20

 あの日から、状況は激変していた。ただの遊び、いつものこと。誰もがそう思い、今ごろはどこぞで殺されているだろう、“やっつけようぜ!”
 今までならとっくに村ごと全滅させられていた、あの寒村の者達。それが、既に全ての者の鎖が外されていた。もう誰も殺されていなかった。隣村も、その隣も。そんな話が聞こえて来た頃。
 シィの鎖も誰かが外した。さあ外せ! さあ外せ! 寒村は一種のお祭り状態だった。シィはわけも分からず、誰とも知れぬ者に足首の戒めを解かれた。
 あとは食料、雨風をしのぐ掘っ立て小屋。それさえあれば当座は過ごせる。いや、こんなにいい状況は生まれて初めてだ。皆、お祭りなど知らない言葉だった。だが、状況はまさにそれだった。
 シィはあちこちに自然発生した集団のどれにも上手く入れず、誰かに“入れて”と頼むことも出来ず、途方に暮れていた。どこにいればいいか分からず、ただ歩き、いていい場所を探してうろついた。寒村というが、縛めがなければもう、どこからどこまでという領域などなかった。歩き歩いて、そもそも生まれた場所も知らず、親兄弟の顔も知らず、誰にここまで育てられたかも知らず、ただ自由の身となって彷徨った。その時に来た。
「シィ!」
「……アル!?」
 躍動する肉体、生き生きとした眸。先の先を見据え、もうこんな所に留まっていい人物ではない。幼いながらもシィは、それだけは確信出来た。その少年が言った。
「こっちに来いよ! ほら、入れてやれよ。やっかいになるぜ」
 こっちに、と少年が指し示した所は、シィと同じような歳頃の女の子と、彼女達の親とも言えるような歳頃の女性が固まって、掘っ立て小屋に身を寄せていた場所だった。
 そういう集団は歩き歩きながら色々見ては来たが、シィには誰もが自分を否定しているように見えて、どうしても上手く入れなかった。言い出せなかった、仲間にしてね、と。
 それが、少年が明るく言っただけで、おいでよと言ってもらえた。

 あれから半年後、一年後、二年後。
 少年は青年となり、周囲からの呼び方も変わり、見るたび背が伸び、身体は大きくなり、威を纏って現れた。
 それでも、引っ込み思案で、他の誰にも対等な言葉など言えず、だからそう言ってくれる者にしか同じ言葉を返せなかった少女にとって、他の者とは全く別な存在だった。
 来てくれるまでの期間がのび、だから来るたび「久しぶりだな」という言葉が必要になった。
「変わりないか?」「不自由していないか?」「もっとよくなる」「もうすぐだからな、待っていろ」
 アルフレドは別。
 食堂のおかみさんや、おやじさんになんと言われても。長屋の同年代の女の子達になんと言われても。
 だから、ただ待った。待てたのだ。ずっと。

 既に習字の手は止まり、シャルロッテは思考を止めた。そして一気に書いた。
“そっちはどう?”
 それだけを書いて、二つに折って石に押し込んだ。
 返事を促すなど、シャルロッテは人生で一度もしたことがない。後は席を立って、背伸びをした。
 夕ご飯を食べても、お風呂に入っても、就寝しても、石はなにも吐き出さなかった。アルフレドらしいと思った。そして、自分の言葉の重さが身に沁みた。

 シャルロッテが執務机で溜め息ばかりをついている。
 それは、武人である近侍にも痛いほど伝わった。三人は視線を遣り取りして、なにか手助けをすべきか、話し掛けるべきか互いに考えた。
 どこかに出掛けるか? 今まで自分達は、大王様と一緒にと言っていたのだ。薮蛇だ。
 どこかに買い物? これも大王様と一緒にだ。
 お化粧? おしゃれ? シャルロッテは大王様と同じ寒村の出、贅沢をよしとしない。
 大王が手紙を書く、そんな時間はない。現地の大勢を相手に、決定権を持つ者として赴いているのだ。衆目は名君に注がれ、誰もがその言葉を待っている。政(まつりごと)などなにも、と言う飛べない将軍や、刀などとても、と言う飛べない大臣が一人二人来たところでなにも解決はしない。
 そうと分かっているからこそ、近侍は下手な言葉を主に言えない。
 主は大王を待っている。

 午後、黄昏時にシャルロッテは、薔薇園に行ってみた。朝露の頃に行くのもよかろうが、今この頃、時を経て色づく女のように、変化する花弁を見るのもいいだろうと思ったのだ。
 そう近侍に言うと、入り口までは三人はついて来た。
「どうせなら、見ません? 見事ですよ」
 そういえばこの城に呼ばれた最初の時も、女性達は園に入らなかったな、とシャルロッテはぼんやりと思い出した。
「この園は立ち入り禁止です。入れるのはシィさんと大王様、管理をしている職人のみです」「そのように、大王様に生かされた、元は特権階級の職人が願ったのです」「どうか存分に。我々はここで待機しております」
 この園は元々、悪魔城内に存在していた。薔薇の研究に生涯を捧げ、酔狂とも言われ、それもまた特権階級の特権であった、ある伯爵が育てた株の数々だった。城と共に灼き払うにはあまりに惜しいと、大王が残したのだ。
 伯爵には妻も子もいなかった。ただ薔薇のみを愛でた。それでも優雅に暮らせた。伯爵の嫡子で、見目よく生まれたからだ。薔薇を育てる以外の能力と興味を持たず育った。悪魔城攻略戦など他人事だった。灼くなら私とともに。そう語った伯爵を、園と共に大王は生かした。後は希望通り、つい先日まで花弁は誰の目にも触れさせなかった。

 翌日、シャルロッテは城の屋上をうろついた。大王専用の発着場、物見。近侍はただ付き従った。お互い、言いたいことは分かっていた。だから無言だった。
 空を飛べたらなあ。
 もしシャルロッテがそう出来たなら、一体今までなにをしていただろう。この性格も違っただろうか。
 人生も、異なったに違いない。

 二週間ののち、大王が帰城すると伝えた近侍は下がって行った。シャルロッテは二人掛けの椅子の右側に座り、ただ待った。
 扉が開かれる。立ち上がった。
「寂しかった」
「うん」
 どちらからも、お互いを求めて抱きしめ合った。あたたかく、体温が伝わり、沁みた。
 解けなくて、しばらくそうした。

 帰城後の午後、議事の間にて。議場が一段落したとみた大王は、
「他にはないか」
 と問うた。臣達に異存はない。この二週間、昔の言い方をすれば地方に、皆が回っていた。大王が判断・決定・指示をし、あとは大臣・将軍が細かいところを詰めて行く。城にまで議事が来るのを待ったことは、大王はこれまで一度もない。
 有意義な二週間だった。これからもそうで、大王は時折責任者を辞めるがどうのと放言をするが、誰も聞きはしない。
 そんな大王が、であれば、と続けた。これにてと言い、すぐさま席を立つかと思いきや、
「各々方に、少々尋ねたい」
 と言った。言われた者達は全員思った、また辞めるがどうのか。無視してやる。
「世にいう、女心というものについて、出来れば忌憚なく意見を述べてもらいたい」
 議場の全員が、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
 この場にいる全員が、あの日より目的の為に命を捧げて来た者達である。実はほとんど全員が妻帯者であった。当たり前だ、佳い女ほど逃げて行くのだ、ここぞとばかりに捕まえなければ。
 すぐに議場は論戦の場となった。誰かれ構わず発言をした。
「女というものは会話において、同意を求めます。我々男のように、さっさと解決策を言って後はお終い、と会話を切りますと文字通り話になりません」
「返事を常に求めます。すぐさま求めます」
「しかも、返事のしようのないことばかり言って来る」
「買い物が長い。我々ははさっさと目的物を買えばお終いですが、奴らは何時間もうろうろして一品も買わない」
「なんにせよ長い」
「事に及ぶもそう。我々はその後さっさといなくなるものですが、奴らはいつまでも一緒にいたがる。寝物語を言いたがる。しかも内容はない。返事を求める。苦痛以外のなにものでもない」
「家に帰れば邪魔者扱い」
「働く預金通帳扱い」
「奴らは言う。仕事と私のどちらを取るの、と」
 その後も論議は噴出した。

 大王は黙って聞いていた。単なる聴衆といわんばかりに、表情を変えず座っていた。
 野郎共とていつまでもがなり立てるお喋り揃いというわけではない。しばらくすれば議事も落ち着き、まるで常のように大王は言った。
「他にはないか」
 その場の全員はこの言葉に我に返った。そしてちらほらと、
「つまらぬことを」「出過ぎたことを」「申し訳もなく」
 という言葉が聞こえた。大王は、
「各々方。なかなかに饒舌であるな」
 と言った。発言をした臣達は恥じ入った。あの日より幾星霜、大王がまさかの言葉を口にしたものだから、つい本音が。
「であれば、これにて」
 大王は今度こそ立ち上がり、扉の向こうへと鷹揚に去って行った。

 残された臣達は、誰ともなく言った。
「やはり……お客人のこと、であるかな」
 あの日この場の男達は言ったのだ、他言はしないと。
 しかし、それはこの場でなら非公式で議事に乗せてもいいという意味とも取れる。
「二週間、城を空けましたからな。そういう意味やもしれませぬな」
 意味もなにもない、全員がそう思ったから咄嗟に日頃の鬱憤が口に出たのだ。ただし帰宅をして、仕事中にお前との鬱憤を吐き出して来たよ、などと言おうものならそれぞれの家で折檻をされるが。
「方々は大体、……お客人をご覧になりましたな?」
 第二大臣と第一将軍以外が頷いた。
 王の間で、臣達がいきなりやって来る。だが見られてはいない。そんな暢気なことを思っているのは客人と言われ、現在酒の肴状態のシャルロッテただ一人。臣達は入室する時、用のある大王とは書類の山で近くまで行かなければお互い顔を合わせないことをいいことに、視線を必ずあの二人掛けの椅子に流していたのだ。一回二回なら単なる珍客、しかしある日から、大王が王の間にいれば、あの客人は必ずいた。
 それがなにを意味するのか。先日、少し休みというものも考えてみようと思う、とも言っていた大王。
「妊娠可能のご婦人……と見ましたが、いかに」
「それは少し先走った考えではないか」
「いやしかし、非常に大事なことと思われるが」
「非常に大事だ」
 なにせ大王は行った先の近所で出産があろうものなら立ち会って、涙を流して亭主そっちのけで産婦を労り、赤子の名付け親となっては将来俺の嫁になろうな、と言い置いて行く男である。養老施設をあちこちに、特に城から遠い所に建てては暇がないのに足を運び、老体を相手に千日手のような会話を一日中して来るような男である。
 そんな男が“女心”
 赤子や老婆では困るのである。後者はこの場の誰もが労ろうが、前者は十年以上待たなくてはならない。
 分かっていることは、ここでなにを云々言っても始まらない、ということだけだった。

 アルフレドは王の間へ戻った。
 シャルロッテが二人掛けの椅子の右側に座っている。そろそろ、そういう椅子をわざと作った意味を分かってほしいとアルフレドは思った。ああ、今日もいてくれる。
「おかえり」
 帰ればほころんだ表情で言われる。いいものだ。
「ただいま」
 アルフレドは左側に座った。
「あのさ」
 まだ、夕食までには時間があった。アルフレドは、いつもなら執務机に向かうものだが、今日は早速先達の言葉を実践したかった。
「この間、手紙の返事をしなかったが、やっぱり嫌か? そういうの」
 シャルロッテはすぐさま答えた。
「おまえ返事なんてしないじゃない、いつも。言うだけ言って戻って行くし。期待をしたことなんて、ないよ」
 アルフレドは、あれ? と思った。
「やはり会話というのは、同意を求めているんだよなあ?」
「はい? おまえ、素直にうんと言えよとか言うじゃない。おまえに同意を求められたことならいっぱいあるけれど?」
 アルフレドは、そういえばと思った。
「やはり買い物をしたいよな? 遠慮しているだけだよな?」
「贅沢は敵です。豪奢は禁令でしょ? あの法律は一から十まで大王様が作って、皆の反対を押し切って一文字も変えさせなかったって聞いたけれど?」
 アルフレドは、なにかが違うと思い始めた。
「家に帰れば邪魔者扱い……」
「今日はおまえ、なにを言っているの? 仕事をしなくていいの?」
「働く預金通帳扱い……」
「無給って言い切ったじゃない」
「仕事と私とどちらを取るの……」
「いい加減にしなさい、さっさと働け!!」
 結局アルフレドは、誰になにを吹き込まれたのと責め立てられ、散々シャルロッテに怒られた揚げ句、申し訳ございませんと言わされた。

 翌日、朝食後の茶のひとときで、今度はシャルロッテから、ならばと言った。
「男性の意見はそうかもしれないけれど。女性の側からも言わせてよ」
「なるほど」
 アルフレドはおおいに頷いた。思えば昨日聞いた意見、あれは全員が男からだった。意見が偏ったことは確かだ。
「やっぱり。男の人から見れば。女性って、華の顔(かんばせ)。若さ。体型。優しさ。よねえ」
 アルフレドは思った。またかよ。
 確かにそういう者達はいた。悪魔城には勢揃いしていた。血族婚を繰り返し、意図通り見目よく生まれた者のみを生かし、少しでも外れて生まれた赤子は悪魔城外へ投棄した悪しき輩。全てを斬った。
「わたしなんて、ぶっさいくで。振られ続きで。誰も相手をしてくれなくて。なんでおまえがわたしの相手をしてくれるのか、……今でも分からない」
 さすがにこの言葉はアルフレドの癇に障った。いつもどういう表情でなにをしてくれている? 夕べなにをしてくれた? 風呂場でも心尽くしの世話をしてくれて。今朝も抱き寄せて、唇を寄せた。
 昨日今日の話ではないのに、二人掛けの椅子に座ってこの言いよう。
「なんでって、いい加減分かれよ」
「いい加減ってなによ。分かんないわよ。右も左も上も下も分かんない!」
「ここに来て何ヶ月経った? いい加減慣れろよ」
「慣れないもの。分かんないもの。そもそもなんで隣にいるのよ!」
 アルフレドはさすがに苛立った。そんなことを言われるように扱った覚えはない。
「なんで、だ? 隣に俺がいるのは嫌なのか」
「そうじゃなくて」
「じゃあなんだ?」
「なんでいるのかって言ってるの!」
「はあ!? いちゃいけないのかよ!」
「いちゃいけない、本当はいちゃいけないの!!」
 返事が出来ないアルフレドの表情を見て取ったシャルロッテは、いてはいけないと思ってこう言った。
「もう、出て行く!」
 シャルロッテは席を立ち、奥の間に通じる扉へと早足で歩く。転びはしない。絨毯敷きの間の歩き方を、もうよく知っている動作だった。
 アルフレドはその表情のままで、ただ頭を水平に振った。

 途端、王の間には誰もいなくなった。出て行かれた者以外、ここには魔法石による入室許可の合図がなくば誰も入れない。執務机には書類の山、どれだけ目を通しても同量、いやそれ以上が積まれて行く。責任者に休みはない。
 放心しながらも、二人掛けの椅子から立ち上がらなくてはならなかった。執務机に戻らざるを得ない。入室許可を求める合図を示す魔法石は灯りっ放し。
 執務を再開せざるを得なかった。合図を送ると、途端に臣達はやって来た。
 昼となっても、王の間には男性しかいなかった。近侍は入れない。代わりに近臣が昼食を持って来た。なにも言わず、しかし二人分が用意される。いつものスープのにおいが漂う。
 腹が減っては戦にならぬ。いつ緊急案件が来るやもしれぬ身。食べるしかなかった。二人掛けの椅子には座らず、立ったまま喰らった。すぐに執務机に戻ると、時間が来れば議事の間へ向かった。裂く音が聞こえんばかりに心を切り替えて臨んだ。
 会議が終わって、王の間に戻っても、誰もいなかった。テーブルの、乱雑に投げ置かれた食事の跡はきれいに片付けられており、まるで最初から、この間には誰もいないかのよう。
 人が住んでいないかのよう。
 アルフレドは、すぐさま城奥へと向かった。合図など送らず、鍛えた腕力で扉を押し開けた。破壊する勢いで三つを突破する。大股で家へと通じる道を急いだ。その気迫に、城奥を守る三つの扉は守り人達によって急いで開かれた。
「シャルロッテ!!」
 大王は我が家に入室すると途端に二人掛けの椅子に駆け寄り、両膝をついた。
「おまえがいないのにどこにどうやって帰れっていうんだ、頼む戻ってくれ!!」
 言われた方は呆気にとられ、何時間も考えた幼稚で意固地な思いもたちどころに霧散し、はい、と素直に返すしかなかった。

 王の間に二人の主が戻って、夕食中。
 近侍があたたかいうちにと、次々に美しく盛られた皿を持って来る。そんな、周りに人がいるなかで、大王は言った。
「もうおまえに口ごたえなんかしない。なんでも言うことを聞く」
「あの……」
 間違いなく、皆に聞こえているというのに。
 シャルロッテは大変に困っていた。ここにいるのは天下の大王様である。この男こそがこういったことを言われる側であって、自分が言う側にはないというのに。
 シャルロッテは本当についさっきまで、もう出て行ってやるとか、稼ぎはどうしようとか、持っているお金でどこに宿を取ろうとか、遠くへ行かなきゃとか、稚拙な考えでいっぱいだったのだ。
 それがこう言われれば、それどころでない。
「あの……ね、うん。いいから。もう分かったから。ね、喧嘩は止めよう。はい約束」
「します。なんでもします。だから住んでくれ。出て行かれても探し尽くす」
 この勢いでは、黄金竜が何騎煌めくか分かったものではない。
「あの、本当に分かったから。うん、わたしが悪かった。だから仕事、しようね?」
「はい」
 聞きたくなくても聞かされた近侍は全員、痴話喧嘩など聞かせるな、もうなんでもいい、早くくっつけ。それだけを思ったという。