15

 ビンクス夫人が来る午後。城奥で、鏡を見ながらのウォーキングをしつつ、シャルロッテはこの場の女性達に質問をした。陸海空、全ての技能を持っている人間がいるのかと。
「少し、職責を超えますが……」
 夫人ではなく近侍が問いに答えた。
「大王様がまさにそうだということは有名です。ご存知ですね?」
「はい」
 それで、瞬く間に数多くの仲間を得たことも有名だ。
「大王様以外にも、いることはいます。ですが、第一軍の所属なのです。我々は武人といっても七軍の所属、詳細は存じません。縦割り行政という意味ではありませんよ。ただ、特殊部隊ですので。それを陸軍が保有している、ということは、我々としても思うところがあります」
「縦割り行政にしか聞こえません」
「陸海空全部が出来て陸軍所属、なのですよ」
「うーん」
「シィさん、具合はいかがですか? デートをしては酔っていると聞きましたが」
 夫人の問いにシャルロッテは立ち止まってしゃがんで座って泣くフリをした。
 わざとらしく顔を覆った手の指の隙間から女性陣を振り返って、
「特殊部隊って?」
 と訊いた。
「高速艇を操縦出来、高速の飛行類を呼び、あらゆる武器を扱える集団のことです。たとえますと、仮にこの大陸の他に陸や島があり、そこにシィさんが攫われますと投入されます。先頭には大王様が立ちましょう」
「攫われないよう努力をします……」
「我々も鋭意努力いたします」
 さあ立ってくださいシィさん、サボってはいけませんよ! という夫人の鋭い声が飛ぶ。習字は相変わらずで、酔っている暇があったら午後はずっとこれをしようかと思った。

 この頃には午前中、シャルロッテのロケット噴射もとうにおさまり、平常心で茶を淹れられるようになっていた。
 アルフレドとシャルロッテは山と積まれた書類に阻まれ、お互いが見えない位置にいる。
 ただ座っているのも勿体ないと、アルフレドから見えないのをいいことに、シャルロッテは習字をすることにした。高名な書家の楷書を書き写す。酷い有り様なので、アルフレドにだけは見られたくない。

 臣達が入室をしなければ、この部屋は基本静かだ。アルフレドが書類をめくる音。その他に、
「おまえ、ひょっとして手紙かなにかを書いているのか?」
「どっきーん」
 勉強している時のあの、えんぴつ音がしたからの言葉だった。
「わたしはなにもしていません。あなたはなにも聞いていない」
「はいはい。ひと息ついたら休めよ、おまえは軟弱だからなあ」
 立腹をしたが言い返せない。よく午睡し酔っては緊張、意識を手放し放題のシャルロッテ。
「どうせ寒村出身の行き遅れですよ」
「俺も同じ寒村出身だが」
「おまえって昔から身体が大きかったよね」
「そうだな。寝ている時、ああ背が伸びているな、と思った時もあったよ」
「えっ、本当?」
「ああ」
 夕刻、食事をとり風呂の後、着替えたアルフレドはシャルロッテの額に触れた。そして執務机に向かって行った。

 翌朝起きると、シャルロッテは腰のあたたかみより、髪の毛に触れる気配を先に感じた。ゆっくり振り向くと、耳にも。
 されるままにした。

 アルフレドは自身が言う通り、城にいる時間は確かに少しづつ長くなっていった。
 だがシャルロッテは、自分のせいで大王様の時間を取らせるのが嫌だった。出掛けないのかと訊かれても、酔ってばかりで迷惑をかけていますので、とかわした。

 ある日の夕刻、お風呂の時間。シャルロッテはいつもの通り、アルフレドの髪を洗って、マッサージをしていた。なんとなく効かないことは分かっていた。筋肉が凄いからだ。敵はいなくなり、ずっと政務続きだったろうに何故こんな身体つきなのか。その必要がある? 懸命に揉んだ。
 アルフレドは風呂では無言だ。最初こそ、はいと返事をしていたが、風呂場の行動の流れにお互いが慣れるとそれもなくなった。
 そのアルフレドが、シャルロッテにふいと視線を向けた。珍しいと思った。アルフレドは風呂場では瞑想かなにかをしているらしく、会話をしないからだ。
 片手を上げ、人さし指だけをくいと動かす。
 身体に巻いたバスタオルを取れ、という意味と受け取ったシャルロッテ。そっぽを向き無視した。アルフレドは、だから俺はいつも無視反対をされてばかりだと嘆いた。

 翌朝、シャルロッテが目を覚ますと、いつもの通り腰にあたたかい重みがあった。
 気配は分からない。後ろを見なければ分からない。シャルロッテはそれにそっと手を重ねてみた。あたたかかった。

 午後、アルフレドが会議へ向かうと、ややしばらくして近侍が入室して来る。淹れてもらった茶に一口つけてから、シャルロッテは言った。
「そういえば、お城を外から見てみたいです」
 近侍は皆一様に嬉しそうに、
「さっそく大王様と!」
 と声を揃えた。
「そうじゃなくて。ちょっと聞いてください」
 シャルロッテが慌てるでもなく、むしろ冷静に制したので、近侍はアルフレドに報告を送る手を止めた。
「たくさん、人がいますよね」
「そうですね。シィさん、酔いませんか? そうだと分かっての仰りようですよね」
「そう。だからです」
 シャルロッテは口角を上げた。
 三回ほど大王様と出掛けたが、正直全て酔った。その理由。
「だって緊張するじゃないですか。……異性と、ですよ?」
 照れるように視線を外し、微笑みながら消え入るような声でそっと言う。
 すると近侍は皆一様に、意を得たといわんばかりの表情になった。

 お茶のあと、さっそく城外に出たシャルロッテ。おつきの近侍は見た目は三人、しかして実態はそれ以上。そうと気付かないのは護られている当人だけである。
 城の門のうちの一つを出ると人の波はさすが大都会、一番の観光地だった。
 近侍の三人は元いた寒村で初めて会ったあの三人で、シャルロッテにとっては一番の顔見知りだった。前を行くのは、十年勤めた食堂から最初の館に行く時ついて行った女性だ。後ろ姿には充分見覚えがあった。
 なるべく人並みに逆らわず歩く。よく酔うシャルロッテではあったがそこは元奴隷、別に体力無しではない。
 今、シャルロッテは本当に緊張をしていなかった。顔見知りの女性と自由に歩いていいとなれば、心理的にも違うもの。気分は単なる近所での散歩なので、気安くいられた。
 大陸で唯一の城の正門近くになると、人波がさらに多くなって来た。段々と歩く速度が遅くなる。
「混んでいますね」
「ええ。皆、来城記念切符を欲しがりますから」
 城に来たことを証明する、年月日の入った切符が正門で配られるので、そこで渋滞が発生するのだ。なにせ民が一度は観たいと思う大陸一の観光地。城も、城下町も広くとって築城をしたものの、人の波は完成より前から常にごった返していた。
「わたしも欲しいです」
「そうですね」
「大丈夫ですか? 酔っていませんか?」
「大丈夫です」
 それどころか、お上りさん特有の、わくわくとして興奮した状態だった。
 そもそも、城に呼ばれた時、最初からこうして正門をくぐらせてもらえればよかったのだ。それが城内でおそらく一番閑静な場所に通された。環境の激変というものを甘く見てはいけない。必ず後で身体に来る。
 待つことしばし。シャルロッテ、いや、寒村出のシィにも切符が交付される。それは、お城の外観と日付が打刻された、横長の紙だった。
 入場後は城内案内に従って、順路通り歩いた。
 まずは臣達が城勤めをする表。廊下のわずかの隙間から、文人であろう、机に向かう者達が。武人であろう、鍛練をする姿の者達が見える。何ヶ所もある発着場ではひっきりなしに飛行類が飛び立ち、着陸をしている。
 シィ一行よりも前を歩いているのは団体客だった。その添乗員であろう人が言っていた。
「城表には謁見の間という場所がありますが、大王様は嫌いなものが数多く、なかでも「偉い」という言葉が大嫌いなため、折角皆で作ったのに一度も使われておりません」
 勝手に盗み聞きをしながら、全くその通りだと、内心でふふんと笑った。

 城内を見て、城内の王の間に帰ったシャルロッテ。近侍に心配をされた。お疲れではありませんか、人の波に酔ってはいませんか、お休みになったらいかがですか。
「全然!」
 気分はまさにお上りさん。普段の張りつめた空気から、自由に散策出来たのだ。時間の決めごともなし。自由に行って自由に帰った。とてもいい気晴らしになったと言うと、近侍はお互いの顔を見合わせ、微妙な表情になった。

 出掛けたからには汗をかくもの。シャルロッテはシャワーを浴び、服を一式着替えてから二人掛けの椅子に戻った。
 さて今日の大王様のご予定は。
 すると、夕食前にアルフレドは戻って来た。最初こそ、ここの主は誰だと訊きたくなるほど遠慮してノックなどをしていたものの、二度目以降はなし。主に気を遣ってほしくはなかったシャルロッテがそうしてくれと言ったのだ。
「おかえりなさい」
「城内なら俺が見せてやるのに」
 言いながらアルフレドは椅子に一直線に向かってやって来て、シャルロッテの隣に座った。
「上機嫌でお帰りで、酔うも疲れるもなかったと聞いたが?」
「そうだよ」
「俺とのデートとはえらい違いだな」
「だって、おまえとは緊張するもの」
「なんでだよ。普通にしろよ」
「デートをしたことがないもの。おまえは緊張しなかった?」
「そりゃ、したな」
 アルフレドは一旦立ち上がり、書類の山の机に行った。すぐに戻って来た両手には、年代物のコップとポッドがあった。二人掛けの椅子に戻り、水道水だろう水をコップに入れて飲んだ。
「そういうことを、わたしとかに頼めばいいのに」
「悪い、癖なんだ。散々周囲に言われている。人に命令するように育っていなくてな」
「おまえだって、普通にしてよ」
「しているよ。おまえに対しては、そうはいかない」
「おまえがそうなら、わたしだって。デートなんて、その言葉を聞いただけで緊張したよ。おまえはさらっと言っていたけれど」
「あれは勢いだ。よく言えたと自分でも思ったよ」
 アルフレドはまるで酒を浴びるように飲み干し、また自分で水を入れ、シャルロッテに差し出した。
 同じコップでゆっくり、少しずつ飲んだ。
 これはまるであの頃の遺物のようだ。腰の物と同じ、使い込まれ過ぎて一体いつ製造されたか全く分からない外観。
「これも魔剣……魔物? だったりしてね」
「そうかもな。これが一番美味い、しっくりくる。愛用品さ」
「拾ったの?」
「ああ」
 夕日の沈む終わりの浜で。