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Mon,20 Dec 2010

11.せめて、もう少し。

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 次の日、土曜。病み上がりの天然な俺は今さらな情報を手に入れた。
 なんとまあまあ、約十日後に試験だと。しかも全国模試。憶えてねえっつーのガキの頃の試験内容なんか!
 ……どうすんべ。目の前クラっクラ来た……。
 もう駄目だ、お手上げだ、な表情をマジで浮かべる俺に周囲は同情してくれた。あんがとよ。ベンキョせにゃ……何遍生まれ変わってもこれがあるんだもんなあ……もういいじゃねえかよベンキョなんかよ……何で毎度忘れるんだ、憶えてたっていいじゃねえか……。
 夕方にゃ帰宅して、飯の支度をした。あまりに手慣れ過ぎている俺の異常な天然っぷりに、お袋は俺の美大への決意は固いと汲んでくれたようだ。天然はお袋譲りだな絶対。
 だが親父はそうじゃねえ。
 無口な背中を見せながら、親父は俺を観察していた。多分、気付くだろう。茶を淹れたら特に。

 いくら何でも十日後なんて時間がなさ過ぎる。飯を喰らってさっさと二階へ上がった。俺、ちゃんと答案用紙に記入出来るか?
 ガキの頃の試験内容なんて、当時の当日中にキレイサッパリ忘れたぜ。マジメにベンキョせにゃならねえ。アタマはこればっかは思い出しちゃくれねえんだ。
 泣く泣く机に向かって勉学に勤しんだ。ガクセーなんて、ガクセーなんて……。

 日付けも変わって深夜の一時。アタマに詰め込むだけ詰め込んで、あと十日間だけ憶えてくれよと投げやりな態度で、本日のベンキョは終了。もー寝よ。
 這々の態でベッドへ向かうと、その時鳴った。
 番号は哲也。
「哲也!!」
「何してんの」
 ……口調、サッパリ変わらねえ。迷惑系マイペースのまま。
「えー。ベンキョ。ホレ、中間の。今日のトコロはもーソロソロ寝ようかな、とか」
「そ」
 ドスも利いたまま。
 ……何を考えているのか、全然分からなかった。
 長期戦どころじゃねえ。一生、ひょっとしたらその先もずっとなのかもしれねえ。ほんでいい、これは俺の咎だ。
「哲也は」
「同じ」
「そうかい」
 努力家だもんな。
「邪魔? だったら切るけど」
「いや、もうベンキョおわった」
 番号を教わってから呼ばれたあの日まで、俺から掛けたりはしなかった。差を感じて引いていた。突き放していた。
「大学どこ」
「まず美大。次に国立。とにかく私立はパス」
「成績は? 間に合うの」
 キッツイ質問だぜ。
「ゼンゼン。実技もあるしな」
「訊かないの」
「へ?」
 どうもコトバが短えな。
「俺に。どこの大学かとか」
「尋問は勘弁なんだろ。詮索は絶対しねえ」
 ほんでもコレって、踏み込みが足らなくなるんだよなあ。オーヤビーン。ああそういやオヤビンもう警察官やってっかも。
「質問なら、いいんじゃない」
「そうかい?」
 ラッキー。
「したきゃすれば」
 ほんじゃサッソク。
「大学どこだ?」
「東大文一法学部」
「そうかい。大都会なら美大の一つもあんだろ」
「無理とか言わないの」
「ゼンゼン。前のさ、模試の時。哲也学年三位だっただろ。ああ、ほんでフルネームを知ったんだ」
「全国的に見ると。桁が三つは足んないんだけど、俺のセーセキ」
「そうかい。トコロでソコさあ、エラ系公務員の巣窟ってカンジだけどよお。何になりてえんだ、将来」
「べっつにー」
「詮索だったか」
「そうかも」
 ほんじゃそれは後回し。
「何が詮索になるか、尋問になるか分からねえからよ。哲也何か訊きてえコトねえか? 応えんぞ、可能な限り」
「何で入学式の次の日」
 ああ、本題へズバリ行ってくれるか。
「俺はあの日、動かなかった。助けなかった。空手黒帯、なんて世間にゃもう言えねえ」
 あの日は全ての始まり。そう、哲也は言った。
「目の前で何の腕力も、聞きゃあ学力も、この目で見たが運動神経もねえ女の子が、たったひとりで事態を打開した。そういう姿をこの目で見ても何もしなかった。居づらくて、苦しくて、ほんでも動かなかった。アタマが働かなかった。したら誰かがきちんとケリをつけたと聞いた。それが哲也」
 相槌はなかった。
「スッゲーなあって想った。そいつが、何故か俺の前に立ち塞がった。あの時、こう言われたと想った。
“何もしていねえやつが、何かをした人間に近付くんじゃねえ”
 諌められたような気がした。その通りだと想った」
 二度あの背を見ていたんだ、そうとは知らず、あの気迫を。
「なあ、コレって詮索系になるかどうか分からねえが、イッペン訊きたかったんだ。ケリをつけたとは聴いたが、どういうカンジっつうか、やりとりだったんだ? あやふやな風聞でしか知らねえんだ、当人直男に直で訊きてえ」
 思えば東の一番男対西の無差別男の勝負はこの刻既に行われていた。哲也は本性をちっと発揮した、とだけ言っていた。贔屓目かも知れねえが、俺に言わせりゃ哲也の勝ちだ。
「言ってもいいけど」
「聴きてえ。言ってくれ」
 頼ま。
「セーセキ。このあいだの模試より上げて」
「え!?」
「そしたら言う」
 ほんで電話をぶった切られた。そりゃねえだろーーー!!

 夜一時、必死でベンキョをおえて電話を待っても来なかったんで、こっちから掛けたらこのコトバ。
「ヨユーじゃん。前の模試って何位?」
 うわお。ある意味一番答えづれえ。
「か。かくかく、しかじか」
「そ」
 ドスの利いた一文字で電話をぶった切られる。落ち込まあ……。

 今日から部活は停止。朝練も昼練も止められている。ほんでもいつもの通りの時間に起きて、朝飯の支度を。まったく変わらぬ気負わぬ天然な俺の慣れた作業っぷりに、お袋は疑惑の視線を向けなかった。そんでいいぜ元祖天然。
「もちっと寝てろって。いいから」
 試験で今週一杯は早めに帰るから夕飯の支度もするっつって、さらに驚かせた。
 自主練習は止められちゃいねえんで、家を一旦出て、ランニングロードを走りまくる。B市は、A市との境をのぞけば、全体的になだらかな平地だ。存分に走る。
 家に戻って汗を流し、詰め襟に着替えて行ってきます。ほんで電車に乗り込んだ。ベンキョせにゃ。始発と違って人が多い、フツーの時間帯の電車は人が多い。かまわず受験生みてえに単語帳をめくってブツブツ言って頭に叩き込んだ。一番駅は終点、乗り過ごしやしねえ。
 三十分に経たないうちに到着。
 止まったら終いだ。赤から青へ変わる横断歩道をダッシュで通過。あとは歩いて学校へ行く。クラブハウスにゃ寄らねえで、まっすぐ校舎の出入り口へ。
 遅刻ギリギリより前のタイミングでF組の前扉付近へ着席。阿部も、前の席の安藤も全員全員涙が出る程懐かしかった。
 ──生きている。サイッコーのクラスメイト──
 そんなF組でも、試験期間中はミンナやっぱ独特の雰囲気を漂わせる。高三のアレとはまだまだ別物とはいえ、もうはっきりと前哨戦だった。
 浮かれて油断していたら、こんな気持ちを、こんなレベルじゃねえものを、また高三の一年間しなくちゃならねえことになる。今の哲也はベンキョに関しちゃ最も余裕のねえ、神経質な状態。下らねえ成績競争をしてもいる。

 試験期間で部活停止中は、全員が同じ時間に下校する。阿部が、安藤が帰って行く。開けられた前扉をじっとは見ずにいると、哲也が、小松が、斉藤が通過する。その後にガタイのいい遼太郎。
 俺の席は廊下側。窓際にでも行かなきゃ分からねえが、成田も蛇二匹も学校を出るだろう。
 百年前の、生々しい凄惨な事件。……おかしなリアクションは命取り……。
 席を立った。F組を出て、フツーにフツーに学校を出る。模試の時は自主練習をしていたから、周りが詰め襟制服だらけの中、日暮れ前に詰め襟で家へ戻るのはこれが久々、いわば初めて。
 朝は多少調整出来ても、授業が終わった夕方はそうはいかねえ。図書室へ行く、っつーのは俺のキャラじゃねえ。ヤベえのを避けたところで単なる逃げだ。あくまでフツーに、以前のようにしてりゃあいい。とにかく今は中間に集中だ。
 いわば初めて、詰め襟で陽のあるうちに歩いてあの信号へと差し掛かると、やっぱり赤だった。
 確実に暗示を意味していたんだ。前は見過ごしていただけだったんだ。こんなんばっかりの俺。
“自分からイバラ道を行く──”
 よく言われたこの言葉。これも暗示だった。そのまま行けばその程度。サイアク、コケにされ続けてボロゾーキンで、記憶のあるまま泣けずに死ぬだけだと、きちんと周囲は諭し続けていてくれたんだ。全部見過ごして……俺の咎。
 またもここで考え事をしていると背後から、俺だと分かって近寄って来るやつの気配がした。うん、よし、油断はしねえ。特にここでは。
 しかし振り返るとやつだった。
「井上じゃないか。一緒に帰ろうぜ!」
 ……俺は見事なコケをよりにもよってここで披露するのだきゃあ何とか食い止めた……なあ、ヤベえリアクションは命取りなんだっつの大塚……そんなに爽やか素直そうな笑顔で野郎に声を掛けるんじゃねえよカノジョ持ちがよお……よりにもよってこの場所で……。
 そういやコイツって幼馴染みなんだよな。近所だし、幼稚園から高校まで一緒だしよ。あーああ。
 近所住まいの大塚と、電車の中でも電車を降りたあとでもお喋りだ。やつは爽やかハイハイ素直に手を振って、じゃあなと言って俺の家の真ん前でお別れだ。俺は玄関を開け閉めしながら心の中で、別な意味で手を合わせた。こいつとも久々なんだが、F組の連中に対してみてえな感慨なんか湧きもしなかった。こいつは多分間違いなく、別な意味でヤベえやつだ。気を付けにゃ。

 飯の支度を。カラダを動かさねえのはカラダに悪い、家を飛び出て時間までランニング。一旦家へ戻って四番駅へ。この界隈最大の要注意人物な運動部員は、始発じゃなく次の便あたりを使っていたらしい。あんがとよ、元気でな。
 隣の市のヤベえ二人は遅刻ギリギリと分かっちゃいる。その二本前の電車に乗って、車中単語帳をめくって暗記作業を。本気で行くぜ。授業も無っ茶激烈大集中。
 絶対上げたる。

 五月二十九日、放課後。
 誰かさんのコトバをかっぱらえば、今の俺のノーミソは真っ白な灰だった。全部紙に吐き出した。燃え尽きたぜ……。
 でけえ溜め息を長々ついて、おっしゃと席を立ち上がり、さっさとクラブハウスへ。こういう時こそカラダを動かすに限る。
 ところが今日は五周も走らねえうちにセンパイに正門で呼び止められた。
「何すか」
 っつったらグラウンドへ来いとよ。
「その格好は何だ」
 正門からの坂を上がると斉藤が下校していた。……めっさ痩せてら。真っ白け。
 いい、倒れろ。ほんで休んでくれ、ゆっくりと。
 って、ああ……部のウェアはどうしたってか。A High school Soccer Clubって、青の悪くねえデザインの。
「もう潰しちまって」
「戯け」
 怒鳴られて、ほんで以前のような練習メニューに戻れとお達しだ。まだいいんだけどなあ……。
 あれ以来、いわば初めて触れたボール。
 いわば、何十年か振りの部活だった。ほんでもカラダはすぐに思い出していた。何よりこのカラダだった、どう扱えばいいかなんて分かっていた。部活に対してどう後悔したかも分かっていた。
 だからはっきりと。
 吸い付くように扱えた。周囲の視線がすぐに変わった。

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