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Mon,20 Dec 2010

10.坂崎哲也という男。

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 正門が閉まるまで学校の敷地周囲をグルグル走って、今度サボったら退部だと言い渡された。へいへい、あんがとよ。素直に感謝した。鍵は取り上げられなかったし、ロッカーの使用も許可続行。甘々温情裁決だってんで、どっちも返上した。
 しばらくはただ走るだけの方がいい。俺は人の三倍の現役時代があった。思い上がった言い回しだと言われようとも……技術はそれなりになっちまっている。慣れ過ぎておかし過ぎる。だからしばらく、ただ走りたかった。
「もう一走りしてから帰りやす」
 そう言って。
 部員全員が帰ったと思えるまで校庭をグルグル廻った。当直の先生に怒られるまでいたら、もう、学校には誰もいないと告げられて、正門の鍵を貰った。

 いつもより重い荷物を持って、駅方向へ走る。いつもの信号は青、突っ切った。一番駅へは向かわねえ。
 その近所の、喫茶井上へ。
 ただ……
 カランコロンという入り口の音に、心の中で泣いた。つくりの違うカウンターへ座り、茶を一杯。
 心から。
 井上と言う苗字だろうマスターを、しげしげではなく見た。俺の遠い祖先。
 こんな生まれ変わりをしちまって……パラドクスだ。鏡の国のアリスみてえだな。時間がバラバラ、空間もバラバラ……
 勘定を払った。何となく、あったけえのが欲しくてワザと札で。釣りを、つい愛しげに握る。
 名残惜しくとも、店を出た。……また来れる。この先に生まれるなら、何度でも。
 佐々木がベスパで夜遅くには来なかった。サド目の医者も来なかった。一番駅近くの、あの小料理屋もなくなっていた。

 道の途中で電話する。コールは二回。
「坂崎だけど」
 うわお……スッゲー低い声……。
 こんなん初めてだ。すげぇ違う。まるで別人、不機嫌タラッタラな声。メーワク極まりないと言わんばかり。
 つったって、これは俺が百年以上聞き慣れたいつものと較べてそうなんであって、例えばあの隣の人へ対してはいつもこうだし、そもそも坂崎とはこういうトーンの声の持ち主だとミンナは思っているらしい。
「あー、えー、えー。……電話、あんがと」
 井上だ、とは名乗りたかねえし、済まねえな、とも言いたかねえし……。
 語彙が無茶苦茶狭えな。こりゃ想い出さすのはかなりの大仕事かも。
「何の用」
 ひえぇ……ドスまで利いてら。
「あー、……直接、逢いてえ。ほんで、話が、してえんだが、用件が、……ちっとなんで、逢ったっつうのも、話をしたっつのも、……とにかく丸々ナイショにしてえ。なもんで、場所とか……その、……どっかねえか」
 なんっつー物言いだよと想わんでもねえが……。
「来れば」
 え。
「俺の家。二階、俺の部屋。来れば」
「……どう、やって?」
 その先、言われた言葉は、低い口調で、予想通りだった。あのルートで来い、窓は開けておいてやる……低い、突き放すようなマイペース。
「……じゃ、……今から行く」
「どこに居んの」
「……一番駅、裏」
「そ」
 たったそれだけで。
 冷たい声でさっさと切られた。電話の向こうから聴こえる、無機質な音。つー、つー、つー。
 ……一生、こんな──

 慣れたルートをさっさと上がる。目を瞑ったって行き着く部屋。
「何の用」
 雨た部屋の障子を開けたら開口一発こう言われた。机に向かってドンと座ったままの哲也は俺の方を見ることもなく、和服姿ですらなかった。部屋へ戻れば、誰も見ていないところでなら和服に戻ると言っていたのに。座布団も用意されちゃいなかった。完全に対他人モードだった。
 喉から手が出る程、早く想い出し欲しくて、哲也が最も考慮の範疇外な行動を取った。荷物を置き、哲也の元へ真っ直ぐ歩いて、膝を突き合わせる程の処へ。
「俺は井上知治」
 態度は変わらなかった。俺の、この眸を見てでさえ。
 何一つ変わらなかった。
 ずっとそのままだった。
 いきなりでゴメン。
「返事……とかは」
 閉めた障子のところまで、背を見せず戻る。
「……いい時に、……さっきのケータイに頼ま」
 言いおえてくるっと背を向ける。荷物を片手に持ち、障子の取っ手に手を掛けると背後で声がした。
「待ってよ」
 大人しく、ゆうるりと荷物をおろす。踵を返した。
 今度は部屋の真ん中へ座った。哲也は、最初のように、机に向かってこっちを見ない。
「どういう意味」
 声は平坦。ただ低い。
「言った通りだ。あれが全部」
「どういうつもり」
「本気」
 なんぼ言葉が限定されても、心のままに。
「いつ」
「高校の、入学式の次の日。放課後、俺の前に立っただろ。その時」
「何で」
 きっと、これが本音。
「スッゲーやつだと想って」
「どうして今」
「想い出したから」
「何を」
「大事なことは、すぐに、当人に直接。そう想い出したから」
「だから。どうして今。そう想ったんなら、その時言えば」
 ……クッソー。もう語彙がなくなっている。
「遅いか」
「そ」
 やっぱか。……怒られて当然だ。
「怒って当然だ。どうとでも言ってくれ」
「ふーん」
 膝を、突き合わせる程の近さに座った。目が、据わっていた。
「俺は返事を聞きてえんだ。ただ、急かすようなコトはしたかねえ」
 帰るともほんじゃなともまた明日とも言えねえよクソッタレ。
「もっとイッパイ試したい」
 廃れた眸だった。煽っているだけ。
「試すなっつったんだが」
「俺って試すような男なんだけど?」
「さっき試された。感想は」
「遮ったじゃん」
「もう遮らねえ。想った通りを言ってくれ。出来れば、嘘偽りなく」
「就職先はソレ系?」
「いや。絵をやりてえんで美大へ入るが、その先生きて行く自信がねえ。養ってくれ」
 さすがの哲也もあきれたらしい。うーん、自信がまるで無くなって行くぜ。
「何言っているか分かってんの?」
「言った通りだ。どう想う」
「俺をコケにしに来た。今で終い」
 どうすんべ自信。
「全文違う。返事はケータイへ、出来れば人のいない処で」
 やっぱいきなり過ぎたかなあ。
 今日のところは引くことにした。またてももう言い訳のタンスは使い切った。何かを言われる前にと、さっさと部屋を出て、さっさと窓から脱出した。

 二番駅あたりからタクシーを拾おうとしたら、電話が震えた。番号は哲也。
「今どこ」
 ちっとは声が高くなったかな。
「まだ、近く」
「何で帰んの」
「電車終わったんで……二番駅あたりまで走ってタクシーを拾って」
「どこに住んでんの」
「四番駅近く」
 住所を言った。喫茶店だとも。
「終電っていつ」
「十分前に出たっきりだ」
「国道の方に行って」
 へ?
「ほんで南へ歩いてて。後ろっから、知り合いのタクシーの運ちゃんに拾わす」
「え」
 何で。
 そう問うことも許されず、
「家へ帰って、部屋に着いたら電話して。周りに人のいない時に」
 すぐに切られた。

 言われた通り、電車の路線がある通りよりも東よりになる、国道をてくてく歩いていたら目の前にタクシーが止まった。何も言わずに乗り込むと、何も訊かれずドアが閉められた。ほんで、……六中のある街はいっさい通らない、遠回りのルートで、四番駅近くの俺の家付近まで送り届けられた。

 灯りの消えた家へ戻って、すぐ部屋へ上がって電話した。
「哲也」
「大体その哲也って何」
 不機嫌な声でも、すぐに出てくれた。
「名前。哲也じゃねえのか。今、部屋に戻った。タクシーあんがとよ」
「ふーん」
「内容が内容なんで、教室じゃあんま、喋んねえから」
「そういうトコは慣れてんじゃん」
 まあな。
「ついこのあいだおかしなリアクションをして、集団折檻を喰らったばっかでな。あんなのはもう勘弁だ」
「それってひょっとして、合同一回目のレンシュー後のコト言ってんの?」
「ああ。そうだ」
 やっぱ知っているか、哲也だし。
「ソレ。俺も参加したぜ」
「え!?」
 電話の向こうがくっくっくっと笑っている。
「面白そうだったから。ノリで参加」
 そうだったのか……気付かなかった。
「セーセーした」
 途端電話をぶった切られた。無機質な音がする。つー、つー、つー。
 ……こりゃ想い出してくれるまで、もう電話ねえな。……っつうか、その方がいいかも……。

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