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「悩みがある」
 政人はそう言って切り出した。

本日のお題「男は深く語るんでい。女子供にゃ分かるめえ」

「ふーん」
 雷が鳴っている。ごろゴロごろゴロ。ごろにゃぁん。
 ゴルフというスポーツは、小雨なら決行する。これはアマプロ問わず同じ。アマの場合、ゴルフ場へ行くのにも時間がかかるし、こんなご時世揃う四人とも都合を無理矢理つけて駆けつけるためなおさらだ。世のお父さんはがんばってるぞ。
 しかし何事も例外は存在する。それが雷だ。
 鳴ったら、じゃなくて鳴りそうになったら即中止。当日中の再開はないと思おう。金属で出来た長い棒を振り回しているんだから。

 同会社に勤めていながら平日の日中都内のゴルフ場に来ているという、シチュエーションがイロイロ謎の男達は、クラブハウスの会員専用サロンに待避していた。忠弘は風呂にも入らず即帰ると言ったのに対し、政人が茶でも飲もうと止めたのだ。
 しょうがなく忠弘は、父の知人が作った茶筒に入った、妻が詰めた麦茶を、持参した妻愛用のチタンコップにとぽとぽ注いで一口飲んだ。
「なにを?」
 外は豪雨。どんより灰色の天候のなか、不気味な光彩がまばゆく煌めく。数秒の後、全てを震わせる地鳴りが轟く。
 室内には誰もいなかった。特に鍵は掛けていない。こんな状況だから、どうせ雨に濡れたついでとばかり、客は皆駐車場へ走って車で帰ったのだ。
「麻衣に、俺の昔の写真を見せた」
「ふーん」
 麦茶は、父の知人の百歳近いおばあちゃんが畑でつくった。それを清子が古めかしいやかんで沸かした。おてんとう様をいっぱい浴びた土のかおりが漂って来そう。
「どきどきした」
「今日はお前の言うことが分からんな」
 まさかこいつ、帰りたい気満々の相手を引き止め延々愚痴るような男じゃあんめえな。んなことされたらやり返すぞ。
「案の定、暗くなられて落ち込んだ」
「さっぱり分からん」
 政人は下を向いて話していた。あまりないことだ。
 そういえば悩んでいると言っていた。忠弘は思う、冗談じゃなかったのか。
「なんだよ、さっさと言っちまえ」
 コップを置いた。話せば気が済むだろう、帰っていいだろう。
「俺は老けている」
 稲妻が天を分けた。

 忠弘は冷えた麦茶を一口ゆっくり飲むと、
「そうだな」
 と言った。
 すると轟音が鳴り響いた。さっきより近くなっている。大嵐の予感だ。
 ふと見ると、嵐の政人が目の前から消えていることに気が付いた。おや、どこへ行った。
 ヘソを曲げ、すたすた歩いて部屋を出て行った? まさか。では一体……なんとなく、テーブル下を見た。
 そしたら穴が開いていた。
 コップを置く。立ち上がり、テーブルに沿ってぐるりと向かいへ。座り込んで覗き込む。
 直径一メートルのはるか下、穴の奥には悩み苦しむ男がいた。
「……なにをしている」
 はるか下から暗い声が響く。
「落ち込んでいる」
「こんな時まで即答するなよ」
 そうか、本当に悩んでいたのか。しかも思いもよらず、なおかつ聞けば納得の内容。この分では多分、あまり他言したことはないだろう。
「夫人からはっきりそう言われたのか? そうじゃないだろ?」
 あの、どう見ても犬で雛鳥で史上最弱の会長夫人が、人がぐさっと来ることを無神経に言うはずがない。
「そうじゃないが、結果的にはそうだ」
「なんだよ。はっきり言えよここまで言っといて」
 声が遠い。野郎と対面で話すなど仕事以外にしたくなくても、もどかしいというより面倒くさい。
「昔の写真は、誰でもなにかしらかわいい要素があるものだろう。だが俺には歳なりの写真が一枚もない。麻衣はますます俺に怯えた」
「ふーん」
「中学に上がり立ての頃、酔狂でスーツを作り、街を闊歩してみた」
「誰も違和感を抱かなかった?」
「そうだ」
 続けて、政人は穴の深部で滔々と述べた。十代、特に社会人となった二十代は、歳上に見られることはむしろ良かった。しかし伴侶を迎え子宝も授かり、三十を超えると、歳上とは言わず、
「老けている、と言う」
「ふーん」
 二十代の忠弘、あまりピンと来なかった。甘いぞ忠弘、だからいつも捨てられるんだ。
「今だと五十歳で通る」
「かもな」
 気迫溢れるのは結構、嵐が大嵐になるのも結構。その結果、
「……若く見られたい……」
 声はより遠く、深くなった。

「あのな」
 叫ばなきゃ聞こえないか。
「解決策があるぞー」
 両手をメガホンにして、地下うんじゅうメートル下に向かって。
「……なんだー……」
 上へ返って来る声が実に遠い。鍛えられた腹式呼吸のため、辛うじて聞こえる程度だ。
「毛糸のぱんつを穿いてただろー。あの時は若かったぞー。あんな格好でいつもいろよー」
「……お前は俺をバカにしているのかー……」
「男はみんなバカだー」
「……言い返せない……」
「バカな格好をしろー。し続けろー」
「……俺は年収1,017円の貧乏会長だー……」
 自分で妻の誕生日をもじった役員報酬にしたくせに、一応世間体には気を付けているらしい。
「だからバカだと言っているー。夫人の前だけにしとけー。こうなったら夫人手製のものしか着るなー」
 家では、と付け足そうとしたその瞬間、超絶美形の三十代は既にソファでゆったり座っていた。
 余裕綽々の大嵐が、いきなり現れた雲の上の上司に驚く部下を尻目に茶筒の麦茶を優雅にカップへ注ぐ。
「ありがとう」
 ゆっくりと飲むと、鍛えた足取りで気迫満点、帰路についた。

「……格好つけやがって。夫人にコテカを手作りしろって頼んでやるか?」
 本来の盛装ではひょうたんなどをくり抜いて作るというコテカ=ペニスケース+真っ裸で自宅をうろつく三十路男を、想像……
「帰る!!!」
 忠弘は急いで電話を取り出し、清子に「今から帰るよ」電話を入れ即「平日ですよ、そちらさん」と捨てられた。