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 某休日の朝、山本家にて。
「いいい、いらっしゃい、おおお……」
 さ、忠弘。と清子に促され。
「いらっしゃい、姉さんとその他!」

本日のお題「頭が上がらない人物について家族目線で語ろう。ただし当人のいる所でしっかりと」

 先日のゴルフで、忠弘は敗れた。本当に十八ホール全てでオーバードライブをした。ショートホールは二つともスリーパット。対する政人のショートホールは二つともイヤミのようにホールインワン。他は同一スコアだったので、結果六打差。プロなら論外の大差で忠弘は負けた。

「茶でも飲むか」
 政人の言葉に忠弘が詰まる。茶でもコーヒーでもなんでもござれの政人、コーヒーその他に自信のある清子。対して忠弘は料理のりの字も知らない。茶の淹れ方こそ新人研修で習ったものの、それだけ。麻衣子はこの際置いておいて、こう言われれば、先日大差で負けた身としては自分で淹れるしかない。妻の清子にさえ淹れたことがないというのに。
 立ち上がろうとすると、
「細君。台所を貸してくれ」
「……あんたが淹れるの?」
「たまには良かろう」
 許可を得たとばかりに、膝に乗せていた麻衣子をソファに置き、政人はキッチンへ向かった。
「紅茶なら茶葉からないけれど?」
 清子はそちらなど見ず、背に向けて言う。
「全部持って来た」
 メインリビングルームでは、コロコロよちよちと歩く、そっくりな顔をした二人の子ども達が遊んでいた。

「さて」
 政人が、自分で淹れた紅茶を飲み、ソーサーにカップを置いてから。
「次の交流はゴルフ練習場、としないか? 有弘君とレイア君を置いてはおけん、連れて行こう。知人の場所だ、貸し切りにする」
 清子は嫌々紅茶を飲んだ。残念ながら美味いの一言、完璧なタイミング。文句もなにも言えなかった。忠弘も嫌々飲んだ。そしてやはり、なにも言わなかった。
 麻衣子はというと余程飲み慣れているらしく、にこにこと飲んでいた。今にもこぼしそうに。
 政人の提案を、忠弘は受け入れねばならなかった。なにせ六打差、今までで一番の大差だ。ツーサムの相手に二度もホールインワンを決められるなど屈辱以外のなにものでもない。
「私、ゴルフなんて出来ませんけれど」
 勤め人時代は内勤が主、総務一直線だった清子はカップをソーサーに置いた。そしてチラと、姉と呼ぶことに決定された人物を見た。
 どう見ても、そちらさんだって出来なさそうですけれど……?
 忠弘も似たような視線を麻衣子に向けたのを見て、政人が結論を言った。
「麻衣の提案だ」

 先日、今村本家でこのような会話があった。
「ねえ政人。弟君って、会社でどんなことをしているの?」
「ゴルフだ」

 おばかの一言に尽きるこの会話。
「だからどうした」
 確かに政人と忠弘は平日にゴルフをしている。しかし、そんな答え方があるか。
「やってみたいと言うのでな」
 つまりこれは政人の惚気話である。忠弘は顔を歪ませた。聞かねば、その通りにせねばならぬ。ぐっと堪えた。忠弘の無言の反応に、妻は夫を立てた。
「ゴルフウェア、クラブ等々家族分一式。次の休日までに準備をしておけ、忠弘」
 政人の命令に怒り狂ったが、それでも耐えねば。忠弘の、家族を前にしては常ならぬオーラに、妻はやはり夫を立てなければならなかった。

 言われた通りの日に、やって来ました某ゴルフ練習場。
 言われた通りに準備した清子・有弘・レイア用ゴルフウェア。はっきり言おう、似合っていない。一人は初心者、残るは子ども。当然である。
 そしてなんといっても一番似合っていないのが史上最弱の会長夫人である。サイズがぶかぶかなどではない。板についていないのだ。初心者丸出し。
「……おい」
 小声で忠弘が呟く。
「なんだ」
「まさか、手の皮が剥けるまでスイングをさせるつもりじゃないだろうな」
「誰にだ」
 またも言葉に詰まる忠弘。言えと政人は命令をしている。六打差は大きい。
「……ね、姉さんだ」
「そんなわけがあるか」
 初心者がいざゴルフをしよう、という時、まさかいきなりゴルフ場へ直行はない。ゴルフ練習場へ直行が正しい。
 そこではひたすら七番アイアンを振り続ける。一日二日ではない、何ヵ月も。他のクラブなど手にしない、させない。ただ七番アイアンを振り続け、体に覚え込ませる。六番も八番もその後だ。ドライバー? 初心者にそんなものは不要だ。
 これが本来のゴルフへの入り口であるが、そこはあの麻衣子。こんなことが出来よう筈もなく。
「俺のショットを麻衣に見せる。お前は家族に見せる。そして褒めて貰う。これが今日の交流の目的だ」
 またも反論出来ない忠弘。そう妻の、双子の子どもの、家族の前でいい格好を見せたい。欲望をズバリ言われて忠弘は政人から離れた。なにも言えず。

 男の本音はさておき、麻衣子と清子はウェア、クラブ共に揃えて貰った。麻衣子はともかく、清子はさすがに少しは練習とやらをしようと普通に考えた。
 隣で政人が麻衣子になにやら教えていた。あちらはいい、どうせ無体なことはすまい。
「一応、来たし。やってみる。ね、忠弘。どうすればいいの? 教えて」
「分かった、さぁや。手取り足取り腰取り教える」
 清子の後ろで体を密着させて、言葉通りに教える忠弘。他人同士ならば一見ハラスメントのように見えても、実は一度はこうしなくてはならない。
「手の組み方って難しいんだね……」
「うん、それでな」
 言いつつ忠弘とて無体な教え方、つまりは手の皮が剥ける程のスイングをさせるつもりはない。十球くらい振って貰って、ゴルフのスイングを体感して貰って、それから自分のを見せる。さすれば実感を以てより一層「恰好いい」と褒められるとの腹積もりだ。この点に於いては政人も以下同文。

 非力な初心者にとって、慣れないことをたとえ十球のみとはいえさせられるのは大変だ。忠弘は数えて丁度となった頃で清子の練習を止めた。
「どうだ? さぁや」
「結構難しいことをしていたんだね。ゴルフは稀にテレビで観たことがあるけれど、なんだか簡単そうにしていたから」
 プロフェッショナルの技とは、競技種類に関係なくそうと見られるものである。
 初心者なので、打つといってもまず空振り。当たったとしても球の方向があっちこっちに行くのは当然のこと。隣の今村家でも同様だ。そしてほぼ同時に、政人も初心者・麻衣子を止めた模様。

 政人と忠弘が七番アイアンを持った。
 清子は政人を視界に入れないようにして。麻衣子はなにも考えず、しかして普通なら視界には忠弘が入る位置に立って。
(ここからが男の道を魅せる時……!!)
 単に下心である。

 妻はそれぞれ、夫のショットを見た。
「きゃあ、かっこいい」
 歓声を上げたのは麻衣子が先だった。政人の男心は大いに充たされた。
「簡単そうに打つんだね……」
 たった十球練習をしただけとはいえ、まともにスイートスポットに当りもしなかった、実感をしたからこその清子の感嘆。忠弘の男心もまた大いに充たされた。今日は実に珍しくいい交流だ。
 忠弘はもっと見せたかった。七番アイアンだけではなく、ドライバーをかっ飛ばす所も見て欲しい。腕が鳴る。
「パターの練習をしないか? 忠弘、細君」
 考えていることは大して変わらない筈なのに、政人はたった一振りで止めにして、山本家に提案をした。
「ぱたあ?」
 おばか姉が鸚鵡返しをする。
「そうだ、麻衣。パターとはな、力の差は関係ない。男性でも女性でも、同じ土俵に立って勝負が出来る。麻衣でも俺を負かすことが出来るぞ」
 それを聞いた忠弘は、なにも言えなかった。

 同じゴルフ練習場の敷地内でも、場所を移し、やって来ましたパター練習場、真っ平な模擬グリーン上。
 先に今村家二人が、また体を密接させてパター練習を開始する。そのさまを、忠弘はただ見ていた。
 清子は、先ほど忠弘が、まだまだ打ちたさそうだったのは分かった。それでも政人の言葉にただ従っていた。なにかある、と思って、なにも言わずに夫を立てた。

 パターこそゴルフ。
 そう言い切る者こそが上級者、そしてプロフェッショナルである。一ホールで三回パットを打つことはあっても三回ドライバーを振ることはない。
 サンデーバックナイン・最終十八番ホールで最後に握るクラブのほとんどはパターだ。カップまでの距離、たった数cm~数メートル。その僅かな距離に全てを賭ける。己の成績・名誉だけではない。賞金額、それに支えられている家族、それで支えているスタッフ・裏方・コーチ。
 400ヤードをかっ飛ばせれば確かにスカッとするだろう。多少左右にブレてもいい。
 だがパターにそれは許されない。特にショートパットが許されない。強気で打て。強く打て。そうすればアマチュアでも入るかもしれない。短ければどんなプロでも決して入らない、それがパター。
 あの、最終ホールのたった一打の重圧がどれだけ凄まじいか。練習をすれば、知れば知るほど恐ろしさが増す。上級者、いやプロだからこそ、突き詰めた先に打てなくなる。人はそれをイップスという。明確に病気である。ドライバーが多少曲がる時期が長くても病気に罹る者はいない。

 こんな生真面目な話を、政人が麻衣子にする筈もなく。
 先ほどのように密接練習の後、政人は見本も見せずに麻衣子に打ってみろと言った。
 カップまでの距離は三メートル。基本である。七番アイアンと同じ、ただひたすら打ち続け……、だがそんな生真面目なことを政人は言わない。
「えいっ」
 おばかな掛け声とともに、麻衣子は打った。素人目にも強く打ち過ぎだ。それより以前に距離感など知らない。打った途端に視線を打球に向ける典型的な素人打ち。
「はいったっ」
 ボールはおばかなことに、カップの奥をかつんと一旦蹴り飛ばし、高く跳ね上がって吸い込まれた。
 政人は盛大に拍手をし、言葉を尽くして絶賛した。

 ゴルフ場の休憩エリアに、一同は場所を移した。
 またも政人が紅茶を淹れる。清子の目には、忠弘が意気消沈をしているように見えた。
 あの時、清子も思わず拍手をした。お姉さん凄い! そう思わず言ったのだ。
 忠弘も、そうすると思ったのに。
 ティーカップに手をつけようともしない。味はしないだろうが、この場は交流だ。そして一応あれでも上司だ。営業畑の忠弘なら、そんな無作法はしない筈なのに。
「どうした忠弘。元気がないな」
 言おうとした言葉を先に言われて、清子はなにかを言い返したくなった。しかし清子はゴルフの素人。先ほどからの夫の反応。なにかがある。総務で鍛えた勘が冴えた。
 心配そうに夫を見ると、政人がまた声を掛けた。
「細君。今日の交流は、実は俺の惚気大会でもあってな。きっとこれ以上聞きたくないのだろう」
 忠弘はカっとなった。
「うるさいっ!! おおおおまえなんか、今度こそ負かしてやる!!」
「ほう。出来もせんのにどうやって?」
 またも大喧嘩になったので、呆れた清子はそっと席を外した。

 揃いのゴルフウェアに身を包む、可愛い二人の子どもをあやしながら。
「ばっかみたい……」
 な、兄弟喧嘩。小さく呟いた。