5

 シィことシャルロッテは緩慢に起きた。もういい加減、ここが長屋でないことは分かった。いかに環境が激変したとはいえまだこれでも二十代、慣れるのにそう時間はかからない。
 寝室をそっと出ると、そそくさと風呂場へ向かった。歯を磨き、顔を洗う。本日も実に清楚な格好に着替えて出る。
 二人掛けの椅子の前のテーブルには、たった今つくりたてであろう朝食が並んでいた。
「おはようございます、シィさん」「ご機嫌はいかがですか?」
 呼び方は変わったものの、扱いは変わらず。
「おはようございます、近侍さん」
「近侍にさんは要りませんわ」
「なんとなくです。お嬢様扱いは結構です」
 いただきますをしてまずはスープをいただく。誰が聞いていなくても、スープ作りの蘊蓄を語るのを止められないシャルロッテは、それを充分やりおえてから言った。
「どちらからか椅子を持って来て、座ってください。片膝を付かれてお食事をいただくなんて、まるでいなくなったはずのお嬢様扱いをされているようで嫌です」
「お断りをせざるを得ません。我々は一昨日まで、この間(ま)に入るのも禁じられておりました。家具類に口を出すことなど許されておりません」
 なんとお固い。
「近侍さんもお嬢様なんて、嫌いでしょう?」
「昨日までその言葉を遣ってしまいましたので、答えかねます。どうかお許しを」
 間違いなく嫌いではあるようだ。
「分かりました。もうそのことについては言いません。言われたのを忘れることにします」
 ずっと引きずるのも嫌だ。
「ありがとうございます」
 嫌なことを言われても忘れ続けること。これが行き遅れて学んだわずかな知恵だ。

 食べおえると、食後の茶が出された。
「今日は、どうなさいます?」
 予定を訊かれたシャルロッテ。
「ないです」
 即答した。理由は簡単、なにも知らないからだ。
 だからこの答えと分かったのだろう。色々考えてくれる人達だ。こんな提案をされた。
「城内の、行ける所を散策なさいませんか?」
「なるほど」
 何度か泊まらされた館とて、見て回ろうと思わなかった。だがここまで広い建物になど来たことはない。住むというなら、それならば。
「分かりました。ついて行きます」

 近侍は説明をした。城表・城中・城奥の他に、城にはもう二つ区画がある。屋上と地下だ。
「城表にはお連れ出来ません、お許しください。理由は、むさい武人と頭の固い文人(ぶんじん)がうようよいますのでそれを避けるためです。大王様ならお連れすることもあるかと思います。
 王の間・城奥はシィさんはどちらにでも行けます。ただし広いので、お一人だとおそらく迷子になります。その場合、どこにでもいる甲冑を着て槍を持った我々と同じ七軍の兵士がどこへなりと誘導します」
「遠慮します」
「屋上につきましては、最上の位置にある物見場にお連れしたいところですが、大王様とご一緒なさいませ。この城においでいただいた時に降りた発着場は本来は大王様専用です、ただ一度の例外です。
 地下には特権階級があり得ないほど溜め込み、現在は国家行事の礎として大陸の民のために使い続けている金銀財宝がございます。十年以上あれだけ箱物をつくり続けてもまだ余りあります。この先もしばらく民に税金を課すことはないでしょう。ご覧になりますか?」
「いいえ」
「では、まず屋上に参りましょう。最上とはいわずとも、城周りを一望出来る場所がございますから」

 なんて広い。シャルロッテのひもじい語彙ではそう表現するしかなかった。
 屋上から見える城の周りは人でいっぱいだった。なんたる大都会、田舎者には眩し過ぎる。
「広いし、人がたくさんいるんですね」
「そうですね。やはり、そうなりますね」
 おつむの回らないシャルロッテ、言い方が気になった。そうなるって、なるに決まっているではないか。
「なにかご不満なんですか? 人がたくさんいると」
「やはり城を建てると、そこにばかり人や物が集中して、大陸の端は寒村になってしまうな、と」
 言われれば同じ考えだ。シャルロッテは思う、この女性は間違いなく寒村の出身だ。
「ご存知ですか? 大王様は城が大嫌い、大都会も大嫌い。運営や施策を全て臣に委ね、一切なにもご指示をなさらないのですよ。今お出掛けですが、決して大都会には行きません。必ず飛び越えて以前でいう、地方にだけ向かわれます」

 王の間に戻る。二人掛けの椅子に座り、茶を淹れてもらう。
「大王様がいないのなら、わたしはここにいるべきですか? それとも家、城奥に行った方がいいですか?」
「それはさすがに大王様におたずねなさってください。最初、我々はシィさんは城奥に住まわれると聞いておりましたので」
 確かに、昨日のアルフレドとシャルロッテの会話の成り行きで、仕事部屋に行こうとなっただけだ。なんでも知っているわけではないらしい。
「大王様はやっぱり、全然全く城にはいないんでしょう?」
「二年前まではそうでしたね。お嫌いだからということもありましょうが。我々に言わせれば、聖山キュロスより高く多い法律を次々と考案、施策なされたのです。一人の人間であることに違いはないのに、どこにそんな時間があるのやら……」

 それから四日後、夕刻。
 かんたん大陸旅行ガイドブックをながめていたシャルロッテに、このような報がもたらされた。
「大王様、ただ今ご帰還です」
 この一言で、周りいた三人の近侍は立ち上がって失礼します、と言い退室をした。
 誰もいなくなって、しばし。
「なあ……入っていいか?」
 鷹揚でいて明るく、かつ情けなさも含む声がした。シャルロッテはため息をついた。
「はい!!」
 この部屋は広いのだ、大きい声だと分厚い扉の向こうにも聞こえるだろう。叫んでやった。
 すると、そろそろと扉が開かれる。大王様なのに、手ずから扉を開けている。シャルロッテが通る時はいつも門番が四人がかりで重そうに開けるのに。
「おかえり」
「ただいま」
 手ずから扉を閉めた大王様は、綽名されるに相応しい足取りでやって来て、シャルロッテの隣に座った。
「寂しかったか?」
「ううん」
「そこはうんって言うところだぞ」
「忙しかったんでしょう?」
「ううん」
「そこはうんって言うところだよ」
 この時間だと、ややしばらくすれば夕食が出て来る頃だろう。

 アルフレドは気を遣って水浴び程度はしただろうがそれまで。絶対寝ていない。ちゃんと食べているかどうかもあやしい。
 今こそ大王様へのご恩を返す時よ。さあ頑張るのよ、シャルロッテ!
 あのね、と言おうとしたらアルフレドが口を開いた。
「シャルロッテ。デートをしよう」
「はい?」
 突飛な言葉が耳に突き刺さった。
「デートもしたことのない哀れな男に付き合ってくれ」
「えっと……ひょっとして」
 シャルロッテは本当に学がない。目の前にいるのは最も難解な敬語を遣うべき一番偉い人なのに、奴隷時代あれほど他人に媚び諂って命令を聞き続けてきたのにこう言った。
「おまえ、童○大王?」
「それは言っちゃいかんのと違うか? 違うわ!」
 シャルロッテは、ちゃんと一部を伏字としてあげた。
「すると、相当おモテになったと」
「なんだ焼きもちか。それならそうと言え、冷や汗をかいたわ。……ちゃんと少年時代に済ませました。これ以上は言わせないでくださいお願いします」
「モテたでしょう?」
 振られまくったシャルロッテの僻みであった。
「んな暇ねえよ」
 そういえば。
「あんまりお城にいなかったって聞いた」
「あんまりどころか全くだよ。なんとか権力委譲をしまくって、やっとおまえを呼べた」
「権力」
 なんと、この男らしくない言葉が出て来た。
「おまえ、権力なんて言葉、遣うの?」
「責任者には結局、そういう力があっちまうんだよ。
 嫌いだから持ち続けたくなかった。大臣、将軍、有識者に決定権を最初は少しずつ、今ではたっぷり委譲している。おまえがやけにビビっているあの書類の山だって、決済を待っている書類じゃない。目を通せばいいだけの報告書だ」
「え……」
 学のないシャルロッテ。てっきり大王様でしか決定出来ない内容の書類の山だと思っていた。
「じゃなきゃただ積んで置いていくわけがないだろう」
「なるほど」
 しかしすごい量である。これを見て、圧倒されない者が果たしているだろうか。
「それはいいんだ。なあ、デートしてくれよ」
「忙しいんでしょう」
「時間なんて作るもんだよ」
 どこにそんな時間があるのやら……大王様とご一緒に……次々と施策・法律を……
「……いい。よ」
 するとアルフレドは身をかがめて力こぶしを作った。余程嬉しいらしい。
「やった。どう拝み倒してうんと言ってもらえるか考えていたが意外とすんなりいった。もうすぐ三十路のいい歳こいたオッサンだが、頑張ってエスコートをしよう」
「そこは内心で思っとくとこじゃない?」
「おまえはデートをしたことがあるのか?」
「ふふん」
「……なんだよ。経験者かよ。悪かったな、そんなことさえ出来ない男で」
「アホ」
 アルフレドはもう少し、自分の自慢をしてもいいのに。そう、シャルロッテは思う。
 全く話が合わない。この男がこれまでやって来た二十年間と。目の前の発言、仕草、態度と。
 まるで合わない。
「振られ続きでデートどころじゃありませんでした。どうせ行き遅れですよ」
「おまえは○○ですか」
 アルフレドはちゃんと全部を伏字としてあげた。
 シャルロッテはそんなアルフレドをぶん殴った。両のこぶしを握り、大王様をぽこぽことぶっ叩いた。なお、シャルロッテの握力は10kgあるかないかで、アルフレドは左右どちらの片手でもリンゴが握り潰せる。
「デートなし」
「お許しください。なんでもします。三回まわってワンと鳴きます」
「鳴け鳴け。なしだから」
 結局、デートをして上げるという話で落ち着いた。