6

 アルフレドといる時は、近侍は可能な限り王の間にいる時間を少なくするらしい。夕食の配膳に来たと思ったら、すぐさまいなくなった。
「デートの前に、ちゃんとご飯を食べようよ」
 どうせこの数日間、ろくに食べていなかっただろう。シャルロッテはもうお見通し。スープの作り方に対する蘊蓄を一通り口にしてから言った。
「なんで分かるんだ?」
「当たり前でしょう。いい加減怒られない?」
「怒られはしないさ。ただひたすら反対をされるだけで」
「それを怒られるっていうの」
 アルフレドは思った。俺に怒るなんて、おまえだけだよ。
「おまえのこれからのご予定は?」
「緊急案件が入らなきゃ飯の後に風呂。報告書の山に目を通して、麗しのシャルロッテに怒られない程度に睡眠を取る」
「よろしい」
「おまえは風呂の後にすぐ寝ろよ」
「またぁ。もういい加減慣れたってば」
「アホ」
 アルフレドは美味い・不味い・など特段の感慨を言うでもなく肉や魚を口に入れていた。
「俺の普段の予定。緊急案件が入らなきゃ午前中は報告書の山に目を通して午後はたのしい会議。飯の後に風呂、あとは以下同文。どういう意味か、分かるか?」
「分かるわけがないでしょう。おまえとか近侍さんとか説明が足りなさ過ぎるよ。ちゃんと言って」
 もっともなので、アルフレドはきちんと説明をした。
「俺がいる場合は夕飯から朝飯まで、どこの誰も入って来ない。家でもここでもだ。これはいいな」
「うん」
 もう襲われ疑惑は持たなくてもいいらしい。けれども言いたくはないが、あの時はもう終わりを覚悟したのだ。言わないでおくが。
「朝飯後が問題だ」
「なんで?」
 アルフレドは報告書の山に目を通すだけと言ったのに、それがシャルロッテにとってどう問題になるのだろう。
「ここには出入り口が三つある。そのうちの一つは臣の出入り口でな。奴らはいきなり来る。ノックなし、前触れなし。面倒だからこの習慣を変える気はない。
 おまえ、俺に茶を淹れてくれるんだろう? するとこの椅子に一人で座っている時、いきなりそこの扉が開かれて大臣だの将軍だのが入室して来るんだ。平常心でいられるか?」
「どっきーん……」
 解説しよう。シャルロッテは最高で、一等兵までしか見たことがない。

 十年以上前から常となった、大王から大陸全土への一斉施政。その度上空には飛行類が飛び交った。乗っている兵士は一人二人ではなかった。誰もが何度も見た光景。
 だがシャルロッテの住んでいる場所は寒村だ。一等兵より上の肩書きの曹・尉・佐・将軍などは来なかった。
 わるいおうさまはやっつけられ、悪者はいなくなり、大陸に敵は存在しなくなった。
 その後も犯罪者が出ることは出たが、治安は解放記念日以前とは比べものにならないほど劇的に向上した。シャルロッテの寒村では事故も犯罪もない旨の看板が出ていたほどだ。
 敵がいない。これが武人にとってなにを意味するのか? 功を立てられなくなり、昔のように一足飛びに肩書きが上がらなくなったということだ。
 空軍以外、最初は誰でも三等兵から始まる。何年も経ってようやく二等兵に昇進する。さらに何年も経って一等兵に。以下同文。
 それが上等兵兵長伍長軍曹曹長、准尉少尉中尉大尉、少佐中佐大佐と来て将軍……
 シャルロッテはあまりの道のりの長さに想像が追い付かず、頭がくらくらとした。なお隣にいる男はそれら全てを束ねている。

 アルフレドはシャルロッテの後ろについて行き、風呂場へ向かった。
 この城に、彼が滅ぼした悪魔城のごとき華美豪奢といったものはない。正反対の質実剛健、しかして立派に広い風呂だ。シャルロッテはなにやらをしてくれるという。あの言いようを男が普通に聞けば、単なる性的サービスなのだが。
「うん、あったかいね。魔法石様々だわ。さ、あっちを向いて脱いで」
「はい」
 こういう時は女性の言いなりになるもの。そこは分かっているアルフレド。脱衣場で、風呂の入り口近くで言われた通りにした。後ろでシャルロッテが服を脱いでいる音がする。横には一面の大きな鏡。
 さっき○○かと訊いたら殴られたので、おそらくそうなのだろう。襲われるのが嫌な未婚の女性がなにをしてくれるのやら。
「脱いだら先に入って、椅子に腰掛けていて」
「はい」
 言ったはいいがアルフレド、伊達に大王様とは呼ばれていない。時間がなくて、この入り口を通ったらシャワーだけで済ませて三分と経たずに出たものだ。城の主なのに、風呂場の椅子に座ったことがない。湯船にも入ったことがない。
 人生で初めて座った椅子の感想。
「立派過ぎるな。経費がどれだけ掛かったと思っているんだ。責任者を出せ。あ、俺か」
 出入り口が開かれて、シャルロッテが入って来た。一糸纏わぬ姿で来てくれたなら鼻血を吹こう、盛大に。そうアルフレドは決意し凝視した。だが。
「おまえ、風呂場でバスタオル巻きはいかんぞ。ありゃ撮影用、実際はマナー違反だ」
 まさか裸では来られないシャルロッテ。近侍がしていたように、バスタオルを身体に巻いていたのだ。
「うるさい。黙って目をつぶれ」
「はい」
 アルフレドはなにも隠さぬ素ッ裸である。
 シャルロッテがそろそろと、ゆっくりアルフレドに近付いている。気配と音で分かる。
「シャワーでお湯を、心臓に遠いところからかけけます。熱かったら教えてください」
「はい」
 アルフレドの背後で、シャワーの温度調節をしていそうな音がする。そして、言われた通り足の指からお湯がかかった。
「熱くないですか」
「はい」
 段々と上に行くが、ある程度で止まって、
「背中にかけます」
「肝心なところが抜けています」
「自分でやってください」
 結局アルフレドは心臓付近およびなになになところは自分でかけ湯をして、言われた通り湯船に入った。
「ゆっくり入っていてね。わたし、自分のをやるから」
 そう言ってシャルロッテは、自分の髪を洗い身体を洗い出す。その背中を、アルフレドは見つめていたかったが、まだ今夜は実質初日。言われた通り見ないようにして、湯船を堪能した。切り替えの速い男だった。
「いい湯だなあ」
「その先歌わない方がいいよ」
 経費節減は責任者の努め。しかし、一番の無駄はこうしていつも清潔に保たれているのに一度も湯船につからない自分の行いではなかろうか。アルフレドは反省をした。散々反対をされたものだが、よし分かった、シャルロッテがいる時だけでも湯船を使用し経費を効果的に使おうと決めた。
 後ろでシャルロッテの用事がおわったらしい。しずしずと歩く音が聞こえる。今度こそお宝を拝ませてくれるのか。
 しかし。
「バスタオル巻きで湯船に入るなよ。思いっきりマナー違反だぞ」
「湯船は堪能した? どうせ入ったことがないんでしょう。でも、ここはいつでもお湯がはってある。そういうのが一番のムダなんだよ」
 臣達とそっくり同じことを言う。
「返す言葉もございません」
「お説教とイヤミはこのへんにします」
「ありがとうございます。じゃ、これからなにかをしてくれるのか?」
「まだなにもしていない」
 女性が裸にバスタオル一枚でいてくれるなど、充分にサービスだと言う同年代の男性は多かろう。
 シャルロッテがアルフレドに近付いて来た。そのさま、まさに無防備。アルフレドは思った。俺だから無事でいられるんだぞ、おまえはアホだ。
「マッサージをします」
「はい」
 そばに近付いて、アルフレドの左腕を取って、シャルロッテはなにやら筋肉を揉み始めた。そしてその動きを下の方、左手のあたりまでゆっくりと下げて行く。
「ふーん。なるほど」
「効かない?」
「いや、やってもらったのが初めてだから比べるものがない。気持ちいいよ」
「じゃ、右腕もしたいんだけれど。兵士さんって、利き腕は触られたくない人がいるって聞いたの。おまえは?」
 まさかまさか。
「どこを触っても見てもいいぞ」
 するとシャルロッテは一旦湯船から上がって、アルフレドの背中を通過し、それからまた湯船に入った。
「人の言うことを聞いているのか?」
「マッサージをします」
「はい」
 シャルロッテが筋肉を揉む。はっきり言おう、効果はない。整体師は資格習得のための訓練が必要、この様子では今日昨日の付け焼き刃だ。
 だがアルフレドは文句を言うつもりは全くない。これならいつでも風呂に入りたい。ただそれだけ、いやその他も考えた。
 するとシャルロッテは、さきほど嫌がったはずの、アルフレドの足下に身体をそそっと動かした。
「足をマッサージします」
「……はい」
 こいつはアホだ。

 この後アルフレドは髪と身体(除く一部)を洗ってもらった。人生で初めてだった。
 刃先ひとつをあれほど怖がり、襲われるかもしれない恐怖を味わったシャルロッテには決して言わないが、利き腕を触らせたのはこれが初めてだ。おそらく察知はされているがその通り、毒殺暗殺未遂の毎日だったので、シャルロッテ以外は可能なら握手は勿論指一本触られたくない。十何年とこれらをさせていない。
 この城には謁見の間というたいそうな空間があり、様々な人物がそこで大王との会談を求めているが応じたことはない。あの間(ま)に入ったこともない。権力のある者とは、かくも孤独なのだ。

 二人でもう一度湯船に入った。のんびりと、ガラスの向こうの中庭を眺める。
「おまえ」
「なんだ」
「こんなことされるの、嫌?」
「嫌がっているように見えたか?」
「見えないけれど。心の中までは分からないもの。おれには時間がないんだ、早くしろ! とか思わない?」
「思わない」
「ほんと? 仕事、いっぱいたまっているじゃない」
「言い訳をしていいのなら。あの書類は城にいる場合は毎日きちんと片付けているんだ。ただ、同量の書類が積まれるだけで」
「だから、その時間っていうのをわたしが奪っていいのかってこと」
「誰も悪いとは言わないよ、シャルロッテ。なあ、分かってくれ。呼んだ意味」
「誰もなんて知らない。おまえが、って言っているの」
「緊急案件が入ればいつでも飛び立つ。会議は外せん。書類を片付けるのには最速でも二時間は必要だ。
 俺以外は悪いとは言わない。むしろすすめる。だが、俺はいついつ必ず時間を取る、と言い切る自信はない」
「今は?」
「今はいい」
「ならいい」
 シャルロッテは、先に上がってと言った。だがアルフレドはおまえが先に上がれ、それとも二人で裸で脱衣場でお楽しみか? と言った。シャルロッテは怒って先に上がって行った。
「……アホ」

 シャルロッテは言われた通り先に上がると、しっかりとすりガラスの扉を閉めて、身体や髪を拭いた。だから、湯船のあたりからしたほんの少しの声には気付かなかった。
 アルフレドが上がって来る気配はない。よほど湯船を堪能しているのだろうと気配を読んだシャルロッテ、基礎化粧もきちんと施して、バスローブ姿になって大王様が上がって来るのを待った。
 アルフレドがすりガラスの向こうに姿を見せると、ちゃんと配置しておいたバスタオルを取って、
「はいお疲れ様、前は自分で拭いてね」
 と言ってバスタオルを投げつけ、アルフレドの後ろに回ってもう一つのバスタオルで背中から拭いて行った。
 また中途半端なサービスだな、と思うだけにして、アルフレドは決して口には出さなかった。
 するとシャルロッテはアルフレドの足下に跪き、足の五本の指を一本一本丁寧に拭き始めた。親指に至っては、爪まで念入りに拭いている。
「そこまでしてくれるのか?」
「近侍さんにしてもらったら、気持ちが良かったから。どう?」
「ああ。いいな」
 アルフレドの率直な感想だった。

 その後シャルロッテはアルフレドの背後からバスローブを着せ、全身を預けられる籐で編まれた椅子に座らせた。
「髪を拭きます」
「はい」
 アルフレドはここまで長い時間、風呂場にいたのは初めてだった。裸を誰かに見せるなど、いつ以来のことだろう。
 ひとたび責任者となってより、死ぬことだけが許されなかった。奴隷として毎日毎秒殺されることに怯えた毎日から、声を上げたその日より変わった立場。
 皆が大王と綽名する。幾度否定をしても誰も聞き入れはしない。
 助けてくれ。その一言で竜に飛び乗りどこへでも……

「アルフレド、眠い?」
「……いや?」
 アルフレドは目をつぶっていただけだったが、シャルロッテにはそう思われたようだ。
「髪の毛って、どう切っているの? やっぱり専門の理髪店さんに来てもらっているの?」
「自分でこれで」
 アルフレドは悪魔の剣の柄を握って少しだけ上げた。
「肌身離さないんだね」
「そりゃあ、まあ」
 風呂上がりは水分が必要だから、とシャルロッテは受け売りを言って、お願いして用意してもらっていたあの果物味の青汁をアルフレドに飲ませた。
 アルフレドは、色はなんだが美味いな、と言った。同じ感想を持ったようで、シャルロッテは嬉しくなった。毎回これを飲もう、身体にいいからと。

 二人で風呂場を出る。シャルロッテは夜着、アルフレドは日中と同じような格好を。
「寝る前に着替えたいの?」
「違う。緊急案件が入ったらすぐ飛び立てるようにだ」
 その眸はすでに大王そのもので、書類の山に向かって歩いて行った。