり抜け、向かった場所はシャルロッテが思った通り、宝物庫だった。
「国家予算の礎となっている金銀財宝の間はここじゃない」
「……すごい」
 ここではないと言いつつも、目の前にある宝物の山は黄金竜のように、波に煌めく太陽のように輝いていた。
「さすがに千年も特権を持つと、結果はこうだ。
 ここにあるのは換金性の低いものだ。文字通り金に換えられない」
 そう説明されても、財宝宝物に縁のないシャルロッテ。どれがなにかなど全く分からない。
「たとえばこれ。宝剣じゃない、魔剣だ」
 アルフレドが手に取った物体は、腰に下げている獲物とは正反対。柄からして絵師が好みそうな派手な外観をしている。
「嘘か真か知らないが、千年以上前のものだそうだ。おまえ、オーパーツを知っているか?」
 シャルロッテはただ首を横に振った。
「大昔の品のはずなのに、今の技術では到底造れない代物のことだ。いいか、驚くなよ」
 アルフレドは魔剣というそれを、鞘から抜いた。
「……わぁ」
 途端、刀身から氷氣が噴出し、室内が冷える。
「氷の剣だそうだ」
 刀身を見せただけで、すぐに仕舞った。
「以下同文で炎の剣、雷の剣もある。散逸されると困る物ばかりの部屋さ、ここは」
「あの……わたしとここがなにか……」
 シャルロッテはそんな代物、まして刀など興味はない。
「宝物だぞ。欲しい物があるだろう? たとえば五千年前、所有者に次々と不幸を齎した伝説のルビー、とかどうだ?」
「ワタヒカリモノキライデス」
「歩いて見たい物があるならここにしろよ。なんでもいいぞ」
「オコトワリシマス」
 シャルロッテは大王様を置き去りにして足早に部屋を出た。道中色々言われてもツンと無視して王の間に戻った後、偉い人をアホアホバカバカとぽこぽこぶっ叩いた。そのままお説教を続けたかったが、逃れたがった大王様に「臣が来る時間だ、また後で」と言われてしまい、発散し切れぬ怒りを途中でおさめることになってしまった。

「なんだ、まだ怒っているのかよ」
 お昼となって、二人は並んで食事をとっていた。アルフレドが、おまえは嫌いな食べ物がないのか? 食いっぷりがいいなと褒めると、シャルロッテはおまえもないでしょ? と返した。
「忙しいくせに、人のことばかり言って」
 見せる気はあったかもしれないが、くれてやる気は毛頭ない物ばかりだったので、シャルロッテは怒ったままだ。
「人のことばかり気にして。昔から。おまえってそう」
「性分だ。わざとやっているわけでもなければ、誰かに命じられてやっているわけでもない」
「ん……じゃあ」
 シャルロッテは、食べおえてから言った。前から考えていたことだ。
「おまえこそ、ほしい物とか行きたいところはないの? わたしにばかり訊いて」
「おまえが欲しい」
 眸を、睨まれるように射貫かれた。
 突然のことに答えられず、シャルロッテは戸惑った。近付いて来ても、逸らす術さえ知らない。
 月の宵の時のように迫られて、触れられても、一切動けなかった。
「こうしている側の人間が、平然とやっているだなんて思うなよ」
 アルフレドは唇を離すと、そのまま立ち上がり王の間を出て行った。

 どうしよう。
 シャルロッテの想いは今、一心にそれだった。どうしよう。言わせてしまった。
 以前から、ひょっとしたらと思っていたことだ。ただ、はっきりと言われたことがなく、他の誰にも言われたことがなかったし、とっくにこの歳まで来てしまったので、自分には縁のない言葉だと、感情を思い下げてしまっていた。
 どうしよう。
 巷の夢物語では、ここまでで終わりのはずなのに。始まりの言葉を言わせてしまった。はっきり分かった。
 確かに最近、よく触れて来ることが多くて、そういうこともあったし、警戒心さえもういいだろうと、こちらから抱きついたりもした。
 どうしよう。
 シャルロッテは暴走する想いを抱え切れなくなって、胸を抑えて倒れ込んだ。いつもアルフレドが座る所へ。そう思えば横になりようもなくて、腰からずり落ちた。二人掛けの椅子に顔を伏せる。
「どうしよう……」
 口に出しても結果は同じ。大王様は大事な会議を終えればここに戻って来てしまう。主なのだから。
 逃げたところで変わらない。心配をさせるだけならまだしも、激務で多忙な人間に時間を割かせてしまう。
 答えるしかない。……いいえ、って? でももう、城に住むと言ってしまった。
 はい、って? ……まさか。王の隣にいる者、それがなんと呼ばれることになるかくらいは知っている。
 今、近侍に入室をされても、なにかを言える自信はなかった。人は秘密を言ってしまいたがる生き物ではあるけれど、今抱えている感情はそういったものではない。
 はいと言ったことがないシャルロッテ。言った後が怖かった。
 大それたことになる。それだけは分かっていた。

 今日に限って誰も入室しては来なかった。今までになかったことだ。ビンクス夫人と会うのは向こうの都合であり、こちらが合わせている。近侍が呼びに来なければ、城奥に行って勉強をすることはない。
 おそらく今日の午後は、誰も入って来ない。
 そう思ったシャルロッテは、平然としてなどいられなくて、よたよたと立ち上がった。周りを見渡しても、いつもと同じ。変わらない。堆く積まれた書類、それを裁く者さえいればよかった場所。
 執務机へ行って、置いてあるままの書類に目をやってみる。大河の治水工事だのなんだのが書いてあるが、読んだところでどうにもならない。
 大王はこれらの山を僅か数時間で速読している。勤めをおえた書類は、地下の資料室に日付順に整然と綴られ並べてられている。一日分でこうなら、大王が法律を作り始めた十数年前からの書類を積めば、まさに聖山キュロスまで届くだろう。
 そんな人が、どうして。
「そう、……そうよ、訊けばいい」
 どうして大王様が、女など選び放題なのにそんなことを言うのか。二十年もの間、忘れず目をかけてくれたのか。訊けばいいではないか。
 血族婚を繰り返し美貌を保ったことに嫌気が差しているというのなら、そうではない者を選りすぐればいい。音に聞くかの美貌の第三夫人は、出生者こそ奴隷だったものの、おぎゃあと産声を上げた時から後光がさしているのかというほど光り輝き、誰も枷を嵌められなかった。それどころか、生まれたままの流れる美しい金髪を切るのさえ誰もが躊躇い、本人が自我を持ち、言葉を手繰り始めてようやっと、「お切りになりますか?」と、その地を治めた上級奴隷に機嫌を伺わせたとまで伝え残されている。
 それでいいではないか。人は選択肢を出された時、それしか選べないと思いたがる。現実はそうではない。それ以外もあるのだ。
 執務机には書類の他、例のコップもあった。アルフレドの、大切な人の愛用品。
 シャルロッテは室内を見渡した。知識があったなら、行ったことがあったなら、美術館のようだと。かの悪魔城の大宮殿とは正反対であると分かる造り。
 絨毯の上を歩かせるからだろう、シャルロッテに支給されている靴はどれも踵が低いものばかり。噂に聞けば特権階級のお姫様お嬢様は、それはそれは非実用的な高い踵の靴を履いたという。それをアルフレドが嫌ったのか? ほとんど平らな歩きやすい靴だ。
 その足で、シャルロッテは二人掛けの椅子に戻って座った。ここはもう慣れた所だ。出来ればいたい。小間使いのままここにいたい。
 ただ、アルフレドが納得をして、出来れば笑っていてくれたなら。
 その隣に誰が座っていてもいい。遠目から眺めて、シャルロッテは二人の幸せを祈るだろう。

 重い扉が守人の手によって開かれる。大王様のお帰りだ。
 なにも決めていないシャルロッテの元へアルフレドは真っ直ぐに向かった。他を一切言わず、言わせぬまま両頬に手を添わせ、唇を封じた。
 立ち上がって逃げることを知らず、ただ隠さぬ威に気圧されて背もたれに体重を預けるくらいしか出来ないシャルロッテ。質問することがあったのに、言いたいことがあったのに。いつもならアルフレドは、そういう雰囲気を巧みに読んでシャルロッテに話をさせる。それが、許さぬと言わんばかりに深く封じられた。
 武者振り付かれ、シャルロッテは混乱した。そして分かった。もう隠していない。アルフレドは元より言いたいことがあった。伝えたいことがあった。現実を伏せていた。
 それを伝えることに、もう躊躇いがない。
 二人ともそうだ。隠していた。黙っていた。言わずにおいた。それがもうなくなった。
 息も継げずにいると、大王はやっと開放した。その時、なにかを言わなければという考えにまで至らなかった。今まではそっと触れられていただけで、ここまで深くされたことはない。
 想いを身体の奥まで押し込められると、言葉が出て来ず、シャルロッテは息を整えることをまず優先した。その間アルフレドは机に向かい、執務を再開した。
 時間となって、近侍が入室をし、夕食の給仕をする。常の笑顔はなく、ただ淡々と食器を置く。まるで操り人形であるかのように、なにも言わず、決められたことを行い、退室して行った。
「いただきます」
 隣に座ったアルフレドが手を合わせて食べ始める。シャルロッテはやはり、なにを言えばいいのか分からない。
「食べないのか」
 いつものスープに唸るどころか、スプーンさえ持たない。十年以上食堂に勤めたシャルロッテは初めて、食事も喉を通らない、という言葉の意味を知った。
「食えよ。今日も美味いぞ」
 間違いなくそうなのだろう。それは分かっている。食堂勤めをした者として、食事を残されるのはこの上ない恥だ。
 スプーンを持ってみる。やけに重いなと思った。取り落としそうになった。
「なんだ。俺と一緒じゃ不味いか」
「そんなこと」
 やっと喋れた。思ったより言葉は出て来た。そして、今までどうやってこの男と話して来たのかを忘れた。
 仕方がないから、目をぎゅっと瞑って思い出し、スープを飲んでみる。すると、掬い方が分からなかった。
「余程、嫌そうだな」
「違う」
 言葉はついて来た。そう、話せる。話さなければ。
「あの、アルフレド、話が……」
「なんの」
「なんのって。だから」
「昼の話か」
「そ、う」
「なにを話したい。俺は言うだけ言った。おまえの話は分からない」
「時間を……ください」
「何日待てばいい」
「そうじゃなくて……話す時間を」
「なら今でいいだろ」
「今日は、お城?」
「ああ」
 今夜は城にいるというのなら。
 後延ばしにしても、気を揉むのはシャルロッテ一人。アルフレドはもう決めてしまっている。それならばと、スプーンを置いた。
「あの」
「食ってからにしろ」
 その通りであったので、シャルロッテはもう一度、重いスプーンを持った。

「風呂場で裸で話す内容じゃないんだな。だったら今話せ。誰も入って来ない」
 アルフレドの声は滑舌がはっきりしていて、歳なりの艶がある低い声だ。どこからでもよく聞こえた。そうあるため、努力をした声だった。
「あの」
 固唾を飲んだ。
「なんだ」
「どうして、……わたし?」
「おまえがどうした」
「だから……どうして、わたしがお城に呼ばれたの?」
「逢いたいからだよ」
「どうして?」
「おまえはなにを訊きたいんだ? 俺はずっと答えている」
「違う」
「なにが違う」
「わたし、必要?」
「ああ」
「どうして?」
「家に帰るとするだろう」
「? うん」
「ああ帰って良かったな。ああ今日も気を遣わなきゃならないな。どっちがいい? おまえなら」
「どっちって……良かったな、の方」
「おまえらがどこの誰を俺に充てがいたいのか知らないが。三十路を目の前にして、性根もどこのどいつかも分からん奴が家にいて、初めましてで気を遣えと言いたいのか」
「綺麗な人を見ると、目の保養だよ」
「俺はそういう人間を誰より多く斬って来た。そうと知っているだろうに、よくおまえは俺の利き腕に触れているよな」
「触られるの、嫌だった?」
「まさか」
「まさか? なんでそう言い切れるの。どうしてわたしなの?」
「なぜおまえは俺と普通に話をしてくれるんだ?」
「は……? なにそれ。それしか知らないからよ。まさか臣さん達みたいに、言えもしない難しい敬語を遣えって言うの?」
 戦っていた時はいざ知らず、軍を始めとした組織が厳格化している現在は誰もが大王に難しい敬語を遣う。昔からの言葉遣いで話せる人間が今、さて何人いることやら。
「違う。今はっきり言ったぞ、俺は何千人と斬ったとな。美人の妊婦を次々と、何人斬って来たかも知っているだろう」
「知っている。後顧の憂いを断つ為にでしょう。一人でも生きていたら、生まれたら旗印にされて、またあんな時代に逆戻りしてしまう。だから人任せにしなかった。誰にも斬らせなかった、恨まれるのは自分一人でいいって、だからだってちゃんと知っているんだから!」
「特権階級なんて偉い奴らは、軍人から見れば所詮非戦闘員だ。それでも斬った。
 なんでその俺と普通に話すんだ? お陰で赤子か老婆しか俺の相手をしてくれねえよ」
「嘘ばっかり。相手なんていっぱいいたでしょう」
「暇がねえよ。あってもおまえのことばかり考えて、逢いに行ったさ」
「だから! なんでわたしなのよ、いい加減答えてよ!」
「いい加減だと? 今更家に帰っておまえ以外となんて疲れる、嫌だ、寛げん。この穢れた利き手に、身体にも触って欲しくない。
 俺がそう思っていると分かっていただろう!」
 分かっていた。とっくの昔に。
「美人か。十代か。斬り尽くした。誰も奴隷を解放すると言わなかったからな。そんな女は好みじゃない。俺が裸になれて、寛げるのはおまえだけだ。理由? ハ。 シャルロッテ」
 アルフレドは口の片端を上げた。その表情に、なにを言うのかと思ったら、
「怒った顔も素敵だよ」
 そういう顔をしていたかもしれないシャルロッテは返答に困った。
「おまえと喋る時は十歳のままだ。おまえと喧嘩をしたい。さて今日はどんな喧嘩をしよう。そう思って帰っている」
「そんなことを言われたって……」
「まだ納得しないか?」
「まだって……」
 自分から言い出すことをしない愚鈍なシャルロッテに、こうして何度も、いつも話し掛けてくれる人は目の前の男を含め、ほんの少ししかいなかった。
「そうか。じゃあ」
 アルフレドは更に含みのある表情を浮かべてシャルロッテを見た。
「おまえ、要領が悪いよなあ」
「はぁあ!?」
 この流れで今、言うに事欠いてそれか。そう思ったシャルロッテはかっとなって激高し、喧嘩をお望みのようなので遠慮なく目の前の男をぶっ叩いた。
 男からすればぽこぽこされたところで痛くも痒くもない。思った通りの反応だったので、ケラケラと笑った。
「なにが言いたい! そんなに喧嘩を売りたいの!?」
「勤めていた食堂で、いちゃもんを言う客の相手をさせられていたそうだな。普段店では裏方なのに、そういう客のあしらい時だけ前に出ろと言われて」
「だって誰かが相手をしなきゃいけないじゃない!」
 ああいう、どこにでも必ず一定数いる人間は、実はその後すぐに近侍が対応をしていた。店裏に引き摺り、二度と来ないよう「説得」をしていた。それでも最初の対応は、いつもシャルロッテがさせられていた。
「そうやって、おかみさんにいつもいいように使われて、虐められていたな。文句を言えばいいじゃないか。看板娘はあんただろうって」
「言いたかったよ! でも言うと仕事がなくなっちゃうんだよ! 暴言はね、吐いた分だけ自分に跳ね返って来るんだから!」
「その通りだが、いつか言わなければならないだろう。でなければああいう、要領のいい奴から無限にものを頼まれる、させられる」
「仕事がなくなったらお金もなくなる。女の独り身がどれだけ怖いか、おまえは知らないからよ」
「確かにな。だがおまえは要領が悪い」
「言い切ったわね。ふん、だからどうしたのよ」
 学校で学べる才能もなく、それで己を高めることも出来ず。そんな人間は、そうやって振る舞うしかないと思っていた。
「俺の仲間が皆、要領の悪い奴らばかりなんだよ」
「え……そうなの?」
 王の間に入室する、あのいかめしい男達のことを言っているのだろうか。シャルロッテにはとてもそうは見えなかった。
「ああ。だから言うなら、おまえもその一環だ」
「……そう?」
「そうだ。
 誰かがやらなければならない。そういう時、要領の悪い奴を盾にして後ろに回る奴は要らない」
 ずっと言いたいことだった。誰かに言われたいことだった。
 初めて言われた。初めて聞いた。
「それにおまえは何人も殺した俺に笑ってくれるじゃないか。充分だ」
 笑顔? 大王様と会えれば誰だってそうなる。元奴隷だった大陸の民は皆、決起してくれた大王様に感謝をしている。
「そんなの、だって、……他に知らないから」
 この男との遣り取りを、女は他に知らなかった。
 女との遣り取りは、こいつとでなくてはと男はずっと想っていた。
「触れていいか」
「え……」
「さっきから、最初からずっと言っている。
 触れていいか」
「アル……」
 言葉は、深くのまれた。