21

 午後、アルフレドは御前会議に。シャルロッテは城奥の家に行ってビンクス夫人の教えを乞うた。
「シィさんは、飛行類に乗る楽しみを覚えたとか。でしたら、その話をしましょうか」
「ええ、はい……楽しいとは思いますが、乗せてくれるのが大陸で一番忙しい方ですから。毎日乗りたい、とかではないですよ」
 もっと正確に言えば、わたしのために飛ばないで、であった。

 もはや存在するのが当たり前となっている、飛行類。その正体は誰もが分かっているわけではない。魔物ではない。召喚をするのに呪文は要らない。普段は森などに生息しているわけではない。別の次元から、能力者が召喚する意思を持った時に突如顕れる。
 この場は女の園。自然、この能力の特徴の話になった。それは、飛行類召喚者はほぼ男に限られる、というものだ。
「どうしてなんでしょうね?」
 寒村出身の行き遅れでも知っているこの常識が不思議でならない。
「特権階級さんにも、いなかったんですか? 血統とかを大事にしていたのでしょう?」
「勇ましく乗りこなすより、流行のドレスや甘い菓子に興味を持つ存在でしたからねえ、我々は」
 言われてみればその通り、なのだろう。実態は見たことがない。こちらは全員足枷、あちらは全員豪奢華美贅沢。それしか聞いていない。
 近侍に訊くと、
「飛行類を召喚出来る女性は、まず数百年は現れていません。武人にはこういう言い伝えがあります。“アマゾネス(女性戦闘士・女の飛行類乗り)は現れない”」
 伝説は千年以上を遡る。歴史の上では、女王に指揮された女性だけの戦闘部族があったとか。
「現実には戦場に女など、いていいものではありませんので……それはともかく。何故、非戦闘地域でも活躍出来る飛行類乗りの才能が、女性には現れないのか。正直、口惜しゅうございます」
「ですよねえ……」
 もしも自由に空を飛べたなら。その才能が、男性と同等に現れてくれたなら。大王軍の構造は全く違ったものとなっただろう。
「戦闘には不向きな、二等兵あたりが操る鳥類でさえ、女性は召喚出来ません。なれるものなら空兵になりとうございましたわ」
 シャルロッテもうんうんと頷いた。あの時、刻々と向上した状況に、なら自分もなにかをしなくては! と、多少なりとも思ったものだ。
「飛行類を呼べる能力のある人は、別に全員が空兵になっているわけじゃないんですよね?」
「ええ、それはもう。空兵も軍人、軍の訓練は厳しいですから。それを嫌い、生涯を約束された給金と環境でなく、民間人として空路の職に就いている者もいます。ただし、絶対数が少ないのにかわりはありません」
 もしも飛べたなら、シャルロッテはどこへ行っていただろう。

 先日、思わぬところでアルフレドと喧嘩をしてしまった。シャルロッテは、変えろと言われたこともあるし、今までのあり方を、もう少しいい方に変えてみようと思った。
 大王様は激務、これは変わりようもない。その中で、自分に出来ること。
 お風呂のお世話と添い寝は変えてくれるなと、ビンクス夫人にも言われた。茶の種類を増やすことは支持された。食事は、シャルロッテが見ていないところでは想像通りだ、だからせめて二人の時はまともなものを一緒に食べてくれ。これが近侍の言い分だ。
 だったらもう少し、マッサージの仕方を勉強しようか。そう思い、近侍に尋ねたところ、いやそれは変えなくてよろしいと言われた。変えるのではなく、上手くなりたいのとシャルロッテが言っても、夫人も近侍も聞かなかった。シャルロッテが自分で考えて、工夫しなくてはならないようだ。
 夕方、アルフレドが会議から帰って来ると、真っ直ぐシャルロッテのいる二人掛けの椅子に歩いて来たので、今日は城にいるようだ。
「おかえり。お疲れ様」
「ただいま」
 アルフレドが隣に座る。
 先日、つい考えた、城を出てからどうしようと思った時。ああもうこうして、出迎える人となど出会えない、そう思い詰めた。
 それが、ちょっと大王様だけれど、かなり忙しい人だけれど、昔からの知り合いで、気心が知れている人と一緒にいられるのだ。今までの暗澹とした過去を思えば、帰って来てくれるということに、思わず笑顔も浮かぼうというもの。
 するとアルフレドも笑顔となった。
「なんだ。いいことでもあったか?」
「うん? はい」
 素直にはいと言える相手がいるということは、とてもいいことだ。
「なんだよ。余程いいことがあったな」
「余程? うーん。はい」
 シャルロッテはアルフレドに笑顔を向け続ける。今がね、いいことよ?
「なんだよ。教えてくれよ」
「えっとね。今日は、アマゾネスは現れない、について勉強して来ました。そうなの?」
「それが余程いいことなのか?」
「それとは違うけれど。やっぱり、戦場に女性、は絵物語なの?」
「うーん。まあ……正直に言やあ、絵物語だな。あっても、いたこと自体が伝説になっちまうくらいに」
「そうなんだ」
 シャルロッテから笑みが消えると、途端にアルフレドはつまらなくなった。
「なんだよ。そんな話じゃないんだろう、いいことってなんだよ」
「それはね」
 シャルロッテはまたも笑顔になって、言った。
「大王様がいつも頑張って、政務を執ってくださっていること。ありがとう。わたし、嬉しい」
「……どういたしまして」
 夕食が運ばれて来た。

 食事のあと、二人で風呂場に向かう。
「おまえ、出張? なんていうのかな、先ではどんなご飯を食べているの?」
「言うと怒られる内容」
「もう、怒んないってば。変える気はないの?」
「ない。俺は誰かと会食をするわけにはいかない。そうすると、その相手だけが権力のおこぼれに預かったと周囲に思わせてしまう。謁見の間を開かないのもそうだ。あそこで会えばそいつに権力のおこぼれを預からせたと当人にも、周囲にも思わせてしまう」
 シャルロッテが返答出来ないのをよそに、アルフレドは歯を磨き始める。
「そう驚くなよ」
「……おまえは驚かせ過ぎ。最初にしたって……。はい。驚きません」
 二人、三分ほど無言で歯を磨いた。
 口を濯いだあと、アルフレドはタオルを手に取って、端をシャルロッテに渡す。シャルロッテはその端で口の周りを拭く。アルフレドはもう片方の端で拭いた。
 それから、アルフレドは風呂場の入り口近くで服を脱ぐ。ちゃんとシャルロッテに背を見せながら。
 大鏡があるので、シャルロッテの脱いでいるさまを鏡越しに見ようと思えば出来るのだが、そういう卑怯を大王などと呼ばれる身でしてはならぬと思って、我慢の二文字。先に風呂場に入って椅子に座り、目を瞑って麗しのシャルロッテを待つ。
 扉が開け閉めされ、シャルロッテが近付いて来る。そろそろと、おっかなびっくり歩いているのが分かる。
 緊張するなも驚くなも、最初はとても無理なこと。それでも、こうして口に出し続ければ、言葉は魔法のように頭に、身体に沁み渡ることを、アルフレドはよく知っている。
 やっつけようぜ! その一言で、奴隷達は皆仲間になった。
 シャワーの音がして、シャルロッテがそろそろとアルフレドの右足から湯をかける。身体の前は未だにやってくれないが、他はする。
 右手を初めて取られた時、より緊張をしたのはアルフレドの方だった。
 分かっているのだろうか。この手は、誰より人を殺した手だ。
 それをシャルロッテは宝物のように扱う。古くから知る者で構成した近臣も、宿将も、誰もがこの手を畏怖しているというのに。
 湯をかけるのがおわると、アルフレドは目を開けて、立ち上がって湯船に向かう。シャルロッテは隣の椅子に腰かけ、バスタオル巻きのまま髪を洗う。
 そのさまを、アルフレドは湯船につかりながら見ていた。細い身体、くびれた腰が余計な巻物越しでもよく分かる。
 髪が伸びたな。そういえば、会議で女心を訊いたとき、女は美容院へ行く前と行った後で特に何も変わらないのに大金を遣うと言った者もいた。男は女の髪形、爪の形の変化はまず分からない生き物だ。それでも、アルフレドが分かるほどシャルロッテの髪は伸びた。ビンクス夫人に、思い通り切ってもらうよう頼むのもいい。こちらから言えば評価も上がろうというもの。
 シャルロッテがバスタオルを外し、身体を洗い出す。見ているのが発覚するとまた喧嘩になるので、アルフレドは音を立てず身体の向きを変えた。
 なにも挟まぬ同じ空間で、女が一糸纏わぬ無防備な裸を晒している。
「誰か俺を褒めてくれ……」
 声は、湯気にかき消された。

 シャルロッテは自分の用を済ませると、用意していた新たなバスタオルを身体に巻き、湯船に入った。アルフレドは相も変わらず目を瞑っている。疲れを癒しているのだろう。いいことだ。
 そそと、左側から近付き、手を取って揉み始める。丁寧に、でも時間は今まで通りにしようと思った。
 水の中だから男の腕も動かせるが、これが戦場でなどだったら。
 シャルロッテは考えを止めた。もう意味のない仮定だ。そうしてくれたのが、今は無防備なこの男だ。
 左足も揉んで、移動する。右手を揉む。億を超える奴隷達全ての夢を叶えた、魔法の手。
「アルフレド」
「……ん?」
「ありがとう」
 まるでつい先ほどまで鍛えていたとさえ思える、逞しい身体。
「わたし、夢だったの。枷を外してもらえること。屋根のついた家で眠ること。叶えてもらった。ありがとう」
「俺一人の力じゃない」
「うん。だから、一人一人に言いたいの。代表で、おまえが聞いて。責任者でしょう」
「……確かに、そんな格好で他の誰かに言われても、困るな」
「誰よりアルフレドに言いたいの。だめ?」
「まさか」
 鬨の声を上げてから二十年。無茶ばかりをした。無謀だったが、無策ではなかった。皆の思いは一つ。それだけを頼りに仲間を増やした。合わぬ者もいた。一目で嫌われたこともあった。
 それでも、わるいやつらをやっつけること。思いは一つだった。
 シャルロッテがアルフレドの身体を揉み続ける。
 風呂とはかくもいいものか。三十路も目前になって、人より十年も遅く、ようやっとアルフレドは実感をした。

 風呂場から出ても、身体の前こそしないものの、手の指足の指一本一本に至るまで丁寧に拭かれる。髪も乾かされ、その途中、青汁を飲ませてもらう。
 嫁をもらって腑抜けになった男達の話は、都度聞いた。
「シャルロッテ」
「はい」
 シャルロッテはご機嫌だ。意外と世話好きな面もあるようだ。言ったら機嫌を損ねそうだから口には出さないが。
「俺は仕事をするぞ。頑張る」
「はい。もう充分に頑張っているから、あんまり疲れないようにね」

 シャルロッテは朝、緩慢に目を覚ました。
 後ろに沿うように、男が寝ている。護るように右手が添えられている。手を重ねたら、髪に触れられた。
「ん……おはよう」
「おはよう」
 それは箇所を変えて。ゆっくり振り向くと、耳にも触れられて、
「……ン! いたい」
 首筋に噛みつかれた。
「アホやっていないで、起きたら? はい、仕事仕事!」
「おまえ野暮だなあ……」
 そうは言いつつも、アルフレドは剣を掴みさっさと身を起こし、ベッドから起き上がる。シャルロッテはもそもそと起きたが、それを待っていたアルフレドに手を引かれて風呂場に向かった。

 歯を磨いた後、風呂場を出て二人掛けの椅子に向かう。シャルロッテは恥ずかしいので、引かれた手を振り払おうと思ったが、よく野暮と言われるし、はいと言えと言われそうな気がして、握力に差があるからですよと心の中で言い訳をして、振りほどかないまま歩いた。
 そのさまを、近侍は穏やかな笑みで見ていた。ああ、そろそろ……
 その時、三人の近侍は同時に目を見開いた。三人とも、主のとある一点に視線を注ぐ。
 それに主が気付いたと同時に、三人は我に返って業務に立ち返った。今、なにもありませんでしたよと言わんばかりに、微笑んで給仕をし、にこにこと、かついそいそと退出する。
 シャルロッテは、なにか一瞬へんだったな、とは思ったものの、近侍がすることには意味があると知っているし、なにかあれば向こうから言って来ることも分かっているので、あまり気に留めなかった。
 食事の後、歯を磨いて、アルフレドは執務机に。シャルロッテは二人掛けの椅子の右側にちょこんと腰掛け、常の午前が始まる。
 扉がいきなり開かれた。入室して来るいかつい男達。シャルロッテになど目もくれず……
「ん?」
 見間違いかもしれないが、男達が皆、シャルロッテの方を凝視して足を止めたような気がした。しかしそれも一瞬のこと。気を取り直したかのように男達は真っ直ぐ大王の執務机に向かった。
 シャルロッテは、今日はわたし、変な格好でもしているかな、と思った。思い立ったらすぐ行動と、トイレに行くふりをして立ち上がり、脱衣場に行って大鏡の前に立ってみた。あまり変わらない。いつもの通り、のはず。
 椅子に戻ったシャルロッテは、そういえば学がないから、なにを読んでいいか分からない。音に聞く、本屋さんとやらに行って、昔だけでなく今の流行でも知りたいなと思った。

 おやつ時に茶を淹れていると、アルフレドがやって来て、二人掛けの椅子に座った。やけに嬉しそう。にこにこしている。その様、まるで悪戯がバレた悪童のよう。
「ねえ。今日、なにかちょっと変じゃない?」
「なにがだ?」
「なにがって、皆さん」
「皆さんと言われてもなあ。大雑把過ぎる」
「おまえが名乗るのを許さない近侍さんとか、誰も自己紹介をしない臣さんとか」
「自己紹介をして欲しかったのか?」
「まさか! 緊張する。変じゃなかった?」
「業務態度が許せん! とかか?」
「アホ」
「じゃあいいだろう。そう気にする程じゃないんだろう?」
「うん。まあ。はい」
「臣も近侍も業務に邁進している。と俺は判断をしている。不平不満はいつでも受け付けるぞ」
「そんなんじゃないってば。はい、分かりました。皆さん一所懸命やっていらっしゃいます。わたしの気のせいです」
「そうか? 今日の茶も美味いぞ、シャルロッテ」
「ありがと」
 王の間ではこの程度の会話で済んだが、控えの間ではそれどころではなかった。近侍の控え室ではいよいよだ、と盛り上がり、臣の控え室ではいよいよか、とざわついた。大王の気質からいって、隠したりはしないから、一気に発表されるのだろうとどちらの部屋でもこの話題で持ち切りだった。そうと知らないのは、首筋に痕を残されたシャルロッテただ一人だった。