17

「どうしてわたしなんですか?」
「求められているからです」
 後日の午後、ビンクス夫人らとともに、城奥で。
 シャルロッテは誰かに言いたかった。違うよ、お前じゃない。そう言われたかった。誰かに。
 そういう生活しかして来なかった。努力は間違いだと否定をされ、頑張りは評価されなかった。それしか知らなかった。
「シィさん、あなたが大王様に呼ばれたのです。理由? それが全てですよ。それ以外ありますか?」
 シャルロッテは下を向いた。答えはどこからも浮かんでは来ない。
「あなたです。他の人ではありません。いい加減、地に足を着けて、城に住んでください。そうすると、ご自分で言ったのでしょう?」
「……はい」
 確かに言った。考えて答えた。それでも、これほどとは思わなかった。
「私は、いえ我々は、答えを持っています。ですが、あなた自身が考えて、受け入れてこの答えを出さなくてはなりません。
 今までのやり方ではダメだということですよ。考え方を変えてください」
 今までのやり方。勉強もせず、同じ環境にいたいと村を出ず甘えた。今は環境が激変しているが、そう、変えるのが怖かった。それについて行けそうにないから。
「環境の激変に慣れろ、ということ」
「そう、その通り」
「大王様が、おれを信用しろと」
「そう、その通り」
「住んで、寛げと」
「その通り」
「わたしのために時間を取らせてはいけない。そういう考えも、改めろと?」
「ええ」
「でも、大王様は忙しいんです。これは変わらない」
「そうね。だから、大王様がいいと仰った時に、二人の時に、考えを変えて。それなら、どうかしら?」
 シャルロッテは、頷くことにした。誰がなんと言おうとも、大王アルフレドは多忙を極め、代わりはいないのだから。

 もうすっかり歳だから。ビンクス夫人はそう言って、夕方前に皆に送られて帰って行った。近侍の一人は、悪魔城攻略戦の前は昼夜を問わず令嬢方を叱りつけていたと有名な方でしたよ、とシャルロッテに教えた。
 大王が臨席する会議は御前会議と呼ばれ、本人以外たのしい会議など間違っても言わない。その会議がおわる前に王の間に帰ったシャルロッテは、道すがら考えていたことを口に出してみた。いかに近侍が名乗らなかろうと、こういう時にそばにいてくれる女性達はもう固定されていて、シャルロッテは当初のような意固地な考えはもう持っていなかった。
「変えろと言うから、思ったんですけれども」
「はい」
 近侍は三人。片膝をつき、二人掛けの椅子の周りで言葉を聞く。
「わたしが行こう、じゃなくて、アルフレドが行こう、って言ってくれた時に、どこへなりと行こうと思うんです」
「まあ。いつでもどこへでも、いいのですよ。自分から仰っても、それは」
「でも、やっぱり申し訳ないし……あ、あと、ご飯は一緒に食べてもいいんですか?」
「もちろんですとも。なにせ栄養があまりにも偏り過ぎた内容だったのですよ? 現在のお食事はスープから始まって栄養満点。そう思われるでしょう?」
「それは、まあ……」
 シャルロッテは、アルフレドがどうしてあんな食事だったかは、言わずにおいた。
「あと、お茶かな? なにがいいとか嫌いとか、言わないんです。これも、どれがいいかとか訊いて、変えた方がいいですか」
「大王様は、まさかそのようなことにご不満を仰って?」
「いいえ。川の水とかしか知らないからなんでもいいって」
 近侍三人はくすくすと笑った。まるで、その場が見えるとでも言いたげに。
「我々は所詮、奴隷上がりですからね。飲み食いを選べるなど思わず育ちましたから。そういう意味でしょう」
 シャルロッテも頷いた。そこは一緒なのだ、ただ自分のこれまで勤務先が食堂というだけで、せめて飲み物は茶くらいは淹れられるという知識があったに過ぎない。
「あ、そうだ。お風呂が一番いけないと思います!」
 すると近侍の三人は驚いた。こんな、筋肉量のなさそうな女が悪い事など出来そうにないからだ。しかも、お互い裸になる場所で。
「いけないとは、どのような……?」「我々はまさか、確認をしに見に行くわけには……」「どういったことが……?」
 なにせ素っ裸の場。質問の言葉も、自然遠回しなものとなる。
「時間を取らせ過ぎていると思うんですよ」
 アホなシャルロッテは風呂場での一連の流れをただ説明して、
「やっぱり、この時間をもっとお仕事に回すべきでは」
 と言った。近侍三人は全員真剣な眼差しで、
「決して変えないでください」「お願いです」「後生ですから」
 と懇願をした。
「変えろって話じゃなかったですか?」
 結局、添い寝も同じ。決して変えるな後生だお願いだと懇願をされた。大王が帰ると近侍は退出して行った。今日の午後の話はなんだったのだろうとシャルロッテは思った。

 シャルロッテは奴隷上がり。やったことのない「寛ぐ」という概念を、時間を自由に使えということだと解釈をした。自然、なにかを考えることになるので、変えろ、ということについて考えてみた。
 たとえば、お茶の種類を増やす? シャルロッテがよく淹れるのは薔薇の蕾の茶で、アルフレドと久々に再逢をしたあの薔薇園にちなんでいる。それもいいが、大陸は広い。飲み物は茶だけではない。なにかそういう知識を増やすべきでは?
 ある日の午前中、王の間で。二人掛けの椅子の右側に腰掛けながら、シャルロッテはガイドブックよりもそういった本を所望しようと考えた。無論、御前会議中に近侍に、である。
 容赦なく入室して来る、偉そうな雰囲気の男達。未だビビるがそれだと疲れる。なんとかやり過ごし、朝ご飯を入れた胃も一段落がついたところで、そろそろ茶の準備をしようかな。そう思った時、大王が立ち上がる音がした。
 アルフレドは粛々と書類の山を裁いて行く。とてもシャルロッテなどが声を掛けられる状態にはない。と、少なくともシャルロッテは思っている。それでも時にこうして、王の椅子から立つこともある。ひと息入れよう、という意味だろう。シャルロッテとて気持ちは分かる。ほんの少しだが。
 アルフレドはシャルロッテの隣に座って言った。
「なあ、おまえさ」
 今日の茶はシャルロッテ一番のお気に入り、ピンクローズの茶。
「なあに」
「ここで書き物をしているんだろう?」
「どっきーん!」
 シャルロッテはビビって怖がって震え上がった。成果を見せろと言うことか。そればかりは。
「おいおい、変に考えるなよ」
 こいつは変な顔をするのが昔から得意だと、アルフレドは思ったが口には出さなかった。言ったら殴られる。痛くはないが。
「ここじゃ書き辛かろう? 午後、俺がいないときはあっちに座ってやれよ。おまえがいいと言うまでなにも見ないし報告もさせないからさ」
「あっちって、どこ」
 シャルロッテは辺りをぐるりと見渡した。
 王の間の構成は寝室、風呂場、トイレ、執務机、椅子。ここまでが築城当時にあったもの。後日、お盆や二人掛けの椅子、その前に置かれているテーブルが同じ職人の手により追加された。
 居住出来る作りとなっている。臣のいる城表と大王の家である城奥は距離が遠過ぎる。嫌っている以前の問題で、多忙な大王はこの間でより多く時間を過ごしていた。
「どこって、あれ」
 アルフレドは顔だけ向けた。その先は書類の山、を積んだ机。
「イヤ」
「即決をするな。ここじゃ姿勢も悪くなるし、腰にもよくない。確かに椅子は俺とおまえじゃ体格が違うから、おまえ専用の椅子を作ろう。
 あっちでやれよ」
「お断りします」
「おまえなあ、たまには素直にはいと言えよ」
 すると、何故だかこの時は、言われた通り素直に言葉が耳に入った。人間たまにそういう時がある。シャルロッテにとっては今だった。
「……はい」
「よし。じゃ、午後からそうしろよ。内容はいざ知らず、勉強をするのはいいことだ」
 アルフレドは茶を飲み干し、シャルロッテの額に触れて執務机に戻って行った。

 午前中に会話をしただけの短時間で、既にシャルロッテ専用の椅子は出来上がっていた。素人の見た目には大王様専用の椅子の小規模版で、意匠はそっくり同じ。職人が同じなのだろうとは、シャルロッテでも分かった。
 それを持って来た、いつもの三人の近侍が、今日は向こうから話し掛けてきた。
「シィさん、お願いがあります」
「はあ……」
 いつもはああしろこうしろ、と言って来るのに、今日はなんとなく違った。そう勤勉ではないシャルロッテは、この言葉をいいことに、あまり見られたくない自分の書物はひっくり返して隠し、三人の言葉を聞いた。
「その前に。字の書き取りをするおつもりだったのでしょう? 我々の話は、それが済んでからで」
 シャルロッテはこれを聞き、書き取りも大事だが話も大事だ、と言われたような気がした。だからこう返した。
「ええと……見てくださいよ、この書類の山。それを前に平然となにかをやれと言われても。
 今、こうして机に向かって立派でちょうどいい椅子に座らされたところで、全然慣れないです。落ち着いて書き取りなんて、今日いきなりは無理です。そう思いません?」
「なるほど、確かに」「そう言われれば」「我々とて、この山を前に座らされますと、思うところはありますね」
 この広い、王の間の象徴のような机と椅子に形ばかりは座らされたものの、大王様と小心者では月とスッポン。シャルロッテの言いたいことは三人に充分伝わったらしい。
「では、我々が先にお話をしましょうか」
「その方がいいと思います。人間、いきなりは慣れませんよ。それは呼ばれてからよく分かりましたので」
 シャルロッテが言葉に情感をたっぷり乗せて言うと、より確実に伝わった模様で、三人は誰からとなく話し出した。
「実は困ったことが……」
 なんでも出来そう、して来ていそうな、体格のいい女性達から語られた言葉は、意外なものから始まった。
「大王様が、責任者を辞めると仰っているのです」

 近侍は言う。
 そもそもこの話は、わるいおうさまをやっつけた十年前から遡る。あの当時からアルフレドはそう言っていたという。
「お気持ちは分かります。ですが現実は、皇帝を討ったその瞬間から我々奴隷は皆無職。誰もが食べなければならない。そのためにはどうすればいいか? 答えは、大王様が念入りに下調べをし既に隔離していた巨万の財宝から国家的事業をいくつも立ち上げ給金を出し、食通ルートを悪魔城直行ではなく各所から軍による陸海空路で地方の隅まで平等に……となるのですが、要するに、辞め時などありません」「皆が諌め、ようやっと大王様は話を引っ込める。ところが忘れた頃に、また大王様が言い出して……の、繰り返しなのです」
「はあ……」
 シャルロッテは思った。きっとアルフレドはこう考えている。皆には反対をされっ放しだ、そんな責任者などおかしいではないか、と。
「誰か、いないんですか? 陸海空が出来る人が第一軍にいるって、この間言っていませんでした?」
「陸海空、政経その他全部が出来る天才を、大王様の他未だに見たことはありません。我々一同」
「はあ、天才……」
 随分話が大きくなって来た。そういう性格では、アルフレドはないのだが。
 だが、そう思っているのはシャルロッテ一人。軍に属する三人は、そして御前会議に出られる程の者達は、全く違った考えを持っていた。
「大王様はよく、そういう天才を見つけ出せ、その者を後継にしろと仰るのですが。飛行類を呼べる者さえ稀なのに……この能力があると自覚出来た者はただちに自ら手を挙げているのですよ。なにせ空兵は陸海空軍の中で、一番給金が高いですからね」「一生食いっぱぐれない、まさに夢の職」「ですが、遺伝ではありません。能力が発揮出来るかは直前まで誰にも分からない、突然変異でしかない」「危険な欠点もありますし」
 シャルロッテとて思う。ああ、空を自由に飛べたらなあ。
「百年後はいざ知らず、今は責任者こそが大陸中を行き交うべき刻」「飛べない責任者が一々空兵に頭を下げ、どこそこまで飛んでね、とお願いする暇などありません」「空兵でさらに他の能力があると分かれば誰でも自発的に言っていますよ、なにせもっと給金が高くなるのですから」「ですがそんな者、誰もいませんわ」
 今日の近侍さんは饒舌だなあ、とシャルロッテは思った。
 数時間も経てば、書類の山を前にして座る、ということにいつの間にか慣れて来る。いくらその書類とは完全無関係と割り切れるとしても、慣れというものは恐ろしい。

 会議からアルフレドが戻って来て、シャルロッテと二人で夕食をとる。今晩は城にいるぞ、多分な、と言っていた。
「おまえ、責任者を辞めるんだって?」
「ああ」
 やけにあっさり言ってくれる。
「辞めてどうするの?」
「よくぞ訊いてくれた」
 するとアルフレドは手に持つスプーンを置いた。シャルロッテは、スープを冷ましちゃだめよと言った。
「俺、習字は頑張ったって言っただろう。だからな、習字教室を開こうと思うんだ。生徒を募って、それで生活をする」
「アホ」
 シャルロッテはスープに唸った。今日の濾し具合も絶妙だ。
「生徒を募る? あのねえ、未だみなさん奴隷上がりなの。今日昨日の給金も惜しいの。それから手習い賃を捻出? 字はそんなにきれいでなくたって普通は生きて行けるよ」
 アルフレドの表情たちまち見るも無残なものとなった。
「趣味に銅貨一銭だって遣わない、そもそも趣味を持たない。そんな人がまだまだいっぱいいるのに。月謝を払え? 必要もないのに? 払う価値のある人は、おまえが生き残した文化人ほどじゃないとダメなんじゃない?」
 するとアルフレドの表情はさらに無残なものとなった。傷ついた少年……とはもう言い難い。
「それでも払う人がいるとするよ? 月何人? 五十人くらい集めて、やっと経費が回収出来るって程度じゃない? 五十人もお金に余裕がある人を集めるって、とんでもないことだよ。
 収支決算が合いません。はい、無理!」
 シャルロッテは易々と論破した。