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 相手は立ち上がり、シィことシャルロッテを誘導する。ゆったりと鷹揚に歩く。入って来た扉が再び開かれ、シャルロッテは胸の鼓動を高鳴らせながら、おっかなびっくりついて行った。
 城の中に入ると、
「きゃあ!」
 だだっ広い廊下の両脇に、兵士がずらりと並んでいた。全員が甲冑を着ており、槍を片手に城内を守っている。
 槍の先は刃だ。刃先がこちらを、シャルロッテに向かってギラリと光る。
「そういう時は、俺にしがみつけよ」
 相手はシャルロッテが兵士に怖がったとすぐに分かったのだろう。片手を上げるといった仕草はなにも見せなかったが、兵士達は一斉に槍を背後に隠した。
「おまえに向けているわけがないだろう」
 そうは言われても、田舎者の、寒村の女はこんなにたくさんの兵士を一度に見たことがない。刃物を自分に向けられたら誰だって怖い。奴隷時代を思い出す。あれで皆殺された。ビビるし怖がるし震え上がる。
「ほら、来いよ」
 鷹揚な眸がシャルロッテに向けられる。他に知り合いはいないのだ。動かない、疼く足に必死になって命令をして、なんとかついて行った。
 すぐ後ろまで歩くと、相手は隣を、という視線を向けた。意味が分かってしまうシャルロッテ。仕方なく隣に並んだ。
 あとは二人、シャルロッテの歩調で歩いた。

 迷路とまでは言わなくとも、広い広い建物内。ただ歩かされて、ずっと不安なシャルロッテは、質問を口にした。
「ど。……どこに行くの」
 今の自分がどういう状況にさらされているのか、考えず言った。
 だが、しまった敬語を遣うべきだった、と思うよりも前に、答えが返って来た。
「ほとんど行ったことがない家」
「はい?」
「こんなもんは建てるなと言ったからな。反抗心丸出しで、わざと行っていないんだ。今日で二度目、くらいか?」
 とても軽く言われた。
「それって、どこ?」
「家じゃないのか?」
 あの、見知らぬ女性達となら会話が成立しなくても仕方なかろう、全員初対面なのだから。だがこの男は違う。
「ちゃんと答えてよ」
「家だよ」
「ここ、……お城、だよね?」
「らしいなあ」
 やはり城で間違いはないらしい。しかしこの言い方。
「すっごい他人事みたい」
「他人事だ。俺は建てるなと反対をしたんだからな」
 久しぶりに会った男の横顔は、一見柔和だ。だが、見るたび威が増している。
 変わらないのは口調、飾らないこと、自分を大きく見せないこと。
 そういえばとても忙しい……
「あ! あの!!」
「なんだよ」
 相変わらず恵まれた体形だ。シャルロッテは話す度に結構上を向かなくてはならない。
「おまえ、忙しいんでしょう? わたしなんかに構わないで、とっとと仕事をしてよ!」
 言って足が止まった。しまった敬語を遣うべきだった。なにせこの男は、
「やっとおまえを呼べたんだ。ちゃんと時間は取ってあるよ」

 しばらく歩き、幾重もの重い扉をくぐって、家とやらに入居した。
「わあ……」
 質実剛健。今までのなにものとも比べようのない内装。広く、ゆったりとしていて、床は絨毯敷きで、シャルロッテなどが雑巾で拭きようもなかった。
「頼むから気に入ってくれ」
「へんな言い方」
 はっとなった。そう、敬語で話さなくては。
「あっ、気に入りましてございます!」
「普通に話せよ」
 相手は部屋の、陽当たりのいい所にある二人掛けの椅子に座った。隣に、ということだろう。シャルロッテもそうした。
 見たことのある、体格のいい女性達が茶の準備をする。ああ見たことのある風景。シャルロッテはなんとこれに慣れてしまって、ほっとしてしまった。人間、環境が激変すると慣れた現象に安心を求めるものだ。
 二つの美しいカップに液体が注がれると、女性達は静かに退出して行った。
 一口つけるべきだろう。そして話、いやさ会話をすべきだろう。だから飲んでから、カップを置いて言った。
「あの……」
「なんでも聞くぞ。言いたいことがたくさんあるだろう」
「訊きたいこともたくさんある」
「ああ、いいさ」
 シャルロッテは考えながら、言った。

「ここ、どこ?」
「城だ。俺が建造に猛反対をして全員に無視された、現在では大陸で唯一の、な」
 一部意外な答えが返って来た。
 解放記念日以前なら、城は別荘と称して大陸のあちこちにあった。それらは大陸のど真ん中、大都会に聳え立つ悪魔城に比べれば小さかった。地方にあること、規模が小さいことを恥じたのか、特権階級は徐々に別荘に行かなくなった。王朝の時が経つほど、誰もが広大過ぎた悪魔城の敷地内に城館を構え、門外から出なくなった。
「悪魔城を大陸の民皆で破壊した後、あそこは更地の荒れ野原にした」
 その当時は誰も彼もが、皆で悪魔城を壊しに行こう! そう言って、一番の田舎にするため元大都会へ行ったものだ。老いも若きもこぞって参加をした。誰もが、自分に溜まった澱のような怒りを破壊するため、支給されたつるはしをふるった。給金が出た時、皆泣いた。
「あの後、武人・文人・文化人・有識者が集まる場所は必要だ、と言われた。掘っ立て小屋かプレハブでよかろうと言った。せっかく城を壊したのに新たに造るとは、結局はわるいおうさまをやっつけて別なわるいおうさまが君臨するだけじゃないか。誰にそう説いても全員に無視された。せめて、大陸の民と生まれたなら一度は見たい、そこまで言われる建造物にしろと言った。それだけは聞き入れてもらえた」
 まさにその通りの建造物。ここは皆の思い入れの詰まった城。
 だからこそ、変化を疎んじ、破壊行為に参加もせず寒村から出ず、ひたすら昨日と同じ行為を繰り返していただけのシャルロッテは、当初からの質問をぶつけた。
「なんでわたしが呼ばれたの」
「逢いたいからだよ。たまにとか、数年置きとか、もう嫌だったんだ」
「おまえ、毎日お城にいるわけじゃないんでしょう」
「鋭いな。その通りだ。実はほとんどいない」
 シャルロッテは、もう一口つけて、考えて言った。
「わたし、なにをすればいいの。下働きくらいしか出来ないよ」
「ここに住んでくれ」
「はいって言った。現在住んでいます。それからは?」
「寛いでくれ」
 シャルロッテに答えや会話がぽんぽん言える脳はない。考え考え言わなくてはならない。
「他には?」
「以上」
 カップの茶を飲み干した。

 大きなガラスからお陽様が射している。昼前のおやつ時というのが分かる。
「おまえ、忙しいんだよね」
「まあな」
 それどころではない、なにせこの男は、
「大王様だもんね」
「俺はただの、わるいおうさまをやっつけた責任者だ。現在も責任を取り続けている。それだけだ」
 だからそう呼んでくれるなと、大王は言った。
「じゃあ」
「ん?」
 いったん視線を外して、散々彷徨わせてから、シャルロッテは呟いた。
「……アルフレド」
 大陸の民は、皆この名を知っていながら誰もそうとは呼ばない。ひとしく敬愛を込めて、大王様と綽名する。
「なんでわたしのこと、シャルロッテって名付けたの」
「悪魔城攻略戦の前に、特権階級どもは既にその体(てい)を成していなかった。だから責任者の俺は法律を作り、施策した。奴らだけが握って、俺達奴隷には渡しもしなかったあらゆる権利を行使した。戸籍法もその一つだ。名前、名字。望む生年月日。住所。
 おまえはシィだから……よし、シャルロッテにしよう! こんなもんだ」
「アホ」
 あの女性達が聞けば卒倒するであろう内容。これが、二十年前から続く二人の会話だった。
 環境の激変に困惑するばかりのシャルロッテは、慣れた事象に安住を求めた。会話の仕方もそうだ。学がないのに一番偉い人との会話法など知らない。普通に話せと言うし、大王様と呼ぶなと言うし、だったら、この空間には二人しか居ないのだからとシャルロッテは続けた。
「あの、わたしを取り囲んだ女性達はどこのどなた様ですか」
「様と呼ばれる者はもうこの大陸に存在しない。あの女性達は近侍だ」
「きんじってなんですか」
「普通に話せよ」
 アルフレドはどこから出したかメモ紙に“近侍”と書いてシャルロッテに見せた。
「立派な字だねえ! 教科書に出て来る字みたい」
「学校に行ったか?」
「すみません」
「おまえのそばに仕える人のことだ」
「つかえる。なんでしょう、どういう意味ですか。大王様の法律を無視して学がありません、すみませんが教えてください」
「普通に話せ。あの法律は強制じゃない、構わないが後で苦労をするぞ。字は、責任者だから必死になって習字をした。
 仕えるとは、今までおまえに接したようにこれからもするということだ」
 すらすらと言うアルフレドはため息をつき、
「……どこぞの男に襲われると思わせてしまって、すまない」
 シャルロッテはそっぽを向いた。あの件については未だに引きずって怒っている。
「嫌になったか? それでもここに住んでくれよ。はいって言ってくれたじゃないか」
「言ったけれど、怒っています。誰もなにも答えてくれないし」
「驚かせようって、それだけだよ」
 なんと、たったこれだけがシャルロッテの知りたかった答えだったようだ。
「驚かせ過ぎです!!」
「悪かったよ。謝るよ。許してくれよ」
 こんなものが偉大な大王様と寒村の行き遅れの会話とは、誰も思うまい。
「住めって言うのにはいって答えなきゃ、どうしていたの」
「拝み倒す」
「はい?」
 やけに力強く言われた。眸が獲物を狙う猛禽類のようだ。
「拝み倒す。頼んで頼んで頼みまくる」
「つまり、はいと言うしか選択肢はないと」
「あるぞ。俺が猛反対をして全員に無視された、別荘こと緑の館ってのがあるんだ。そこに住んでもらって」
「結局住むんじゃないのよ」
「そうなるな」
 シャルロッテはお陰様で、クビと言われて人生終わったと思いましたよ。とは言わないでおいた。武士の情けだ。
「脱線するけれど、緑の館ってなに? おまえ、大王様なのになにか聞けば随分反対されてばかりだね」
 偉い人はいないといっても、大王様が偉い人ではないか。だったら皆が平身低頭で大王様の命令を聞いているものだと思っていた。
 実態は、本人に逢って訊き出せば、思ったのと全く違う答えばかり。
「緑の館とは別荘、保養地だ。
 言うは易いが建造費・維持費ともに大層かかる。いかにもわるいおうさまじゃないか。猛反対をして全員に無視された。反発した俺は一度も行っていない。
 多分ここと大差はない。ただ、設計士が違うから趣も違うだろう。
 反対されてばかりの大王様なんてお笑い草だ。おまえだけはそう呼んでくれるな」
 シャルロッテは、だったらそうしようと頷き、心に決めた。時折口には出るだろうが。
「近侍さんって、何人いるの」
「さんを付けるなよ、肩書きだ。言うとプレッシャーになるだろうからノーコメント」
 そうならば、敢えて深くを訊くのは止めにした。
「なんで近侍……わたしはさんを付ける。近侍さんは誰も名乗らないの? 失礼じゃない? お嬢様ってなによ。
 聞いたところによると、大王様はやっつけたわるいおうさまが大嫌いで、同じことをするなら死んでやるって宣言をしているっていうじゃない。皇族や貴族のお姫様・お嬢様・お坊ちゃまの生き残りを見つけたなら、その有名な悪魔の剣で叩き斬ってやるって宣言をしたとも聞いたけれど?」
 アルフレドも茶を飲み干した。
「随分、鬱憤が溜まっていたんだな。謝るよ。許してくれよ」
「答えによってはね。頭に来たらこんな城走って逃げてやる」
 充分頭に来ているシャルロッテ。これが出来たらどれだけいいか。とてつもない解放感を得られるだろう。きっとここ最近で一番安心出来るに違いない。
「止めてくれ。寿命が縮む」
 アルフレドは、賄賂としてなにか食べたいものがあったら差し出したいとお伺いを立てた。シャルロッテはきっぱりと断った。
「近侍が名乗らないのは。
 俺の大嫌いな特権階級で、女官と呼ばれた存在がいたのは知っていただろう?」
 シャルロッテはこくんと頷いた。朧げに聞いた噂話上の女性達。近侍さんがそういう役割なのかな? そう、なんとなく考えた。
「そういう女性達は古今東西、どの王朝にもいただろう。決まって、勤める年数が増えるほど発言権を増して行く。ついには主に意見をするほど偉い立場になったと勘違いをする。これで滅びた王朝さえある。別に、俺達が倒した奴らだけじゃない。例は枚挙に暇がない。
 だからこれからも、近侍には個を主張させないため名乗らせない」
 シャルロッテはそんなこと、一つも考えられなかった。
「お嬢様、か。そりゃ大嫌いだよ。ああ斬るよそんな奴がまだ生き残っていたらな。
 おドレスは誰が縫った? 優雅なシャンデリアは誰が作った? 豪奢な食事は誰が作った? 実戦に役立たない宝剣は誰が作った?
 奴隷が何十人と徹夜で作っても気に入られなきゃ皆殺しだ!!」
 ドレスのお針子を始め職人、技術者と呼ばれるべき奴隷達は、命じられる時今すぐ作れと必ず言われた。納期を守れなければ周囲を巻き込んで皆殺しにされた。その時点で、その流派の文化は断絶した。
「おまえの名前は俺だけが呼びたいと近侍に言ったからだ」
「それで、わたしの名前をつけてくれた時に、誰にも教えるなって言ったの?」
 戸籍法の制定は大陸の民に一斉に通知された。悪魔城攻略戦の前だ。
 それまでの奴隷の呼び方など単なる通り名だった。たとえば、アルフレドより歳が上そうだからセンパイ、それより下そうだからコーハイ、などという者もいたのだ。
 だから皆喜んで名付けた。思い浮かばない、どんなのがいいか分からないという者もいた。そういう時は、滅多にいなかった町一番の知恵を持つ老人に付けてもらったりしていた。
「そうだ」
「おまえ、お嬢様なんて言葉、大嫌いでしょう。わたしもなんだけれど」
 性奴隷になるしかない女奴隷にとって、お姫様お嬢様という対極にある存在は憎悪怨嗟の対象でしかなかった。
「なるほど。考慮しよう」
「悪魔の剣って有名過ぎるけれど。それ、なのよね」
 二人用の椅子の右側に座るシャルロッテからは見えない、左の腰にさげられた獲物。
「ああ。見るか? さっきの反応じゃ、刃物は見たくなさそうだが」
 そう言って、アルフレドは鞘にしまわれたままのそれをシャルロッテに掲げて見せた。
「お願い刃先は見せないで怖いから。……意外と」
「地味か?」
 何故分かったのだろう。そう、実用一辺倒。飾り気は一切なく、かなり使い込まれ過ぎて、これでは一体何年ものなのかも分からない。
「なにせ、わるいおうさまをやっつけよう、と言ってあの村を出て行く前に偶然拾っただけだからな。多分、製造から百年以上は経っている。こいつの本領は刃先を見せてからだ。おまえにだけは向けないから安心しろよ。
 なにを斬っても刃こぼれしない。なにを斬っても切れ味が変わらない。剣を持つ者にとっては最高の魔剣だ。
 見てくれはどうでもいい。いや、この通り地味でいい。歴史絵図でよくあるような、特徴のある外見だと名刺をぶら下げて歩いているようなものだからな。皆油断をしてくれたよ。だから、鞘も含めて魔剣だ」
 アルフレドはそう言って、獲物を元の腰の位置に戻した。よほど慣れているのだろう、目にも留まらぬ速さだった。
「ほかに質問は」
「だから、なにをすればいいのよ。寛げって、やったことない」
「やってみろよ」
「ぼーっとしてろってこと?」
「さっきの薔薇園を散歩するとか」
 シャルロッテは考えた。園内散策だけではいくら広いといってもすぐおわる。
 なにをすればいいか?
 絨毯敷きの建物など初めてだ、掃除の仕方さえ分からない。このままでは立派な食事が出て、また昼寝をしろ、のんびり夕飯の後風呂に入ってマッサージ、寝ろと言われるに決まっている。
 待てよ……
「ねえ大王様? お食事はどんなものが出るの?」
 近侍に数回泊まらされた館で出た食事は見事の一言で、文句など決して一生言わない。ありがたくて涙が出たので、多少会話が合わなくとも、襲われそうだったとしても、だからシャルロッテはぐっと堪えたのだ。
 ここでならさぞ豪奢で王侯貴族のような食事が並ぶに違いない。
 しかしながら、アルフレドはそういうものに拒否反応を持つ男。
「出る? 出してもらったのか?」
「はい?」
 今、なにを言ったのだろう、この男は。
「どんなのが出たんだ?」
「……おまえがわたしを連れて来いって言ったんじゃないの?」
「正確には、なるべく事情を話さず連れて来てくれ。だ」
「名前がどうのっていうのは?」
「おまえに名付けた時点で近侍に言っていた。呼べたあの時には言っていない」
 では、十年以上前の話となる。それでお嬢様か。
「じゃ、最初に歩いて、とか、館に泊まって、とか、休んでとか空路とか……」
「なにも指示していない。近侍の判断だ。その責任は全て俺が持つ」
 シャルロッテは全く返答が出来ない。元よりそういう頭のつくりなのに、クビと言われたあの時から、考えて反応しないとなにも言えないことばかりだ。
「待ってね、すぐに言い返せない」
「いいぞ。時間は取ってある」
「どのくらいよ」
「おまえが納得するまで」
 あまり時間はないと見た。
「えっと……そうよ、ここではどんなご飯が出るの? やっぱり大陸で一番豪華なの?」
「そういうのがいいのか? 悪いが俺は豪華だ豪奢だなんてのは嫌いでな」
 話が合っていない。
「おまえがどんなのを食べていたのかって訊いているの!」
「握り飯」
 言葉が耳を突き抜けて、脳内に留まらなかった。
「……それは、お城の外でだから?」
「いや、いつも」
「はい?」
「三食全部握り飯。厨房の料理人を始め全員に反対をされた。そんなに言うなら栄養価ってやつをパンに挟んで持って来てくれと頼んだ。だから、三食全部握り飯とパンだ」
 ここはどこだろう。確か、大陸で唯一の建造物ではなかったか。
 寒村の行き遅れだってこのくらいは知っている。素晴らしい建築様式で、いくら金がなかろうと、人生で一度は訪れるべきと大陸旅行ガイドブックの最初に載っているほどの。
 その、一番上の居住区にいるのではないか? この男は。
「……せめて日替わり定食にしてよ」
 これがシャルロッテが先日まで働いていた食堂で唯一のお品書きだ。それより酷い。
「じゃ、なに。飲み物とかはどうしているの? 近侍さんに今みたいに淹れてもらっているのよね、そうよね、そうだと言って」
「水道水で、そこらのコップで」
 答えに窮した。
「まさか、おまえが汲んでいるの?」
「そうだが?」
 当たり前、いや、それ以外あり得ないとばかりに言い放つ、大陸の大王。
「お風呂とかはどうしているの? ねえ立派なのあるよね、途中で泊まってきたところより大きなの、あるよね、ね」
「あるんじゃないのか? ここのは知らん、反発をしているから見たこともない。城にいる時は、仕事部屋の風呂場でカラスの行水」
 答えに窮した。
「ちゃんと眠って……いる?」
「返事をしない方がよさそうだな、その様子じゃ」
 シャルロッテは立ち上がり、アルフレドと対峙した。そして、びしりと言い放った。
「ご飯はわたしと食べていただきます」
「望むところだ。どう拝み倒してそうしてもらうか、さっきから考えていた」
「お茶、淹れますから。わたしが」
「そこまでやってくれるのか?」
「お風呂でマッサージして上げますから。髪も洗ってあげるし。湯上がりの青汁はいいよ?」
「……そこまでやってくれるのか?」
「あんまり時間がないのは分かっているけれど、添い寝して上げるから。これなら少しは眠ってくれる?」
 その後、二人はアルフレドのいう仕事部屋へと向かった。

 シャルロッテはおっかなびっくり歩いた。やはり廊下には両側に、槍を持った甲冑の兵士がズラリと並んでいたからだ。
「怖がるなよそこまで。慣れてくれよ」
 無理なものは無理だ。シャルロッテはビビって怖がって震え上がり、なかば目をつぶってアルフレドの隣を歩いた。
「しがみついてもいいぞ」
 それだけはなんとか耐えた。
 何重もの扉がノックなしで開かれた先にある仕事部屋とやらは、大王が家と呼んだ先ほどの部屋とはまた趣が異なりつつも、やはり質実剛健な空間だった。
 しかしながら、大きく違う箇所がある。
「まあ座れよ」
 またしても、二人掛けの椅子に二人で座る。
「そんなに気になるか? あれ」
「それは、まあ……」
 おそらく、大王の執務机? と呼ばれるのだろうか、とにかく大きな机と椅子が広い部屋の真ん中にあり、その机の上には大量膨大な書類が所狭し、天井を突き破る勢いで積み上げられていた。
「なんたって貧乏暇なし責任者なもんでな」
「貧乏はないでしょう……」
 解放記念日から、大王様こそが一番の財産持ちのはずだ。シャルロッテはそう思っていた。
「俺は無休無給だ」
「むきゅうむきゅう?」
 鸚鵡返しをして、話について行けないシャルロッテのために、アルフレドはまたしても、鍛練を重ねたという楷書で文字を書いて見せた。
「休み、無し。給、無し……」
「給金無しだ」
 またも言葉がシャルロッテの耳をただ通り抜ける。
「これも全員に反対をされたが貫き通している。でなければ責任者なんか辞めてやる、城なんて走って逃げてやるってな」
「やめてよ……寿命が縮む」
 シャルロッテだけではなく、大陸の民が。
「無休って。おまえ確か、大陸の皆に仕事を適度に休むよう法律を作らなかった?」
 あの法律にはシャルロッテも反対をしたものだ。当たり前だ、時給制なのだ、休んだ分だけ給金は出ない。
 しかし、それだと疲れるだけなのは皆分かっている。もう奴隷ではなくなった、敵はいない。平均寿命が飛躍的に伸びることは自明の理。反発は多かったものの、法律の制定から十年以上。皆、月に数回休むのは当たり前となっていた。
「そのおまえが無休?」
「そうだ」
「無給?」
「そうだ」
「どうやって暮らしているの?」
 それだと、低賃金だったシャルロッテより生活に困窮するはずだ。明日といわず、たった今から。
「俺に呼ばれてからのおまえと同じだよ。
 必要なものは与えられている。水は蛇口をひねれば出る。飯はそこらの草でいいと言ったら全員に反対をされた。風呂なんてそこらの川でいいじゃないか。奴隷時代にいつ屋根の付いた建物の中で過ごした? 今なんかこうだぞ。
 金を遣う余地がない。充分過ぎる」
 悪魔城がいかに巨大とて、大陸に比べればその比率は小石程度に過ぎない。その他の全ての土地には水道などなかった。水道敷設工事も国家事業、老いも若きも参加をした。今でも、蛇口をひねれば水が出るのは奇跡と泣いて喜ぶ老人がいる。シャルロッテがスープが出るたび唸るのと同じように。
「そうやって、いっぱい法律をいっぱい、たくさん、作り続けたの? あの書類の山みたいに」