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Sat,27 Nov 2010

8.もう一度。

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 ったく。遠慮なくおシャカにしてくれやがって。
 俺の名前は井上知治。とことんイナカ高校の一年F組、ときちんと言っても多分憶えちゃ貰えなかっただろう、空しいその辺のフツーの一般高校生だ。
 それが災いして、ちっと激烈とんでもねえ野郎に挨拶喰らって、貰えたばっかの部のウェアの胸倉んところをぶち破られたって寸法。しょーがねえから詰め襟に着替えた。これじゃ走れねえっつーのクソッタレ。奴さんとは帰る方向が一緒だ、同じ電車にゃ乗りたかねえ。不貞腐れて、しょーがねえってんでゆっくりのたのた、駅まで歩いた。
 学校から駅まで、歩いたのは初めてだった。高校に入ってからは。
 受験の時、初めて一番駅を使った。そこから歩いて受験会場たる、隣の市のA高へ行った。あの時はワリとキンチョーもなかった。先生からは面談で、お前はフツーにやりゃあ受かる、はい次の生徒。なんて言われたもんだ。
 そんな三月。そして四月。桜の木の下で恋をした。
 それは随分、いっっっっくらなんでも、なくれえ、淡いもんで……。
 つまり、現実は甘かねえっつーことだ。この一か月で幾度となく繰り返した一瞬の迷い、躊躇い、傍観。その全てが俺に跳ね返った。この後悔は間違いなく、一生残り続けるだろう。そんな俺が名乗る以外、出来る筈はなかった。
 そうやって言い訳を繰り返し、挙げ句小突かれ現在に至る、だ。情けねえ。とぼとぼ帰った。
 これがとぼとぼっつうんだな……。
 実感しまくって、もう学生服を着た生徒なんかいねえ、とっぷり夜。とある信号に差し掛かった。
 なあ。信号ってよ、相性あると思わねえ? ホレ、いつも決まりきった道を往復しているとさ。通学でも通勤でもお使いでも仕事でも何でもいい。交差点に差し掛かると、“この信号はいつも赤”とか“いつも青”とか、甚だしけりゃ“いつも黄色、だからここではいつも走る”とかねえか? 俺はある。それも、高校生になってからだ。それがここ。一番駅直前の、ショボい交差点だった。
 イナカなもんで、この街一番の目抜き通りですら片側二車線がやっと。そんな所でも信号は無視したりしなかった。なにせここはいつも青だ。
 しかも、いつも必ず赤が見える青だ。気分いいと思わねえ? まるで俺の為に変わってくれる、と思えるくれえでさ。学校の一日は初っ端から恋をして告れもせず助けられなかったり行いが悪かったり散々世話になったり今日のように折檻喰らったりと実に充実し過ぎてホレ何だ。それがこのわずか一瞬、赤が見える青信号で、変な話だが癒される。
 今まではずっとそうだったのに。初めて、黄色の見える赤を喰らった。
 やっぱチンタラ歩いて来たのが悪かったのか? こういうトレーニングってのは継続してでしか力にゃならねえ。だからの警告、なんだろうか。この一か月というもの、俺のして来たことに対する。
 世話も折檻もノーガードで喰らった。俺はそうされるべき、裁かれるべきなんだ。
 そういう腕前がありながら。そうだと戒められていながら。吸い込まれるように期待した、あの獰猛な眸に。
 きっと自力で解決すると……そうやって、ひとりの無力な惚れた女を……。
 だからこれは俺の咎。言っちゃあいけねえ、この想いは。きっと傷つけるだけだ。端から見てももう一杯一杯なあの子の負担になるだけ。
 信号が赤になるまで。待ちながら、そんなことを考えていた。

 どのくらい時間が経ったのか。ふっと顔を上げると、またしても黄色が見えた。
 気付かないまま何度も青信号をやり過ごしていたらしい。……何やっているんだか。俺みてえな体力バカは、止まったら終いだっつーのに。今度はちゃんと信号を見て待とう。
 ちゃんと顔を上げて、信号機を見ていたら、その向こうの暖簾がいつもと違っていた。
「……アレ?」
 違うぞ。
 違うっつの、あいつの家は雨た色の暖簾だ。設計以外で口出ししたのはこれだけだった、俺が画こうか書道は師範だっつって、俺の筆で坂崎って……。
 坂崎……
 ……
 ……
 ……
「──哲也!!」
 一瞬で、ありったけの涙が出て、ほんでほんで、──想い出した。

 次に俺のしたことは、口を塞ぐことだった。馬鹿か俺、叫んでどうする、バレたらヤベえんだっつーの。こんな時間だ、だから人通りは少ねえが、却って声が響くんだ。リアクションが命取りだっつーのに!
 次に、少し頭を冷やして、頭を動かさねえで周りを見た。
 視界に人は映らなかった。
 次に、周りの気配に集中した。何年生きているんだ。もう油断はしねえ。
 気配はなかった。
 次に、携帯を取り出した。時間を見る為だったが、電話と想い出した途端、また泣き叫びたくなる程掛けたくなった。──哲也。あの番号だ。目の前に、数メートル先に居る。
“待ってる”
“イッショだよ”
“泣かないで”
 また腕の中で冷たくなって──
 ガックリ頭を垂れて、しばらくそのままだった。

 ふと、取り出した携帯をボケっと見た。時間は……
 十時。
「……何してやがんだ!」
 今度は叫ばなかった。独り言のように言ってツラを拭い、信号を無視して、っつうか見もせず道路を渡って一番駅へ走った。

 B市へ行くことに躊躇いはあった。人目はねえ、勝手知ったる坂崎旅館、確実に居てくれる哲也。いつものように二階へ上がってもよかった。っつうか、そうしてえのは山々だが、考えなくちゃならねえことが多すぎた。
 とにかく、あそこに考え事をしながら留まるなんて、やっちゃいけねえ一番だ。あまりにも意味があり過ぎる。学校を出てからの時間を考えると、かなりの時間をあんな所で留まっていちまった。なんっっっつー命取りなリアクションだったんだろう。
 もう叫ぶワケにはいかねえ。こういう時は、何をすればいいのか、順番を考えなくちゃならねえ。
 まず、おかしなリアクションをしねえこと。ガキの時分、周囲にどう見られるかを最優先に考えなくちゃならねえ。もう都合四生目、いつまでもバカはやっちゃいられねえ!
 っつったって、今度は一人だ。あんなコトしてりゃ世話はねえ。電話をもう一度取り出し、駅構内の白線の内側で、電車を待ちながら家へ電話したらお袋が出た。
「悪い、遅くなった。今から帰る。ああ、ああ、ちと学校出るの遅くなってさ、ほんで考え事してたら、バカだろ、交差点で信号待ちしながらだったもんでボケっと突っ立っちまって……」
 電話の向こうから聴こえる三生振りの声。また泣きたくなって、なんとか堪えて、堪えようなくて涙まじりになっちまって、どうしたのかと心配された。電車を降りた頃には、はっきり泣いちまっていた。明日、休もう──。

 四番駅に降りた。久し振り過ぎた。ついこのあいだまで、俺はここには降りねえと、そう心に決めていたのに。
 電車の中もそうだが、駅にも人はいた。ああ、全員生きている。
 中には、俺の目が充血していたと見とがめたやつもいるだろう。ほんでもいいや。なにせ俺は折檻帰り、ほんでチビって泣いちまったとでも思ってくれりゃあ丁度いい。そう思わせられるな、と算段がついたから、学校は半分だけ休むことにした。部活は出るぞ、逢いてえし。

 止まらない涙のまま、家へ戻った。
「ただいま」
 久々の──。

 涙ボッタボタの俺を、この両親は心配してくれた。ヤベえリアクションなんてもんじゃねえが構わなかった。なにせこの二人の口は堅過ぎる。哲也とスッゲー親しかったのに、姉貴の存在も言わなかったような二人だ。息子がこんな様子で帰って来たなんて、声高に言いふらすような親じゃねえ。
 そんな二人へ言い訳はしねえでおいた。ただ、明日学校休むかも、とだけ言った。
 お袋は心配して、顔でそうしろと伝えていたが、親父のツラはそうじゃなかった。分かってら。
「半分だけ。昼から行って、部は出る」
 親父は、俺が空手をやると言った時、無言で許した。ほんで無言でこう言った。
 誰にも負けるんじゃねえと。
 騒動のあった日。俺は親父の顔を見られなかった。それから一か月、今に至るまでそうだった。なんぼ部で一回戦負けして来ようとも、そんなことはしなかった俺の変化を、何の会話もなくとも気付いていた、分かっていた親父。
 俺の分だけの夕飯の支度をするお袋の手を止めて、俺が支度をし、食う前に言った。
「お袋。親父。俺、絵をやりてえ。食って行けなくとも俺はやりてえ。だから美大へ行く」
 ほんで飯をかっ食らった。ああ、早く哲也の絶品が食いてえ。

 お袋も親父も、俺が部をやるのは詰め襟を着ている内までだと知っている。何遍も言ったが、例のマラドーナだ。これにゃ親父も納得していた、無言でだが。
 無言で食らった後、食器の片づけをした。するってえと、お袋が質問して来た。俺達は食中、食事に集中すんべってんで会話はねえ、お袋も。
「びだいって、何だい?」
 ああ、そこからか。
「美術大学。平たく言やあ、絵を画く勉強をするトコロだ。私立にゃ行かねえ、国立で」
 っつったって、ありゃ市立だが。
「だいがく? さっき考え事をしていたって、チビ助、それかい?」
「ああ」
 親父は、俺に背を向け、居間で何やらなテレビを観ていた。つうか、テレビに視線を向けていた。もう十一時だ、そろそろ寝るだろう。
 その隣へ座る。お袋も、いそいそとちゃぶ台前へ座った。俺の雰囲気で何となく、重大な家族会議があると察したんだろう。
 開口一番、百年以上告げずにいた一か月前の事件を言った。
 予想通り、すぐに拳が飛んで来た。当たり前だ、さすが親父。尊敬するぜ。これが人の親っつーもんだ。泣けて来らあ。

 ずっと考えていた。自分の道って何なのかと。
 サッカーじゃねえっつーコトは、親子共通した考えだった。なら、何なのか。
 雑多な趣味の中で、食って行ける道を選んだ“以前”。これなら、こんな風に、腹を割った、こそばゆい会話をすることなく、面倒なく納得させることが出来た、生きて行くことを。ほんでもそれは、本心を隠した、本心にビビったという証拠。
 そうはしたくねえ。もう負けねえんだ。

 食って行けねえとは分かっちゃいるが、これが俺の本心だ。もう二度と偽らねえ、俺の本心を見殺死にゃしねえ。我が儘を言っているとも分かっている。あの事件は、必ず詰め襟を着ている内にケリをつける。迷惑極まりねえ女々しい初恋は今すぐキッパリスッパリ諦める。大学へ入れたらバイトする、大学を出たらフリーターでも何でも、定職にゃ就けねえが、絶対自分で食い扶持を稼ぐ。
 そう親父を説得した。応えはこうだった。
「大学を出たら勘当だ」
 あんがとよ。

 この手の治療は慣れているんで、手早く処置した。治る傷は人を強くする。
 ほんで部屋へ上がった。考えることが山のようにあった。
 ドアを閉め、詰め襟を脱ぐ。またしても舞い戻った若いカラダ。いや、“最初の”カラダ。
 パンツ一丁になって、パジャマを取り出す。あったあった。くれてやったまま、こよなく大事に使われたガラもん。
 袖を通し、着る。ほんで電気を消し、ベッドに大の字になって、泣き叫んだ。
 わんわんわんわん、ガーガー泣いた。

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