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 シャルロッテは、お昼になるまで時間があるだろう、仕事をしてくれと懇願した。
「おまえが頼むならするけどな。訊きたいこと、言いたいことが鬱憤が溜まるくらいたくさんあるんだろう? やっと呼べたんだから、もっと俺と会話をしてくれよ。すぐに仕事をしろなんて、つまらねえなあ」
 シャルロッテは無視して、仕事部屋内を探索し始めた。そして決めた。アルフレドには仕事をしてもらう。自分はその小間使いなのだと。
「全く。おーい、聞いているのか?」
 近侍にやってもらったように、快適に過ごしてもらおうとお風呂のあたりもうかがうシャルロッテ。タオルはここ、服はここ、青汁を用意してもらって。これが汲んでいた水道水か?
「ねえアルフレド、なんでお茶を今まで淹れるよう言わなかったの? 忙しいんだから……」
 広い風呂場からひょいと顔を出してシャルロッテが訊くと、アルフレドはすぐそこにいた。言われても仕事をする気にはならなかったらしい。
「毒殺の恐れがある」
 腰の獲物は、大王の身体の一部のようだった。

 お昼の時間まで、二人。会話をした。
「じゃあさ、シャルロッテ。家に住んでもらおうと思ったが、せっかくだからこの仕事部屋で過ごしてくれよ。
 おまえのいいタイミングで、いいと思う茶とやらを淹れてくれ。悪いが飲み物は川の水か水道水くらいしか知らないんだ。俺が城にいる時は一緒に飯を食ってくれるんだろう? 夜は確かに早くは寝ないさ、だが努力はする」
「他にご要望は……」
 シャルロッテは下を向いて、小声で返した。
「そう驚かないでくれよ。城ってやつは建ててしまえばそんなものだ、悪いが慣れてくれ」
 随分、酷なことを言ってくれる。シャルロッテは無理だと心の中で即座に思った。
「午後は臣達と会議でほとんどいない、ここで寛いでくれ。よかったら大陸旅行ガイドブックでも見たらどうだ? 行きたいところがあったら連れて行くぞ。こう見えても飛行類が呼べる」
 大王こそが一番の乗り手であることは、大陸の皆が知っている。
「……臣達ってなんですか」
 それだけが聞き慣れず、耳に残った言葉だった。
「将軍、大臣、有識者」
「……ひょっとして、臣下さんのことですか」
「俺の大嫌いなわるいおうさまはそう呼んだな。なあ、俺は下とか官とかって言葉が大嫌いなんだ。もう上も下も官もない。あるのは大陸の民。それだけだ。様もないぞ」
 シャルロッテは、どこか行きたいところがあってもアルフレドにだけは決して同行を頼まないと誓った。

 お昼ご飯が用意される。
「すごいなおまえ、こんなのを食っていたのか?」
 天下の大王様がなぜか小声で寒村の行き遅れに囁く。理由は周りに近侍が複数いるので聞かれたくないからだ。
「大王様に、素敵で素晴らしい食事をお楽しみいただきます」
 シャルロッテはアルフレドの意に反し、近侍によく聞こえる声で言った。
「みなさん、お風呂場にあの青汁を準備してもらえますか? 大王様にゆっくりゆったりお風呂に入っていただきたいので」
「かしこまりました」
 近侍は晴れやかな笑顔でシャルロッテに答える。
 この人達が大王様を毒殺なんて、あり得るわけないじゃない!
 と、シャルロッテは思ったものの、その人達が男を自分に襲わせると疑いもしたのだ。人のことは言えなかった。
 近侍が仕事部屋を出て行ってから、二人でいただきますの挨拶をした。まずスープに口をつけるシャルロッテ。
「うーん美味い! これはねえ、コーンの皮を濾すのが大変で……」
 シャルロッテがへたな蘊蓄を披露するのを横で聞きながら、アルフレドはほお、ふうんと言いながら食べていた。シャルロッテにではなく、こういう種類の食べ物が存在するのだ、という意味だった。食事の質は、館で出されたものとほぼ同等だった。

 昼食後、二人はお風呂場に行って、歯磨きをした。口を拭くため、アルフレドはタオルの端をシャルロッテに渡した。そして自分はもう片方の端で口の周りをぬぐった。
「俺はこれからたのしい会議だ。おまえは寝ていろ」
「はい?」
 確か、ガイドブックがどうのと言っていなかったか。あれはどうなった。
「おまえは昨今環境が激変した。襲われるかと思って、城に連れて来られて誰が出て来るかと怯えていたんだろう? 横になれば熟睡するぞ。そのくらい疲れているはずだ。
 いいから寝ろ」
 シャルロッテは頷いて、仕事部屋内にある寝室へと向かって、大人しく夜着に着替えて眠った。
 アルフレドは仕事部屋を出がしら、こう呟いた。
「そんなに治安の悪い施策をしていたかな、俺……」

 シャルロッテはあれから、寝室を閉め切って真っ暗にすることを嫌い、扉を開けて足下を緩やかに灯らせていた。
 自然に目が覚めるまで寝て、起きると外は夕暮れのようだった。心が本当に疲れていた。ほとんど誰とも会話が、言葉が通じなかったのだ。
 起き上がって、もぞもぞとベッドを出る。
 つい先日まで、シャルロッテのねぐらは長屋で、いわゆる畳一畳分しかなかった。今いる寝具は大きくて、足を投げ出してもはみ出ない。
 ベッド脇に置いてあり、吊ってある下着・服一式を身に着ける。最初の館の時からずっとこうだった。せっかくもらった退職物だが、あの中身をここで着ようとは思えない。
 シャルロッテは二人掛けの椅子に座った。これからどうすればいいのだろう。
 すると、扉をそっと叩く音が聞こえた。
 アルフレドはこういう、気を遣った入室をするのか、と思っていると、
「失礼します」
 入って来たのは三人の近侍だった。手に茶を淹れるセットや盆を持ち、にこやかな笑顔で近付く。
「お休みの後は、水分補給が必要ですから。お茶でもいかがですか?」
 どうせ問いかけても答えないだろうし、そうせざるを得ないに決まっている。はい、とだけ返事をした。
 立派なテーブルの上にはいつも複数の茶葉が並び、いつも違う種類の茶が差し出される。
 シャルロッテが一口つけると、
「大王様は、三日はお帰りになりません。シィさんには、ゆっくり寛いで、お休みになってくださいとのことでした」
 近侍は三人とも、片膝をついてシャルロッテに伝えた。
「三日……」
 さすがに絶句した。
“やっと呼べたんだ”そう言って、すぐに城からいなくなる。
「そこまで激務なんですね」
「はい」
「今日は、答えてくれるんですね」
「大王様より先んじて、なにかを言うわけには参りませんでしたので」
「今日はお嬢様呼ばわりはなしなんですね」
「大王様から、呼び方を考慮せよと命じられましたので」
「他に大王様はなんと?」
「なにも」
「なにも? 三日帰らない、とも言ったんでしょう?」
「いいえ。呼び方を考慮せよ。これだけです」
「それで、どうやって三日帰らないって分かるんですか?」
「我々も軍人ですので」
 近侍は言った。自分達は大王軍のうち、第七軍と呼ばれる軍に属する軍人だ。
 普段は単に七軍(ななぐん)と省略されて呼ばれている。業務内容は大王様の警護、城の警備。よって、大王様の予定・情報は七軍にはある程度周知されている。私事まで全てではないが。
「ゆっくり寛いで、お休みに、も七軍さんは知っているんですか?」
「いいえ、我々近侍がそう判断して言いました。理由は、シィさんは環境が激変しています。ここに慣れていただくためにも、まずはお休みになった方がいいだろうと思いました」
 いい歳なのにさっきまで午睡していたシャルロッテ、全くその通り。
「三日はあくまでおおよそです。都合は先方だけが知っています。それ以上になるやもしれません」
 そう言って、名乗らない近侍はテーブルに「かんたん大陸旅行ガイドブック」を数冊並べた。
「お出掛けになって、買い物をして、お洒落をして。そういったことも、よろしいのではないでしょうか」
 シャルロッテは飲みながら思った。確かに、そうした女性達がいることは知っている。だが下働きしかして来なかった。クビではなく自分から退職をして、技能を習得してもっと給金を得て。そういう努力をして来なかった。
 そんな自分が。たまたま小さい頃からの知り合いがこれだけ偉くなった、というだけでそんな贅沢をしていいものだろうか。
 答えは決まっている。
「する気ありません」
「そう仰らず」
「全部お金がかかることです。向こう一ヶ月分の生活費しか持っていません、稼げませんでした。分を過ぎたことをしては大王様に滅ぼされます。今どきの子どもは皆そう親御さんに言われますよね」
 よく言う、いい子にしていたらサンタさんがプレゼントをくれるよ、のあれだ。
「大王様とご一緒に、ですよ。お金の心配など」
「大王様は無給と言っていましたよ」
「財産は一銭もない、とも仰っていましたか?」
 なんと、そういえばその通り。
「……どこまで知っているんですか?」
 ガイドブックを差し出したことにしても、これではまるで、今日のアルフレドとシャルロッテの会話を全部聞いて知っていたかのようだ。
「こうでないと、近侍は務まりませんので」
「大王様はしばらくいないということですよね。
 わたし、連れて来られてからなにも聞かされない、言ってもらえない、不安でいっぱいです。お忙しい大王様のお時間を取らせるなんてもっての外です。出来れば皆さんにお訊きしたいんですが?
 答えてくれないと走ってここから逃げますよ」
 女性達はにこやかに笑った。
「答えてくれないっていう意味でいいですね?」
「職務上、全ては答えられません。それはお許しください。ですが、不安に思われていることは重々承知しております。出来うる限りお答えします」
 こんな答えは初めてだ。だったらと思い、質問をした。
「大王様は偉いのに、無休無給でご飯もお風呂も睡眠も酷い有り様みたいじゃないですか。おそばに仕えるというのなら、この辺をとっくにどうにかすべきだったんじゃないですか?」
「その通りです。我々七軍だけでなく、武人文人有識者、全てが反対をしていました。全く受け付けてもらえませんでした。
 シィさん。我々がこの王の間に入ったのがいつからか、ご存知ですか」
 質問に質問で返すとは。シャルロッテは頭が回らない、環境が激変して疲れているというのに。
「おうのまってなんですか」
「この空間のことです」
「仕事部屋って言っていましたよ」
「大王様は築城に反対なさっておりましたので、正式名で呼ばれることすらないのです」
「いつからって、なんでも知っているようじゃないですか。築城? その時からでしょう? なんですかこの質問」
「今日です」
「はい?」
 本当に、シャルロッテと近侍は話がかみ合わなかった。

 近侍は説明をした。
 築城自体に反対をした大王様は城に名を付けることにも反対をした。なんなら悪魔城と名付けろ、そして私を滅ぼせと言い放った。臣達は命名を諦めた。
 城の区間を、城表(しろおもて)、城中(しろなか)、城奥(しろおく)、の三つに分けた。城表は臣達の勤める場所、城中は王の間を始めとした執務の場、城奥は大王の私室。
 城奥は男子禁制。王の間はつい昨日まで女人禁制。
「シィさんがいらっしゃる時だけ我々近侍が入室出来ます。大王様だけですとこの先も厳格に女人禁制です」
 シャルロッテはガイドブックに目を落とした。だが、中身を見ようとはしなかった。
「大王様は城のどこでもノックをなさいません。ただ、シィさんがおいでになったのだから、これからは変わる可能性がありますね」
「そんな無駄な配慮をしてほしくないです」
「大王様の食事・入浴・睡眠、全て我々近侍はつい昨日まで一切見ていません。これで答えになりますか?」
 シャルロッテはお茶を飲みおえて、溜め息をついた。
「……分かりました。じゃあ、お願いがあります」
 夕食をいただき、お風呂に入れてもらい、シャルロッテはベッドにもぐった。午睡などをしてしまって、また、へんに興奮をして寝つけなかった。
 なぜ今、自分がここにこうしているのか? 眠れない時、人は色々と考えてしまう。するとますます眠れなくなる。
 そう、あれは約二十年前のこと。