23

 とある日、王の間で。
 シャルロッテは二人掛けの椅子から静かに立ち、とある場所に向かった。雪隠である。
 静かに用を足していたら、鍵を掛けた扉が外側から激しく叩かれた。
「えっ!?」
「出て来いシャルロッテ!!」
 声の主は大王様だった。この男以外であっては困る。
「なによ、どうしたの!?」
 なにか大事な急用でも起きたか。
「アホ、早く出ろ、漏れそうだ!」
「えぇ!?」
 なんと同じ用。同じものを食べて飲んで、風呂も寝室も一緒。生理現象が同じ時刻に発生することは充分考えられる。
「ちょっと待ってよ!」
「一秒も待てん!」
「三秒くらい待ってよ!」
「無理だ!」
 どっちもどっちである。
「いーち、にーい、さーん! ハイ終わった、出ろ!」
「無理!」
「おまえ嘘を吐いたな!」
「そういう問題か!」
 どっちもどっちである。
「もう少し待ちなさいってば!」
「三秒も待ったんだぞ!」
「それでも大王様か! えーっと……ハイおわった、ちょっと待って」
「おわって待てはねえだろう! こんな扉たたっ斬ってやる!」
「いやぁあそれだけは!」
 身なりを整える時間だって必要だ、下着も脱いだままなのだ。
「漏れる! そこらが小便だらけになってもいいのか!」
「具体的な話はしないで!」
「じゃあなにを話せばいいんだ、もう駄目だ、一巻の終わりだ!」
「トイレで終末論を話すんじゃない! あーもう……はいどうぞ!」
 こういう時、鍵を開けるのに手こずるのはお約束。さらにひと悶着をして、結論を言うと床は水浸しにならなかった。

 一連の騒動が収束し、何食わぬ顔をしたシャルロッテが座る二人掛けの椅子に、アルフレドは腰を下ろした。
「話がある」
「わたしも」
「このままではいかんと思うのだが」
「わたしも」
 こんな遣り取りをこれからもせねばならんのかと思えば、出るものも出ない。
「解決をすべきだと思うが」
「わたしも。どうやって」
「便所をもう一つ増やす」
 何故こんな重要な設置物がたった一つしかないのか。
 答えは、まずアルフレドが築城に無関心だったこと。設計者、設計依頼者共に大王以外の使用を考えていなかったことにある。アルフレドでさえ、城に住まわせたいもう一人の主の住居を城奥と考えていた。
「どうやって」
「おまるをベニヤ板で囲って」
「アホ!」
「じゃあおまえも考えろよ」
「わたしがお花を摘みに行きます。城奥へ」
「間に合うのか?」
「……自信がない」
 こればかりは身分の上下、性の別は関係ない。動物ならば避けては通れぬ永遠の命題。
「城奥は遠い。扉は計六つ、どれも重い。絨毯を濡らしたらおまえの履歴書もびしょびしょに濡れるぞ」
「素敵なたとえをありがとう。……どうしよう」
「俺が城奥に行く」
「おまえの履歴書はどうなるの?」
「濡れるならまだしも、汚れるな」
「もうちょっとたとえを美しくしてよ」
「たとえの問題か?」
「言いたいことは分かる。……どうしよう」
「おまるだな」
「嫌です」
「いざとなったらそんなことを言っていられるか。よし、用意をしよう。この間の設計者にそれとなく言っておく。簡易便所を作ってくれと」
「それがそれとなく? 本当に言うの」
「言うしかあるまい」
「わたしは言えない、恥ずかしい……」
「でなければもっと恥ずかしい目に遭うぞ」
「あの、……それの始末は誰が……」
「俺がする」
 シャルロッテは大王様の横っ面にビンタをかまし、この件を有耶無耶にした。

 その日の昼。二人で食事をとりながら、アルフレドは言った。
「おまえ、散髪はしないのか」
「しない」
 瞬時の即答に、アルフレドは訝しがった。
「なぜだ? 女性なら、ひと月に一度は切るものだろう」
「伸ばしてみようと思って」
 シャルロッテは説明をした。飲食業に従事しているからには気を配り、就業中は髪を結っていた。たとえ手持ちは寂しくても、定期的に散髪屋へ通っていた。だがもうその心配をしなくてもいいと思えば、やってみたかった。
「なるほど」
 アルフレドは納得ののち了承をした。
 食事をおえ、歯を磨きながらシャルロッテは思った。そういえば、男性とて月に一度は切るだろう。アルフレドは?
「おまえは確か、その剣で切っているって言ったね」
「言ったな」
「どうやって?」
「見るか?」
 二人は王の間に戻った。シャルロッテは二人掛けの椅子に座り、アルフレドは寝室へ向かって、手になにかを持って来て、シャルロッテの前に立った。
 手の物は布だった。慣れた手つきで広げる。意外と面積があった。
 次はなにをするのだろうと思っていたら、アルフレドはこうした。布の中心に立ち、服を脱いだのだ。
「きゃあ!」
 シャルロッテはこれでも未婚、恥じらいはある。たとえ風呂場で裸を見ていても、脱いでいるところを見せられるのは初めてだ。
「なにをしているのよ!」
「なにって、髪を切るんだよ」
「だからって脱ぐな!」
「安心しろ、良心は残す」
 なんのことかと思えば、下着一丁を残して脱ぐという意味らしかった。
 あまり正視に堪えないが、残された良心は見ないようにしてシャルロッテは言った。
「じゃあどうぞ」
「ちゃんと見ておけよ」
 脱いでも良心を残しても、これだけは肌身離さない。それが腰の獲物。
 シャルロッテは刃先が怖い。裸と良心と剣、なんとも正視に堪えない組み合わせ。しかし、これを逃せば次の機会は約一ヶ月先。思わず顔を両手で覆いながら、指の間からなんとか見た。
 アルフレドが悪魔の剣を抜刀一閃。髪の毛が舞い、はらはらと散る。
 複雑な組み合わせの奇妙な光景を、シャルロッテは確かに見た。
 獲物が鞘に仕舞われた。アルフレドの頭髪は切った分だけさっぱりと短くなった。
「……散髪屋さん要らずだね」
「まあな」
 アルフレドは体に張り付いた髪を払い、敷いた布から出ると、服をさっさと着た。布を畳み、切った髪の毛を捨てに行く。一連の動作は手慣れたもので、何年もそうしていたことがうかがえた。
 しかし、下着一丁で散髪。誰にも見せたことはないだろうが、見たからには言える。
「結構、間抜けだね」
「言ったな。俺をそんなふうに言う奴はおまえくらいのものだ」
 やはり誰にも見せてはいないらしい。
「怒ったぞ、風呂場でバスタオルを取ることを要求する!」
「やーだよーだ」

 その日の午後、城奥でビンクス夫人と会った。話の流れで、
「大王様と普段どういう会話をしているのですか?」
 と訊かれた。シャルロッテは「オホホ……」とごまかして、「とても素敵な方ですから……」と言い切った。夫人達は喜んで額面通りに受け取って、まさか本日こういう出来事がありましたなど、気付かれはしなかった。